月: 2022年11月

これは面白い:「A4白紙は売りません」

 中国での白紙運動が報道されているが、素人の私にですらこの巧妙なやり方の裏に知恵者がいるのではと、つい深読みしたくなる。

 上海市の文具会社が、「最近、上海、北京、南京、武漢、成都、広州などでいわゆる『白紙革命』『白紙運動』が行われていることを強烈に非難する」と表明し、29日午前0時からA4の白紙の販売を停止すると声明を出したのだが、会社はHPでこれはニセ情報だと表明。しかしあの文面、検閲をかいくぐって、それとなく騒ぎの地域が広範だと衆知しているところが巧妙なのだ。https://mainichi.jp/articles/20221128/k00/00m/030/338000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20221129

 まさに「上に政策あれば、下に対策あり」(上有政策、下有対策)。そして天安門後にいわれ出した権力側の報復措置「秋後算賬」、これが今回も発動されるのだろうか。それと関連して、体制側が不平分子をあぶり出すために意図的にサクラにやらせている、という見立てもあるが、はたしてどうなのだろうか。

 私など、つい胡錦濤退席事件と彼の背後に控えている共青団の存在に想像が膨らんでしまうのだが。実際に関与しているのか、前記のようなあぶり出しへの誘い水なのか。今のところマスコミにそのような観測は出ていない。簡単に終熄するとみているのだろう。上記のブログで、例の情報通の興梠一郎氏もそう見ているようだが、はたしてそうだろうか、今後の推移が興味深い。

 ところで、中国情報として日本ではこれまでとりあえずまず取り上げられてきた「人民日報」であるが、最近「あれは中国では誰も読まない」という言説がちらほら聞こえてくるようになって、その公式発表の裏読み分析で名をなしてきた興梠氏なんかどう考えているのだろう。これも一般大衆の意志が直接あれでも情報統制の網をかいくぐってSNSなどで流出してきたからこそ分かりだした、まさしく現代的な新現象なのだろうか。

 また、昨日の「プライムニュース」でゲストが、中国の新コロナ封じ込め政策(ゼロコロナ)からの転換ができないのは、それにつらなって膨大な利権で潤っている層がやめさせないという事情もある、といった発言もあった。逆にそれに対して腹立てている層もいるようだ。以下参照、https://digital.asahi.com/articles/ASQCC625PQCBUHBI042.html?pn=4&unlock=1#continuehere

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世界キリスト教情報第1662信:2022/11/28:ヴァティカンにとっての中国問題

≪ 目 次 ≫
▽バチカンが中国の司教任命に「遺憾の意」、暫定合意違反と苦言
▽香港裁判所、政府への抗議活動の参加者支援の陳日君枢機卿など6人に有罪判決
▽教皇の膝のけが、スペインのサッカーチーム医師が治療
▽アフガン=公共の場でむち打ち刑執行、タリバンが最高裁に進言
▽ウクライナ保安局がロシアの「破壊工作」の拠点阻止へキーウの修道院捜索
▽米上院選決選投票で中絶反対派候補に「中絶強要」疑惑
▽南スーダンに聖公会大学が開校

今回は、中国関係の最初の2つを紹介する。

◎バチカンが中国の司教任命に「遺憾の意」、暫定合意違反と苦言
【CJC】ローマ教皇庁(バチカン)は11月26日、中国でバチカンの認めていない司教が任命されたことに、「驚きと遺憾の意」を表明した。バチカンと中国が2018年に締結した暫定合意違反と主張している。ローマ発AFP=時事通信が報じた。

 バチカンは声明で、中国江西省南昌市で11月24日、同省教区補佐司教の「任命式」が執り行われたと指摘、「対話の精神や、司教任命に関する暫定合意に反している」と苦言を呈した。

 また、司教任命の背景に地元当局の政治圧力があったとの見方を示し、「このようなことが繰り返されないよう望む」と指摘した。□

─────────────
◎香港裁判所、政府への抗議活動の参加者支援の陳日君枢機卿など6人に有罪判決
【CJC】香港の裁判所は11月25日、3年前の政府に対する抗議活動参加者を支援してきたカトリック香港教区の元司教、陳日君枢機卿(90)を含む6人に対し、条例違反の罪で有罪判決を言い渡し、罰金の支払いを命じた。NHKが26日早朝、「NEWS WEB」で報じた。

 この裁判は、陳枢機卿や人気歌手のデニス・ホー氏など6人が、3年前の政府に対する抗議活動に参加して逮捕されたりけがをしたりした人を支援するための基金を政府に届け出ずに運営したとして「社団条例」違反の罪に問われたもの。

 被告は全員、無罪を主張してきたが、裁判所は、基金には政治目的があり、届け出が必要だったとして6人に有罪判決を言い渡し、最高で4000香港ドル、日本円で7万円余りの罰金の支払いを命じた。

 陳枢機卿は、刑務所や拘置所を訪問して収監されている活動家たちを激励するなど、長年にわたり民主派を支持してきたことで知られ、ことし5月に逮捕された際には米政府などから中国や香港政府を非難する声が上がった。□
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世界キリスト教情報第1661信:2022/11/21:米最高裁情報漏れる

≪ 目 次 ≫
▽教皇、19、20の両日、イタリア北部アスティを訪問
▽教皇、バチカン広報省関係者と出会い
▽韓国映画「誕生」に「千万観客を祈る」と教皇
▽トルコがシリア北部を空爆、爆弾テロ事件の報復か
▽米最高裁で2014にもリークか=ニューヨ-ク・タイムズ紙

 今回は最後の記事を紹介する。秘密漏洩もぼろぼろあるのが米国、というわけである。

◎米最高裁で2014にもリークか=ニューヨ-ク・タイムズ紙
【CJC】ワシントン発ロイター通信によると、米紙ニューヨ-ク・タイムズ(NYT)は11月19日、中絶反対運動の元指導者が、避妊を巡る2014年の米連邦最高裁判決について事前に知らされていたと報じた。最高裁は人工妊娠中絶を巡る今年の判決でも草稿の漏えいが問題になっており、調査を求める声が上がっている。

 キリスト教福音派の非営利団体を率いていたシェンク牧師が、団体の大口献金者が最高裁のアリート判事宅で同夫妻と夕食を共にした後間もなく、避妊と宗教上の権利に関する裁判の結果を知ったと明かした。判決が公表される数週間前だった、とNYT。

 アリート判事は同裁判だけでなく、女性に中絶の権利を認めた「ロー対ウェイド判決」を覆す今年の判決でも多数派意見を執筆した。いずれの判決も宗教右派が勝利する内容だった。

 アリート判事は声明で、自身もしくは妻が14年の判決をリークしたとの主張は「完全な誤りだ」と述べた。

 議会上院のダービン司法委員長(民主党)は、委員会が疑惑を検証しているとした上で、最高裁に倫理規定を設ける法案可決を促した。□

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NHK Eテレ:「ポンペイの起源」放映に寄せて

 2022/11/19 午後7時から「地球ドラマチック」で、44分間「ポンペイの起源:もうひとつの埋もれた歴史」が放映された。

 ポンペイ前史を要領よくまとめた2022年フランス制作のもの。内容的にはちょっと引っかかる所もあるが(水の供給をAugustusの水道橋としている箇所とか)、ポンペイが多様な民族によって形成された前史を持っていた、という件はおおむねきちんと報告されていたと思う。

 私的には、番組の中でちょっとだけ触れていた、港の問題とか、昔は北側をサルノ川が流れていたとかいったあたりをもっと丁寧に検証してやってほしかったのだが(いずれもこの春の学会で私が試論的に発表した論点がらみ)、44分間ではしょうがないか。

 現在、以下で、11/26午後7:44まで「NHK+」での見逃し配信があって見ることできる。https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2022111920171

 残念なのは、なぜか画像をスクリーンショットできないこと。なんでや。iPhoneで撮るしかないか。

【追記】しょうがないから、見逃しがある間にと慌てて調べて(実はiPhoneのホルダーも購入してしまった)「CleverGet」というソフトを購入して録画に成功した。これは色んなところのストリーミング動画をダウンロードすることできる、という触れ込みなのだが、3本まではお試しできて、それで納得した私は「動画」と「NHK Plus」だけ選んだので、永久使用料が1件ごとに9870円かかるところ、50%引きで、消費税込みで10858円かかった。自分の心覚えだけにしか使わないのだから、それでも物入りなことだ。

【追記2】上記放映について、ほとんど日本唯一のポンペイ考古学者のS氏からは以下のようなコメントが届いた。

 「門が8つありそのうち7つが見つかっている」,「小さな町を取り囲む城壁があった」,「前6世紀から既にフォルムを貫く直線的幹線道路が敷設されていた」等々,突っ込みどころが満載でしたが,中でも問題だと思ったのは,ご指摘にもある「ポンペイ城壁北部を流れる川」に触れた箇所でした」。

 我々は画像を見て解説聞くのに忙しいのだが、やっぱり専門家はめざとく問題点に気付いている、その注意力はさすがである。

 たしかにこの作品の内容は、えっと思うほど学問的に古い知見が多かった(映像も使い回しの繰り返しが多かった)。2022年制作となっているのに何故か。それは登場した研究者が本当の専門家でないのでそうだった場合と、ディレクターが事前調査した内容的に古い情報(一般向けの経年書籍はおおむねそう)を骨格にしてシナリオを書き、それを解説部分で音声で流し、研究者が色々喋った内容から自己都合に合致する箇所だけ抜き出した場合もあるからだ。本当は専門の研究者たちへの取材を重ねて最新情報を盛り込むべきなのだが、経費問題とか起案書作成とかで手軽な方に走ってしまう事情があるのだろう。底の浅さが透けてみえるのだが、しかしそれがむしろ一般的な視聴者には受けはいいのも事実で(だから視聴率も上がるし、まあそれが商売人ディレクターの本領発揮というわけだろうが)、肩が凝らずに見ることできるからだろう。

 その点、2022/9/15掲載したNHK BS4K プレミアム「最強の帝国ローマ」の出来は出色だった(古色蒼然たるテーマ名はどうせなんたら女史かぶれの日本人ディレクターの命名なのだろうから無視)。また、国際共同制作と銘打った2019年フランス製作の「よみがえるポンペイ」(NHKオンデマンド)もよかった。もちろんこういう力作を高く評価する視聴者も多いはずだ。最後のものを私は上のソフトで録画に成功した。1時間半近くの長丁場だったが。

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アウグストゥスの家系をめぐって

 読書会での準備で調べ出したアウグストゥスの出自・家系問題だったが、アウグストゥスについての後世の評価が実像より高くなってしまったせいか、あまり触れられることのないテーマのようなので、ここに知りえたことをまとめて、過大評価を排して、彼の実像らしきものを探る手立てとしたい。

[アウグストゥスの家系問題]:誇るべき祖先を持っていなかった(以下の情報は、スエトニウス『皇帝伝』「アウグストゥス」1-3に依拠:これにはスエトニウス叙述の信憑性問題が絡むが、別件での調査から、こういった内容に関して私は信頼できると考えている)

 ・オクタウィウス氏Octavia gens はネミ湖の東南Velletriの地方名士で、王政時代元老院に抜擢され、平民から貴族に移籍されたが、時を経て自ら平民となった(いかにも嘘くさい)。この氏は2系列に分かれ、一方は元老院身分だったが、オクタウィアヌスが属する方は彼の父の代まで騎士身分であった。

 ・アウグストゥス自身は「由緒ある騎士身分の資産家に生まれ、自分の家系で元老院議員となったのは父が最初であった」としか記していない。

 ・のちの政敵のマルクス・アントニウスは「彼の曾祖父は解放奴隷で」「Thurii(半島南端)出身の綱作り職人で、祖父は両替屋であった」とけなし、彼を幼称のThuriusと呼んで憚らず、のみならず母方についても「曾祖父はアフリカの土着民で、Aricia(ネミ湖とアルバノ湖の中間)でときに香油屋を営み、ときにパン屋をしていた」とくさしている。

                      Aricia ↑      ↑ Velletri          ↑ Thurii

 ・別情報でも「父は両替商であった」とか「選挙のとき、候補者に雇われて選挙区民に賄賂を配る下働きの一人だった」と言われていた、などなど。

 要するに、父ガイウス・オクタウィウスがカエサルの姪アティアと結婚したので、表舞台に登場できる道筋が敷設されたわけのようだ。         

 というわけで、次により詳細にOctavia gens の系図を調べ出したのだが、ようやくそれがだいたい完成した段階で、以下のウィキペディアで明快に図示されていることが判明 (^_^; 。 やれやれ、とんだくたびれもうけだった。https://en.wikipedia.org/wiki/Template:Family_tree_of_the_Octavii_Rufi

 王政時代のうさんくさい伝説的な系図話はさておき、さかのぼり知られる最古の祖先グナエウス・オクタウィウス・ルフスは財務官=元老院身分有資格者で(前230年頃)、長男系は、法務官、執政官等を輩出して元老院身分としてそれなりの位置を占めていたが(カエサル時に平民から貴族に昇格)、次男ガイウス・オクタウィウス系はずっと騎士身分に属し、アウグストゥスの父がようやく法務官格でマケドニア属州総督、即ち元老院身分に登り詰めることができた「新人」家系だった。後日談としてその息子ガイウス・オクタウィウス(前64年生まれ:彼は生涯自分から「オクタウィアヌス」と称したことはなかった、らしい)が、さしたる政務官経歴もないのに、元老院から元老院議員とされたのは前43年、19歳の時のことだった。

 彼を養子に抜擢したガイウス・ユリウス・カエサルの家系については、以下のウィキペディアをご参照のこと。https://en.wikipedia.org/wiki/Julii_Caesares(より詳しくは、https://en.wikipedia.org/wiki/Julio-Claudian_family_tree)

  

【成人してからも、実際に毀誉褒貶相半ばする評価】これも、スエトニウス『ローマ皇帝伝』「アウグストゥス」に依拠

  16:シケリア海戦で、戦いが始まろうとしていたとき、突然アウグストゥスは猛烈な睡魔に襲われ、その結果、幕僚に呼び起こされて初めて戦闘開始の号令を下したほどである。これがアントニウスに意地悪い非難の材料を与えたものと、私には思われる。「奴は戦列を整えた敵の艦隊をまともに正視できず、仰向けにのけぞり、空を睨んだまま、この阿呆は眠りこけてしまい、とうとうマルクス・アグリッパが敵の艦隊を潰走させてしまうまで、目を覚まさなかったし、兵たちから見える所までやってこなかった。

  68:アウグストゥスは若い頃から早々と、いろいろの不行跡をめぐる世間の悪評に耐えた。ポンペイウスは彼の柔弱を嘲り、アントニウスは「大叔父カエサルとの汚らわしい関係で養子縁組をせしめた」とののしり、同じくアントニウスの弟ルキウスも「カエサルに童貞を奪われ、ヒスパニアでも、ヒルティウスにすら30万セステルティウス[約1億円]で操を売った。そしていっそう柔らかい毛を生やしたいため、いつもすねをまっ赤に焼いた胡桃で焦がしていた」と。

  89:アウグストゥスがせっせと間男をしたことは、友人といえども否定していない。・・・アントニウスは・・・(あれこれ中傷したあげく)・・・まだはっきり敵でなかった頃に、次のようなあけすけな手紙を書いた。「何がそなたの考えを変えたのか。私が女王クレオパトラとねてるためか。彼女は私の妻だ。今に始まったことではない。9年も前からではないか。そしたらそなたはリウィアとだけねているのか。この手紙を読むころ、テルトゥラとねていなければ結構なことだ。それともテレンティラとか、サルウィア・ティティセニアか、いやそいつらみんなと一緒にねているかな。しかるに、そなたならば、どこでどの女に対して勃起させようと問題にはならんのかね」

  71:奔放な情欲に関する非難は彼にしがみついて離れなかった。伝えるところによると、後年になっても処女を辱める方をいっそう好み、そのような女があらゆる所から妻リウィアによってすら探され提供されたという。

    賭事はいろいろ取り沙汰されても、アウグストゥスは決して尻ごみしなかった。・・・「私は私の名儀で2万セステルティウス[640万円]失った」。・・・「そなたに250デナリウス[32万5千円]送ります。これは饗宴の席で・・・賭をしようと思ったら、一人一人に私が与えていたかもしれない金額です」

 病弱で肝心の時腑抜けであった彼がまだ10代に、なぜ大叔父カエサルが遺言書で養子に指名していたのか(本人はそれを知らなかったらしい)は論議の的である(スエトニウス、8参照:直系男系として、ローマで散々叩かれた「愛人」クレオパトラ7世との間に前47年生まれのCaesarionがいたが、それは論外にしても)。

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狩猟採取時代は平和だったか

 みんなも薄々は感づいていただろうが、日本の考古学者たちが当然のことのように主張してきていた仮説に対して、政治評論家?の杉山大志がベトーを提示したもの。詳しくは2022/11/17発信の以下のブログをお読み下さい。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72735?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top

 人類に戦争が生じだしたのは、農耕牧畜で収穫物の蓄財が可能となった(だから他集団を襲って、手っ取り早く強奪することも可能となった)、日本で言うと弥生時代以降で、それ以前の縄文時代までは、戦争などなかった、とする見解。まあマルクス主義的進化論やメルヘンチックで牧歌的な古代賛美がそこに通底していて、もともとは西欧の研究者が唱えていたが、あちらではすでに放棄されていた。

 武装した集団同士が交戦するのが戦争なので、そういった装備もなかった時代での私闘を戦争と呼べるのか、といった定義レベルでの逃げもあるが、殺人そのものは人類発生以来の習い性だったからには、まあ荒唐無稽といってよいだろう。

 こういう問題は、データが少ない時にはもっともらしく聞こえるが、証拠が出てくると当然のようにくずれていく。古代史においても他山の石として気をつけないといけないと思う。

 私には、縄文時代には気温が今より2 〜3度高かったので、北海道や東北も豊かだったという話の方に惹かれてしまう。

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世界キリスト教情報第1660信:2022/11/14:フランス教会の不祥事

≪ 目 次 ≫
▽教皇、ウクライナのシェウチュク首座大司教とバチカンで会談
▽「貧しい人のための祈願日」、教皇「闇に希望の光を灯し、福音の証しを」
▽仏カトリック教会、司教の性加害疑惑を公表=うち1人は現枢機卿
▽世界ルーテル連盟(LWF)第13回総会、来年9月にポーランドで
▽世界教会協議会(WCC)、信仰職制委ディレクターにジェフティク氏
▽尹大統領 雑踏事故受け宗教界の長老と相次ぎ面会

今回は3番目を紹介する。

◎仏カトリック教会、司教の性加害疑惑を公表=うち1人は現枢機卿
【CJC】フランス司教協議会は11月7日、過去に性加害に及んだり、虐待事件の報告を怠ったりした疑いが持たれている同国の現・元司教が11人に上ることを明らかにした。うち1人は現枢機卿で、30年以上前に未成年者を暴行したと告白したという。AFP=時事通信が報じた。

 11人はいずれも、刑事訴追や教会による懲戒処分の対象となる。元司教6人はすでに仏当局や教会の司法機関により訴追されており、うち1人はその後死亡したという。

 司教協議会の会長を務める北東部ランスのエリック・ドムーランボーフォール大司教は記者会見で、長年にわたりボルドーの司教を務めたジャンピエール・リカール枢機卿(78)の書簡を公表した。リカール枢機卿はその中で「私は司祭だった35年前、14歳の少女に対し非難されるべき行動をとった」と認めた。□

 全フランスでこれは氷山に一角にすぎないであろう。
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図書館でのコピー制限で、困った

 昨日は、イエズス会日本管区に部屋を借りての読書会が18時からあったので、午後登学し、図書館で論文をコピーしようと、2階のパソコン室に行ったのだが、どうしたものかなんど挑戦してもコピーができない! 何か間違っているのだろうか、私がぼけたのだろうか、となんども繰り返して悪戦苦闘したけど、時間が来たので諦めてパソコンを終了し始めたら、そこで、「あなたは規定枚数のコピーを使い切っているので、一日30ページしかコピーできません」という表示が裏に隠れていたことにようやく気付いた。4本コピーしようとしたのだが、たまたま30ページをわずかに越えた論文がまず2つあって、それがネックとなっていたようだ。

 夏休み以前に年間700枚だっけの規定枚数を消化してしまっていたことを忘れ果てていたのだから、やっぱり私の問題だった。こうして原因が分かっただけで由としたいところだが、こんなことで論文をコピーできないと研究に差し障りが生じるのだが・・・。逆にいうと、退職教員にも年間700枚無料でコピーさせてくれるのは非常に有難い恩恵であるには違いない。その枚数を年間半ばにして消費してしまったのは、学会発表のため理系の論文をやたらコピーしたあとに、ケンブリッジ大学出版局の本を丸々一冊印刷してしまったのが原因なのだから、これもまあ自業自得である。

 しかし、30枚未満だったら毎日通えばコピーできるわけだが、30枚越えている論文ではそれもできない。今回の場合は、1つを掲載した雑誌が中世思想研に入っているようなので今度行こうと思うが、今度は研究所が開いている日や時間でないといけないし、後の2本も有料でpdf送ってくれるサービスもないみたいなので、とりあえずお手上げである。困ったものだ。

 但し、読むべき論文は他にも山ほどあるのだが、どうやら私はコピーして手元に置いておかないと安心できない性格のようで、ない物ねだりでストレスになってしまうのだ。困ったものだ。

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トスカーナの温泉跡から青銅像24体その他出土

 在伊の藤井慈子さんから速攻で情報が届いた。以下の叙述はhttp://www.thehistoryblog.com/による。

 こういう遺物ははたして、冥界に通じる聖なる温泉・鉱泉に奉献されたものか、それともキリスト教勢力によって忌むべき異教の聖泉をつぶすべく廃棄されたものか、判断がむつかしい。発掘者たちは立像等の破損がわずかなので、前者とみているようだが、どうだろう。上からの命令でしかたなく地元民が形だけ埋め立て、それへの信仰はその後も絶えることなく継続された、少なくともしばらくは、と考えたいところだ。実際には、うまく立ち回って、キリスト教の聖人がらみの聖泉だとでっち上げて生き残った聖所もあるのだし。

 生真面目に伝統信仰に固執するのではなく、新興勢力を受け入れて、キリスト教の祠をぶっ立てるなり、聖母顕現の噂を振り撒けば生き残れたかもしれないのだ。なにしろ聖地は移動せず、なのだから(ケルト世界のフランスの例だが、以下参照:https://www.koji007.tokyo/wp-admin/post.php?post=632&action=edit)。

 そもそもオルビエトやビテルボ付近は火山地帯なので、温泉・鉱泉が多く存在している。私も滞伊の長い邦人の方に連れて行ってもらい、下着で入浴したことがある。そばに遺跡があったりして野趣にあふれるものや、プールなどちゃんと色んな設備が整ったテルメだったり、得がたい体験だった。もっとも後者では、浴後に体を流す冷水かと思ったシャワーが、そのまんまの熱水だったのには不意打ちでビックリしたことあるが。お気をつけください。

イタリア最大の古代青銅器群が聖なる浴場から発見される    2022年11月8日

場所は、フィレンツェとローマの中間のようだ

 シエナ近郊のサン・カッチャーノ・デイ・バニSAN CASCIANO DEI BAGNIにある古代の神聖な浴場の発掘調査で、極めて状態の良い24体のブロンズ像群が発見されました。紀元前2世紀から紀元1世紀にかけてのもので、古代イタリアで発見されたブロンズ像の収蔵品としては最大級。これは、1972年にRiace海岸で発見された紀元前5世紀のブロンズ像に匹敵するほど重要な発見だと、マッシモ・オザンナ美術館総監督官は述べている。

 サン・カッチャーノ・デイ・バニーニの温泉と鉱泉は、ヒギア(健康の女神)、アポロン(治癒と病気の神)、アスクレピオス(健康の神)といった医術に長けた神々の介入により、あらゆる病気や状態を治癒すると信じられていた。信心深い人々は、温泉に入ることで、神々と直接触れ合うことができると信じていた。余裕のある人々は、体の不調を表すブロンズやテラコッタの置物や、聖域の公式造幣局で鋳造されたピカピカのコインをお供えしていったのです。すでに6,000枚以上の硬貨が発見されている。

 少なくとも紀元前3世紀には、エトルリア人がこの地に最初の聖域を建設し、1世紀初頭にはローマ人によってより大きな複合施設に拡張された。紀元5世紀には閉鎖され、この浴槽は倒壊した柱で塞がれた。しかし、代々の礼拝者が残した神々の肖像や奉納品の数々は、そのまま残された。

 2019年に聖域の発掘が始まって以来、考古学者たちは、治癒を求める請願者が聖地に残した身体の一部(子宮、ペニス、腕、脚、耳)の形をした例の奉納物を数多く発見している。10月の最初の数週間には、より大きな全身像が池から現れました。熱く濁った池は金属を保存し、多くの像が無傷で残った。大きな像の中には、腕に蛇を巻き付けたヒギエイアの像、アポロの裸体像、髷を結った若者の像などがあります。

 ブロンズ像のほとんどは古代に破壊され、再利用のために溶かされていたため、20数点の発見は非常に重要である。また、エトルリアの影響力の衰退とローマの支配の間の変遷を示すユニークな記録でもある。エトルリア人は、ローマとの戦い(軍事、政治、文化の対立)に敗れた他のイタリヤ民族と同様に、ローマ文化を同化し、ローマの生活様式を取り入れたのである。これらの彫像は、そのデザイン様式と、ブロンズ像に刻まれたラテン語とエトルリア語の碑文が、この過渡期を物語っているのです。碑文には、ペルージャのヴェリンナ家Velimnaやシエナ郊外のマークニ家Marcniなど、エトルリアの有力者が聖なる池に彫像を奉納したことが記されている。

 サン・カッチャーノの町は、このユニークな聖域に大きな計画を立てている。この聖域は考古学公園として整備され、池を見下ろす16世紀の宮殿は、この地から出土した何千もの考古学上の宝物を展示する博物館となる予定である。

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ポンペイにおける親ローマ派プロパガンダと、地元民の反骨精神のせめぎ合い:アエネアス神話をめぐって

 某講演会の準備をしていて見つけた論点です。欧米ではすでに指摘されてますが、銘文とフレスコ画、落書きを関連的に扱った内容は、本邦ではたぶん初演かと(違う!というご指摘お待ちしてます:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp)。以下、その時のレジメ改訂拡大版を掲載します。

 複雑な前史を持つポンペイは、前1世紀にローマの勢力圏に組込まれ、ローマからかなりの植民を受け入れたことで(一説に4000名と)、住民の中で対ローマに関して微妙な感情のズレが生じていたようで、それが通りに面した表側での皇帝家顕彰と、民家の室内で密かで露骨なパロディー描写の併存というねじれ現象となったのでしょう。

ローマ建国神話の系統図

 女神ウェヌス[アフロディテ]とトロイア貴族アンキセスの間に誕生した英雄アエネアスが都市ローマの始祖で[彼の息子IulusがAlba Longaを創建:イウルス死後、異母弟Silviusが王位を継ぎ、その17代後がRomulusとRemus]、同時にユリウス家(Iulius Caesar, その相続人Octavianus= Augustus)の祖神に位置づけることで、皇帝権の正統性を喧伝していた。

(1)帝都ローマにおけるアウグストゥス家プロパガンダ

 ① Foro Romano北側の「アウグストゥスの広場」Foro di Augusto(アウグストゥスの自弁で建設し、前2年に落成式)

 ② 顕彰記念祭壇「アウグストゥスの平和の祭壇」Ara Pacis Augusti(前9年に元老院奉献)の正面左右の浮彫

左、色彩復元図             ;右、正面図像解説
左上段:マルス神、雌狼とロムルスとレムス;右上段:犠牲を捧げるアエネアス(ないし第二代王ヌマ)

(2) Pompeiiでの皇帝家顕彰の公的建築群

① Forum東南隅、Edificio di Eumachia(VII.9.1)の正門(G)北エクセドラ

  Forum東側の「ウェスパシアヌス神殿」は以前は「アウグストゥス神殿」で、歴代皇帝のゲニウス(守護神)に順次捧げられてきた神殿だった。そして「エウマキアの建造物」は帝都ローマの、アウグストゥスの妻の「リウィアの柱廊」を真似ていたと考えられている。要するにこの界隈はあからさまに皇帝一族顕彰公共建造物地帯だったわけである。

左、 Forum     ⬆  ;右、 H: アエネアス像  J:ロムルス像 
⬆ H       ⬆ J          ;右、⬆  Jの復元碑文

ニッチJの碑文(CIL X 809):Romulus Martis / [f]ilius urbem Romam / [condi]dit et regnavit annos / duodequadraginta isque / primus dux duce hostium / Acrone rege Caeninensium / interfecto spolia opi[ma] / Iovi Feretrio consecra[vit] / receptusque in deoru[m] / numerum Quirinu[s] / appellatu[s est]

「マルス神の子ロムルスは、首都ローマを建設し、38年間統治した。彼は敵の将軍カエニネンセス人の王Acroを殺害し、敵の戦利品をJupiter Feretriusに捧げた最初の将軍だった。そして、神々の中に迎え入れられ、クイリヌスQuirinusと呼ばれた」

② アエネアス一族のトロイア脱出図像

左、Iulus, Aeneas, Anchises;中、背後の女性は母Venus女神;右、Anchises捧持神像はPenates

(テラコッタ製:Pompeii,VII.2.16);(大理石製:Aphrodisias出土);(描画: 16世紀半ば)

(3)Pompeii, IX.13.5:Casa dei M.Fabius Ululitremulus

左、1913年発掘当時の写真;右、1961年の写真:フレスコ画は既にほとんど剥落
左、中央出入口(未発掘)の左右の壁にフレスコ画;中、Romulus図像;右、Aeneas一族のトロイア脱出図

  -1:出入口の左側の絵の下に選挙推薦文:CIL IV 7963

   C(aium)  Cuspium  Pansam  et / L(ucium)  Popidium  L(uci)  f(ilium)  Secundum  aed(iles)  o(ro)  v(os)  f(aciatis) / Fabius  Ululitremulus  cum  Sul(l)a  rog(at) 

  「Gaius Cuspius PansaとLucius Popidius Secundus, Luciusの息子を、造営官にするよう皆様方に懇願する。Fabius UlulitremulusがSullaと共に推薦する」

  -2:出入口の右側の絵の下に落書き:CIL IV 913

   Fullones ululamque cano non arma virumq(ue) 

  「洗濯屋どもと一羽のふくろうを、私は歌う;戦いと英雄ではなく」

  元歌:Vergilius, Aeneis, I.1:arma virumque cano 「戦いとひとりの英雄を、私は歌う」

  解釈:この家の主人が、その時代にローマ皇室が大々的に宣伝していたプロパガンダに追従してわざわざ玄関の外壁に麗々しく描いているのを見て、反骨精神旺盛な根っからのポンペイ住民が、明らかにアイロニカルな意図で書きつけた落書き。なお、この家の主人の洗濯・縮絨業者Ululitremulusの名前と、洗濯・縮絨業者の守り神のミネルウァ女神の聖鳥が「ふくろう」ululaをかけた言葉遊び。また、フォルムの壮麗な建築物を奉献したエウマキアも洗濯・縮絨業者だったこととも関連していたのだろう。

 [参考図版]Pompeii, VI.8.20「L.ウェラニウス・ヒュプサエウスの洗濯・縮絨工房」Fullonica di L.Veranius Hypsaeus 出土の角柱に描かれたフレスコ画。正面上段に、布を脱色するため籐製のかごの中で硫黄を焚く段取の絵に聖鳥のふくろうが描かれている。現在は国立ナポリ考古学博物館所蔵。このフレスコ画についていずれ多少論じたいと思っている。そのキモは、この下段のフレスコ画なので、先のない身でもあり、おまけついでに併せてアップしておこう。

右が復元図版:足で踏んだりして縮絨ないし洗濯している場面だが、描かれた作業従事者(奴隷)4名中なんと幼そうな子供が3名を占めている。これに注目しないでどうする!

(4)アエネアス一族を皮肉って笑い飛ばすフレスコ画:Pompeii, VI.17 Insula Occidentalis, Diego Cuomo所有農地masseriaの遺跡の室内から1760年出土(スタビアエ出土としている叙述があるのは、以下の【ポンペイ小史】末尾参照)

左、アエネアス一族の脱出   ;右、その修復図(部分的に不正確)
ロムルスの凱旋:背中にトロパイオン等を背負っているのだろうし、像の前後に文字らしき痕跡も見えるが、いずれも不明瞭

「脱出」フレスコ画での露骨な二つのパロディー:

  •  巨大男根をぶら下げた犬頭猿人chynocephalus(頭が犬、体が猿、足は人間):それが、自制心のない非理性的存在をイメージすると同時に、「犬」(canis) からの連想で、ウェルギリウス『アエネーイス』冒頭の一句「私は歌う」(cano)から「汝は歌う」(canis) の、かなり高度な駄洒落ともなっている。ちなみに、カエサルもアウグストゥスも、同性愛を含む性的不行跡については民衆の揶揄の対象だった(スエトニウス『ローマ皇帝伝』(上),岩波文庫:Suetonius, De Vita Caesarum, I.49-52;II, 65-71) 。
  •  父アンキセスは、頭にヴェールをかぶり(礼拝時の所作か)、家の守護神像の代わりにサイコロを振る箱を持っている:賭博好きなアウグストゥスへの皮肉(Suetonius, De Vita Caesarum, II, 71.2-4)であると同時に、賭け事で高い賽の目「アタリ」をVenus(ユリウス家の祖神)といい、低目「スカ」をcanisと称していた、とも。

通説によるポンペイ拡張図(異説あり)

赤、サムニウム時代の街;青、前4世紀の最初の拡張;緑、二度目の拡張;黄、前89年以降のローマ帝国による拡張
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