月: 2019年2月

カトリックの、悲惨な現実を直視しよう

 昨日送られてきた「世界キリスト教情報」は、聖職者の性のオンパレードでして (^^ゞ  本当に根深い問題で。以前にも欧米でのこの類いの情報で溢れていた時がありました。私はこの類いは話半分と捉えることにしておりますが、それにしても多い。ちょっと前には修道女への男子聖職者のちょっかいも出てきてました。キリスト教研究はこの現実から出発すべきだと思うのですが、どなたもそうせず、臭いものには蓋をしてヴァーチャル世界で遊んでいらっしゃるようにしか思えません。それでいいのか。
 光と闇の間にみえ隠れする虚実の解明こそ、歴史学の醍醐味だと思います。
 今週の情報の中での割合を確認していただくために「目次」も載せておきます。

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(c)世界キリスト教情報  連絡先:ckoriyama@gmail.com         
(ご連絡の際は「@」を半角にしてください)
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(週刊)  2019年2月18日(月)  第1465信 
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= 目 次 =  
▼「バチカン聖職者の8割は同性愛者」=仏社会学者が新著  
▼性的虐待疑惑で米マカリック名誉大司教の聖職剥奪=バチカン発表  
▼性的虐待疑いの聖職者189人公開=米ニュージャージー州5カトリック教区  
▼バチカン大使に性的暴行疑惑、フランス検察が捜査  
▼教皇、ベネズエラのマドゥロ大統領に書簡=条件付きで仲裁も  
▼ペンス米副大統領がアウシュビッツを訪問  
▼台湾基督長老教会牧師・高俊明さん死去 
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◎「バチカン聖職者の8割は同性愛者」=仏社会学者が新著  
 【CJC】バチカン(ローマ教皇庁)の聖職者層に同性愛が広がっており、このことが「あらゆる側面から教会をゆがめている」、と論じる新刊書が2月20日、欧米など各国で発売される。  
 フランス人のジャーナリストで社会学者フレデリック・マルテル氏が新著『バチカンのクローゼットで』(仮訳)のため、4年がかりで1500人への聞き取り調査を実施した。枢機卿41人、司教・モンシニョール(高位聖職者)52人、大使・使節45人も含まれる。  
 調査の結果、バチカンの聖職者の8割は同性愛者と判断した。  
 マルテル氏はAFP通信に、「バチカンのほとんどが同性愛者だという事実を取り巻いている秘密主義の文化」は、教会が過去50年間に取ってきた「道徳上の立場」の大部分を読み解くカギであるとともに、「教会をあらゆる側面からゆがめている原因」だと指摘する。「教皇フランシスコは教会の中心にうそ、二重生活、偽善があるようになってしまったと言ったが、私はどうしてそうなったのか解明しようと試みた」と説明、また、こうした教会の体質が、家族計画への反対から児童虐待まで「重大な結果を招いている」との見解を示した。  
 聖職者による性的虐待と隠ぺい問題への対応を協議するため、教皇が全世界の司教協議会会長を招集する会議が、21日から24日まで、バチカンで開かれる。  
 マルテル氏の新著は、会議直前の20日、英語など8言語版が20カ国で出版される。

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◎性的虐待疑惑で米マカリック名誉大司教の聖職剥奪=バチカン発表  
 【CJC】バチカン(ローマ教皇庁)は2月16日、教皇フランシスコが、性的虐待疑惑を持たれていた米国人のセオドア・マカリック米ワシントン名誉大司教(88)の聖職を剥奪した、と発表した。AFP=時事通信が報じた。  
 マカリック氏は2018年7月、聖職者としての活動を禁止され、バチカンの枢機卿会を辞任。今年1月にバチカンの法廷で10代の未成年への性的虐待の罪により有罪とされ、2月には教皇もその判決を認めた。  
 マカリック氏は「職権を濫用し、未成年および成人と第6戒(姦淫してはならない)を破る罪」を犯したという。同氏は現在、米カンザス州に居住している。 

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◎性的虐待疑いの聖職者189人公開=米ニュージャージー州5カトリック教区  
 【CJC】米ニュージャージー州内の5カトリック教区は2月13日、少年少女らに性的虐待を加えた疑いのある元聖職者のリストを一斉に公開した。  
 現地邦字紙『デイリー・サン』によると、同州内にある全5教区がそれぞれのリストを公開、合計で189人に上ったている。司祭とこれに次ぐ助祭の名前、出生年と執務に当たった教会名の他、告発の数が複数あったかどうかを一覧できる。リスト内の全員が教会執務を退いているか、既に死亡している。  
 5教区のうち最多の63人の聖職者を公開したのは、州最大の都市にあるニューアーク教区。ジョセフ・トービン枢機卿は「この開示が、人生を深く傷つけられた人を癒す一助になればと心から願う」との声明を発表。「カトリック教会の運営への信頼を取り戻す1歩になってほしい」と述べた。  
 他の4教区のリストに記載された聖職者は、カムデン教区57人。州都トレントンの教区30人、パターソン教区28人、メアチェン教区11人。  
 ガーバー・グレウォル司法長官はリスト公開を「全容解明につながる第1歩」として歓迎。刑事処分も視野に、捜査の結論を出す意向を明かした。

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◎バチカン大使に性的暴行疑惑、フランス検察が捜査  
 【CJC】フランス検察当局は2月15日、バチカン(ローマ教皇庁)の駐仏大使ルイジ・ベントゥーラ大司教(74)による性的暴行疑惑を捜査していることを明らかにした。AFP通信が報じた。  
 ベントゥーラ大司教は1月17日、パリのアンヌ・イダルゴ市長が市庁舎で外交官や宗教指導者、市民団体関係者らに対し行った新年の挨拶の場で、男性職員に対し痴漢行為に及んだ疑いが持たれている。  
 カトリック紙『ラクロワ』は15日、教会に関係する他の若い男性らもベントゥーラ大司教から体を触られたと証言したことを伝えた。  
 同大司教は、2009年から駐仏教皇大使を務め、外交特権で保護されている。

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【追伸1】別件で過去のメールを探していたら、ついみつけてしまったので、転載します。2/11配信?
[SKJ]■世界キリスト教情報■第1464信より

◎聖職者が今も修道女を「性奴隷」のように扱う可能性  
 【CJC】教皇フランシスコが2月5日、聖職者が修道女を「性奴隷」のように扱い、それが今も続いている可能性があると公に認めた。  
 修道女の性奴隷問題は、バチカン(ローマ教皇庁)の月刊誌『女性・教会・ 世界』が取り上げた。同誌のルチェッタ・スカラフィア編集長は6日、AFP 通信の取材に、「教皇だけではなく、教会が組織的に、そのような虐待が起きていることを公に認めたのはこれが初めてで、非常に重要な意味を持つ」と語った。  
 バチカンは5日、教皇は「性奴隷」という言葉を使ったが、これは「一種の権力を乱用した操り行為で、性的虐待も含まれる」という意味だったと説明している。  
 一方、教皇は、教会は「聖職者数人を停職にしており」、バチカンはこの問題について「長期にわたり取り組んでいる」「(虐待は)自然に消えてしまうような問題ではなく、現在も進行中だ」と語った。  
 教皇の発言は、『女性・教会・世界』が1月末、修道女に対するレイプについて異例の抗議を掲載したのを受けたもの。レイプの被害を受けた修道女らは、人工妊娠中絶をするか、さもなければ父親である聖職者が認めようとはしない子どもの養育を強要させられているように感じているという。  
 スカラフィア編集長は、「多数がバチカンに訴えているが、調査はされていない」として「調査委員会が設置され、この問題を専門とする修道女も調査に加わることを期待している」と述べた。  
 聖職者による修道女の虐待は世界的な問題となっているが、特にアフリカ、アジア、中南米でまん延しているという。  
 聖職者は、修道女の務めや給与などすべてを管理しており、「教会内における修道女の従属的な地位に根差した問題で、解決は非常に難しい。修道女は平等な存在だとは認められていない」とスカラフィア編集長は言う。  
 教皇が問題を認めたこと自体は「教会のイメージにとってさらなる打撃となるが、変化が起きていることを示す絶好のチャンスでもある」とスカラフィア氏。問題解決の鍵は、「聖職者が権力者のように振る舞うのをやめさせることだ。そのような振る舞いがこの問題を引き起こしているのだから」と語った。h

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【追伸2】BBC News 2019年2月26日

ヴァチカン高官、児童への性的暴行で有罪評決 これまでで最高位今度はオーストラリアの枢機卿で、バチカンNo.3。 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15481

【追伸3】以下は某美術史研究者の女性に宛てたメールである。

 私よりちょっとだけ若い男性の著名な西洋中世史研究者が、「最近の女性研究者ってキリスト教をありがたがってあがめるばっかりで、いつまでそのレベルなんだろうか、それでいいはずないのに」と私にまくし立てたことありました。私は全く同感で、「ま、キリスト教の実態を知らない人が観念論で知ってるつもりで言っているのでしょうが」と返事したのですが、よく考えたら信者でも、男性でも、研究者ってそういう人ばっかりなので、なんのため歴史学やっているのか疑問に思うことあります。まあ綺麗な世界を妄想して、それで自分も綺麗だと誤解したいのかな。  
 そこで目覚めてしまった者は、学界の継子にならざるを得ません。  
 その上、美術史という分野はパトロンとかの上流階級の取り澄ました世界ですから(私は、どんなに屁理屈捏ねても、そこに庶民が入り込む余地などなかった、今もないだろ、と断じてます)、ますます臭いものには蓋、となるでしょう。  
 しかしそういう視角を頭の隅に置いておくと、色んなところでひと味違った見方(叙述)ができるのでは、と信じております。  
 頑張って下さい。

2019/02/21 カトリック教会の性的虐待スキャンダル、法王はどうする バチカンで会議始まる https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47315445

2019/02/06 ローマ法王、フランスの司祭が修道女を性奴隷にしていたと認める
https://www.bbc.com/japanese/47140076
【追伸4】2019年4月8日付けの[SKJ]■世界キリスト教情報■第1472信に以下の記事が掲載されている。
 「聖職者の性的虐待、日本カトリック司教協議会も調査へ」
 それによると、そのきっかけとなったのは、児童養護施設のサレジオ学園でドイツ人神父から性的虐待を受けていた62歳の男性からの告発。その後の司教へのアンケートでは5件の被害申告が把握された。日本カトリック司教協議会会長の高見三明・長崎大司教は、カトリック教会の不十分な対応を謝罪した。

【追伸5】2019/7/15付けに、以下の記事が。
 バチカンが性的暴行の容疑巡り駐仏大使の特権放棄  
  【CJC】バチカン(ローマ教皇庁)は、駐フランス大使が、会合で応対したパリ市の男性職員の体を数回なで回したとして性的暴行の容疑でフランス当局の捜査の対象となったことに関し、同大使が逮捕や起訴を免れる外交特権を放棄する、とフランス側に伝えたことが明らかになった。  
 大使は70代の男性でイタリア出身。今年1月、パリのアンヌ・イダルゴ市長の新年賀詞交換会で、30歳前後の国際担当職員の尻などを触ったとされる。職員は上司に報告し、市当局が検察当局に通報した。

【追伸6】『文藝春秋』97-3、2019/3に以下の記事が。広野真嗣「”バチカンの悪夢”」が日本でもあった! カトリック神父『小児性的虐待』を実名告発する」;さらに同時期以下も出た。ダニエル・ピッテ(古川学訳)『神父さま、あなたをゆるします』フリープレス、2019/2。

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偶然も強い意志がもたらす必然である:飛耳長目(3)

 先日、NHKスペシャル「平成史」第5回「“ノーベル賞会社員”~科学技術立国の苦闘~」で、田中耕一氏のノーベル賞受賞以降の苦悩と新境地開拓が放映された。https://news.nicovideo.jp/watch/nw4851000

 標記はそこで彼が言った言葉である。ノーベル賞級の発明発見の半分は偶然に見つけられたということで、それの意味することはこれまでもさまざまに表現されてきた(ルイ・パストゥール「幸運は用意された心のみに宿る」le hasard ne favorise que les esprits préparés)。今風に若干格好つけた表現をするなら「セレンディピティ」Serendipityということになろうか。

 我々のような文系の輸入研究分野(紹介史学)にひきつけてみると、まあ欧米の研究成果の横文字を縦にする世界は、多少の和製のこねくり回しをほどこしたところで、所詮猿まね、縮小再生産で終わってしまうこと必定なのだが、そこでセレンディピティ創出をめざすならどうしたらいいのかと考える時、これはもうひたすら原典史料の読破しかない、と私は思わざるをえない。理系の実験は何万通りの組み合わせを一つ一つ潰していって、しかし多くの場合は実験者の事前想定などいとも簡単に覆して、最初の想定だと失敗のはずの試みから偶然に発見されることがあるわけだが、それと同様の苦闘を、我々はギリシア語・ラテン語の原典との対峙の中でしなければならない、はずなのだ。この営みはオリジナルの成果などいつみつかるかわからないのだが(しかし、体験的に必ず新発見があることも確か、なのである:鶴岡一人曰く「グラウンドにゼニが落ちている」)、それが我々にとっての何万通りの実験なのである。上記放映で若手研究者が「研究者生命をかけ」て命じられた実験に向かっている姿があったが、はたして文系の我々はそれほどの覚悟をもってやっているのだろうか。

 とはいえ、人間相手の人文学は理系と違って実験はなかなか難しい。しかも、「ミネルヴァのふくろうは夕暮れに飛び立つ」(G.W.F.ヘーゲル『法哲学』序文)とはよく言ったもので、すでに終わってしまった人生でようやく初めて見えてくるものがある、と思うのは私だけであろうか。若手にはそれまでなんとか生き延びてもらいたいと思うと同時に、なぜか職を得た途端に研究を止めてしまうあられもない現実を見るにつけ、なんだかなと思わざるを得ない私である。そっから先がまさしく正念場だろうに。

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はたして歴史的「事実」など存在するのか

 昔も読んだはずだったが忘れ果てていて、最近また読み直していてこんな文章に出会った。

  「私が学部生だった頃、歴史学の教授たちは、客観的な歴史は存在しない、と教えた。フォン・ランケ(Von Ranke)は死んだ。ランケの研究法もまた過去のものとなった。「起こった事をその通りに」見出す方法はない。歴史家たちは彼等自身の目的のために、彼等自身の偏見と立場から記述した。客観性を装っている者によって騙されるよりも、臆面もなく偏向している歴史家を読む方がましである、と教授たちはいった。」(モーリーン・A.ティリー「第39章 ペルペトゥアとフェリシティの受難」『聖典の探索へ:フェミニスト聖書注解』日本キリスト教団出版局、2002[原著1994]、p.621)。

 これでようやく納得したことがある。フェミニズムないしジェンダー史学華やかりし頃、学位を取って売り出し中のアメリカ系女性研究者たちの、私見ではやたら主観に走った論述に辟易した記憶があったからだが、彼女らの理解だとアメリカでは当時「臆面もなく偏向」した歴史が推奨されていたらしいことがようやくわかり、腑に落ちるものがあったからである(誤解なきよう付言しておく。これはティリー女史をあげつらってのことではない。私は彼女の論文を若干読んでいて、かねてその視角や論点に親近感をもっていた[もちろん批判点もあるが]。今回ウェブ検索し直してみると、彼女は1948年生まれで私より1歳若く、そして2016年4月に脾臓ガンですでに死亡していた。合掌)。

2013年のTV出演時

 確かに人は「真実」(truth)を追求しがちである。「真実」とは、「事実」(fact)に直観による信念を加えたものである。究極的な「事実」は一つでも、「真実」は主観的で人の数だけある。なるほど世間にはもっともらしく「客観性を装っている」研究があふれていることも確かである。しかしだからといって私は「事実」追求の矛先を緩めていいとは思わない。いわんや「臆面もなく偏向」していていいわけはない、はずである。それはむしろ歴史小説のジャンルだろう。しかし、歴史研究者にはほとんどの場合、歴史小説を書く文才はない。

 ただ客観的「事実」といえども唯一ではない。たとえばA地点で武力衝突が生じても、2、3ブロック離れたB地点は平穏そのものであれば、事件の評価にA地点とB地点の証言で温度差が生じるのは当たり前で、だが史料的にBしか残っていない場合、それが客観的「事実」になっていいはずはないからである。「事実」の認定には諸状況を勘案しての史料批判が必要で、しかしその検証を経たところで絶対的に正しい「事実」と断定できるわけでもない、と歯切れは悪くとも相対的位置づけに留めることは重要であろう。その意味ではじめて、たとえ真摯な研究者の立論といえども「独断と偏見」にすぎない、といえるのである。

【追伸】後付けではなく、歴史の瞬間瞬間には別の選択の可能性があったということを日本現代史で追体験したい向きは、以下をご一読されることをお勧めする(なに、私も教えてもらったのだが)。半藤一利他『大人のための昭和史入門』文春新書、2015年。こういった検証は現代史だから可能だと思わざるをえないが(しかし多くの人はすでにその可能性の存在を忘却している)、平行史料が消え去ってしまった古代史の場合、その存在を意図的に視野に入れて残存史料を相対化することが必要と考える。だが、どれほどの研究者がそれを行っているか、はなはだ疑問である。

【追記】こういう視点もおもしろい、というか本音だろう。「歴史」はどこまで遡るべきか

2020年01月15日):http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52265903.html

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ケルト・メモ:(2)体感的キリスト教

 これもうろ覚えですが。
 今日、偶然にも途中からBS4で「知られざる古代文明:マヤのピラミッド」をみたら、最後に極めつけの文言が研究者の口から発せられて、脱帽。
 征服者スペイン人がやってきてキリスト教を強要した。マヤ人たちはそれまで多神教だったが、それまで1000の神を信じていたとして、彼らはキリスト教を単に1001番目の神として受け入れたに過ぎなかった、と。
 まあ、ケルト人にとっても、同じことであったのではないか、と私は思う。

 ところで、多神教の中で自分の守護神として一人の神を選び取ることを「一神礼拝」monolatryといいます(実は研究者レベルでは、アブラハムもそうだったとされてます)。キリスト教側では教義的に自分たちは「唯一神礼拝」monotheismだ、と一生懸命主張するわけですが、実際の信者たちの多くにとっては「一神礼拝」にすぎなかったりします。
 信者であれば体感的にこのことは分かっているのですが(特にカトリックでは)、頭で自分はキリスト教を理解できていると思いこんでいる非信者たちは(いや、自分はちゃんと信じていると思っている人でさえも)、この肝腎な部分が分かっていないので、見当外れの言説を飽きもせず再生産しているように思うのは、私だけでしょうか。

 理念追求の神学や哲学はそれでいいとして(正直本音では、いいとはまったく思ってませんが (^^ゞ)、現実を直視すべき歴史やってる人がそれでは、どうも、ね。

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殉教のテンション:遅報(1)

 2/5に偶然見た、NHK BS4K「知られざる古代文明 発見! ナスカ;大地に隠された未知なる地上絵」。2年以上前の再放送のようだ。俳優の佐藤健がレポーター。 
 新しい考古学的成果でいい加減な従来説が崩壊し、なかなかいい線いっている気がしました。私はこれまでそれに触れている著述家たちは現地に入っていると思ってきたが、どうも違うらしい(現地に入るためには特別な許可がいるらしいし)。ひょっとして航空写真しか見ないであれこれもっともらしいことを言ってきたのだろうか。今回現地に入っての調査団は山形大学チーム。やっぱり現地に立ってみて初めて分かることがある、という当たり前のことを地で行っている好例。あの線が実は足幅しかなくて、おそらく片足を引きずって描かれたものということなど、聞いて驚くことばかり。
 たしか、あれを用水路だといった説もあったよな。赤面ものだ。
 南アメリカでの人身犠牲についても、ここでも自ら自発的に提供した者もいたらしい。キーワードはやっぱり水資源。雨乞いなのだ。研究者が「命は大切、だからそれを守るために大切な命を捧げる」という視点で述べて、それに対して佐藤が「どういうテンションでやったのでしょうかねえ」と反問すると、研究者のほうが「あっ、テンションっていう表現はなかなかいいですね」と返す場面があって、面白かった。
 私的には、殉教の場面で、このテンションを考えてみたいと思ってます。

[後日補遺]このシリーズのマヤ文化もみることできた。そこでも水資源がかの文明の衰退と関連していたらしいとされ、ただしナスカとは逆に干魃ではなくて、雨量が多くてそのためだったと。この真逆な発想には学ぶべきものがある。

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健康診断:痴呆への一里塚(4)

 退職してから、それまで年一回あった職場での健康診断がなくなって、清々した思いで、Ⅰ年目に区から来たその通知を無視したけど、2年目の今年、通っている整形外科で、検査をそれで代行するから受けなさいといわれたので行くことにした。あの通知は12月中が期限だからそれまでに最寄りの提携病院に行かなければならない。私は通知の読み違えしていて、1月中まで大丈夫だと思っていたのだが、それはバリウムのことだったようだ。

 というわけで、11月中ごろに練馬駅前の医院でレントゲンから大腸ガンまでの一式の検査をした。あらかじめ電話したとき、12月は混むから朝早めに来るようにと言われ、しかし行ってみるとさして混んではいなかったが。後日提出せよと検便を渡され、それを提出すると、結果を2週間後に取りに来るようにといわれ、ま、3週間後くらいに行くと、結果もらう前に簡単な医師の診断もあって、かくして医師所見欄には「肝機能障害 要医療」と。

 今日は、そのころ同時に郵便で申し込んでおいたバリウム検査のため(一ヶ月後くらいに検査日を指定される)、区役所の検査室にいってきた。なにせ指定集合時間が8時半。こんなに早く地下鉄乗るのも久々で、大勢のみなさんが足早に急いでいるのを見るのも久し振り。15分前に所定場所にいくと3番目で(先に来てた人が、番号札とるようにと教えてくれた)、まだ職員きていなかったので殺風景ながらんとした部屋で芸能ネタのテレビを見る(ムードコーラスの純烈のなにがし脱退が放映されていた)。こうして定刻までに来た人は男性ばかり数名。遅れてくる人も数名いた。職員が出てきて若干待たされて、番号札順に書類提出、人定確認、400円出して、留置所のように検査服を受領して(S、M、Lと積み重ねられてる)、コインを渡され、更衣室でパンツ1枚になり着替えさせられて、順番待ちし、バリウム飲み、台の上でぐるぐる回らせられ、下剤もらって解放。所要時間30分程度で終了。そんなことないのだろうが、心なしか職場のそれよりも手早い感じだった。こっちの結果は郵送らしい。

追伸:1月末に郵送で、医師が状況を説明するから出頭するようにという郵便が届いた。あらかじめ電話連絡して予約して1/31に行ってきた。地図とかバス経路が書かれたチラシが同封してあって〇〇医療検診センターとかで、高野台2丁目。ともかく練馬区はこういう区関係の施設がばらばらで行ったこともない場所ばかり。高野台だったらまず西武線で、それからバスないし徒歩となるが、今回は最初からバスでいけばシルバーパスでタダやねん、とおもって練馬駅北口から指定の成増行きバスに乗ったつもりが、違っていたようで西へ向かうはずがじゃんじゃん北上、あわてて降りてもタクシー来そうもない田舎道なので、下赤塚の幹線道路で降りて、なかなか来ないタクシーをやっと捕まえて20分遅れで到着。タクシー代2170円也。えらく高くついてしもうた。すなおに西武線で行けばよかったのに。とほほである。

 あらかじめ遅れを電話しておいた受付はお待ちかねで、しかし持参品に明記されていた健康保険証以外に医療費負担が書いてある高齢受給者証も必要とかで(チラシの持参品に書いてなかったぞぅ)、「確か・・・3割負担」と口頭で許してもらった。やっぱり検査で引っかかっていたわけで、医師らしき人から図入りで簡単な説明を受ける。「噴門部小弯バリウム斑」で、要精密検査。10年以上前にもひっかかったことあって、傷跡があってその痕跡では。そんなことを話して10分程度で終わった。実はこのところ胃が痛んでまして、自覚症状あるので、さて・・・。

 そのあと事務で400円払ってレントゲン写真もらって帰る(無料での貸し出しもあったが、その場合は持参返却しなければならないので、購入した方が安上がりと判断)。それを持参ししかるべき医院・病院で精密検査を、というわけだ。

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ケルト・メモ:(1)鹿の奇蹟譚とキリスト教

 読書会で読んでいる、ヤン・ブレキリアン『ケルト神話の世界』上、138-142ページに出てきている聖エダーンSt.Edern(聖ユベールSt.Hubert)の牡鹿の角の間に十字架を見たという幻視に関連して、ローマ市内のSant’Eustathio教会の正面屋根上にも枝角をもった鹿が飾られているが、関連は、という質問が〇〇さんからありました。そういえばそうだよね、というわけで、家に帰って調べてみたのですが、Eustathiusの伝説のほうが時代的にかなり古いので直接の関係はないけれど、類似伝承としては知られていたようです(普通だと、古い方が先行伝承なので、翻訳者もそのように想定してます。p.141)。

 以下、ウキペディア情報。エウスタティウスは、ローマ皇帝トラヤヌスに奉職していた将軍で、元々の名前はPlacidusだった。彼はティヴォリで牡鹿の狩りをしていた時、鹿の角の間に十字架を幻視したので、すぐに家族ともども改宗し、名前をEustathius(堅固)と変えた。彼はヨブと同様の数々の試練を受けたが、信仰を堅持した。だが、118年に異教犠牲を拒否して、妻子ともども青銅製の牛像の中に入れられあぶり殺された、のだそうです。 
 たぶん伝説上の人物だったせいでしょうが、カトリック教会は、1970年に聖人暦から彼を削除しましたが、地方的崇敬は存続しているそうです(これがカトリックでは普通の対応である)。未だ英国国教会や正教会では聖人で9月20日が祭日だそうです(手元にある光明社版の『カトリック聖人傳』下巻、1938年、p.282には、その日付の[共祝]欄に以下のように書かれている:ローマにおいては聖エウスタキオ将軍、その妻聖女テオピスチス、その子聖アガピトおよび聖テオピスト各殉教者ーー猛獣の餌食にされようとしたがなんの危害もこうむらず、最後に鉄牛の内部に押しこまれて焼きころされた)。 この教会、パンテオンのすぐ西南にあります。

 その広場の一画にあるカフェがくだんの「サンテスタッチオ・イル・カフェ」で、エスプレッソが絶品(黙っているとズッケロ入りとなる)。ローマ1、と私は思ってます。ローマに行くと必ず行き、お土産に豆を買います。今度いったら、この御縁で,鹿と十字架の図案付きカップも買おうかな(ウェブでも購入可能のようだけど,送料とかかかりそうだし)。でも我が家にはカップがもういっぱいあって、すでに断捨離趣味の嫁さんの標的にされてる気配があって、苦悶 (^^ゞ

【後日談】今回(2019年5月)の渡伊で首尾よく購入! 帰国して勇んで開けてみると・・・カップは壊れていた・・・。こんなことは初めてだっ、とほほ。嫁さんはにこやかに笑ってました。

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