月: 2021年1月

使徒ペトロの痕跡?:Ostia謎めぐり(5)

 オスティア遺跡には、色々の宗教施設の痕跡も発掘されていて、各種東方密儀宗教のほかにも、キリスト教教会堂跡とユダヤ教シナゴーグすらあるし、墓地においても古来の火葬墓と3世紀以降の土葬墓の両系を見ることもできる。ここでは、そういう公然とした施設ではなく、私邸においてキリスト教の痕跡とされているものを紹介したい。問題の場所は、III.ix.1の「ディオスクリ(ディオスクロイ)の邸宅」Domus dei Dioscuri である。Russell Meiggsはこの邸宅の持ち主に、355年の道長官で、365/6のローマ都市長官だったC.Caeionius Rufus Volusianus Lampadiusを想定している(Roman Ostia, second Ed., Oxford, 1973, p.212)。そして、彼の一族は北アフリカに所領をもっていたこともあり、本邸宅のモザイクも若干平面的な北アフリカ風であるとしている。

 ここには我々の2009年夏の現地調査時に堀賀貴・九州大学教授のグループの3Dレーザー測量が入り、下図の「I」(大広間)が実測された。そこはいつ訪れてもほぼ完璧に床は保護シートと土砂によって隠されていたが(ところがいかにもイタリア的現象なのだが、一応隠しているが見たいと思うところは見ることできたりするのだ。中央部分だけいつしか破れていて、おやおやまあそこがこの部屋のモザイクのもっとも肝心なVenus Anadiomeneの顔の部分で、まさしくそこだけ覗けるようになっていたのであ〜る。勝手知ったる誰の仕業か、観光客にとってありがたいことだが、笑うしかない)、この調査のため土砂があらかじめすっかり取り除かれ、私が訪れたとき,縦横10m超の鮮明な多色モザイク舗床全体が夏の強烈な太陽のもとに晒されていて、若干立体感には乏しかったがそれなりに壮観であった。その全景は堀教授のウェブで見ることができる(現在は一時的に見れなくなっている:是非以下の報告も参照してほしい。モザイクの製作工程解明にも触れていて、なにより分析視角が斬新なのだ。堀賀貴「オスティア・ディオスクロイの家におけるヴィーナスを描いたモザイクの制作過程に関する復元的考察:オスティア・ローマ都市研究1」『日本建築学会計画系論文集』第77巻第671号、2012、pp.173-181:https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/77/671/77_671_173/_article/-char/ja/)。

上が北:この大広間は南北10.6m×東西10.3mのほぼ正方形の広さ
西南から撮影(2009/9/7):奥の中央右が「L」の出入口
上が西(堀研究室提供の平面加工図):銘文はシュロと月桂冠の間に「PLVRA FACIATIS[・・・]MELIORA DEDICETIS」(汝らより多く[・・・]をなせば、汝らより良きもの[財産]を申告できよう)

 ところで「紹介したい」と書いたが、実は私はそれをこの目で現認することができたわけではない。その存在が報告されていて、その実見を希望したのだが、遺跡管理事務所から何の返答もなかったので、なにか不都合あるのだろうと忖度して引き下がるしかなかったのだ。

 この邸宅のモザイクに興味を持つようになったのは、私の当時のもうひとつの研究対象、ウァチカン・サンピエトロ大聖堂の地下マウソレオのCampo Pの「壁面G」上の落書きがらみで、あの押しの強い碑文研究者Margherita Guarducci女史編纂の史料集掲載の写真に出会ったのがきっかけである(I Graffiti sotto la Confessione di San Pietro in Vaticano, Vatican City, 1958, p.411:この本、現在山積みの梱包発掘調査中 (^^ゞ )。そこには、イエスの筆頭使徒ペトロ(彼はイエスから天国の鍵を授けると言われていた:マタイ福音16.13)の名前(PetrosのPとE)で鍵を暗示した組み合わせのキリスト教的モノグラムが読みとれる、とされる写真が掲載されていた。かく、グアルドゥッチ大先生はローマ首位権論者なのであ〜る。

典拠:Margherita Guarducci, La Tomba di Pietro, Roma, 1959
Giovanni Becatti, Mosaici e pavimenti marmorei, Scavi di Ostia, IV(Text), Roma, 1953, p.115-6, n.214;cf., SO, IV(Tavole), Tav.XLVII, n.214:DOMUS DEI DIOSCURI.

 このキリスト教シンボルとおぼしきモザイクは部屋「I」にではなくcubiculum「L」の西壁際の一角に黒地に白のモザイクで穿たれていて、そばにシュロの葉が添えられている(Angelo Pellegrino, Ostia Antica:Guide to the Excavations, Roma, 2000, p.57:ここも保護用シートと土砂で覆われ床モザイクは見ることできない:管理事務所としてそこまで保護土砂を掘る用意がなかったのかもしれない)。この邸宅の名称のもとになったのは部屋「H」の床モザイクに航海の守り神であるディオスクロイが描かれているからであるが(「使徒行伝」28.11:「(パウロが乗船した)この船はディオスクロイの印をつけていた」)、よって家主はもともと貿易商か船主ではないかとも想定され、研究者によっては、モザイクはその家、その部屋にペトロが滞在した記念にはめ込まれた、とまで想像をたくましくしてゆくわけ。

ディオスクロイとは「ゼウス神の双子の息子たち」の意。

 ちなみに、この邸宅の現状は壁体から2世紀以降の建設と考えられているので(ちなみに、ウィーナス・モザイクは4世紀後半の作)、紀元後64ないし67年頃処刑死したペトロの事績が、どうしてこの部屋と結びつけ可能なのか、私には納得できない。むしろ、キリスト教徒のモザイク師(だいたいが奴隷だったはず)が隣室の華美な異教的造形に対し、密かにそして控え目に対抗して埋め込んだとする説(Becatti, op.cit. (Text), pp. 115-6;Carlo Pavolini, Ostia, Bari, 1983, p.160)のほうが妥当な気がする。こういうところ、多分にイタリア人好みのストーリー性がかった感じもしないでもないが。グアルドゥッチ女史と異なる全くの別説としては、PEを、pe(rpetuo)=「永遠に」、p(raemia) e(merita)=「恩賞に値する」、p(alma) e(t) l(aurus)=「シュロと月桂樹」等といった非キリスト教的な読み取りもあって、まだ決定打に至っていないように思う、というよりこっちのほうが一層中庸的解釈とも思えるんですけどねえ、グアルドゥッチ先生。

【補遺】次の写真は2003年夏撮影のもの。いつ行ってもこんな調子だから写真もほとんど撮っていない。

奥の左側出入口が「L」で、右が「M」
実測直前の大広間「I」を北西から見る(2009/9/1):中央がめくれている;奥の出入口は左が「M」で、右が「N」

【付論】もうすぐしたら堀教授編著の論文集が出る。彼とはここ10年、Pompeii, Ercolano, Ostiaの調査でご一緒させていただいたが(何を隠そう、彼の遺跡実測能力が我々の調査を可能にしてくれてたわけ)、彼はそれ以前からPompeiiでの調査をしていて、私のような建築学に疎い文獻学徒にとっては有難い現場教師だった。私は同行中の彼のさり気ないつぶやきから学んだことが多い。たとえば、以下の写真のような階段遺構が意味すること、それは邸宅内の「内階段」と街路に面した「外階段」の違いから住居人を区別するという、考古学や建築学では初歩中の初歩の知識であろうが、私にとっては不意を突かれ、とても新鮮な指摘だった。

左は外階段(エルコラーノにて2016夏):踏み台が高すぎてベンチと化している。駄馬荷下ろし専用かと思ってしまう;右はポンペイ(I.vi.15)の内階段

 これまでの自称研究者たちの論述(その多くは横文字からの剽窃)と比べての彼の最大特徴は、継続的現場主義ということだろう。二〇年近く毎年現場を訪れて、3Dレーザー測量を武器に実測を実施してきた。継続的に現場に立つということは、行きずりの研究者には不可能な、あれはどうしてなのかという疑問の持続と、実測データの検証をもとにした、ああでもないこうでもないという無数の仮設の挙げ句の、あるときひらめくオリジナリティーに富む解答にはじめて到達可能、ということなのだ。定点観測的な年期というものが研究の深みに絶対必要、との私の確信もそういった体験から生じている。

 だからそれは借り物の知識ではない。こんな体験もある。Ostiaでかろうじて一階部分の壁体が残っている場所で、彼は「この壁は45センチですので、おそらく二階ないし三階建てだったったのでしょう」と言った。そこで私は一階建てだと壁は30センチあれば十分だが、上階があると45センチ必要で、60センチなら三階以上あったと見ればいい、といった豆知識を獲得することができたわけである(結果的に、これはローマ尺単位と連動しているというおまけ付きでもあった)。で、数年後、今度は私が彼の前で「ここ45センチなので」と訳知り顔で紋切り型知識を披露したら、「そう言われているけど、本当でしょうか」ときた。常識を押さえつつも、彼はなにごとによらず鵜吞みせずに反芻していることが、それでわかった。

 こんなことがたび重なるうちに、オスティア遺跡全体の実測調査が一応完了した数年前から彼はとんでもないことを言い出した。オスティアは水没を前提に立てられた古代都市である、と (2014年1月31日の冠水写真参照:https://www.ostia-antica.org/archnews.htm。実は彼もこれを現地で目の当たりにしているのを、私は彼からの報告で知っているが、当時の責任者との約束を堅く守って未だ彼は口外しないので、私がしゃしゃり出ておこう)。

このときは20センチの冠水でこの有様だった(左は東西大通り、右は劇場内)

それをポイント箇所を回りながら滔々と開陳される。無知な私は気のきいたこともいえず、ただ黙って聞くだけだったのだが、そんな私でもそういえばと気付いたことがある。「ユピテルとガニメデスの邸宅」(Domus di Giove e Ganimede:I.iv.2)出入口の敷居の高さなど、どう考えても普通ではないのだ。南北のその角地付近と東西のダイアナ通り北側の高さは、とてもでないが踏み台がないと入れはしない。すなわち人間工学的に作られたのではないことが明白である。もひとつ、私もずっと「?」だった構造物が「七賢人浴場」のそばにあるが、その謎解きは堀先生の著書のおたのしみにとっておこう。こうしてみると水没を前提にしているという説はなるほど説得力がある。しかも世界レベル的に新見解なのである。それを可能にしたのは遺跡全体のレーザー測量データである。

左写真の左奥が「ユピテルとガニメデスの邸宅」出入口で木造の、右写真がダイアナ通り北側で、展望台への階段場所のみに石の踏み台が現在設えられている:昔はすべての出入口にあったはず

 そうそう、「ユピテルとガニメデスの邸宅」についても触れなきゃ。この作業で思い出してしまったが、書き残しておきたい話はまだまだ一杯残っている。でも写真の整理だけでもたいへんという現実もある。

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BS1スペシャル「原子の力を解放せよ」:遅報(66)

 今朝起きて、年度末に向けて入試期間開始までに終えていきたい科研事務があるので大学に行こうとしてテレビをつけたらやっていた・・・。とうとう前後編見てしまったので、登学は午後に延期である。

 昨年の8/16の放送の再放送らしい。副題は「戦争に翻弄された核物理学者たち」。その中でも利用されていたテレビ・ドラマ「太陽の子」も同時期放映されたらしい。私はこのとき何をしていたのやら、ぜんぶ見逃している。ぐぐってみたら、以下にPart1だけだが、なぜか無料でみることができる(https://www.dailymotion.com/video/x7vocl2)。

 研究者が開発後の悲惨な状況にたいして苦悩する姿も出てくるが、こういうものを見ているとさてどう考えるべきか、と思いをめぐらさざるをえない。一口に研究倫理といっても、ねえ。ドラマでよく包丁やナイフが殺人の凶器になっているが、だからといって刃物を発明したり作製・販売している人が追求されたり苦悩したりする話はないだろう。実に便利な道具だから人類全体が日々使用しているわけで、問題はそれをごくごく一部の者がたまたま悪用しただけのことだ。これが銃器、兵器になると様相が変わってくることになる。しかし結論はでない。自衛のためか攻撃のためかといったところで、実際には両方の場合に使用可能なのだから。便利と残酷は表と裏にすぎない。ちょうど旧約聖書でヤーヴェと悪魔が表裏一体で表現されているように。こういったところは、聖書記者の実に卓見である。

 湯川秀樹は戦前の業績に対して1949年のノーベル物理学賞を授与されたが、今回の放映を見た後では、考えてみるとたいへん皮肉な人選だったように思わざるをえない。被爆国でも核爆弾の研究やっていた研究者がいたこと、それを受賞で全世界的に公にしたわけだから(当時のメディアはそっちには目をつむって、水泳の古橋廣之進と同列に、もっぱら煽ってだけいたのだろうが)。いまさらながらなにかしらの意図を感じてしまうが考えすぎだろうか。

 悩むくらいだったら、そんな研究しなければいいだけのことだ。研究の神秘に魅入られたら後先考えるまでもなく突き進む以外にない、これが研究者のサガである。研究者も人間だから名誉欲に駆られもするし。否、研究成果の独占、それしかないかも。いまさら一から始めることなんかできないし。

 問題が生じたらそこで対処するしかない。その時どこかの研究者のように政府や大企業の代弁者になり、データを捏造したりすれば、それは研究動機の下劣さを後世に残すだけのことである。

 さて、登学しなきゃ。マスク、マスクと。

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世界キリスト教情報第1566信:2021/1/25;現場主義のお勧め

= 目 次 =
▼「来て、見なさい」=世界広報の日に向け教皇メッセージ
▼核兵器禁止条約発効、バチカン外務局長「共通善を目指して」
▼バチカン銀行元総裁、公金横領と資金洗浄で禁錮8年11月
▼ロシアで今年も無病息災願い極寒の海で沐浴
▼エチオピア正教会が18日に公現祭
▼韓国の新規コロナ感染者が再び400人台に=宗教教育施設で集団感染
▼マドリード中心部で教会保有の建物が爆発し3人死亡

 今日は最初のメッセージを。

◎「来て、見なさい」=世界広報の日に向け教皇メッセージ
【CJC】教皇フランシスコは、5月に記念する「第55回世界広報の日」に先立ち、メッセージを発表した。公設バチカン・ニュースが1月23日報じた。
 カトリック教会の「世界広報の日」は、日本では、復活節第6主日に記念される(今年は5月9日)。
 今年のテーマは、「『来て、見なさい』(ヨハネ1・46)人々との出会いを通し、ありのままを伝える」(仮訳)。
 教皇は、このメッセージで、既存の情報に甘んじたり、机上の情報収集のみに陥ることなく、自ら行動し、出かけ、出会い、見聞きし、現実から感じ取ると共に、福音の告知の歴史のように、人と人、心と心の出会いを大切にした広報・報道の在り方を提示している。
 教皇は特に、今日、コピーされた情報や、あらゆるメディアで流れる同一情報、前もって準備された情報が、取材やルポルタージュなど「靴をすり減らして得た情報」の占めるべき場を奪っていることに懸念を示した。
 ヨハネ福音書で、イエスの弟子となったフィリポは、ナタナエルと出会う。ナザレの人、イエスとの出会いを語るフィリポに、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言うと、フィリポは「来て、見なさい」と言った
(参照=ヨハネ1・45~46)。
 ナタナエルはイエスに会いに行き、その時、彼の人生は変わった、と教皇は記し、キリスト教信仰は、このような直接の出会い、経験から生まれていった、と述べている。
 教皇は、世界がパンデミックに覆われたこの時、地球の各地の多くの現実を「来て、見なさい」とコミュニケーションに携わる人々を招いている、と強調
した。
 パンデミックをはじめ他の危機を語る時、豊かな世界の視点だけから語ることなく、貧しい人々の現実や、また恵まれた社会の中の隠された貧困にも目を向けることを教皇は願った。
 また、教皇は、インターネット上の様々なソーシャルメディアが、物事を伝
え、分かち合う能力を広げる一方で、事実確認のない情報流布の危険をも指摘された。
 2000年以上にわたり、キリスト教の魅力は人々との出会いの中で連綿と語り継がれてきた、と述べた教皇は、人々との出会いを通し、そこで見たままを伝えていくことが、わたしたちのこれからの挑戦となるだろう、と記した。□
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うんちビジネスの今:トイレ噺(21)

 これも偶然だがようやく知った。2018年あたりから話題になっているようだ。「「便はダイヤモンドより価値がある」:起業したサッカー元日本代表の挑戦」(https://mainichi.jp/articles/20210122/k00/00m/050/229000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210125)。

 ググって見たらウンチビジネス関係がかなりアップされている。腸内細菌がらみで、「茶色いダイヤ」とかアプリ「ウンログ」の開発とか・・・(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/04/ni150.php)。2013年には「日本うんこ学会」も結成されていたようだ(https://unkogakkai.jp/about-us)。ま、トイレ止まりの私はそこまで遡及追跡する予定はないが。

 以前、『うんこ漢字ドリル』が大ヒットし、類似商品が色々出た。これも立派なウンチビジネスかも?。今回ちょっと調べてみたら面白い動きがあった。一つは絵本、も一つはトイレ専用カレンダー。

 リビー・ドイチュ作、バルプリ・ケルトゥラ絵『旅でみる世の中のしくみ大図解』ポプラ社、2020年;(株)イオンファンタジー編集『Whose poo? だれのうんち:2021 CALENDAR』。後者はどうやらアンケートに回答したらもらえた非売品らしい。私はヤフオクで手に入れた(まだあるようですよ)。我が家でもトイレにぶら下げようかな。でも具象的でないので、便通に悪いかもね。

【付論】失せ物探しで梱包を探っていて出てきた。↓ 観光大国イタリアでは「Pisello(ちんこ)ビジネス」もありなのだ。一年間住んだのがナヴォーナ広場だったからいやでも目に入る。なかでも、ミケランジェロ作ダビデ像の前掛けなど、さすがの私も恥ずかしくて買えなかったものもあったが。

 ここで紹介するカレンダーは縦12cmの小さな1994年版だが、表紙は件のダビデ像のもの。月別であれこれ写真が変わる。カレンダーだけ代えて今も販売されているはず。右はトレビの泉の土産物屋で同行の女子学生がみつけたちんこパスタ(正直、私の眼にはとまらなかった、信じないかもだが本当である)。私は教材用に買って保存していたが、彼女は日本に帰るなり食したそうだ。文字通り肉食女子! 

 

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40年振りに公開:パラティヌス丘Domus Tiberiana

 久し振りに恒例の考古学ニュースのチェックをしたら、今年の後半に、 パラティヌス丘の中のDomus Tiberianaが40年振りに公開されるそうだ。ここは現在ファルネーゼ庭園となっている場所であるが、新発掘の部屋やプールも含まれているらしい(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/01/romes-domus-tiberiana-to-reopen-after.html)。私的にはDomus Augustianaのほうを公開してほしいのだが。

上が北。数字的には上図の左側中央の「17」の場所
逆に、北方向から南を見る

 秋までにコロナが沈静化していることを期待したい。

 世の中コロナ騒ぎで停滞が多いが、他にも、ポンペイ出土で国立ナポリ考古学博物館所蔵のアレクサンデル大王のモザイクが修復に入った(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/01/pompeiis-alexander-great-mosaic-set-to.html)といった情報もある。

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学術会議問題と研究者:遅報(65)

 2020/12/24の毎日新聞に過激なアンケート結果が。「任命拒否巡る国立大学長アンケ、6割超が回答せず:国の「顔色」うかがい沈黙」(https://mainichi.jp/articles/20201223/k00/00m/040/297000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201224)。

 すでに選挙制から推薦制になったりして骨抜き完了の国立大学学長に、学術会議問題でアンケートするなんて、そりゃあんまりだ。リタイアしてから日経、毎日、朝日のデジタル新聞のちょい読み契約をしているが、毎日の論調がよろず一番きつい感じして、こりゃ現役時代に購読しなくてよかったな、と実は密かに思ってたりしている(それでなくとも私は世間一般から見ておかしいらしいのだが、一層拍車かかってしまいそうで)。

 学術会議問題で思うことは、僭越ながら、華々しく首相などをご批判なさっている先生方を信じてはいけない、ということ。いま現在威勢のいい彼らはいざとなったら真っ先に敵前逃亡しちゃう可能性大なのである。まだまだ安全、このまま定年までいけると思っての言動で、彼らには「隠れへたれ」が多いはずだからだ。いつの時代でも姿形は異なっても、そういうものでなかったか。少なくとも私はそう思う。もちろん大学教員は黙して語らぬ「真性へたれ」が大部分であるが(これはどの社会でもご同様だろう)。所詮、我が身がかわいいのだ。

 私はこれを研究課題の「殉教者」になぞらえて考えていたりする。

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世界キリスト教情報第1565信:2021/1/18;劣悪な母子施設

= 目 次 =
▼コプト正教会がソーシャルメディアの「フェイクニュース」に警告
▼女性に朗読奉仕者と祭壇奉仕者への道開く教皇自発教令
▼教皇フランシスコの主治医が新型コロナウイルスで死去
▼教皇と名誉教皇ベネディクト16世がワクチン接種
▼スコットランド・グラスゴー大司教が70歳で急死
▼新型コロナ禍でカトリック司教が相次ぎ死去
▼アイルランド母子施設で子ども9000人死亡
▼米で聖書のポッドキャスト番組がダウンロード数1位に

 今回は、コロナが原因での死亡記事が多かった。寒々しい年明けである。ただ最後から2番目のものは毛色が違っているが、内容はやはりやりきれない。

◎アイルランド母子施設で子ども9000人死亡
【CJC】ダブリン発AFP=時事によると、アイルランドで国や教会が1998年まで運営していた母子生活支援施設で、子ども約9000人が死亡していたことが、1月12日に発表された政府の公式調査報告書で明らかになった。ミホル・マーティン首相は翌13日、国として公式に謝罪した。
 歴史的にカトリック教徒が多いアイルランドの「母子の家」は、配偶者がおらず、パートナーや家族からの支援も得られず、社会から厳しい非難にさらされた妊婦らを受け入れる施設だった。
 政府の母子の家調査委員会(CIMBH)は、施設が運営されていた76年間について調査を実施。その結果、施設にいた子どもの15%に当たる約9000人が死亡していたことが分かり、その数は「不穏」というべきレベルだったと指摘した。
 施設内で生まれた子どもの多くが、母親から引き離されて養子に出され、血縁関係を完全に断たれていた。□
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嘘情報の見分け方を探る

 コロナ騒ぎの中で新たな造語「インフォデミック」が生まれたが、情報操作という意味ではたぶん人類発祥以来の課題であろう。

 「「コロナは存在しない」偽情報が奪う命:政治家の「情報操作」疑惑も」(https://mainichi.jp/articles/20210115/k00/00m/030/294000c)

 「国家ぐるみの偽情報にどう立ち向かう?:インテリジェンス研究者に聞く」(https://my.mainichi.jp/articles/20210115/k00/00m/040/319000c)

 人は信じたい情報を信じてしまう、そういう存在である。だから「すべてを疑え」ということになるが、それだけでは何も答えになっていない。

 我々の日常生活ではふだん生死に関わるような局面は全くないと言っていい。今般の新コロナみたいな状況下でこそ心眼が試されるわけであるが、我らど素人がとれる方策には、100年前に日本だけで40万人近く死亡者を出したスペイン風邪の教訓とそう違いがあるわけではない、と私などつい思ってしまう(当時はウイルスなどの存在は知られていなかったにもかかわらず:同列に扱う我ら愚民恐るべし!)。しかも今回、現在までの死亡者数4420名(全世界で200万人強)なのである。騒ぎすぎ、という以下の記事は示唆的である。昨年7月段階での新聞記事:「正しく恐れ行動冷静に:スペイン風邪研究者・小田泰子さんに聞く」(https://www.kahoku.co.jp/special/spe1215/20200708_01.html)。それ以上に、この10回の連載記事「100年前からの警句」(https://www.kahoku.co.jp/special/spe1215/index.html)での、状況に翻弄されている世情も、まるで今をなぞっているかのようだ(そのように記者がまとめているのだろうが)。

 ケネディとニクソンのテレビ対決ではないが、テレビの登場で政治家の顔が日常的に露出し出して、国民である視聴者にすら彼らの言葉の持っている軽重が表情からも自ずと判断できるようになった。安倍の嘘答弁然り、管の空虚な発言然り。信頼できない政治家たちをこんな時もってしまった不幸を、我ら愚民としては嘆かざるを得ない現実がある。

 それでふと思い出したが、帝国臣民が初めて現人神である天皇陛下の肉声に触れたのは、敗戦時のラジオでの玉音放送だった。この衝撃的ともいえる事実を現在の我々はどれほど体感的に理解しえているであろうか。遡ること一世紀、写真の発明でご真影はあったし(明治天皇など多分に修正されていただろうが)、1890年代に映画も発明され、1927年にトーキー映画も出現して、国威発揚におおいに利用されていたにもかかわらず、なのである。

 神は沈黙してこそ威厳を保つことができるのだろう。

【追伸】数日前に、昨年9月にwowow製作の「連続ドラマWトップリーグ」をちょい見した。たしか第1話だったが、うちはスターチャンネルなので、その後は見れなかった(https://www.wowow.co.jp/dramaw/topleague/episode/)。 

 「トップリーグ」とは、これ書いた相葉英雄の造語で(ぐぐったらラグビーばかり出てきておかしいと思っていた)、本当は「トップグループ」と呼ばれているらしい。時のトップ政治家と懇談できるごく限られた新聞記者のことで、それを批判していた本人がいつの間にか取り込まれていく、そんなストーリーのようだ。新聞記者の実態に関心はあるし、設定された事件はロッキードとなると、私的に大いに興味深く感じる。再放送を期待している。

 2021/2/5:日本映画専門チャンネルだっけで「新聞記者」「ドキュメント新聞記者」をやってるようだ。今日は最後のをちょい見した。全部みたい。2/23に再放送あるらしいが、忘れそう。

 やっぱり見逃した。内容は加計学園の獣医学部で生物兵器の研究するというもののようで、新コロナに席巻されているかの現況では(繰り返し言うが、パンデミックと大騒ぎするほどではない、というのが私の素人見解)、兵器を作るという恐れよりも、攻撃された場合を想定しての対応策構築のためにやはり研究は必要だ、というほうに軍配が挙がるような気がしてならない。

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続報・女性の立ちション:トイレ噺(20)

 2019/12/25付けで書いたブログが、私のものとしては未だコンスタントに読まれているようで(今日も今日とて、アクセス数11)、別件をぐぐっていて以下をみつけてしまった。「女性が立ち姿勢で排泄する器具、新型コロナで大ヒットに」(https://newsphere.jp/business/20200923-1/)。ここには7製品の使用感比較レビューも掲載されている。ダントツの評価は以下のWhiz Freedomで、医療器具としても使用できるし(溲瓶使用の病床の女性にとっては朗報であろう)、健常者でもトイレが汚い場合、立ったままできるわけ。

輸入品なので本体2700円と高め

 なんとコロナ騒ぎで、便器に座ることへの不潔感が増幅して女性の立ちションが促進されるとわ。いずれにせよ、使用感が試されてより快適な製品ができることはいいことだ。トイレ探偵としてはご同慶の至りというもの。いや、しなびて油断したらズボンを汚しかねない(実体験有り)現況の私にも、すでに必需品かもなので、早く国産化され廉価になってほしいものである。

 それで思い出したのは、潔癖症の人がいて、なんでも消毒しまくっているのを私なんか「我ら人類とてウイズ・細菌なんだから、神経過敏でしょう」とこれまで(冷)笑していたものだが、現況ではなんと国家レベルでそれが奨励されているわけだ。石けん使って30秒流水で手を洗えだと〜。めんどくさ。それをこれまで実践してきた彼らは絶対生き残り組になるはずだ。

 ここで私の思考は飛躍する。同様に、一時欧米でやたら非難されていたイスラム圏の女性のベール着用服装だが、今となってはマスク代わりに口が覆えて便利かもしれない(https://seiwanishida.com/archives/6992)、のだ。

あなたはどこまでやれますか

 この風潮に悪のりして予言しておこう。50年後か100年後のわが地球では、顔をさらして外出していると猥褻物陳列罪に処せられる。なぜかといえば、顔ほどストレートに性的魅力を表示するものはないので、要するに性器そのものと認定されたのだ。顔で劣情を刺激してはいけなくなったのであ〜る。要するに、男女とも公の場では目だけ出す服装をすること、すなわちイスラム女性の服装が全人類に法制化されてたわけなのであ〜る。・・・ 

 私は電車・地下鉄に乗って、マスクして皆さん美男美女にみえるようになったので、こんな妄想をしているわけ。いや、顔隠すのってなかなかいいなと。ひょっとして痴漢も減るのではないかしら。あ、逆かも(^_^;

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追悼・半藤一利氏

 日本現代史で、オーラルヒストリーを駆使しての明快な語り口で、私は彼が好きだった。2021年1月13日自宅で倒れていて死亡が確認された由。享年90歳。戦後のその当時タブーだった軍事史を扱っていたこともあり、彼は「保守反動(半藤)」と言われていたらしい。それが立ち位置的に左翼とみられるようになってきた。それほど世の中の動向が右傾化してきているともいえる。彼を見ていると長生きすることの有効性を感じざるをえない。彼のひそみに倣って、私などできることは少ないが、せめて「古代ローマ史探偵」として余生を送りたい。

1930-5.21-2021/1/12

 彼への追悼文の中で感銘を受けた彼の言葉は多いが、ここでは以下を紹介しておく:「(戦時中の新聞は)沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走った」(https://www.tokyo-np.co.jp/article/79716)。最近のマスメディア然りではないか。

 また保阪正康と一緒に元陸軍参謀・瀬島龍三に取材した後、「瀬島がうそをつくときの顔、わかるか?」と言った由(https://digital.asahi.com/articles/ASP1G5KMWP1GUCVL017.html)。多くのインタビューの経験から彼にはそれがわかっていたのだ。肝心なのは言葉ではなく、音声であり表情なのだ。人間は平然と嘘をつける存在だ。体験者は実際の万分の一も述べたり書き残していないわけで、それを声、表情の変化で真贋を見きわめる、これがオーラル・ヒストリーの醍醐味であろうが、しかしそれを文字化した途端、肝心かなめなものがこぼれ落ちてしまうのだ。このメカニズムを周知してでのオーラル・ヒストリーであってほしいが、実際にはどうだろう。逆に見ると、ほとんど文字情報のみに頼らざるを得ないのが古代史の致命的弱点であるが、研究者が行間をどこまで読み切るか、が見どころとなる。実にあぶない営みではあるが。とはいえ、しっかり実証性(自称!)を追求すればするほど、中身がすっからかんの空疎な言辞の羅列に終わるのだ。

 ググっているうちに、彼が自らの3月10日の体験を語っている以下を紹介した動画に遭遇。「猛火に追われて川で溺れる」(2005/3/10:https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001240071_00000&seg_number=001&utm_int=detail_contents_news-link_001)。

 NHKアーカイブのこのシリーズ「あの日 昭和20年の記憶」には色んな著名人が7分程度だけど体験談を語っていて、一見(視聴)の価値ありとおもう。なぜか無料。15年前の録画だから、語り部のほとんどがすでに鬼籍に入ってしまっている。こういう営みも貴重である。

 彼が書いた絵本『焼けあとのちかい』大月書店、2019年、を読んでみたい。すでに品薄らしいが、再版してほしい。

2021/2/5にやっと届いた。残酷な絵はないが、九死に一生の体験は十分伝わってくる

【追記】 ご夫人と保阪正康氏のコメントが出た。https://mainichi.jp/sunday/articles/20210215/org/00m/040/004000d;https://mainichi.jp/sunday/articles/20210215/org/00m/040/003000d

【追記2】死後半年で、以下のようなコメントが出てきた(2021/8/16)。筒井清忠「半藤一利氏による「新しい2/26観」を検証する」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23780?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20210816)。

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