月: 2019年4月

母の日と入浴と:痴呆への一里塚(8)

 母が逝って、5月11日で3か月になる。最初の1,2か月は諸手続きで目が回る忙しさだった。その後はとりあえず時間が元に戻った感じがしている。そして、今年から「母の日」の花のプレゼント先は妻になる。なに、これまで頼んでいた宅配の花屋さんから例年通りカタログが送られてきたからだけのことなのだが。

 留守中に花届かないよねとちょっと気になっていたところで、今日、M新聞のウェブ記事が飛び込んできた。「医療プレミア」の「理由を探る認知症ケア」シリーズでの「家に帰りたいは単なる帰宅願望ではなかった!?」がそれ(有料購読です)。これは私も体験したことだが、「帰りたい」という言葉の内実に迫る読み込みが必要だというのが記事の趣旨ではあるが、「家に帰って○○をしたい」は各人各様であろう。 

 私の母の場合は、施設に入る前は、広島につれて帰ると嬉々として草むしりをし、近所を散歩と称して15分程度歩くのが常だった。「帰りたい」の内容はまあその程度のことだったのだが、施設に入ってからは、新たなルールを強制されて、気ままに生活できない窮屈さが主となっていたように思う。もう一人で日常生活できないのだから、これは我慢してもらうほかない、というのが家族の偽らざる心情だった。

 足を骨折して認知症が進んでからはベッドに寝たきりのような状態になり、言う回数は減ってきたが、それでも帰りたがった。どこへといっても、練馬ではなくて広島だったのだろう。

 そのシリーズの過去記事が気になってちょっと見てみると「お風呂には入りません:拒否行動の真の理由は」というのもあった。そこに書かれていた事例とは異なってはいるが、これも私が体験したことだった。「お母さんの頭がくさい、洗ってないようだ」、そう妻が言い出した。そういえば、風呂に入るように進めると、すぐにでてきて「中にはいってないので綺麗だから、入ってね」と必ず一言言うようになっていた。それを聞いて私はバスタブに入っていないと理解し、「そんなこと気にしないで、ゆっくり入ってよ」と若干とがって返事していた。毎日そんなことが続いていた。

 母とはいえ「オレが一緒に入るのは憚るから、一緒に入って面倒みてやってくれ」と私は妻にいった。それで妻は、母が脱衣場に入ると、一緒に入って面倒みようとして誘うのだが、母はあれこれ30分もぐずぐずして一向に風呂に入ろうとはしない。妻がいなくなると「入った」といってすぐに出てくる。この一連の行動をどう解釈すればいいのか、私にはわからなかった。手に余って当時通っていたデイケアのケア・マネージャさんに相談したら、通っている施設のほうで週一で入れてくださることとなった。

あるところでこの件を話したら、介護経験のある人たちから、「昔の女は最初にお風呂に入るというのはなかったから、遠慮してたのですよ」とあっさりいわれてしまった。そうだったのかもしれない。だったら私なんかが先に入ればよかったのだろうか(追い焚きできるので、入浴は外出前が普通になっていて、夜フロに入る習慣がなくなっている、という現実がある)。でもいずれ、自分で風呂に入って体を洗うこともできなくなる、しなくなる(たぶん面倒になるのだろうか)のかもしれない。さて、私の場合はどうなるのだろう。どこに帰りたがるのだろう。

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投票行為の裏側:「民主主義」なる建て前の内実:飛耳長目(9)

 今回は観光目的であるが、渡伊が目前となって、思いだしたことがある。それは民主主義における有権者の義務(の裏打ち)である。

 今を去る30年も前だっただろうか、ローマでよくお世話になっていたN氏の家にお邪魔したとき「ちょっと、ご一緒にどうですか」と、連れて行かれたのは、ご近所の選挙の投票所だった。そこで彼はやおら小さな身分証明書のような、小学生の夏休みのラジオ体操のハンコ帖みたいな升目がついている、ちょってくたびれた紙状のカードを取り出して、私を残して投票箱のほうに向かった。N氏がその時、「これにハンコを押してもらうと、あとあと色々のとき有効なのです」といわれて、なるほど公務員の採用試験の時なんかにちゃんと投票してますという身分証明になって、それなりに考慮される仕組みがあるらしいことを知った。こういう体験は、博識の専門家はともかくも、あちらで投票権ない一時滞在者には分からない面だったので、貴重だった。

 その時はそれ以上聞くこともなく「これがイタリアの投票行為か」くらいで終わったのだが、あとからふと思いついたことがあった。それは、有資格の市民がちゃんとその責任を果たしての民主主義なのだ、ということだ。そういえば、当時イタリアの投票率は驚くべきことに90%近くもあって(徐々に下がって今や7割あたりのようだが:ただしEU議員選挙の方はもっと低くて5割程度)、どこかの国と比べると格段に高い。あの自己中のイタリア人がどうしてと不思議に思っていたのだが、その裏打ちとして実はかの地は義務投票制だったのである。国によっては罰金なんかの罰則があるようだ。イタリアでは投票しなくても罰則がないのだそうだが、その裏で義務を果たしていることを評価する社会的仕組みがあれば、たしかに投票率は高くなるだろう。またそれ抜きでは、現実に「民主主義」は形骸化するだろう。どこかの国のように。

 それで思い出したのは、古代ギリシアでアテナイなど、投票日には国有奴隷だっけが墨が塗られた綱でアゴラにたむろしている市民どもを投票場に追い立てた、とどこかで読んだ記憶である(古代ローマだと、親分の意向で庇護民が投票するわけだから、これにはいうまでもなく庶民にとって無視できない実利が裏打ちになっている)。我が愛する祖国も、各自治体毎に、たとえば新宿や渋谷でたむろしている若者を追い込めばもちょっと高い投票率になるのだろうが、そんなことしたら保守票が低くなるわけで、まあ現政権にとってはへたに義務を組込まない現状がいいのだろうが。

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非国民の私にはたして天罰は下るのか:痴呆への一里塚(7)


 飛行機予約の都合で、4/28羽田出発ー5/6成田着で、シンガポール航空の南回りでイタリアに行く。昨年11月17日段階でもうそれしかとれなかったので仕方がない。今回は妻と孫娘のための旅行である。長年勤務医を務めてきた妻には長期休暇など不可能だった。酪農家と同じで相手が生き物だからで、10連休のこんな時にでもないと海外旅行できないわけで、連れ出すことにした(とはいえ、有難いことに費用は嫁さん持ち)。高2になったばかりの孫娘は、小さい頃からデコ人形書いていて、美大に入ってイラストレーターになりたいそうで、じゃあまあ、狙ってどうこうできるわけないけど、ヤマザキマリさんのひそみに倣って、ローマとフィレンツェくらいみせておこうかと。 

 テレビ見ていて時節柄平成天皇の露出が多くなり、それを見ていてふと思い出したのだが、私が昭和天皇の崩御と元号平成を知ったのは、エジプトのルクソールのホテルでの現地新聞記事だった(未だその現地新聞は保存している)。今回の平成天皇のご退位と元号令和の開始は、ローマで迎えることになる。

 昨日、なにやってんのよと妻に叱られて(パソコンの前に座ってお勉強してただけなのですが)、今日やっと病院と保険代理店に行った。旅行中の緑内障の目薬確保と海外旅行傷害保険加入のためなのだが、目前の調べ物があるし、いつもなんだか面倒くさくなり一日延ばししていたのだ。

 外に出たついでに調子の悪い右足首のサポーターを買おうと新宿の東急ハンズに行ってエスカレータから降りたとき、左足の違和感にとらわれた。なんかふわふわして足の裏が地に着いてない感じで、こういう感触にこれまでも時々襲われていたことがある。いつも的はずれの私の素人診断だと小脳梗塞の発作なのだが、しばらくするとこれまでのようにおさまったので、まあ一応今日のところはこれにて一件落着。別の場合だと、両目が妙な具合になりぐるぐるめまいがして、ひどいときには吐き気にも襲われることがある。

 しかし、今回の南回りの飛行中に大発作がおこったら、こりゃもう終わりである。でもまあそれでもいいや、しょうがない、と思わないでもない。けど、寝たきりになったりしても、遺族が困らないように保険にだけは入っておくべきでしょうね(この歳になった今こそ保険は必要なのでア〜ル:ちなみに70歳以上なので12000円弱)。不治の病だったらチューブ抜いてくれ、殺してくれと口頭で言っているのだけど、文書にしてないと親族の申告でも駄目なのだそうだが、そこまでするのは面倒だし、用意していたところで、いざその場になると、あれこれどさくさに紛れてその書類みつからないだろうし、さてどうなることやら。神さまにお委ねする以外にないような。

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おもしろトイレ・モザイク新発見:トイレ噺(3)

 ほんとは遊んでいる場合じゃないんですが (^^ゞ  これも遅ればせながらですが、面白いウェブを見つけてしまって。しかしこういう話題は図版や写真がないと説得力ありませんので、典拠を明記してあえてアップします。ご寛容のほどを。

 場所は小アジア半島南部の、Antiochia ad Cragumのローマ遺跡の紀元2世紀の公衆浴場内のトイレから面白い床モザイクが発見された(2018/11/2)。 

https://www.livescience.com/64000-dirty-jokes-mosaics-discovered.html;https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/search/label/Archaeology?updated-max=2018-11-14T08:00:00-08:00&max-results=10&start=839&by-date=false#yxIPrbQjzYfkfUHG.99



出土状況を俯瞰する
モザイク中心部

 左の区割りはギリシア語でナルキッソス。ギリシア神話で、水面に映った自分の美しい顔にみとれ、自分に恋い焦がれて死んだ。そのあとに水仙が咲いたので、欧米では水仙をナルシスと呼ぶ。この故事に倣いつつ、このモザイクは男根をしごいている次第。なお鼻が長いのは、当時の美術表現では醜男を表現している由。だから、水に映してうっとり見ているのは顔ではなく、自慢の男根ということになる。彼のかぶっている帽子は、腸卜師ないし占い師のアトリビュートに類似しているように見えるが、さて。

辻占い師:国立ナポリ博物館所蔵

 右区割りのテーマはギリシア語からガニュメーデース。美貌の彼に一目惚れしたゼウスは鷲に変身して、彼をさらってオリュンポスの神々に酒を注ぐ給仕にした。このモザイクで彼は酒瓶の代わりに右手にトイレ掃除用具のスポンジを持っていて、トイレにふさわしい絵柄となっている。ただそれだけではなくて、こっちの構図はなかなか複雑。たとえば彼は左手で鷲ではなくサギのような首とくちばしが長い鳥の頭をなでている。お尻の後に出ているもの(は私には最初男根に見えたのだが:こういう構図はナイル河畔風景図によく登場するピグミーでおなじみ、といいたいが、前の方に睾丸らしき袋が見えるので、ちょっと無理か)を、鳥が長いくちばしで突いているようだ(発掘者は、鳥がスポンジをガニュメーデースのお尻(より露骨に言えば、肛門)に当てている、と想定している)。

ピグミー像:国立ナポリ考古学博物館の旧秘儀の部屋前設置のナイル河畔風景モザイク(筆者撮影)

 ギリシア・ローマ時代では白鳥などの首の長い鳥は男根をあらわしているわけで、ガニュメーデースのかぶっているのはフリュギア帽となると、これはもう小アジアという場所柄もあり、自ずとキュベレの若いツバメのアッティスも連想させる。こうなると二重に男色を暗示しているように思えてしまう。なんともはや、ということで観る者の知識レベルに応じて幾重にも謎解きの読み込みが可能となる仕組みなのかしらん。

これは2018/11に公表されたポンペイ出土のレダと白鳥のフレスコ画
http://labaq.com/archives/51903082.html

 ギリシア神話をパロって、浴場やトイレの使用法には色々ありまっせと、用を足しに寄っている人たちの笑いを誘い、同時に知恵比べを挑んでもいるといえる。この手の内容は、 以前論文で扱ったオスティア・アンティカ遺跡の「七賢人の部屋」のフレスコ画と通底しているといっていいだろう。実はオスティア・アンティカ遺跡にはもう一つ、興味深い趣向を示す事例がありまして。機会があればまた紹介します。

【追伸】このブログを読んだ某君から、さっそく、ガニュメーデースの男根の描き方で亀頭が露出ているのは意味ある、とご指摘が。たしかにギリシア・ローマでの男性(神)像はおしなべて慎ましく上皮で包まれて(え〜、直接的に表現するなら、包茎で)描かれているのが常でして、これは性欲という獣(自然)的な欲望を理性で抑制できている神や人間の理想像を表現しているんだそうです。私など地中海人には包茎が多いのかしらん、とあて推量してましたが (^^ゞ、やっぱ観念論ではあきません。けど、その実証に励むのは・・・ちょっとねぇ・・・パスです。

 逆に旺盛な欲望の持ち主の場合は亀頭露出で表現されるわけです。ギリシア壺絵だとサテュロスなんかそうですよね(包茎もいるけど:下の図版は露頭型です」)。その下の、国立ナポリ考古学博物館の旧「秘技の部屋」所蔵(現在は、同一場所を整備して、年齢制限付きで公開[その実、いかにもイタリア的でして、チェックなし])のポンペイ出土フレスコ画(ヘルメスの姿を取ったプリアポス像)なんかもそうです。

紀元前6世紀半ばの壺絵:国立マドリッド博物館所蔵
(著者撮影)

【追記1】レダと白鳥のフレスコ画発見場所だが、ひょっとすると2018年夏に、第5地区で同じフレスコ画でPriapusの絵が発見されていたが、そこと同一邸宅かもしれない。 https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology/priapus-fresco-pompeii-0010592

【追記2】ピグミー関係ググっていたら、偶然こんなのを見つけてしまった。今回発見のと画題が似かよっている、といえなくもないような。

スペインのイタリカ、Casa del Planetarioモザイク部分

 またこんなのも見つけた。これは2017年のオークションに出たモザイクらしく、出土地等の由来は不明であるが、ホメロスの『イリアス』III.1-9を最古とするピグミーとサギcranesの闘いを描いたものとされているが(cf., Augustinus, De Civ.Dei, XVI.viii.1)、闘っているようには見えない。http://benedante.blogspot.com/2017/06/pygmies-and-cranes.html

KRA以外のギリシア語が読み取れない。有識者からのご指摘を期待したい。ΚΟΠΡΟΣなら「糞」なんだけど。下の一文もさっぱり。一種の早口言葉か

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小学生が読む古代ローマ・トイレ話:トイレ噺(2)

 2017年の2月に、見知らぬ女性からメールが送られてきた。彼女は小学生対象の雑誌を編集している由で、私のHPで古代ローマのトイレ話を知ったので、使わせてほしい、という内容だった。少しでも納税者の子弟に恩返しできればと、もちろん私はよろこんで快諾。こんなことは初体験だし。くだんの女性は後日イラストレーターの女性と一緒に大学の研究室に姿をみせ、諸々の相談となった。こうして、九大の堀先生との共同監修で、2017年4月号に総天然色(我ながら表現が古い!)の見開き2ページで掲載された。そして翌年「好評につき再掲載したいので、修正ありますか」と。そして今年もその連絡があった。主役は張れないが息抜きのコラムとしてはいい話題なのだろう。

『チャレンジ4年生わくわく発見Book』ベネッセ、で不動の12-13ページ!

奇しくも同時期に、一連の「うんこ漢字ドリル」が出現し、これはもう大反響で(私ももちろん孫向けに購入)、なんと半年後には二匹目のドジョウをねらって別出版社から「おなら」も出版された(こっちもしょうがなしに購入)。さすが「おしっこ」はまだ(というか、もう出ない)みたい。絵本「おしりたんてい」シリーズは2016年から出版されている。子供がよろこぶお下劣な身振りのドリフはかつて教育ママさんたちにさんざん叩かれたが、これも時代なのだろうか・・・。

 そんなことを思い出して久々に「古代ローマのトイレ」でググってみたら、私の2015年5月月報掲載の「古代ローマ・トイレの落とし穴」の(1)が、5番目に出てきたが((2)は15番目)、なんとなんとそれらを参考サイトに引用しているHP(https://anc-rome.info/toilet/)に8番目で遭遇できた。有難いことだ。ちなみに、1番目は「高い技術で知られる古代ローマのトイレは、それほど衛生的じゃなかったみたい」だった(その元になった英語論文は2016年1月)。こうして徐々にではあれ、より正確な情報がじわじわと拡散していくのを観るのは、嬉しいし楽しみでもある。

 それでふと思い出したことがある、某有名出版社から某著名教授(とその教え子)の名前で某翻訳書が出版され、さっそくウェブに幾つか高く評価する高名な肩書きをお持ちの人たちの書評が書き込まれた。もちろんアマゾン・コムのレビューも異口同音に称賛の嵐。だが某学術誌で書評を求められてその翻訳書を精読していた私が見るところ、出版社の宣伝文に依拠しての、まあ誤読もいいところのよいしょの内容だったので、私は、世の高名なる識者の読解力がおかしい、と辛口の苦情をレビューに書いた(もちろん書評本文にも)。これも気になっていたので昨日確認のためググって見たら、いつの間にかよいしょ書き込みは(もとより、レビューも)跡形もなく消え去ってしまっていて、驚いた。

 読んでいる人は読んでいるということか。恥を知る人がいたというわけか。しかし、素人の市井の人はともかくとして、自分の見解を修正したらそれを明記するのが、研究者たるものの矜持のはずなのだが、ささっと消して、なかったことにしてしまったのですね、と反問せざるをえない私だった。業界情報に詳しくはないが、きっとインターネット時代に対応して、ウェブへの書き込みが売らんかなの新手の宣伝方法になっているに違いない、と睨んでいる。ま、私でもそうするだろうから。

 と、まあ、他人のことは気軽に言えちゃうのだが。私自身も最近昔の発表レジメ見ていて、あれれどうして、という類いの誤記を見つけてしまった。これなど今さら訂正する機会もないわけで。気付いた人は教えてくれよな〜、と言いたくもなるのだが、層の薄さのせいか気付く人もいないわけで・・・。ひたすら恥じ入るのみ。

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読書会:四谷が始まります

 4/25(木)午後6時から、以下の要領で読書会やります。予定では隔週開催ですが、次回は当方都合により5/16となります。

 「古代における女性の声:ペルペトゥア殉教伝を素材に」

 紀元後203年3月7日に、北アフリカのカルタゴで殉教死したペルペトゥアは、処刑前日までの獄中日記を残した、これは女性の肉声を伝えるものとして古代において希有の証言だ、とこれまでも高く評価されてきました。彼女の殉教伝を読むと、キリスト教信仰に殉じようとする彼女のりりしい姿のみならず、彼女を取り巻く悩み多い諸状況が余すところなく吐露されていて、その意味でたいへん興味深く(そのうえ多くの謎も含まれていて)、男性聖職者たちの制度教会に都合よく整形された中世的聖人伝とはひと味も二味もちがう姿で、今日まで残存することができました。それというのも、おそらく当時の女性たちに支持されてすぐさま広く流布してしまい、あとから修正しにくくなった事情があったからだと思います。

 その意味で、現代女性の直面している諸問題とも生々しく通底している面があります。彼女の殉教伝を素材にご一緒にそれを掘り下げましょう。いや、皆さんに教えて頂きたいと思っています。

 「殉教伝」の翻訳テキストはこのブログに載せています。参考文獻は、以下で、その内容にそって7,8回で読了する予定です。その他、関連資料は無料で配布します。

 ジョイス・E・ソールズベリ(田畑賀世子訳)『ペルペトゥアの殉教:ローマ帝国に生きた若き女性の死とその記憶』白水社、2018/6、¥5616. アマゾンでは定価より1600〜1000円安いものが現在出品されていて、お買い得です。

著者近影

著者は1944年生まれなので、私より3歳年上です。Facebook情報によると、彼女はリタイア後、TVでのスペイン史連続講義やエーゲ海やバルト海のクルーズ講義でご活躍中のようだ。

 場所は、JR四ッ谷駅下車、麹町教会西脇の真田堀沿いのソフィア通りをちょっと南下したところにあるイエズス会日本管区で、その門を入り右の建物のエレベータで三階の304号室です。18時から90分程度です。場所代その他で、一回2000円を申し受けます。

 初心者の方々の奮ってのご参加を大歓迎します。予めご連絡いただきましたら、門でお迎えしますので気楽においで下さい。連絡先:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

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先達の足跡:(3) 堤安紀

 「つつみ やすのり」と読む。私的には、ペルペトゥア関係で初めてその存在を知ったが、最近になってオリゲネスがらみの論考をお持ちになっていることにようやく気付いた。私が関連の論考を書いたときにフォローしてなくて、申し訳ないことです。以下、とりあえず知りえた論考を列挙しておくが、それ以外にフランス語からの神学関係の翻訳を5点はお持ちである。彼は、東京教育大学農学部をご卒業後、リヨン・カトリック大学で修士課程を修了されている。私より7歳年長のようである。論文は20世紀で打ち止めで、これまで2014年版のクセジュの共訳『イエス』が最後のお仕事のようだ。

  • エウセビオス『教会史』にみるオリゲネスの教育活動の枠組とその視点. 上武大学論集. 1976. 8
  • オリゲネスの『ケルソス駿論』(]G0004[).65から:歴史と自由の概念について. 上武大学論集. 1981. 12
  • オリゲネス著『ケルソス駿論』(]G0008[).68とその背影について. 上武大学論集. 1982. 13
  • アンティオキアのイグナチオ・その生涯と神学. 上武大学論集. 1983. 14
  • ヒッポリュトスの『使徒的伝承』、その共同体構造と教育. 上武大学論集. 1984. 15
  • エルサレムのキュリロスとその教育思想. 上武大学論集. 1985. 16
  • エイレナイオスの「時」の概念. 上武大学論集. 1985. 17
  • ヨハネス・クリュソストモスの教育思想. 上武大学論集. 1986. 19
  • バシレイオスの「時」の概念. 上武大学経営情報学部論集. 1987. 3
  • リョンの殉教者について. 上武大学論集. 1988. 23
  • 婦人の身嗜み:服飾と美容について:テルトゥリアヌスの神学的人間学の一端. 上武大学商学部紀要. 1992. 4. 1. 21
  • 二世紀初頭のキリスト教徒とプリニウス書簡. 上武大学商学部紀要. 1997. 8. 2. 85-118
  • ペルペトゥアとフェリキタス:三世紀初頭,北アフリカの殉教者たち,上武大学商学部紀要, 1998. 10-1. 41-62.

【補記】私が大学に入った頃の「史学概論」では、先行研究の調査がたいへん重視されていて、そこで論及されていない論点を展開してこそ真の論文である、とされていた(と、私は認識していた)。しかしそれをやっていると実際には切りがないし(対象が欧米だと、数カ国語で毎年幾つか論文・著書が際限なく公表・出版され続けるし、19世紀以来の蓄積も半端ではない)、先行研究の細道を辿って迷路に行き詰まる閉塞感に捕らわれもする。今になって思い返すと、それだけ欧文の先行研究を熟読味読せよ、という意味だったのではないかと推察するが、その袋小路で戸惑ううちに、こりゃだめだと方向転換したのが、私の場合は史料精読主義だった。原典史料が何を中心に述べているのか、それが文書研究の基本のはずが、いつの間にか先行研究者が自分の関心で書き綴っている研究論文や著書の精読で精力を消耗してしまっている、これでいいはずはない、と考えての思い切りだった(実際には、もうひとつ、原典精読主義が言われていて、こっちの壁はギリシア語とラテン語だったし、これだと今度はいつになったら論文書けるのかが不安になるというわけ)。平たくいうと、原典を読んでそこでぶつかった課題に関して論じている先行研究をフォローしちゃえばいいのでは、というわけである。

 さて、我が国で初期キリスト教を専門としている研究者はそう多くはない。であれば邦語文献は相互に味読されてしかるべきはずなのに、上記の堤氏のものにしても、少ない研究者間で相互検討されているようには思えない現実がある(具体的には註記で引用されることがあまりに少ない:これは既述の水川氏も同様である)。いわんや相互批判においては皆無に近い。これでいいのか。これは私にとって積年の疑問なんですよね。

【追記】彼が共訳したシャルル・ペロ『イエス』が届いたので、さっそくもう一人の共訳者支倉崇晴氏の「訳者あとがき」を読んだ。彼は私より10歳年上で、堤氏とは東京カトリック学生連盟(カト学連)で旧知だった由。堤氏は東京教育大のカトリック研究会でネラン神父が指導司祭だったらしい。こんなところで学連の先輩に出会うとは思わなかった。今年2月の日経新聞の「私の履歴書」で五百籏頭眞氏(私より4歳年上)が一言もそれに触れていなかったあとだったから、なおさらである。書く書かないは、そこでの経験の軽重認識の表れなのだろうか。

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健康寿命:痴呆への一里塚(6)

 旧厚生省系の2016年度の統計によると、「健康寿命」として、男性72.14歳、女性74.79歳だそうである。他方で、「平均寿命」は、男性81.09歳、女性87.26歳。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55871                     

 まあ、そこそこ現役で働けるのが男性の平均で72、3歳ということなのだろうが、死ぬまでの10年間はそうはいかないようで、この死の直前の10年間がどうなるかが、私など、すでに72歳目前なので、否応なく関心を持たざるをえないところだ。何度も書いているが、すでにじたばたしてもしょうがないわけで、なのになぜか体重だけはまだ成長期だけど、足の劣化は恐るべしだし、他に時々襲われるめまいもあるし、最近はパソコンの画面がなんだか薄くなってきたので、文字通り予断を許さない現状にある。どこからが10年前なのか、結果論でしかわからないのが歯がゆいが、まあ一期一会を実践していくしかないのだろう。

 今年の春は遅かったな。今年の桜はえらく長持ちしたな。さて、今年の夏はどうだろう。おっと、それ以前に、南回りでの往復飛行を無事に乗り切る試練があったっけ。そうそう旅行傷害保険も忘れないようにしなくっちゃ、これからが本当に必要なはずだから。

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ノートルダム大聖堂火災:ケルトとイスラームとゴシックと:飛耳長目(8)

 ノートルダム大聖堂火災に関連して、興味深い記事が飛び込んできた。 http://miu.ismedia.jp/r/c.do?134G_kmC_1RO_sds  
 
 とりあえず、無料読者登録をすると読めるはずです。  
 私にとってのキモは、「ゴシック」という西欧美術史的な命名は、その実「イスラーム」というのが事実であって、今回消失した大聖堂はイスラーム的建築技術を取り入れた西欧での最初の建築物だった、という点にある。  
 換言するなら、美術史においていかにもヨーロッパ建築史的見地で表現されてきたその内実は、実は先進文明圏イスラームの建築技術のパクリだったというわけ。
 これは専門家には周知の事なのでしょうが、私のような素人には新情報で、だがさもありなんとたいへん斬新な指摘でした。
 ところが、イスラム無視は自称専門家の通弊でもあるようで、たとえば、酒井健『ゴシックとは何か:大聖堂の精神史』講談社現代新書、2001(ちくま学芸文庫、2006)は、そのケルト的源泉に触れているのはいいとして、アマゾンのレビューで「建築技術の発展はイスラーム文明の流入(12世紀ルネサンス)に負うこと等もほとんど記述が無い(12世紀ルネサンスについてはスコラ学のところで触れているにもかかわらず)。完全に精神史に焦点を当てたはいいがそれで全て説明しようとしているところは,危うい」と書かれてしまっているところを見ると、無知は専門家にも蔓延しているようだ。
 一言でばっさり言ってしまうと、自分の立ち位置への見直しなしに、西欧のプロパガンダの口車に乗っかって、訳知り顔に精神史やってたら駄目でっせ、というあたりかと。自戒せねば、とつくづく思う。
  
 また、これには続きがあって、この建物から始まったもののもうひとつに「ドレミ」の和音があるそうで、それは続稿の課題だそうです。こっちも読むのが楽しみです。

【補遺】音楽の件の記事は、以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56155?pd=all

【追記】私はこの火事を知った時、反射的に新手のテロではと疑ったが、その立場のウェブ記事がようやく出てきた。ま、眞相はまだ藪の中ではあるが、私が反キリスト教の過激派ムスリムだったらやっちゃうだろうな、と思う。
 https://i.mag2.jp/r?aid=a5cd4f08dd2068

【追伸2】2019/7/15発の世界キリスト教情報 第1486信に以下が。「ヘルメット姿で行われたミサを伝えるAFP通信ペレ記者」

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宗教はいつまで存在できるのか:「世界キリスト教情報」(2019/4/15)

◎宗教観に関する米調査で「無宗教」との回答が初めて首位に
 
【CJC】米国人の宗教観に関する調査で「無宗教」との回答がカトリック教徒やキリスト教福音主義派を上回って23・1%を占め、初めて首位に立ったことがわかった。  
 イースタン・イリノイ大学の政治学者でバプテスト派の牧師でもあるライアン・バージ氏が、長年実施されている総合的な社会状況調査を新たに分析した結果、と米メディア『CNN』(日本語電子版)が4月14日報じた。調査参加者は2000人を超しているが、個別での面談にそれぞれ応じていたという。  
 「無宗教」23・1%に次いでカトリック教徒23・0%、福音主義派22・5%。これら3グループの数値は回答率の誤差の範囲内にあり、統計学的には同一の数字、とバージ氏は見なしている。  
 同調査では44年間にわたって信奉する宗教に関する同じ質問をしているが、今回のような数字の並びは初めてという。  
 無宗教層の激増は1990年代初期から始まった。91年以降では266%も伸びたという。今後4~6年間は明白な最大勢力になるとも推測している。  
 無宗教と答えた層は、無神論者、不可知論者、心霊主義者や特定の組織的な宗教には組みしないとする人々などさまざまなグループから成り立っている。  
 無宗教層の増加の背景要因については、専門家の間でもさまざまな見方が出ている。無神論者の団体責任者はインターネットの存在が要因と分析、ネットは無信仰者が同様の思いを抱く者を見出せる場所を提供していると指摘している。
 
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 世間の常識とは往々にして旧態依然のデータが刷り込まれているのだろうが、まあ実際にはこんなところだろう、と私も思う。「無宗教」と「無神論」は微妙に異なっていて、現状ではまだまだ不分明といわざるを得ないが、早晩「無宗教」が明確に表舞台で突出することになるように思う。死への旅立ちに、宗教の助けが必要な人は確実に減少していく予感がするからだ。

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