月: 2024年2月

老いを感じる帰省

 昨日まで1週間帰省していた。最初は妻のほうの墓参りと妹の見舞いのつもりだったが、施設でインフルエンザと新コロナが流行して面会禁止となったので、見舞いはなくなった。妻は中一日のとんぼ返り。

 2/22、ついでと言ってはなんだが、南区の税理士Mさんに2人分の確定申告の書類を持参、ついでにご近所の中華料理屋A亭に寄って昔ながらのチジミ麺のラーメンを食べようと思ったが、満員だったのでMさんの車でご近所の「ち○ら」にいく。ここのラーメンの麺はチジミではないが、広島駅新幹線待合室の奥の「広島ラーメン」と同じ味のように思えた。その後、電車で中区に向かう。

 妻の母系のY家が建てた八丁堀の○○寺でご住職に会えたのを幸い墓じまいをご相談、合葬は1人15万で埋葬者はお爺さんとお婆さん2人なので30万(50万で打ち止め)、義弟の未納管理費9万、石屋関係が30〜40万とかで、まあ100万。これを妻の妹と折半する。墓仕舞いは五月の木曜で妻とんぼ返りする段取りとなった。

 そのあと女学院前から広電で終点まで行き、我が家の菩提寺を訪れる。左横の花屋で3つ供花、寺では線香三つ購入。まずは我が家、そこからタクシーで寺町の妻の実家の報○坊へ。やっぱり寺前の花屋は閉まっていた。妻の家と親戚の向○家にはなぜか立派な供花が枯れていた。その後電車で古江まで電車に乗り買い物をして帰宅。

 翌23日、昼前に妻を送るべく広島駅に。西広島駅の北側はまだ工事を継続中。広島駅でいつものように、網代にいくが、どうしたものか握りの生きがよくなく落胆。もう行かないかも。妻を送って我が実家に帰宅。

 2/24午後にKに会うため己斐に行く。西広島駅に北口があったのを初めて知る。K邸は豪邸だった。そこで広島教区史がらみの情報交換をし、夕方西広島駅前の「ち○ら」でニシンうどん。その後帰宅。

 2/25、26と自宅でのんびりし(というか、疲れが)、27日に帰京するが、事前の予定通り我が大学図書館に寄る。夜のラテン語輪読会はE氏体調不良で休会。

 さて、こっからが本論。2/27、帰京の準備に入る。もっとも気を付けたのはやはり火事の件で、漏電に注意するべく冷蔵庫関係の電源以外は(といっても実際には一階の台所全体のようだが)ブレイカーを落としたのだが、折からの寒風で、ずっと大丈夫だろうかと気をもんだ帰り道だった。こういう心配性から解放されるためには、売却すればいいのだが・・・。

 そしてまた、今回の帰省以前からどうも胃の調子がおかしい。なんだかつかえた感じがする。普通に胃の不消化感で、まあこれが大事に至れば胃がんかなと。いわずもがなだが、年一年と老いが進んできている実感が。それもあって実家前の花壇の雑草取りも今回かなり手抜きとなった。それというのもちょっと作業しても息切れしてしまうという現実が。

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体が痛い

 昨日、かばんを背負い、手には数冊本を入れた袋を持って、四谷と往復した。

 今朝、案の定というか、だが個人的には新体験だったが、右手の二の腕が痛かった。

 両足がちょっと張っているのは、まあ外出した時いつものことだ。

 そして今日、パソコンの前に座っていたら、例のごとく不意打ちでめまいが。これが単独の症状なのかそれとも疲労と連動しているのか、これから検討するに値するだろう。

 あと、宅配ボックスにかなり重いものが届いたのだが(「どでか無香空間」詰め替え用6コ)、それを自分の部屋に運ぶのも一苦労だ。以前、小型台車の購入を検討したことあったが、これも本気で考えるべきか。

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太ももと関節の不具合が

 このところの寒さのせいなのだろうか、太ももがなぜか冷えることと、ふしぶしの関節、特に足関係の関節が固まったような感じで、否応なく老いを実感せざるをえない。

 変温動物のように、太ももが温まらないと動けない感覚と、風呂のバスタブに入るときも、足腰のしなやかさはないので、どしゃんと入るしかないのだから、どこで何がおこるかしれたものではない。

 これではまるで、シルバー川柳2022年入選作品にあった「冬の日の 一番風呂は 命がけ」である。

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英国映画「生きる Living」(2023年公開)をみた

 これが黒澤明の「生きる」(1952年公開)のリメイク版だということは知っていたが、全然雰囲気が違っていることにやたら感動した。2023年日本公開である。

 初っぱなの鉄道駅での列車待ちの場面から、空間の奥行やテンポがまったく違っていて、なるほど端正で紳士的でいかにもイギリスなのである(ある意味、英国における古き良き時代を意図的に描いたものだったのかもしれない)。この点、原作の日本のほうはなんとなく敗戦直後のアジア的混沌を感じさせているような気がする。

 しかし、作品の本質部分はちゃんと継承されていて、あとから脚本がカズオ・イシグロなのだということを知ってさもありなんと納得した。https://ikiru-living-movie.jp/

 私も齢76歳を越えていつお迎えが来ても不思議ではないので(認知症だけにはなりたくないので、リタイア後の健康診断は拒否しているので、余命宣告は不意打ちで来るだろうし)、去り際の美学として誰かのために何かしたいという欲はまだ残っているとしても、せいぜいわずかな自分の存在証明を残すことしかできないだろう。映画の幕切れのように、たとえそれがすぐさま忘れ去られるものであっても。

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