月: 2020年10月

その後の体組成計:痴呆への一里塚(37)

 10/5に、体重計を買い換えてというメモを書いた。体重を落とすために8月半ばから歩き始めたが、体重でめぼしい成果があがらないので、たとえば内臓脂肪なんか落ちてないか見たかったからだ。そしてまた、これは予想通りだったが、日中に眠気におそわれてお勉強ははかどらない、というその後の日々の経過はいかに。

 体重はそれまでから1,2kgくらい上下するのだが、他はどうしてもどの数値もめぼしい減少はみられないのが不審である。ほとんど実年齢より若いのはこれだけだった体内年齢も65-7歳から動かないし、一番納得いかないのは、足腰年齢で、これが最初から今まで不動の80歳なのであ〜る。まあ、食事や間食を減らさなとだめ、というわけであろう。人生の先輩たちの話でも夕食を抜くといい、という話だが、一人住まいしているわけではないので(妻が孫のため弁当作ると、余りと称するおかずが時として山のように置かれている、食べないわけにはいかんだろう、家庭内平和のためには。炊飯器も空にしないといけないし)、主夫として日常的になかなかそうもいかない。

 最近ルーティーン・ワーク以外の仕事があってその準備で忙しくなった。それに冬に向けて早朝の散歩は喉にこたえるので、じゃあ昼間歩けばいいだろうと、またまた生活リズムの転換をかえると、やはり日中はついついパソコンの前から離れないうちに夜になり・・・。歩かなくなってしまうのである。そうこうしていると、散歩に持ち歩いていたiPhoneの万歩計までおかしくなってきた。歩いているのに棒グラフ表示がでなくなったのだ。とほほである。

 まあ数十年かけて今の体重になっているのだから、そう簡単なことではないのは理解しているつもりであるが、我が仕事がはかどらないのはちょっと困る。ひたすら眠たいのである。最近ブログへの研究の書き込みが少なくなっているのもそのせいじゃないかと思っている。

 さて、どうしたものか。先日、薬をもらいに医者に行ったとき、血液と尿を取られた。その数値がどうなっているか、一ヶ月後を楽しみにしているのであるが。

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世界キリスト教情報第1553信:2020/10/26

= 目 次 =
▼教皇が新枢機卿13人を、日曜恒例の講話で突如指名
▼教皇、同性婚に一定の理解 歴代初の見解、欧州中心に反響
▼中国がバチカンと司教任命権暫定合意を2年延長したと発表
▼バチカンも司教任命権暫定合意の2年延長を発表
▼教皇、公務の場で初めてマスク着用
▼フィリピンの首都マニラでXマスパーティー禁止へ
▼イスラエル、米国の仲介でスーダンとも正常化合意
▼ポーランド憲法裁がほぼ全ての人工中絶を違憲とする判決
▼仏サンモーリス大聖堂の中世彫刻保護計画に隈研吾氏の案

 今回は同性愛問題を。

◎教皇、同性婚に一定の理解 歴代初の見解、欧州中心に反響
【CJC】教皇フランシスコがカトリックではタブーとする同性愛者の事実上の結婚を社会的に認めるべきだと発言したことが10月21日分かった。同様の見解は歴代教皇で初めてとみられる。ローマ発共同通信が報じたのを紹介する。
 教皇は「同性愛者も家族になる権利を持っている。何者も見放されるべきではない」と語り、同性愛者同士の事実上の婚姻「シビル・ユニオン」(合同生活)が可能となるような法的整備が必要だとの考えを示した。
 カトリック教会は同性愛や避妊、離婚をタブー視するが、教皇フランシスコはこれまでも実社会に即した教会変革が必要だと主張し柔軟な見解を示してきた。一方で、2016年にはシビル・ユニオンと男女間の結婚は明確に区別されるべきとの考えも示している。
 映画「フランシスコ」はエフゲニー・アフィネフスキー監督による長編ドキュメンタリーで、教皇や、教皇の最高顧問である枢機卿らへの直接取材を敢行した作品。ローマで開催中のローマ国際映画祭で21日、上映された。教皇が同性婚に一定の理解を示す発言をした、とイタリア・メディアが報じた。世界に13億人超の信者を抱えるカトリックの頂点に立つ教皇が同性婚に一定の理解を示した発言として、信者の多い欧州を中心に反響が広がっている。□
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映画「ペンタゴン・ペーパーズ」再見:遅報(52)

 ケーブルでやっていたのでまた見てしまった。2017年アメリカ映画。アメリカは泥沼のベトナム戦争中の1971年、といえばもう50年も昔の事になる。

 当時の大統領といえは、あのニクソン。ベトナム戦争を調査した最高機密文書が内部告発で露見する。それを自社でも公表するかどうか。夫の自殺で地方紙ワシントン・ポストの社主になったばかりの主人公は、政府を敵に回し経営危機が予想される中で苦悩する。経営を考えるなら掲載すべきでない。彼女は素人故に理想論を選択し公表を結論し、幸運にも最高裁の判断もマスコミ側支持で勝利できた。

 一見アメリカの理想主義の勝利を高らかに謳っていて、さながら「半沢直樹」風爽快さにつながるわけであるが、その誘惑から踏みとどまって考えてみれば、そんな素人っぽい理想論がまかり通ることなど現実にはありえないわけだ。ここを間違えてはいけない。極めて稀な勝利だったからこそ雄々しいドラマになりえるのである。国中に蔓延していた厭戦気分が最高裁判事の9名中6名の判断をそう狂わせた、という深掘りこそが問題の本質だったはずだ。

 現実のアメリカでは、権力の事実隠蔽などありふれた出来事で、闇から闇に葬られた理想論の屍は無数に存在していた。そしてそれはまた現在でもそうなのであり、権力の横暴など日本の専売特許ではないのである。それを、一貫してベトナム戦争の無意味さを立証している機密文書そのものが証明しているわけである。

 この後日談が1976年の映画「大統領の陰謀」、すなわちウォーターゲート事件(1972年)となるわけだが、それを暴いたのもワシントン・ポストの記者だった。そして1973年米軍の完全撤退となる。あれこれの不祥事で追い込まれたニクソン辞任は1974/8/9(なんとおいら27歳の誕生日! 今回初めて気がついた)。

 

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学術会議問題考:飛耳長目(65)

 昨日また拡販なのだろうか、S経新聞がポストに。それを広げていつもどおり後から読みはじめる。なるほど新聞は下世話な情報満載だなと思っていると、「正論」で「廃止しかない「日本学術会議」」なる見出しが。書き手は島田洋一氏、福井県立大学の先生らしいが、寡聞にして初見の人だが、かなり激烈に自説をご披露されている。そこまで乗れない私は若干間を取って、テレビ報道ではまったく出てこないが、やっぱり学術会議への批判も流れているのだな、とこれについては納得した次第。

 世の中、レッテル貼って安心したがるのは私を含め愚民の常であるが、御用学者にならずに所信を貫くことは至難の技と改めて感じた次第。問題点を鋭く指摘するのが研究者で、妥協であれ問題解決に動くのが政治家の役割のはずなのだが、いつしかそれが混同され、専門バカの研究者が政治家風を、ド素人の政治家が研究者風を吹かしだし、その上それぞれが左右に分かれての舌戦に終始し出すと、まあ生産的な結果には結びつかないのは自明で、この両者のバランスはいつでも微妙である。

 そんな中、ウェブで伊東乾氏が学術会議批判を連発していて、私にはおおむね説得的な気がするのはなぜだろう:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62372;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62462;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62498;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62566?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top

 なかでも10/16の「ノーベル賞、男女比に見る「天国と地獄」付録:お気楽極楽、日本学術会議の「男女比修正」」は、私の盲点を突いていて教えられた。

 その最後あたりで、メディア批判の「日本病」に筆が及び、大略以下のようなことを述べている。メディアでは新人記者に「お前が調べたことを書くな、誰かに必要なことを言わせろ。それを書け!」と教える。はなから取材する気などなく「私の口からこれを言わせたい、こういうセリフを引き出せ」というミッションを課して教育し、「その大勢の思考停止が習い性となって、ありがちなシナリオを誰かに言わせる発想が芯まで達する頃、デスクになる」。そして「あるべき正解、あらかじめ結論ありきに表面だけ取り繕って、それでいい気になってトクトクとしている」日本の病、というわけ。もちろん「自分で記事を書くジャーナリストがゼロ、などとは決して言いません。立派な方も、幾人も存じ上げます。でも、大勢は残念な方向にあるのも事実です」とちゃんと逃げ道もご披露されつつ。これは,自戒を含めて、秀逸なご指摘でした。

 これを私の専門に換言すると、学界主流に乗って生き続けるためには、欧米著名研究者の仰っていることを咀嚼して、横を縦にして祖述することに徹するべきで、間違っても自分のド頭に浮かんだ妄想など書くべきではない、ということになる。あるときある著書についてその著者の某研究者に連続で質問したことがあったときに、「それは誰それが、これは誰それが」と欧米研究の典拠を挙げての返答を連発され、それはまあ引用史学では正しいお答えなのだろうが、「では貴方ご自身はどうお考えかなのですか」と反問したくなった体験がある(無作法極まりない私もさすがにそれを聞くのははばかった)。そのうち彼は教授になって学内行政に多忙になり、論文書くのをやめてしまったらしい、という落ちもついたのだが、そうなるとしつこい私は「貴方にとって研究とは・・・」と言いつのりたくなったものであ〜る。我ながら困った性格だ。

【追記】上を書いたと思ったら、やっと出だした。「あそこは左翼の巣窟だけど… 反学術会議派・小林節氏が首相を糾弾する理由」:https://mainichi.jp/articles/20201022/k00/00m/040/272000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20201023

 学術会議に限ったことではないが、組織の空洞化・立ち枯れ・腐敗は自助努力が働かなくなることが大きいと思う。存続を揺るがす外圧が必要なのだが、それへの反応が自己防衛にだけ向かうのでは未来がない。

【追記2】帰省の折、ときどきグリーン車に乗る。ポイントが1000点貯まると無料で乗れる制度があるからだ。グリーン車の特権は、一列4人掛けなのでゆったりしていること(新コロナ騒ぎだと特にありがたい)、乗車時と新大阪通過で大きめのおしぼりをもらえること、ときどき巡回してゴミを収集してくれること、それに「自由にお持ち帰り下さい」と明記された雑誌2つがあることくらいだ。そのグリーン車すら11月28日(土)の午後、予約段階でかなりの詰まりようだったので(とはいえ半分くらい)、ちょっとビックリ。実際には広島乗車時はガラ空きで、どっと乗車してきたのは新大阪からだったが。

 今回その雑誌のひとつ『Wedge』12月号が’なかなか充実していた。北朝鮮に関する長文記事もあったが、ここで紹介しておきたいのは、勝股秀通(日本大学)「軍事研究が救った多くの命:学術会議は思考停止に終止符を」である。内容は表題で語り尽くされている通り。かしがましく「軍事研究反対」と叫べば叫ぶほど、実際には自分の首を絞めることになる現実に気付こうとしない研究者の偏狭な視野狭窄を指摘しているだけのこと。軍事転用の可能性あるから、じゃあ飛行機は、自動車は、あ、新幹線は、いや自転車だって・・・ということになるわけで。早い話が、今現在ニュースで国民の期待をあおっている「はやぶさ2」だって全ての技術が軍事転用可能なのである。逆にいうと、あれで軍事技術が保全されているわけだ。

 昨今の新コロナでも,生物兵器に対応するのが問題視されかねないのであれば、事前のワクチン開発すら軍事用ということになっちゃうのだから。我らは実に危うい灰色の中で生きているのである。たぶん理系のみなさんはそんなこと先刻ご承知で、研究費の出所で後ろ指指されなければ(防衛庁研究費とか)、あんな戯言は解消されるのにとお考えなのであろう。逆にいうと、文系社会科学系の妄言にどう対処するか、ということなのだろうと思う。

【追記3】毎日新聞2020年6月26日「スター・ウォーズが現実に? 衛星破壊、ISS無断接近…戦闘領域化する宇宙」(https://mainichi.jp/articles/20200626/k00/00m/030/104000c)

 

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世界キリスト教情報第1552信:2020/10/19

= 目 次 =
▼教皇、環境保護に取り組まない企業への投資撤収呼び掛け
▼バチカンのスイス衛兵11人が新型コロナ感染
▼トヨタ水素燃料電池車「ミライ」がパパモビルに
▼「イエス革命」叫ぶ米伝道者がコロナ予防対策無しでコンサート
▼15歳で2006年死去した「コンピューターの天才」が「福者」に
▼メキシコ大統領、スペイン統治時代の抑圧でカトリック教会に謝罪要求
▼ベルリンでマスク着用拒否に「中指立てる」広告が物議

 今日は下から2番目を紹介しておこう。
◎メキシコ大統領、スペイン統治時代の抑圧でカトリック教会に謝罪要求  
【CJC】メキシコのロペス・オブラドール大統領は、教皇フランシスコに書簡を送り、16世紀初頭のスペインによるメキシコ統治時代における先住民の抑圧と根絶に対してカトリック教会が謝罪をするよう求めた。ロシアのスプートニク通信が10月12日報じた。書簡はロペス=オブラドール大統領のツイッターで公開された。  
 ロペス・オブラドール大統領は書簡で、カトリック教会、スペイン王室、メキシコ政府は500年前のメキシコ先住民への流血の残虐行為に対して公に謝罪すべきだと呼びかけている。  
 バチカンはこの書簡について今のところコメントしていない。  
 メキシコ当局は10月10日、クリストファー・コロンブス像の解体を決定、メキシコ市民が自身で解体すると宣言していた。□

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学術会議、平和ボケでいいのだろうか:飛耳長目(64)

 学術会議問題がマスコミでかしがましいが、今の流れには私的には若干違和感あって、ちょっと距離を置きたいのは、なぜ。答は分かっている。今回なぜ六人が任命されなかったのかが問題ではない。学術会議は抜きがたい問題を内包しているからだ。ないわけはないだろう、周辺にいても体感できる、かつての科研費分配への圧力集団と、学閥・左翼の身内意識での人選。もちろん、例のごとく、皆が皆そうだと言うつもりはないが、結果的に主流を押さえるのはどういう傾向かという意味だ。赤旗が火をつけたことから歴然だが、マスコミがそっちには目をつぶってまったく触れようとしないのが問題だ。政権により近いところでの陣取りゲーム。官許の(すなわち体制側の)学士院会員や文化功労者・文化勲章には選ばれようもないレベルが、しかしここまではいける現状・既得権がおびやかされていて、マスコミにリークして騒いでいるわけである。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62372;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62538

 我が国を取り巻く状況は風雲急を告げている。権力の腐敗の監視は必要だが、こんなことにかまけていていいのか。疑問である。

 最近気になった下世話なニュース:

 「日本人と中国人を敵に回したネイマールの「大罪」:「ブラジルの至宝」が「人種差別主義者」へと評価大暴落」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62234):最近ある講演会で、やっぱりサッカーの往年のスター・Z.Y.ジダン頭突き事件を話したので。私はもともとサッカーが紳士のスポーツだとは思っていない。真相はどうやらイタリア人M.マテラッツィが「お前の姉貴より娼婦(puttana) のほうがましだ Preferisco la puttana di tua sorella」といったことになっているが・・・。ジダンがあのイタリア語を単語レベルで「お前のねーちゃん、売春婦」とでも解したとでもいうのか。納得いかない。

 「選手村でコンドーム配布、なのに瀬戸大也を処分の怪:「配偶者以外との性交渉」が問題なら、選手村の実態はどうする?」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62515):昔からオリンピック選手村は男女の肉体駆使しての国際交流の場であ〜る、とは公然と言われてきたことだから、私的にはなんてことないが、たぶんそれ知らない人たちが上から目線で騒いでいるのだろうか。それにしても、おみゃー、そんなこといえる立場?、といいたい。私はいえません、はい。

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映画「マンディンゴ」・「アンノウン・ソルジャー」:遅報(51)

 昨日、久々に出かけて五〇人規模の講演をして疲れ果てた。夕食後爆睡して夜中に起きて、結果的に続けざまにケーブルテレビで映画を2本みてしまう。

 最初のは(1975年)、名作と謳われている「風と共に去りぬ」(1937年)をパロディ化して喧嘩売ったもので、初演当時は業界から抹殺されていたものを、鬼才タランチーノが発掘した、といった解説がなされていた。アメリカの恥部、黒人を家畜として扱っていた差別の実態をえぐったものだ。今でもアメリカの現状には驚かされる昨今であるが、しかしまあ、古代ローマでもそうやって利殖対象でご主人様が奴隷女に種付けし(御自らの場合も当然ある)、子供産ませて売買していたのは公然たる事実であるので、私的にはそう驚きはしなかったのだが、さて平和ボケの我が祖国の若者たちにはどうみえているのだろうか。

左は、シロ・しろ、右は、クロ・しろと、しろ・クロ、という仕儀

 後者の副題は「英雄なき戦場」(2017年)。前者が終わってチャンネル回していたら聞き慣れない言語が聞こえたので手が止まった。フィンランド映画。かの地の、第二次大戦でドイツと同盟を結んでソ連に抵抗していた時期の、負け戦連続の中で、家族を背負っている市井の庶民の召集兵が次々と倒れていく苛酷さが心にしみる。それほどまでにして祖国は守るべきものなのか、いや家族を守るために闘うのだ、と。それにしても最前線に到着したばかりの若い新兵が塹壕から不用意に頭を出してあっという間に死んでいく。無残、無念である。私の叔父もノモンハンに行ったらすぐに戦死したそうなので、これは他人事ではない。

【追伸】米国選挙人制度の根底にも実は奴隷制度がっ!:知らなんだーー

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21201

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世界キリスト教情報第1551信:2020/10/12

= 目 次 =
▼中国でプロテスタント教会への迫害が激化
▼新回勅は「兄弟愛は真の連帯を築くもの」とパロリン枢機卿紹介
▼スペインは新型コロナ伝染率の高い都市教会に新制限適用
▼超正統派ユダヤ教組織とカトリック教会、クオモ知事を地裁に提訴
▼米長老教会がオンラインコミュニケーションのワークショップ
《メディア展望》
=カトリック新聞(10月11日)=http://www.cwjpn.com/cwjpn/
★教皇、新社会回勅を発表=「きょうだいの皆さん」互いを大切に良い世界を
★教皇フランシスコ=聖書について使徒的書簡=翻訳から新しく学ぶこと
★教皇庁教理省が書簡=「安楽死はいのちに対する犯罪」
★「船員司牧」創立100周年=「ステラ・マリス」に
★バチカン列聖省長官ベッチウ枢機卿が辞任、枢機卿職の職権も辞退

=KiriShin(10月11日)=http://www.kirishin.com
★社会的課題としての自殺 仕組み作りで防ぐ=奥田知志(抱樸理事長)×清水康之(ライフリンク代表)対談
★学術会議への人事介入めぐり明学大、映画関係者ら有志が声明
★「総動員伝道」50周年=紙での機関紙発行は最終号
★安楽死正当化できない=バチカン改めて強調
★2020年度テンプルトン賞はフランシス・コリンズ氏に

=クリスチャン新聞(10月11日)=http://クリスチャン新聞.com
★キリスト教会のコンテンツ集結=「聖書チャンネルBRIDGE」公開
★全国から寄贈キリスト教関連1500冊=「安曇野聖書図書館」8月開館
★中国 キリスト教の情報規制 さらに厳格化
★スペイン風邪忘れないで=戒能信生氏ら当時の教会対応を共同調査
★「ポストコロナの教会 その2~牧会学の視点から」坂野慧吉氏発題=「イエスと自分の傷の一体化が癒しに」=仙台バプテスト神学校 神学webサロン
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国際政治とコロナ空騒ぎ:飛耳長目(63)

 時々はっとする着眼点を示す田中宇氏。今回「国際政治劇として見るべきコロナ危機」(http://tanakanews.com/201011corona.htm)の前半には、私もまったく同感である。たしかに、あれほど感染が憂慮されるとマスコミが騒いでいたスエーデンやアフリカなんかよりも、先進国のほうがひどい体たらく、これはどうしたことか、当然裏がある、というわけだ。中共を貶めるつもりが、結果的にアメリカにしっぺ返しが、というあたりは面白い。

 ただ、感染者数は単純には拡大の指標にならないわけで、死者数は減ってきているが(まだ110万程度)、まあこの冬をどう乗り切るか、これが問題だ。

【続報】10/15:https://www.nikkei.com/theme/?dw=20012202&n_cid=NMAIL006_20201015_H;https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65017210V11C20A0000000/

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うん・どん・こん考

 今、以下を読み直している。河合潤『西暦536年の謎の大噴火と地球寒冷期の到来 』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年。この本は、表題以上に研究者たちの立ち振る舞いとか、研究手法への言及が多くて、それなりに読ませる。私にも思い当たることが多い。その中でいわく「研究とは地味なもので、ある程度頭が鈍くなければ、粘り強く継続できるものではありません」と(p.157)。

 そして思い出したのが、運・鈍・根、だった。私が大学一年時代、教養の英語読解を担当したのがなぜか文学部英文学科教授の田辺昌美先生だった。普通は教養部の語学教師がするのだが。ディケンズの『デビッド・カッパーフィールド』がテキストだったが、授業中時々妙なことを仰る人で、今でも覚えているのは、文字通りではないが、こんな調子だった。「君ら、川に橋が架かっているのはなぜだと思う。あれは人が渡りたいと願うから橋が架かるんだ」。まあ、逆転の発想とでもいうべきか。

 その彼のご自宅はたまたま私の実家の近くだった。一度だけ夕刻お邪魔したことがあった(そうなった子細は今は述べない)。すでに晩酌をかなり召されていた先生は、赤ら顔で、それがクセだったが目をつむり首を左右に振りながら「なあ豊田、研究者は運鈍根なんだ、知ってるかい」。18歳で知るわけはない。運が必要、鈍感でなければならない、根を詰める性格でないとだめ、というわけ。「お前の所の高山(一十先生:古代ギリシア史)、あれはかまぼこと呼ばれていたんだぞ」。板(机)に張り付いた肉塊、今風にいうとガリ勉という意味だったのだろう。その時思ったのは、自分は鈍ではあるが、もとより運はなし、性格的に軽佻浮薄で持続力もない、かまぼこなんて無理、こりゃだめだ、と。

 齢73にして思うのは、鈍ではあるし、尻軽も直っていないが、多少は運はあったようだし、年取ってきたらかまぼこみたいにパソコンの前に座っていて飽きないなあ、と。

 運で思い出すのは、津山の女子大で何かの時、学生の前で話す機会があったとき、これも英文の若手教師が「誰でも人生で大きなチャンスは3回はある、それを見逃したり、間違った道を選ぶと、それっきり。だから賢くあれ」と。なんだか職場朝礼での部長さんの訓辞めいていたけど、これもあとからなるほどなと。

カイロス(チャンスの神)には前髪しかない,それを掴め:後悔先に立たず
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