月: 2020年3月

古代ローマの感染症:(1)序論

 この御時世に私は何をすべきかなにができるか、を考えると、お勉強の成果の公表しかないので、遅ればせながらちょっと頑張ってみますか(ほんとは、だれか若手にやってほしいところ)。まとめてからアップするのではなく、執筆速度を挙げるため、原稿を随時書き綴っていこうと思う。なので、ところどころメモめいたものになったり、あとから付加したりとなるかもだが、ご寛容のほどを。

 大略は今は昔30年前になるだろうか、全学の1年生対象の西洋古代史概論あたりで言っていた内容の拡大版といった趣である。といってもせいぜい1,2コマでの扱いだったので、その時の受講生たちがどれほどの現実味をもって私の授業を聞いてくれたのかには自信はない。おそらくはるか昔の医学が未開の時代のことで、自分たちの人生にはありえない、無関係、という脳天気なものだったに違いない。しかしこれは研究者においても同様で、疫学的な視点から歴史の転換点を探ろうなどとは、よほどの変わり者として扱われるのがオチで、実際私は変人なのだろうが、さて現況に直面してみなさんどう感じていらっしゃるのだろうか、聞いてみたい気がする。要は、どれほど切迫して該時代の出来事を捉えることが可能か、という再構成能力、想像力の問題だと思うのだが。ただ油断ならないのは、研究者の中にはさすがに変わり者がいて、たとえば、J.Rufus Fears(1945-2012年)などは、ごちゃごちゃ弁解じみたごたくを述べず直球で、166年のローマ帝国を現代のアメリカ合衆国と対比する観点をあっけらかんと主張している(The Plague under Marcus Aurelius and the Decline and Fall of the Roman Empire, in:Infectious Disease Clinics of North America, 18, 2004, pp,65-77)。私としては、彼のローマ帝国に関するギボン的超楽観的論述は脳天気すぎてありえないと思うが、この比較というより、国際化した現代社会における感染症の猛威については、彼はさながら予言者であった、と思う。何しろ彼は、この疫病がキリスト教興隆の決定的要因であったことを指摘するだけでなく、現代のバイオテロの脅威までもそこで見ているからである。彼にはそれがより鮮明な表題の、以下もある:The Lessons of the Roman Empire for America Today, Heritage Lectures, No.917, 2005, Pp.8.

J.Rufus Fears(1945-2012年)

 地中海世界は他の文明圏同様、幾度となく外来の疫病の脅威にさらされてきた(内在していたそれらや寄生虫とは、宿主と寄生側の長年の付き合いの中で風土病として折り合うようになっていて、だがそれに慣れていない外来者には劇症に発症してしまうわけ:https://digital.asahi.com/articles/ASN3B52ZMN3BUCVL00G.html?iref=pc_rellink_02)。古代において著名な疫病として、紀元前430年頃のペリクレス時代のアテナイを襲った疫病がある。ローマ帝国史に名の残るものとしては、直ちに、紀元後2世紀後半の「マルクス・アウレリウスの疫病」(3世紀中葉の「キュプリアヌスの疫病」もその延長線上か)、6世紀半ばから60年流行した「ユスティニアヌスの疫病」が挙げられるであろう。今回は私の守備範囲で「マルクス・アウレリウスの疫病」について触れてみたい。

 前もって確認しておきたいのは、当時の医療水準のことである。細菌はもとよりウイルスに関する知識もなかったかの時代、病気の原因は、インドを淵源とするギリシア的四体液説に基づき、四体液のバランスが崩れたためとされていた。特に感染症は「悪い空気」=瘴気を体内に取り込んでしまったことに求められ(イタリアの風土病マラリアも、イタリア語の「悪い空気」mal ariaに由来している)、したがってその予防策は瘴気から極力隔離すること、そしてもっとも効果的な治療は体内からの毒素の排出によるバランスの回復(基本的には自然治癒能力を信頼)、すなわち瀉血と考えられていた。日常的経験則から導かれたこの医療観は19世紀に至るまで広く支持され続けていくのである(逆にいうと、我々に身近な医療は19ないし20世紀以降のものとなる:実際、森林太郎陸軍省医務局長の誤った脚気説に代表されるような、多くの試行錯誤があったことを忘れてはならない)。古代ローマの医学を論ずる場合、ヒッポクラテス学派、ガレノス学派が主流で、ともっともらしく述べられるのが普通だが、もちろんそのレベルでさえ当時の一般庶民にとっては間遠く、実際には、病因を呪いや悪霊の祟りとする民間療法をはじめ多種雑多な俗説と有象無象の医療従事者が存在し、活動していたことを失念してはならない(もう一つのアスクレピオス医療団は、さてどのあたりに位置していたのやら)。それを実感したければ、図書館でケルソスやガレノスの当時の医学書や、大プリニウス『博物誌』をちょっと繙くだけでいい。たとえばガレノスは、痛風の治療に腐ったチーズと煮て酢漬けにした豚足を膏薬に混ぜ込んで塗る、といった類いのことを大まじめに書いている。今の我々には読むに耐えない稚拙かつ荒唐無稽な内容の羅列であり、しかもそれが効果的だったとしているのだから、なにをか言わんやである(ガレノス『単体薬の混合と諸力について』10.2.9(12.270-271K):これはS.P.マターン(澤井直訳)『ガレノス:西洋医学を支配したローマ帝国の医師』白水社、2017;Susan P.Mattern, The Prince of Medicine : Galen in the Roman Empire, Oxford UP, 2013、の冒頭のエピソードである)。

Susan P.Mattern:1966-

 そんななか、庶民にとって手に届く医療はとりあえず安価な民間療法しかなかったのが現実だった。そもそも現在のような国家資格での医師は存在していなかったし(それなりの訓練は受けていたにしても)、とりわけ古代ローマ時代の医療従事者はどういうものかギリシア系の奴隷身分ないしせいぜい被解放奴隷だった(小林雅夫「古典古代の奴隷医師」『地中海研究所紀要』6、2008、pp.45-54:http://www.waseda.jp/prj-med_inst/bulletin/bull06/06_07kob.pdf)。ペルガモンの裕福な市民ガレノスは、あくまで例外であったとしておこう。

 キリスト教の教祖イエスも,当時の悩める庶民にとっては安価な病気治しの治癒神に他ならなかった。西欧中世庶民において治癒能力をもつ奇蹟実行者こそ教祖イエスの再演・現身であり、キリスト教信仰の核心であった。いうまでもなく、教会側も治癒行為を宣教の有力な武器と捉えていた。聖人認定に奇蹟が求められたのもその証しであろう(山形孝夫『治癒神イエスの誕生』ちくま学芸文庫、2010年:初版、朝日新聞社、1991年)。

山形孝夫(1932ー):当たり前のことだが、お歳を召された。

 そして当然のことながら、いつの時代も庶民が従来の伝統的神(々)を放棄する契機となったのは、彼らが願った平穏な日常生活が、天変地異、特に気候変動や感染症の大流行で破綻して、従来の権威が失墜したとき、入れ替わりに新たな(自称を含めた)治癒神が登場したときである。いつの世も治世者にとり感染症をどう沈静化するのかは大問題であった。絶望にさらされた民意はまたたく間に統治者や聖職者から離反する。それがまさにローマ帝国でのキリスト教受容の大躍進期、すなわち三世紀で目撃された。その前段階に「マルクス・アウレリウスの疫病」があったのだ。その時点ですでにギリシア・ローマを始めとする旧来の神々は民衆から愛想づかしされていたといっていいのかもしれない(この既成宗教の凋落を、国家宗教であって個人救済とは無関係だったから、などともっともらしくこれまで研究者は説明してきたわけであるが、単なる空想的観念論にすぎない)。

 そして同様に、黒死病が宗教改革の影の主導者となったわけだが、近代医療の幕開けが今度はキリスト教信仰の屋台骨を揺るがす一大転機となったのは偶然ではない。カトリック教会はこういった近代科学主義への対抗措置として、聖母マリア崇敬を称揚し(1854年に、無原罪の御宿りが信仰箇条になった、その4年後にフランスのルルドで聖母出現、そして1913年ポルトガルのファティマでの聖母出現、その各々での奇跡的治癒による聖地化などで)、失地回復を試みてきていたともいえる。もちろん結果的に成功しているとは言いがたいが。

 現代においては、ごく一部の最先端の医療関係者を除くと、すでに新薬開発が救世主の地位にあって、ちまたの医者はその単なる販売促進メンバーといって過言でない(現代版富山の薬売り)。その現代の救世主たる製薬会社が実はガンなど収益性の高い治療薬開発にもっぱら資金を投資し、感染症のワクチン研究をおろそかにしてきた現実もあるらしい:http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52269982.html。そもそもワクチンできた時には疫病が終熄していたりする。否、開発以前に終息してしまったりもしている。サースしかり、マースしかり。そのつけが現在の状況をもたらしているとしたら、どうだろう。以上、閑話休題でした。

 165年末ないしその翌年の初めに、皇帝マルクス・アウレリウスMarcus Aurelius(在位161-180年)の共同統治者でノー天気なルキウス・ウェルスLucius Verus(在位161-169年)を総大将とするパルティア遠征軍が持ち帰った疫病がまたたく間に蔓延したらしい(SHA, Verus, 8:南川高志訳『ローマ皇帝群像1』西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2004年、p.216;cf., p.166、172、182:もちろん、この類いには当然のこと別説あり)。結果、多くの死者が出た。この感染症の症状については、当代随一の医師を自認するGalenos(129-199年:小アジアのペルガモン出身)らの記述が残っていて、おそらく天然痘だったらしいとされている。

ルキウス・ウェルス貨幣:裏側で共同統治者マルクス・アウレリウスと握手している

 この件と関連して、だがあまり触れられることはないようだが、マルクス・アウレリウス『自省録』(神谷美恵子訳、岩波文庫、初版1956年、改訂版2007年:他にも翻訳はある。導きの書として、荻野弘之『マルクス・アウレリウス『自省録』:精神の城壁』岩波書店、2009年)の著作年代がまさしくこの感染症の時期と重なるので、そういう視点で読み直してみる意味があるのではないかと思う。彼自身の死も疫病だった可能性があるし、私のような門外漢にもその紙背に抜きがたく「死」の影がまとわりついているのを感じざるを得ないからだ。その中には、同時代のキリスト教への言及箇所もある:11.3(最近またまた後世竄入説は後退している。これは後世の善帝評価の忖度によるもので、彼だからあの立派なキリスト教に対してそんなことを言うはずはない、とするのではなく、彼自身の手とみていいのではと私も思う:参照、エピクテトス『語録』4.7.6)。

 いみじくも、その疫病と同時代を北アフリカで生きていたキリスト教徒テルトゥリアヌス(160年頃ー220年頃)が彼一流の皮肉を交えながら喝破したように、天変地異はキリスト教迫害のきっかけとなった。「もしティベリス河が増水して水が堤防を越えたならば、もしナイル河が増水しないで田畑に水を引くことができなかったならば、もし天候がいつまでも変わらなかったならば、もし飢饉が起こったならば、もし疫病が発生したならば、彼らはたちまち、《キリスト教徒たちをライオン(単数)へ:Christianos ad leone》と叫ぶ。いったいどのようにして、これほど多数のキリスト教徒を一頭のライオンに食わせることができるのか」(Tertullianus, Apologeticum, 40:金井寿男訳『護教論』水府出版、1984、p.121)。

 この文脈から考えてみると、不運なことにマルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルスの登位は、まさしく飢饉と洪水で迎えられた。そしてその後も疫病や蛮族の侵入の連続である。これでは悪帝とされても仕方ない仕儀で、民衆の怨嗟の的になってもおかしくなかった。事実、諸々の皇帝伝(但し、いずれも4世紀後半の作:アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』、エウトロピウス『首都創建以来の略史』、『ローマ皇帝群像』など)での叙述からは、彼の学識や施策を高く評価しつつも、なにかしら奥歯にもののはさまったようなくぐもった表現が読み取れるし、共同統治者ウェルス、妻の小ファウスティナそして息子のコンモドゥスはより直接的な非難の対象とされていて、これはとりもなおさず間接的にではあれ、マルクス・アウレリウスのあるべき上長ないし家長としての威厳のなさが公言されているわけである。このあたり単純に読解力の問題だと思うのだが、それをきちんと指摘している研究者にどうしたことかこれまで私は出会ったことがない。完璧な人間など存在しない。だから、不必要なよいしょなど不用のはずなのに、と私など思ってしまうのだが。マルクス・アウレリウスも言っているではないか、「お前は老人だ。これ以上理性を奴隷の状態におくな」(『自省録』Ⅱ.ii.3)。研究者たるもの率先してそうあるべきであろう。

 ところで、「ピンチはチャンス」とばかり、この感染症を利して勢力を拡大したのが、キリスト教だった。今次感染症騒ぎの真の勝者は誰(何)であろうか。見届けたい気になってきた。

 なお、ウェブで以下の簡便な世界医学史叙述をみつけた。一般的な事情を手軽に得るには有効であるが、こういう叙述を読む場合、書かれているような訓練された医者による医療を享受できた社会層を限定的にとらえるという視点が必要のように思う。また後者の場合、「ギリシア人医師」と標記してギリシアをあがめ奉った叙述が目障りだが、より正確には「ヘレニズム医師」とすべきだろう。もちろんだからといって皆がみな科学的だったはずもない。http://nico-wisdom.com/newfolder1/worldmedical.html;https://anc-rome.info/medicus/

【付論】感染症を論じる場合、細菌やウイルスの撲滅はありえない。それはすでにマクニールも指摘していることである。統計的に3割から6割が感染すれば集団的に抗体を保有して収束ないし終熄するとされている。1875年のフィジー諸島でのはしか(麻疹)流行での死者数は示唆的である。人口15万人のうち4万が死亡した。免疫獲得による生存率として、中世ヨーロッパの黒死病の被害もこの割合だったのではなかろうか。https://www.huffingtonpost.jp/entry/shingatakoronauirusu-jinruitonokyoseinimukete_jp_5e6f1770c5b6dda30fcc321d;https://ml.asahi.com/p/000004c215/6398/body/pc.html

 実はこのところ「はしか」が流行していて、2018年に14万人が死亡していたのだが、マスコミは少しも関心を持とうとしなかった。その大多数が5歳未満の(声をあげれない)子供だった。コロナ・ウイルスでは現在死者数6万台で大騒ぎしているが、それも自分たちの頭上に火の粉が降りかかってきているからにすぎない。私を含めつくづく身勝手なことだ。ちなみに2019年にはしか汚染者は25万人以上、その45%を占めるのは、コンゴ、リベリア、マダガスカル、ソマリア、ウクライナ、の由。先進国の我々にはますます他人事だったわけ。https://www.unicef.or.jp/news/2019/0175.html

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今日のテレビ番組2点:飛耳長目(36)

① BS4Kで17時から1時間やっていた。ドキュメンタリー・テラ「アイスブリッジ大論争!氷河が変えた人類史」。再放送は来週火曜の午前8時から。

 「まるで生命体のような地球の営みに迫るシリーズ。今回は、人類学者が繰り広げる大論争だ。欧州と北米を覆った氷河を人類が渡ったという常識を覆す新説に迫る。

 今、欧米の人類学者が大論争を繰り広げている。人類移動は「欧州、アジア、アラスカ、北米」が定説。しかし欧州で特徴的な石器が北米で見つかり「欧州、北米」ルートが大浮上。注目されたのは2万年前の氷河の動きだ。ある時期、欧米が氷の橋で繋がり人類が移動したという。取材班は現地調査に密着、新証拠発見の瞬間に立ち会い、DNA追跡調査も実施。氷河のイメージ映像や再現Vを交え人類史の謎に迫る。」

 氷河期には海水が氷になって海が後退する。だから大西洋の幅も狭くなる。そこを通ってユーラシア大陸のヨーロッパ側から、狩猟民が獲物を追って結果的に北アメリカに渡っていった、という仮説。証拠はフランスで発掘されたものと同じ石器がアメリカ大陸東岸でも出てきたから。イヌイットはそれくらいの移動はやっていた由。カムチャッカ渡来単発の従来説が揺らいでいるわけ。

② BS11(イレブン)「歴史科学捜査班特選」で、今日の20時から1時間やっている。「真説・関ヶ原 実験で明らかになる合戦の実像」。

 「慶長5年、1600年、徳川家康を総大将とした東軍約9万人と石田三成率いる西軍約8万人の軍勢が激突した天下分け目の戦い「関ヶ原の戦い」。戦いが始まって4時間。徳川家康が西軍小早川秀秋に向けて寝返りを促す威嚇射撃を行った「問鉄砲」。これをキッカケに東軍への寝返りを決意した小早川の行動で西軍陣形は総崩れとなり午前8時から始まった戦いは6時間で勝敗が決まったという。しかし、この通説を根本から覆す説が近年、発表された。捜査班はその全容を掴むため専門家のもとへ。そこで知る驚きの説とは?なんと主戦場は関ヶ原ではなかった?また問鉄砲は本当に行われたのか?検証から明らかになる問鉄砲の真実とは?さらに当日発生した霧を再現。捜査班が行った実験から霧が及ぼした影響が見えてくる。東軍が勝利した関ヶ原の戦いとは一体何だったのか!」

 この番組のミソは、「問鉄砲」や濃い霧の中で「赤揃」がみえたかどうか、の実験なんかを実際にやってみて検証したことだ。通説の布陣での発砲実験だと、あの距離では全然聞こえないことが一目(耳?)瞭然だった。こういうことを抜きにして、これまで、江戸時代の軍記物や明治の参謀本部作成布陣図を根拠に(両方とも史実ではなかった)、従来説がまことしやかに述べられてきた、というわけ。これは徳川幕府に都合のいい物語の創作にうかうかとのせられてしまった例である。講談師ではないのだから、研究者を自称するなら恥じ入るべし、だ。もって他山の石とすべし。

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入試問題著作権のこと

 先週末に大学から、著作権なんたら協会から郵便物が届いたから取りに来てほしい、ついては今後は連絡先を自宅に変更して下さい、と連絡があった。そんななんたら協会とはこれまで往き来がなくて思いあたらないなあ、しかし、このブログも著作権がらみだと画像なんかの件で叩かれればほこりが出るという認識は十分あったので(最悪、弁護士事務所名で通知が送られてくるとか)、ひょっとして叱られて罰金取られるんじゃないの〜、と少々重い気持ちで週明けの今日引き取りに行った。

 封筒を開けて唖然。「著作物利用許諾のお願い」。理系の某大学での国語の入試問題に、私の論文を採用したから、過去問として配布するので、その許諾を求め、ついては利用料を振り込む、というもの。

 えぇ〜っ、国語の入試問題ぃ? ・・・ こんな経験初めてだが、世界史ならともかくも国語では、こりゃ悪文と認定されたも同然じゃないか、というのが第一印象。というのも、私が受験生だったころ(すなわち今から50年ちょっと前)、当時は文芸評論家の小林秀雄の文章が読解問題での常連で、私も悩まされたものであったが、書いた本人が入試問題やってみたところ正解できなかったという戯れ話を聞いた記憶がありまして。それ試してみなきゃ。

 さて出題だが、まず、A4版横長で5ページに及ぶ拙稿からの長文の問題文が引用されていることに驚いた。それに関して問が全部で9つあるのだが、単純な漢字の書き取り問題など6問はよしとして(含む、写真問題:しかしこれって国語の問題? 受験生の予想を裏切り斬新というよりほかない。というか理系ではそういう感覚も必要ということか)、傍線箇所の正しい文意を5つ6つの選択肢から選びなさいという3問が。そら来たぞ!という感じ。出題者側(ないし、受験産業側)がなにを正解にしているか現段階では不明なので、赤本出たら立ち読みでもして確認してみようと思う。

 ともかく理系の受験生の読解力を確かめたいという出題者の意図はわかるが(そしてこのことは文系で一層重要なことはいうまでもないが)、受験生さんごめんなさい、文系を相手に書いておりますので分かりにくくて。

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統計とはなにか:史資料批判の現実

 私は数字に弱い文系と自認している。そのくせというか、だからなのか、えてして証拠として示される数字には説得されがちである。これは母数が少ない古代史研究やっている場合、墓穴となりかねない。統計学的な有意差検定など無視した結論へと短絡しがちだからだ。だがそれは古代史だけの問題なのであろうか。

 今般のコロナウイルス問題で表面化している数字の問題がある。感染しているかどうかの調査報告での数字である。原発地の中国以外で、一時高かった韓国のそれは沈静化の兆しを見せている一方で、イタリアやイラン、それにフランス・ドイツで感染者数が増えだしている。それに引き替え、クルーズ船感染で名をはせた日本はそれほど延びず、大勢として沈静化の方向にあるのだが、国際的にはこの数字は信用されていない向きがある。

 素人の私でも想像できるのが、問題が、新型コロナであるかどうかの判定基準が国によって異なっているのではないかとか、検査母数の多寡と関わっているからである。日本の場合は、この夏開催予定のイベント、オリンピックがあるので、それでなくとも証拠隠しの現政権の体質もあって、数字への政治的操作が疑われる。なにしろ今現在においても、日本国内での感染者数よりもクルーズ船内の数字の方が多いのである。これはどう考えてもおかしい。数学オンチの私は、山勘で中国の発表数字を10倍してきたが(なぜか専門家もそうみているようだ)、国際比較する上で日本の場合は20倍したほうがいいような気がしている。検査を徹底的に実施しなければ(したらしたで医療崩壊する恐れが生じる)、そして症状の判定を厳格にすれば、数字は自ずと低く抑えられるからくりである。

 現代的な統計がない古代において、状況をどう把握するか。しかし現代でも時の政権にとって有利な数字が、それにおもねるマスコミによって公表されるのであれば、なにをかいわんやである。こうなると庶民は、自分たちのカンに頼って動くしかない。なにしろ、精神安定剤にすぎないマスクも店頭から消えて久しい(私のような花粉症には必需品なのに:行きつけの医院では前からマスク1枚30円で販売していた。今回それを利用したが、いつまで備蓄が続くのかは知らないが有難いことではある)。所詮精緻さを装っても、数字とはその程度、なのかもしれない。そうなると、思考回路がぐるっと一回りして、民衆の風評・噂が記された文書史料のほうがむしろ大勢を押さえることができるような気がしてくる。しかし今度は書き手の思惑をちゃんと史料批判しないといけないわけで、プロとしては先入観を極力排除して、この螺旋思考を幾度かくり返し、事実らしきものに迫っていくしかない。

 研究者たるもの、目前で展開されている数字の乱舞から、いかに事実を読み破っていけるかを試すべきだろう。また、自己の眼力が本来の研究対象で十全に発揮されているのかどうか、検証する勇気を持たなければならない。所詮素人なので、己の直感に頼っての営みにすぎないが。

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コイン展覧会中止とEオークション:再び陣営図太陽神コイン

 いつも覗いているClassical Numismatic Groupからこの19日から21日まで開催予定だった「Baltimore Expo – Cancelled」とのメールが送られて来た。「As a result of the state of emergency declared by Maryland Governor Larry Hogan, the Whitman Baltimore Spring Expo has been cancelled」なのだそうだ。アメリカはまだ感染者数1215、死者36名程度だが、やっと本気になってきたようだ(3/13に、感染者実数はその10倍とPBSでインタビューされた医師が言っていた)。

 ついでにEオークションをチェックしてみたら、これが目についた。もちろんこちらは実施中である。

 コンスタンティヌス大帝の長男副帝クリスプスの、319年テッサロニカ造幣所第五工房(Ε)打刻のいわゆる陣営図型で、裏面中央に立つのはSol神。業者評価価格$300。手元にある状態のよくないコンスタンティヌス大帝と2世は手数料・送料込みでもそれほど高くなかった。これについては以前(2019/5/15)触れたことがある。クリスプスやリキニウス父子のも一式蒐集したい気はあるのだが・・・。

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315年打刻Ticinum銀貨補遺

 あれからもう7年経ったのか。上智大学文学部史学科編『歴史家の窓辺』上智大学出版、2013年で、「歴史研究は刷り込みとの闘い:後315年ティキヌム造幣所打刻「記念」銀貨をめぐって」を書いてから。この歳になるとすでに過去の時間感覚は曖昧で混濁している。

 この銀貨は現存が3例のみで、当時その所蔵博物館に連絡をとって画像の掲載許諾を求めた。ドイツの国立ミュンヘン貨幣博物館(M)とオーストリアのウィーン芸術歴史博物館(W)からは迅速に許可が帰って来たが、ロシアの国立エルミタージュ博物館(E)からは音沙汰なしで、それもあって貨幣の表裏両面掲載写真も1930年代のものしか入手できず、不満が残っていた。

 昨日、美術史の後輩から教えてもらった以下の本が届いた。Idler Garipzanov, Graphic Signs of Authority in Late Antiquity and the Early Middle Ages, 300-900, Oxford UP, 2018. パラパラとめくっていたらその55ページに、なんとコインの表側だけにせよEの予期以上に鮮明な写真をみつけたのである。そのキャプションには、登録番号(inv.no.OH-A-ЛP-15266)まで明記されているではないか。スキャンしようとして、ふと思いついてググってみると、あっさりウェブ画像にもうアップされていた。それが以下の写真の上図右側で、中央はいつでも出てくるMである(博物館のHPに登場しているのであたりまえであるが)。左のWは摩滅で細部が不鮮明であるが、今回のEとの比較から、特に馬のたてがみや兜の羽毛飾りや皇帝の髪、それにぐっと下を見据え、顎を引いた細面の顔全体の表現の仕方から、おそらくEとWが同一金型だった可能性が強くなったように思われる。もちろん更に、裏側の詳細な比較検討が必要なことはいうまでもない。裏面の鮮明な画像の所在をご存知の方からの情報提供を期待している次第である。

W                M              E

 この機会に、小論執筆時みつけて言及しておいたフェイク・コインも掲載しておこう。

 ところで、それを探すためにHDiskをチェックしていたら、これらのコインを論じていた2014年3月段階のウェブ書き込みからのスクリーンショットをみつけた(https://www.lamoneta.it/topic/120825-dubbi-sul-medaglione-con-cristogramma/page/2/?tab=comments#comment-1373743)。その中にすでに上のEも入っていた。こんな調子だから、やれやれだ。かくしてこの最新ニュース(のつもりだったが)は、「遅報」であり,同時に私の「痴呆」状況を示す報告となった、という落ちがついてしまった。

 さて、これらのコインのテーマ、改めて論じる機会を持てるだろうか。もうないような気がする。

【コイン市場に第4番目が登場していた!】https://www.numisbids.com/n.php?p=lot&sid=2518&lot=1051

オークション出品なので、以降Aと略記

 他の件でコインをチェックしていたら、とんでもないものにぶつかった。業者はNumisBids、オークション は2018/5/9-10、業者評価額は25万スイスフラン、落札価格もその価格、ということは、言い値で競争相手もおらず落札されたということだろう。日本円に換算すると、2825万円。この時のオークション1626ロット中、断トツの高額だったのもぬべなるかな〜。どこのどなたの手に渡ったことやら。

 簡単にコインの表側をチェックしてみたが、こちら側はMとほぼ同一金型と見た。裏側でも、WとEでは皇帝の左側に小さく描かれた人物が介在するが、Mにはそれがない。しかしこれほど保存状態がよければ、巧妙な贋物でなければいいが。というのは、裏側の皇帝像の腰巻き風な描き方(エジプトのファラオではあるまいに)に私は激しく違和感を感じざるを得ないからである。Mだと明らかに胴鎧だ。さらに、騎兵や皇帝の背後の人物(ないし女神像)などの細かい描写が微妙に異なっており、さらに刻印も「PVBLIC AE」と分かち書きしておらず、それはWとEの特徴である。まあこれらは工房における違いといえば言えるのだが。

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勉強会の休会と感染症関係読書

 実は本気で心配しているわけではないが、私も読書会を2週間ほど休会にすることにした。別途4/8に東京港区で、そして5/13に川崎で講演会が入っているが、これらはさてどうなるのだろうか。川崎はテーマが決まっているが、ちょうど一ヶ月後の港区のは「お好きなテーマで」と言われていたので、これまでは従来取り上げてきたもので見繕おうと思っていたが、これほど感染症が話題になっているのだから、そっちにチャレンジしてみようか、などと思い立った。

 そこで、我が図書室にある本で面白そうなものを昨日漁り、とりあえず以下を借り出した(余談だが、この分野で必須の古典は、W.H.マクニール(佐々木昭夫訳)『疫病と世界史』新潮社、1985年[原著:Plagues and Peoples, 1976]で異論はなかろうが、なんと我が図書館には文庫本も所蔵されていなかったのには、びっくり)。ジェニファー・ライト(鈴木涼子訳)『世界史を変えた13の病』原書房、2018年(原著:Get Well Soon:History’s Worst Plagues and the Heroes Who Fought Them, 2017)。原題と邦訳題はだいぶイメージが違う感じ。それとこの女性、語り口がかなりざっくばらんで軽妙なのである(ナウいアメリカの流行語を多用しているので、私などにはそのウイットの大部分が理解不能である。これは読者によって評価が分かれるところだろう:こうなると翻訳ももっと砕けた超訳にしたほうがよかったのでは)。論旨は「はじめに」で以下のごとし。

J. WRIGHT:今年34歳らしい 。若い!  W.H.McNeil(1917-2016)

 「先進資本主義国の人々は、自分は老人ホームで90歳で死亡すると思っているようだ。 それにはもっともな理由がある。状況が変わらなければ、2000年に生まれた子どもたちの50%が100歳まで生きる。状況が変わらなければ。【著者は、変わるんだ、といいたいのでしょう】

 ・・・この幸運が尽きるかどうかはわからない:続くことを願っているが、過去に続いたことはない。この不愉快な事実を忘れてしまいたい。そうすれば心が落ち着くし、おそらくそれが人の性だ。だが過去の疫病を無視し、無知でいると、いつか必ず発生する疫病に対してますます脆弱になる。

 疫病が発生すると、驚くほどうまく対処する人がいる。そういう人々が周囲の死や破滅を最小限に抑えるのだ。彼らは心優しく勇敢で、人間の最良の本質を示してくれる。【著者が本書で一番言いたいのは、このことのようだ】

 その他の人々は迷信深く常軌を逸した行動を取って、死者の数を増やす。

 ・・・ 驚くほど愚かな知識人が何を言おうと、過去の人々やその関心事は、現在のそれと同様、必ずしも高尚なわけでも真面目なわけでもなく、軽薄でばかげている。・・・結核患者はアリゲーター猟師になるべきだと考えた人物を知ったあとで、過去の人がみな深い尊敬に値する真面目な人だと考えるのは不可能だ。」

 そして著者が最初に選んだのが、紀元後2世紀後半にローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病」である(それ以前、アテナイでの感染症とかもあるが)。筆者はそれこそがローマ帝国没落の真の原因だったと言い切るのである。これからこの疫病を少し、勉強してみたいと思う。

 ちなみに他のエピソードは、14世紀の腺ペスト、16世紀のダンシングマニア、16世紀の天然痘、梅毒と列挙したあと、19世紀以降に、結核、コレラ、ハンセン病、腸チフス、スペイン風邪、嗜眠性脳炎、ロボトミー、ポリオ、と目白押しだが、これは医療が進んで病名の特定が明らかになっただけのことで、それ以前も実は存在していたのが多いのではないか、と私は想像する。

 ところでライト女史は、テーマと離れたところで私的に面白い事をあちこちで書き散らしている。たとえばスタンフォード大学のWalter Scheidelの研究(2005年)を元に、160年頃に第七軍団クラウディアから除隊した2年分の除隊兵239名は、規定の25年間の兵役中、実際の戦闘活動に参加せずに終わったが、「その軍団は、25年ものあいだ戦闘に加わらなかったのだ。彼らは笑いものになったに違いない。しかし、いいことだ! 一度も戦わずにすんだのだから!」(p.12)。それをヒントに考えてみると、我が自衛隊は1950年編成の警察予備隊を含めて実に70年間、戦っていないのだ! これも素晴らしいことだ!

 また、疫病で兵士不足になったので、マルクス・アウレリウス帝は誰でも軍隊に入れた。その中にはもちろん戦い方を知っていた剣闘士もいたが、それが民衆から娯楽を奪い不評だったので、皇帝は代わりに死刑囚を提供したが、この中にキリスト教徒がいた[この連結は秀逸]、また、盗賊や解放奴隷、ゲルマン人も採用した。つまり、皇帝は「かつては強力だったローマ軍を、テレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011年から現在)の冥夜の守人[ナイツウォッチ]に変えてしまったのだ」が、「死んだ仲間の代わりに80代の元奴隷や馬泥棒が入ってきたら、それまで世界一栄えある軍隊で20年戦ってきた兵士は、ローマにおける軍隊の地位は劇的に変化したと感じたのかもしれない」(p.25)。こういう当事者的視点は少なくとも私にとってとても斬新で、教えられた。

 本書にはアマゾン・ジャパンのカスタマーレビューで翻訳ミスが指摘されている(すばらしい読者だ!)。私的にはp.101の梅毒発生年が読んでて一見しておかしいなと思っていたので、これはやっぱり誤植だったが、あとは勉強になった。

【追記】3/11発の田中宇氏情報によると、ドイツのメルケル首相は3月10日に独議会の非公開の委員会で「ドイツ国民の60-70%が新型コロナウイルスに感染するだろう」との予測を述べた由(http://tanakanews.com/200311virus.htm)。

 危機管理の基本的立場は、かくのごとく最初に最悪の事態を想定して行動を開始するのが常道なのだそうだが(具体的には、その後、「これは大丈夫」「それも大丈夫」と消去していき、しかるべく事態収拾していくわけ:たとえば、WHOは3/6に「夏になれば流行が終わる根拠はない」と発表して、従来型と誤認しないように注意を喚起している:https://mainichi.jp/premier/health/articles/20200310/med/00m/100/008000c?cx_fm=mailhealth&cx_ml=article)、島国根性が抜けない我が政府(それはすなわち日本国民のことでもある)には残念ながらその意味で危機管理思考そのものがない、といわざるを得ない。大丈夫大丈夫と希望的観測で出発するから、結果的に後手後手になって、「想定外でした」という言い訳に終始することになる。そしてそれを容認してしまう国民性。震災しかり、原発しかり、そして今回の感染症しかり・・・。こうしてオリンピックも中止になってしまうのだろうか。もうやめたほうがいいと個人的には思う。

 この点で、例の神戸大学の岩田教授が重要な指摘をしていた。感染症対策を官僚が指揮することの危うさ、それに反省検討会で「終わったことを蒸し返すな」という体質:https://toyokeizai.net/articles/-/335971?page=3

 ところで、なにしろ母数が少ないので正確なことは言えないが、我が国はさいわい現象的に感染者数を押さておりながら、マスメディアで首相の責任問題が声高に云々されるようになってきた。政局がうごめきだしたようだ(http://nml.mainichi.jp/p/0000066d75/2378/body/pc.html)。これはどうしたことか。実際には押さえていないという情報を掴んだ上でのことか。現段階で政局的に責任が問われることには、なにか奇妙な違和感を感じざるをえないが、これも彼のこれまでの懲りない言動と愚策のつけがまわってきたということだろうか。庶民、というよりもマスメディアの煽る責任追及は往々にして理不尽である。表には秘められている何かが裏にうごめいている作為が感じられてならない。と思っていたら、3/15になってオリンピック中止決定・5月公表説が浮上した(https://www.mag2.com/p/money/900767/2)。

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流言蜚語・風説風評考

 いかに統計が信頼できないとしても、中国での新規感染者数は、2/20以降1000人未満、3/7以降から100人未満、3/10は19人に留まっている。新規死者数も3/3からは40人未満、3/10は17人で、実際はたとえ100倍としても、押さえ込みはそれなりに効果を上げているようだ。それにひきかえ、中国以外では感染者の増加が著しく、死者数は最近では中国を凌駕し累計で700人を越えた、特にイタリアでは未だ急上昇中で、となると欧州連合もこれから増加するはずだ(イラン・韓国は減少)。日本は30人/日の感染者数で高止まりで、まだまだ退潮とはいえない。これからは、相変わらずお祭り騒ぎの予備選なんかやっているアメリカがどうなるか、注目に値する。

 こんななか、高等教育を受けてきたはずの日本国民であるが、マスク買いだめ、トイレットペーパー買いだめに走り出して、おやおやという状況だ。マスクは生産拠点が中国だったから、中国が日本への持ち出しを制限しているのだから(一説では8割を確保している由)どうしようもないが、トイレットペーパーの店頭での品不足の原因は例の流通システム不全によるもので、となるとこれもすぐに解決しようもないから、品不足は今しばらくは続かざるをえないだろう(我が家の備蓄ではさてあと1か月もつだろうか。あやうい:孫もよく来て泊まるし)。こういうときに私は教育の無力(というかそれ以上に、無能、無意味さ)を感じてしまうことになる。誰も建て前ばかりの学校教育から学ぼうとせず、目先の危機感で走り出すのである。しかしいざとなったらお上は何もしてくれないわけだから、庶民としては念のため自衛に走っておかないと、一挙に戦後の生活レベルに落ち込むのだから、仕方がない。賢い人間であれば念のため走り出しておけ(こういう教育を学校でもやるべきなのだ)、というわけだ。まあこれが庶民・愚民の生活の知恵で、あほらしい風説風評(噂)や流言蜚語(デマ)にすら容易に動かざるをえない構造的メカニズムなのだ。

 世の知識人たちは上から目線で「昔と違って今はチャットやSNSがあるので、デマが蔓延しやすい」と言うだろうが、それはあたらない。昔から庶民にはそれなりの情報伝達メディアがあって、あなどれないのである(イヌイットの例:https://seacamera.exblog.jp/15505077/;江戸時代の例:https://sp.hazardlab.jp/think/news/detail/1/6/1603.html)。古代日本においてすら、これはお上の話だが、駅制で一日最大160Km、平均80Kmだった。庶民はもっぱら口コミで、かなりの早さで情報は走っている。2011年の東日本大震災でも、68.0%が家族や地元住民による口コミ、インターネットが42.9%であった(年齢や性別で大きな差はなかった)由。

 これからは、個人商店や中小企業の倒産とかが続々出てきそうな雲行きで、経営者、それに連鎖的に労働者の皆さんもたいへんだろうなと同情するしかない。サプライチェーンの海外化の問題点など当初から言われてきたことであるが、価格戦争の中ではそうせざるを得なかったというのが現実なわけで、公的な救済策の発動に期待するしかない。

 こうなると、「ピンチはチャンス」と明るい未来を指向したくなる。個人的生活レベルでいうと、「もの不足」を逆手にとって、生きていく最低必需品とそうでないものを峻別して断捨離するいい機会にしたいものだ。

 厳しい状況に置かれているイタリアでは、外出できないので、コンドミニオの窓から励ましの言葉を書いた旗を垂らしたり、ベランダに出て歌ったり楽器を演奏する「バルコニー・コンサート」が広まっているよし(https://www.facebook.com/watch/?v=229674858433554)。いかにもイタリアらしい庶民の知恵だ。頑張れ,イタリア! ・・・でもレインボーって ひょっとしたら・・・、だったよね(^^ゞ ま、いいか。

Andrà tutto bene !!!:「全てよくなるよ!!!」
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階段からの転落:痴呆への一里塚(17)

 おとついのこと、大学に向かおうと、いつものように自宅マンション3階から歩いて降りようとしたのだが、床に雨が降った後がある、すべりそうだなと(実際になぜかいつもより靴がすべる感じあった)ちょっと気をとられたせいだろうか、階段の降り際で微妙に足がもつれ、おっとっと、こりゃ転び落ちるぞ、と無意識に防御態勢となったのだが、ご老体の悲しさ、妙に体がしゃちこばって、ますますバランスを崩す体たらく、しかし危うく転ばなくてすんだ。

 たかだか10段足らずの短い階段であるが、あんな硬直状態で転び落ちたら、たぶん無事では済まなかっただろう。こうして事後談を書けているのが幸運なのだ。というわけで、階段降りるときは一生懸命それに集中し、手すりを持つにしくはなし、という教訓でした。手すりかコロナか、どっちをとるべきか、なやましいところではある。

 ま、またいつかやっちゃうのだろうけど。次は危ういかも。

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新コロナ汚染マップ:飛耳長目(35)

 マスコミも息切れというか、飽きたのか、最近あまり数字を出さなくなっているので、以下の世界マップ(中国マップもある)は有難い。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/?utm_int=detail_contents_news-link_001#infection-status;https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51992741

 日本については、https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/?utm_int=detail_contents_news-link_001#infection-status;https://gis.jag-japan.com/covid19jp/

 東京に特化したものは、以下:https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

 そこでの中国の感染者数字は、明らかに山を越えた数になっている。実態は10倍とみてもまだ100万以下である。にしても、過去のSARS、MERSとくらべると段違いの様相ではあるが。(先般テレビで、毎年患者が出るインフルエンザと異なり、sarsやmersのワクチンは準備されていない、と言っていたのには驚いたが。そんなものだろうか)。

 これからの戦争はこういった細菌・ウイルス戦のほうが有効と、覇権願望列強が学習した場合(先刻ご承知で、率先開発なさってらっしゃるのは周知のことではあるが)、我が国の地勢的立ち位置を考えると、それへの対抗策構築が喫緊の課題とならざるをえないだろう。我が国もアメリカにドルを落とすための自衛隊のドンパチの武装よりも、災害救援活動だけでなく対細菌・ウイルス戦を主軸に再編成されてはいかが。そのほうが名実共に自衛隊という名称にふさわしい。

 ところで、私にはとんと理解できないのだが、マスクの不足がトイレットペーパー買いだめに飛び火してはや3日目。未だいずれも入荷がない。十分在庫ありますという割に全然入荷しないのはどうしたことか。流通の問題にしてはおかしいぞ、メーカーもどっかの総理大臣の真似して口先だけの嘘を言っているのでは、と庶民は疑心暗鬼にならざるをえないのである。

【後日談】3/4に、練馬区役所に行ったついでにあれこれ店を見て回ったが、マスクもトイレットペーパーもない。未だ全然ない。西友で店員に聞いたら、入ってきてはいるのだが、すぐになくなるのだそうだ。「タイミングです」、品物の到着時だと買えるのだそうだ。キッチンタオルだけはあったけど、あれは水に溶けるようにできていないのだろうな。

【興味深い論説】流言飛語は困るが、核心を突いたえぐい論義はそれとして評価したいという思いはある。その点で、根拠が薄弱で眉唾だなと思いながらも面白かったのが、新恭「新型肺炎検査の民間委託を妨害する国立感染研の「OB」とは誰か?」(https://www.mag2.com/p/news/443418?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_fri&utm_campaign=mag_9999_0306&trflg=1)。彼によるとコロナウイルス問題に亡霊のごとく岡山理科大学獣医学部が絡んで登場してくるのである。

 もっと面白かったのは、田中宇「長期化するウイルス危機」(http://tanakanews.com/200306virus.htm)。先が見えない中で、あれこれ述べているコメントの毒が効いているのだ。曰く、今回のウイルス危機が長引けば、「世界的金融大崩壊の可能性」が出てくる、だが「経済専門家は、そもそもきたるべきバルブの大崩壊を予測していない。医療分野と異なり、権威ある経済専門家は世界的に、ほぼ全員が「詐欺師」か「小役人」である。債権金融システム自体が米英発案の詐欺だ」。確かに私のような無産市民にとって、為替とか株価なんかまったく無関係だし(とあえて便乗して独断と偏見を漏らしておこう)。曰く、また日本政府は、周知のように国賓習近平問題やオリンピックの実施を念頭に「できるだけウイルス検査をしないことで感染者数の統計をごまかしており、本当の発症者は統計の何十倍もいると思われる」。何十倍は大袈裟にしても対応の後手後手がそういう思惑から生じているのは、首肯できる。

 私が一番笑ったのは、今回のウイルスで、若者たちは発病しないので従来通り人混みに出ているが(しかも学校は休みだし)、それは無発症だが感染している若者が無自覚なまま高齢者を感染させて公然と殺人を行ない、「若者から見れば、自分たちが払った年金や健康保険の掛け金を「浪費」してしまう人々がウイルスの犠牲になって減っていく」好結果をもたらすわけで、これはもう通常戦争の代わりに死人急増の「世界大戦」をしていることと同じだ、と喝破していることだ。若者よ、世直しのため「書を捨てよ、町へ出よう」というわけである。私はもちろん淘汰される側であるが、歴史的大転換の犠牲者となるのはなんだか心地よい気分でもある。但し、それが現実となるためには今回のウイルスの殺傷率が極めて低いのがネックとなろう。どんなに長期化したところで、第二次世界大戦での全世界の犠牲者数6000万〜8000万人(https://u-ff.com/ww2/)に達することはまず不可能で、要するに田中説は成り立たないわけであるが。

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