BS1スペシャル「原子の力を解放せよ」:遅報(66)

 今朝起きて、年度末に向けて入試期間開始までに終えていきたい科研事務があるので大学に行こうとしてテレビをつけたらやっていた・・・。とうとう前後編見てしまったので、登学は午後に延期である。

 昨年の8/16の放送の再放送らしい。副題は「戦争に翻弄された核物理学者たち」。その中でも利用されていたテレビ・ドラマ「太陽の子」も同時期放映されたらしい。私はこのとき何をしていたのやら、ぜんぶ見逃している。ぐぐってみたら、以下にPart1だけだが、なぜか無料でみることができる(https://www.dailymotion.com/video/x7vocl2)。

 研究者が開発後の悲惨な状況にたいして苦悩する姿も出てくるが、こういうものを見ているとさてどう考えるべきか、と思いをめぐらさざるをえない。一口に研究倫理といっても、ねえ。ドラマでよく包丁やナイフが殺人の凶器になっているが、だからといって刃物を発明したり作製・販売している人が追求されたり苦悩したりする話はないだろう。実に便利な道具だから人類全体が日々使用しているわけで、問題はそれをごくごく一部の者がたまたま悪用しただけのことだ。これが銃器、兵器になると様相が変わってくることになる。しかし結論はでない。自衛のためか攻撃のためかといったところで、実際には両方の場合に使用可能なのだから。便利と残酷は表と裏にすぎない。ちょうど旧約聖書でヤーヴェと悪魔が表裏一体で表現されているように。こういったところは、聖書記者の実に卓見である。

 湯川秀樹は戦前の業績に対して1949年のノーベル物理学賞を授与されたが、今回の放映を見た後では、考えてみるとたいへん皮肉な人選だったように思わざるをえない。被爆国でも核爆弾の研究やっていた研究者がいたこと、それを受賞で全世界的に公にしたわけだから(当時のメディアはそっちには目をつむって、水泳の古橋廣之進と同列に、もっぱら煽ってだけいたのだろうが)。いまさらながらなにかしらの意図を感じてしまうが考えすぎだろうか。

 悩むくらいだったら、そんな研究しなければいいだけのことだ。研究の神秘に魅入られたら後先考えるまでもなく突き進む以外にない、これが研究者のサガである。研究者も人間だから名誉欲に駆られもするし。否、研究成果の独占、それしかないかも。いまさら一から始めることなんかできないし。

 問題が生じたらそこで対処するしかない。その時どこかの研究者のように政府や大企業の代弁者になり、データを捏造したりすれば、それは研究動機の下劣さを後世に残すだけのことである。

 さて、登学しなきゃ。マスク、マスクと。

Filed under: ブログ

No comment yet, add your voice below!


Add a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website

CAPTCHA