月: 2020年8月

首相辞職でこんな催しが・オンラインLIVE:飛耳長目(55)

 こんな連絡が来た。デジタル毎日会員限定イベントであるが、Zoomウェビナー使って、9/3 19:00-21:00、参加費2000円、で「政治部記者がすべて話します:首相辞任の舞台裏、ポスト安倍の行方は」(http://nml.mainichi.jp/p/000005d4c9/3261/body/pc.html)。<プログラム>も,参加者の質問によっては変更の可能性もあるが公表されている。・ポスト安倍の行方 ・記者が見た! 安倍政権のウラ側 ・官邸、自民党取材の実態 ・取材対象との微妙なカンケイ ・これでいいのか記者会見?! 内幕を語る

 私が一番関心をもつのは、最後である。今回の記者会見でも記者クラブの質問は、お友達仲間でのお別れの通夜の席だからのせいもあるが、あからさまに当たり障りのないどーでもいいようなことばかりで、最後のクラブ・メンバー以外からの、質問者(江川紹子さんともう一人)の切れ味がすごかったこともある(答弁の方はいつも通りのスかしっぺだったが:https://digital.asahi.com/articles/ASN8X2T4XN8WUTFK01C.html)。

 私は残念ながら、別件あって参加できない。

 ついでにもう一つ。例の田中宇氏がさっそくとんでも仮説を公表。「安倍辞任の背景にトランプの日米安保破棄?」(http://tanakanews.com/)。ま、余力を残した、たしかにお飾りでもやれる地位からの、やたら早めの二度目の遁走なので、不審ではあるが。

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朝のお散歩報告:痴呆への一里塚(33)

 黙っていたが、実は2週間前から、朝の散歩?を始めている。73歳に成り立ての身で。実は今を去る30年ほど前、上京したての健康診断で痛風を指摘されて夕方に試みたことあったが、数字がよくならず時間もとれずで、早々に撤退した前歴があった。

 運動不足なことはわかっていたが、明け方に寝るのが普通の私のパターンだと、目が覚める昼頃はもう気温が高いので、ずっと歩く気にならずにいた(昨今の猛暑もあり)。だが、突然ひらめいたのである。だったら寝る前の明け方に歩けば、と。そしてこの2週間、大体が徹夜明けの5時ごろ、朝日が出る頃に近所を歩き始めてみたのであ〜る。

 そしたら、いろんな男女が歩いているのである。もうぶっ倒れても不思議でないようなよろよろ前のめり姿勢のご高齢の男女、犬を連れての文字通りお散歩の人、マスクつけてランニングする颯爽とした男女・・・。定石通り腕を振っての歩行をする人、なぜか背中に大きなリュックをしょっている人、年季が入ったスリムな体型の人がやはり多いが、たまに私同様寸胴の横幅のいいご老人でのんびり型もいる。一度出発時間帯が20分ほど遅くなったら、やたら同行者が多くなった。煩わしいので、日の出の時刻、だいたい5時過ぎに出るようにしている。帰り着くのは6時頃か。最初はぬるま湯のような空気だったが、最近は温度も多少落ち、湿気もわずかであるが少なくなった気がする。

 すれ違う人たちから見た私の姿は、たぶん無様(ぶざま)におなかが出ている初老が、さていつまで続くかな、という感じじゃないかと想像するが、元ワンゲルのプライドからすると、追い抜かれるのはいやだし、前をとろとろ歩いている人がいると抜きたくなる。効果のほどは度外視して(緩急で歩け、腕を振れ、とか効能書きはいろいろあるが、面倒くさいので無視)、まあ中くらいの速度かな。大体の人が、ランニングしててもマスクしてるので驚くが、私はといえば付けると酸欠になるので、手にぶら下げるだけにしている。帰りにセブンイレブンに入るときに着装するためである。よろよろ歩きでもさすがに汗ばみ、効いているエアコンが気持ちいい。

 最初は練馬駅までの往復路だったが、すぐに逆方向の早宮方面に足を伸ばし、とうとう最近は石神井川沿いの遊歩道中心となった。あの桜並木が両側に断続的に続く川筋には、ところどころに橋が架かっており、私のような老人には、今日はここまで、明日はもひとつ先をめざすかな、と努力目標を立てやすいのである。これまで知らなかった寺院やお宮さんの旧跡にもちらほら出会い、これじゃあ30年ご近所を知らず、住んでたといえないなあ、などと思ったりもする。

遊歩道の所々に設置されているが、小さくて読みにくい。
私の場合、豊島園から東に向かって往復するわけ。川とはいえ水量はほとんどない

 歩き出した最初頃は、道路脇の色んなことに気が回った。早朝の無防備な家々を眺めていると、あそこの自転車だったら盗めそうだ、とか、ここに置いてある掃除道具持って帰れるな、とか、なぜかどうも不埒な思いばかりが頭が浮かんだものである。さすがに最近はそれには飽きて、思わず知らず歩くことに専念し出しているようで、今日は特に驚いたことに、知らない橋名に遭遇したことだ。いつの間にかこれまでより橋を3つくらい先まで歩いてしまっていたのである。私の当てにならないiPhoneの「ヘルスケア」によると、おかげでこれまで越えることできなかった4Kmをはるかにこえて4.8Km(歩数で7775歩)歩いたことになっている。

 不思議なことに、普通の歩行だとすぐに痛みが走って、特に坂道登ったりするとぺたぺた歩きになって難儀していた右足首は、いまだなんとかなっている。おかしなものだ。ほとんどが平地だからなのだろうか。気分の問題か。それにしても解せないでいる。

今日の日の出後の風景:5時15分くらいか

 ただ、勇んで乗った体重計は、無残にもイノブタ水準を相変わらず維持しており…。この月曜に読書会で行った我孫子での、人生の諸先輩の話では、「死ぬほど頑張って歩かないと体重は落ちない、むしろ食事をとらない方が確実で、まず米とパンをやめること、特に夕食やめると効果てきめん」とのこと。これは私にはまだ難題である。帰りのセブンイレブンでは相変わらず野菜サンドとミルクを買って、それを朝食にするのがこのところの恒例だし、それと、これは書きたくなかったのだが、西武豊島園駅横のファミリーマートには、私の好物のハーゲンダッツのラムレーズンあるのを見つけてしまい、そこまで余分に歩いたご褒美に買ってたりしてる。嫁さんに言わすと「ご褒美が多すぎる」のだが。

 それから、これは予想通りだったが、日中でのうとうとがこれまでになく多くなった気がする。たかが小一時間の、しゃにむにではないただの歩きなのだが。てきめんお勉強の進展にはとりあえず障害となっている。でも、歩行中にばったり倒れたり、うとうとの午睡中に天に召されるのもいいのでは、と思っている。

【広島では】さて広島で継続できるか、これが問題だった。8/27に着いて、28日はこれまでの疲労が出たせいか寝過ごし、29日は早めに家を出るため自重。炎天下の市内をうろうろ歩き、夜はビール抜きでも夕食後グーバタだったせいか、夜中に目が覚め、やっと疲労も回復したのだろう、30日の早朝、小説を読んでいて、おおもうすぐ5時だ、行かなくっちゃ、で驚いた。世の中まだ真っ暗なのだ。えっ、東京だともう明るいのにとビックリしてウェブで日の出時間を調査。東京5:12。それに対し広島5:42、なんと30分も違ってたのであ〜る。

広島の日の出

 ちなみに、私のなんか嘘くさいiPhoneでの歩行数は以下のごとし。8/26 7775歩; 8/27 7162歩; 8/28 3621歩; 8/29 9476歩; 8:30 6569歩

 最初の経路は自宅から東の太田川放水路にまず向い、そこから土手沿いに北上、広電西広島駅手前の川で左折、あとは広電宮島線沿いに高須駅まで帰ってくる。距離にして3.5Kmのようです。ま、小一時間(2回目からは交通事故を避けるためもっぱら河川敷の往復に変えた)。

 東京と違って、なぜか湿気が少なく明確に向かい風があって(川沿いのせいか)快適、それと川沿いには土の道もあってありがたかった。実はここも夏休みのときなど広島長期滞在中は歩いていたことある。今回すれ違う同好の士の皆さん、さすがにマスクはしていないのが、いい。実家に帰り着き、例の朝食(サンドと牛乳)をとると意識朦朧、ベッドに移動して目ざめたのは10時でした。3時間強の睡眠か。

河川敷マップ:この日は旭橋を通過して己斐橋まで行った
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世界キリスト教情報第1544信:2020/8/24

= 目 次 =
■「サラン第一教会」が新型コロナウイルス禍の震源地?■
 ▽韓国保健福祉省、「サラン第一教会」で新型コロナウイルスの集団感染確認
 ▽韓国コロナ大量感染の「サラン第一教会」はチョン牧師の影響力で
 ▽韓国防疫当局「サラン第一教会のチョン牧師、新型コロナ感染」と発表
 ▽韓国政府、首都圏教会の礼拝禁止へ 防疫措置強化
 ▽韓国プロテスタント各派が「集団感染を深く謝罪」
 ▽防疫妨害には「厳正な法執行」、公権力行使も=文大統領
 ▽韓国警察、「サラン第一教会」を家宅捜索
 ▽韓国の新規コロナ感染者266人、死者は前日と変わらず309人
▼「ウイルスは存在しない」 スペイン首都でコロナ抗議デモ
▼トルコがカーリエ博物館も大統領令でモスクに
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現代スケスケ・トイレと古代ローマの木造トイレ:トイレ噺(16)

① 渋谷の公園に最近オープンした透明トイレ:施錠をすると見えなくなる仕組みとのこと(https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2008/21/news120.html)。夜だと街灯がわりにもなる、と書いてあるが、でも変な見物人や路上生活者が集まってきそうで、どうかな。ちょっと心配。

【追記】最近こんな体験ブログをみつけた。「検証 スケスケの公衆トイレ 用を済まして確かめてやる」(https://www.youtube.com/watch?v=VoROw7wVdss):参照、2021/8/16

② オランダ内陸のネイメーヘンでの発掘されたトイレの模式図が,地域柄木造でおもしろかったので、とりあえず掲載しておきます。構造的に汚水枡まで考慮されていてリッパ。そのあとどうなるのか気になったが、くみ出しなのであろうか。Harry Van Enckevort et Elly N. A. Heirbaut,Nijmegen, from Oppidum Batavorum to Ulpia Noviomaguscivitas of the Batavi: two successive civitas-capitals, Gallia, 72.11, 2015, 285-298.

https://journals.openedition.org/gallia/1577Gall
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相も変わらず危機管理だめな我が祖国:飛耳長目(54)

 以下を読んだ。高野孟「安倍首相に「8月24日辞任説」なぜ美しい国、日本がコロナ蔓延国に?」(https://www.mag2.com/p/news/462632?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_9999_0818&trflg=1)。

 今般の件で、「専門家」の提言と、為政者の「決断」の絡みがうまく機能していなかったことは明らかであるが、それと比べて相対的に、「民度」が高く従順な国民はそれなりに賢明に振る舞ったということであろうか。アメリカの色んなパニック映画で、専門家の提言を無視する無能政治家、段取りを無視して英断を下す有能な政治家、学界から追放されていた専門家が突然引き上げられて大活躍、といった「半沢直樹」的図式がよく登場する。そんなこと現実には起こることはないからこそ、ドラマなのだが、その場合、一般大衆はいつも右往左往する無知な群れとして描かれている。我が日本では政治家はもとより一般大衆も、これまでの負の実績で政権に近い専門家を信じることができなくなっているのはいうまでもないが、では誰を信じればいいというのか。選択肢は我にある、と言い切るわけにいかない現実がある。

 それでつい思い出してしまうのは、現在、終戦記念日がらみでいっぱい流されている戦争中の軍人たちの暴挙・無策情報である。彼らは軍事の専門家のはずだった。古くは元大本営参謀堀栄三とか山本七平、それに佐々淳行などが、国難に直面しての「正確な情報」「危機管理」の必要性を口を酸っぱくして言ってきたが、以来20〜50年、国家レベルで何ひとつできていないわけだ。なーなーの仲間意識のなか、目先の党派的利害と希望的観測で突っ走り、正論を厭って排除する。これが我が農耕的国民性の拭い去りがたいサガ、とでもいいたくもなる。とはいえ、完璧な人間などいやしない。上に挙げた3名にしても、「思い込み」とか誤認、さらには自己顕示欲だって否めないだろう。干されておればなおさらだ。そのうえ、上記3名、若干おっちょこちょいのところもあったようだ。そこが難しいところである。

堀栄三(1913-1995年)

 スペイン・フランコ政権が情勢の変化を見ながら英米仏と独伊の狭間を泳ぎ切ったように、日本の開戦決定がもう半年遅れていたら、1941年での国際情勢と異なった判断や結果もあり得た、という意見もあるようだが、果断に決断できるトップとスタッフに人物を得なければ無理なわけで、日本でそれは望むべくもなかったというべきか。しかも、戦争においてすべては結果論にすぎず、誰もプロセスでは多くの間違いを犯しているが、勝てばすべて許されちゃうのも、また問題ではある。

【追記】以下の本を手に入れた。岡部伸『「諜報の神様」と呼ばれた男:連合国が恐れた情報士官・小野寺信の流儀』PHP、2014年。

【追記2】この本も面白いらしい。戸高 一成・大木毅『帝国軍人:公文書、私文書、オーラルヒストリーからみる』角川新書、2020/7/10。

 戦史そのものが当事者たちによって捏造されていた、というお話もあって、身も蓋もない。アマゾン・コムの読者たちの書き込みも熱気を帯びている。

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世界キリスト教情報第1543信:2020/8/17

= 目 次 =
▼韓国のコロナ新規感染者がソウルなど首都圏で急増
▼文大統領、反政権集会を「不法」と非難
▼ソウル市が『解放記念日』に開催計画の団体に集会禁止命令
▼ブラジル名所コルコバードのキリスト像、5カ月ぶりに再開
▼韓日の市民・宗教団体「歴史問題解決を」光復節75周年迎えて
▼イスラエルとUAEが国交正常化
▼「恥ずべき合意」とイラン通信社
▼パレスチナ自治政府は、合意を「強く拒否」
▼李登輝氏、済南基督長老教会で礼拝後に火葬

 韓国ではキリスト教集会が感染源となっているようだ。これを信心深いというべきなのだろうか。いや、信心が足らないから感染は神罰なのだろうか。
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漱石とあばた(痘痕):遅報(49)

 感染症でググっていたら、以下で、夏目漱石(1867-1916:49歳で死亡)が3、4歳頃の種痘の失敗であばた面の持ち主だったことを初めて知った。2020/5/24:小森陽一「夏目漱石と感染症の時代:『吾輩』の主人・苦沙弥先生はなぜ「あばた面」だったか」(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020052200006.html);佐藤博「生誕150年・夏目漱石は病気のデパートだった・・・PTSD、パニック障害、糖尿病、胃潰瘍」https://biz-journal.jp/2017/04/post_18711.html

 これはけっこう有名な話だったらしく、彼のイギリスでの3大劣等感のひとつとされている(他の2つは、英文学者なのに英会話はきわめて苦手、イギリスでは短躯:158cm 52kg:「倫敦に住み暮らしたる二年はもっとも不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あわれなる生活を営みたり」『文学論』序)。昔読んだとき、そんな箇所私はすっ飛ばしていたのだろう、全然記憶にない。しかしそれにこだわって彼の書いたものを読むと、当時のイギリスにおける人種差別にまで考察が至ることができるわけだ。

は晩年、が大学予備門時代、写真の傷のように見えるが、両者でその位置が共通しているし、彼の写真はだいたい左側を正面に見せているのも、右側がよりひどくそれを意識していたからなのだろうか。

 それはともかく、彼の写真はあばたがきれいに修正されているのだということも、初めて知った(見合い写真は言うまでもなく、切手や昔の千円札でも)。ちょっとウェブ検索しても明確にそれらしい素顔の写真はみつからなかったが、ロンドンでもじろじろ見られたというからにはかなりのあばた面だったに違いない。とはいえ日本ではそのころこんな感じ↓の人は珍しくはなかったのだろうが。

幕末の通弁御用役・塩田三郎(1864年撮影)

 そういえば「あばたもえくぼ」っていうことわざもあったっけ。当時鉛をいれたおしろい(鉛白粉)が女性の化粧に使われていたが、それだとあばたがきれいに隠せたそうだ。ただし「引きずり痘痕」になるとそれも無理だったが、とのこと(https://www.isehanhonten.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/vol47.pdf)。どんな傷だったのか見てみたい気がするが、ぐぐっても出てこない。

この宣伝ってどう考えても嘘くさい。光のあて方も違うし、右に細工しての左だろう、ぜったい

【補記】こんな漱石観もあるようだ(2021/6/15):筒井清忠「初めて「漱石神話」を解明した書:夏目漱石と帝国大学」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23099)。とにかく脱神話化はけっこうなことだ。立身出世主義とか蓄財とか、明治人なら当然のことではあろうし、なにしろ病弱だった彼は49歳で死亡しているのだから、残される家族のこと思っていたのはよくわかる(それにしても未亡人の散財癖には畏れ入る)。とはいえ、若い時私なども感激した「則天去私」と異なる実像を知ることはいいことだ。一筋縄ではいかない多重的な赤裸々な人間性を白日の下に曝しているのだから。

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日本敗(終)戦記念日考:飛耳長目(53)

 私は太平洋戦争終結とされる8/15を「終戦記念日」ではなく「敗戦記念日」と表現するのを当然と考えている。理由は語る必要もなく明白である。それを「終戦」表現したのは、当時の政権(正確には、補弼)担当者だった鈴木貫太郎ないし、文書作成に呻吟したはずの内閣書記長官迫水久常あたりが敗戦という事実を薄め糊塗すべくひねり出したものであろう。おそらく臥薪嘗胆、再起を期しての未来先取りを射程に入れてのことだったのではないか(連動して付言しておく。教科書にすら1946/1/1の天皇の「人間宣言」と掲載されているが、文言として一切その記載がない事実に気付くべきだ。これは在職中の「史学概論」関係の授業でも扱ったが、私的には天皇の戦争責任・天皇制廃止をナシにする布石で、GHQを含めてのマスコミの意図的大誤報と思っている。見出しだけ見て、内容を精査しない庶民を愚民視して誘導している典型かと)。 

 戦勝国側で一番明確なのは戦艦ミズーリ上での降伏調印式をもって9/2を「VJデー」(対日戦勝記念日)としているアメリカであるが、8/15以後も戦闘を継続していた旧ソ連や、蒋介石と内戦中だった中華人民共和国にとって、対日勝利日はそう簡単でない複雑な事情があった(https://toyokeizai.net/articles/-/80286)。同じ敗戦国ドイツでは「戦争終結」Kriegsendeや「敗戦」Niederlage im Kriegという言葉はあっても「終戦」を示す語はない上に、あとから「(ヒトラー体制からの)解放日」Befreiungという解釈も出てきているほどで(1975年シェール西ドイツ大統領、1985年フォン・ヴァイスゼッカー西ドイツ大統領演説、もちろん批判もあった:http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_7_Saaler.pdf)、このあたり日独の認識の違いは興味深い。やはりドイツ人は大人なのだろうか。もう一つの同盟国(のはずの)イタリアは、なんと大戦末期のレジスタンス(実際はマフィアの功績か)のゆえに戦勝国と認められ、日独と差別化され国連の敵対条項の対象にすらなっていない。イタリア人はドイツ以上にもっと大人なのであ〜る(弱かったくせに)。

 さりながら、私がここで問題にしたいのは、ではなぜ日本ではポツダム宣言受諾(連合国への通告は8/14)を告げた天皇の「玉音放送」の日をもってそれと認識しているか、という問題である。ここにいい意味でも悪い意味でも日本的心情が吐露されていると思うからだ。

 端的に結論を述べるなら、臣民にとって初めて接した天皇の肉声でのラジオ放送が、それだけ衝撃的で大きな意味を持っていたということであろう。なにしろ戦闘状態にあった皇軍は天皇の鶴の一声でおおかた矛を収めて休戦し降伏したのである(勿論例外はあった)。

 もうひとつ、敬虔なる仏教徒の日本人庶民からしてその日を受容しやすい事情があった。8/15が年中行事に深く根付いていたお盆にたまたまあたっていたからである(旧暦では7/15あたりだったが、明治以降の新暦で8/15が定着ずみ)。先祖慰霊に戦没慰霊が重なっての合葬は庶民感覚として十分に納得できる。

 ついでに書いておくと、その日は、カトリックでは6世紀以降「聖母被昇天の大祝日」であった。但しそれがローマ教皇ピオ12世により信仰箇条(ex cathedra)に定められたのは1950年のことだったが。400年先行する1549年のその日、鹿児島上陸時に聖母に日本を捧げたのはフランシスコ・ザビエルであった。しかし、さらにそれに遡ること15年前の1534年のその日に、彼やイグナティオ・ロヨラら7名によりパリでイエズス会が結成されていて、と史実をさかのぼっていくと、ザビエルの鹿児島上陸日など、疑い深い私はなんだかできすぎの話に思えてくるのだが。

 思い出しついでに。スペインでサンチャゴの徒歩巡礼していたときのこと。巡礼路は麦を刈り取った畑の中の道だったのだが、時折それまで聞き慣れなかった「パンパン」という音がして、なんと猟銃を持った男性と走り回る猟犬がちらほら。うれしそうに腰には獲物のウズラかなんかをぶら下げている。スペイン語が堪能な連れが聞いたところでは、8/15が狩猟の解禁日なんだそうだ。よりによって聖母被昇天の大祝日がスペインでは殺生開始の日とは、天上のマリア様もご存じあるまい。野鳥や野生動物にとっては受難の始まりということで、猿に間違われたり、流れ弾にあたらないよう首をすくめながらそそくさと歩いたことを思い出す。

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ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を見た:遅報(48)

 ケーブルテレビ501チャン日本映画専門チャンネルで初めて見た。三上智恵・大矢英代監督「沖縄スパイ戦史」(2018年)。このチャンネルでは最近鶴田浩二がらみの特攻なんかの戦争映画を延々とやっていて、だがそれはまったく見る気にならなかったが、今日は見た。そのさわりは、2分あまりにすぎないが「予告篇」(http://www.spy-senshi.com)でも見ることができるし、三上智恵『証言沖縄スパイ戦史』集英社新書、2020/2(なんと総ページ750!);大矢英代『沖縄「戦争マラリア」:強制疎開死3600人の真相に迫る』あけび書房、2020/2,なども出版されている。

 このドキュメンタリーの見所は、日本軍の同胞のはずの島民への虐待、捨て石作戦についてはこれまでもよく述べられてきたが(背後に、明らかな沖縄差別がある)、住民が堅く口を閉ざしてきた事実として、住民の中での相互監視・密告の残酷さ、それを立案実施したのが陸軍中野学校出身者で「潜入派遣」されていたスパイ(実名も明記されている)による現地秘密戦で、住民のマラリア汚染地区への集団移住の強制、先兵として15歳前後の「少年護郷隊」結成と利用、などなどであるが、それ以上に、私に衝撃的だったのは、この沖縄戦の悲惨さは本土決戦でも軍は当然平然として行うはずだったし(それ用に中野学校出身者が各地に派遣されていた由)、うかつにも知らなかったが、現在の自衛隊においても教範「野外令」(なんと、2000年策定)というものがあり、そこでは沖縄戦と同様の作戦が述べられている、ということであった(https://ja-jp.facebook.com/notes/makoto-konishi/陸自教範野外令による離島尖閣など防衛作戦全文を暴く/802570186485937/)。

 軍は住民を守らない、むしろ労働力の提供、食料・医療品等の調達での利用以外、軍にとっては足手まといな存在である、兵士は自分の身を守るだけで精一杯、軍隊とは実は国民を守る存在ではない、という認識はこうして昔も今もそのスジでは奇しくも通底しているわけである。そう言われてみれば、私が軍の当事者であれば何の違和感もなく確かにそうするであろう。そしてそれはサイパンをはじめとする南西諸島や満州各地でその通りのことが起こった(いわゆる外地だからという甘い考えがかくいう私にもこれまであった)。それは空恐ろしい現実に違いないが、そういう行動をとらなくてもすむためには、戦争を二度と起こさないことしかない、という理論的結論となる。ここでも体験者は次々に亡くなっている。もとよりこんな話題に興味をもたない現代の若者にどう継承していくか、本当にしんどい話ではある。

 今、同じチャンネルで続いてNHKスペシャル「沖縄戦全記録」(2015年)が放映されていて(https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150614)、こっちは現在オンラインで見ることができるが、衝撃度においてかなり薄い。それだけ前者が成功しているわけだが、それは現地での生存者たちの重い口を開かせた結果である(実際には、現地沖縄ではすでに相当の研究がなされており、ただ当事者がまだ生きている場合、お口にチャックなのだ)。その意味で、取材者の声も入っている映像はそのままで民衆史におけるオーラル・ヒストリーのお手本といっていいだろう。

 こんな証言もある:「日本兵による日本兵の殺害を証言した98歳「やり残したことがある」」(https://news.livedoor.com/article/detail/13458503/);「「僕は日本兵を殺した」:元米兵が最後に語った「もう一つの戦争」」(https://mainichi.jp/articles/20200810/k00/00m/040/188000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20200811);「米兵もむせび泣いた硫黄島の激戦、75年前の傷癒えぬ元兵士は語る」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/20/021800010/)。当たり前のことだが、当事者に与えた傷口はいつまでも癒えはしない。疼くのだ。

【追記】以下が届いた。NHKスペシャル取材班『少年ゲリラ兵の告白:陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』新潮文庫、2019年(原著『僕は少年ゲリラ兵だった』新潮社、2016年:放送はアニメ仕立てだった由で、そっちも出版されている)。その後書きに、沖縄の北方の最前線で戦った少年ゲリラ兵の取材をしていたとき、インターネットでISの少年兵をみて…という下りがあった。

 いずれにせよ彼らは幼心に洗脳教育(教育は洗脳に他ならない)されて、命令されたら顔なじみの仲間も殺したわけだが、そこで私が想起したのは、20歳を超えていた連合赤軍のリンチ事件のことだった。学歴や年齢は関係ない、同じだ、彼らが異常なのではない、大義名分があれば人は何でもやってしまう。もちろん心の傷にはなるだろうが、「あの状況では仕方なかった」のだ。正直に言おう、偉そうなことはいえない、私もやってしまうに違いない、と。いや、似たようなことやってきているよな、と。

【追記2】昨晩、「野火」(2014年)を見た。これは大岡昇平作(1951年)の二回目の映画化で、塚本晋也監督・主演の、フィリピン・ロケしたカラー版。リアリティたっぷりの残酷シーンの連続。最後頃の腕の細さはどうやったのだろう。初回は市川崑監督の白黒で(1959年)、あの船越英二(長男が俳優・英一郎)が目だけぎらつき面変わりした役作りには脱帽だったが、当事者がまだ生きていた時代の問題作で、そこでは結局主人公は人肉を食べられなかった設定に変えられているのも、救いがない話なので、なんだか分かるような気がする。この戦争の日本人戦死者の60%強は餓死であったという統計があるが、その対極で司令部や高級武官は安泰だったらしい(https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20181110-00103615/)。

新旧の「野火」主人公
餓死では死者も浮かばれまい

 保坂正康が書いている。「高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのでしょうか。英国は階級社会ですが、国を守るという点では王族・貴族もありません。戦争で死ぬということについて、平等性がある。戦争に貴賤(きせん)なしです。・・・ ある陸軍大学校出身の元参謀には「息子を入学させるなら、陸大だよ」と言われました。彼の同期50人ほどのうち、戦死は4人だけだったそうです。エリートは前線に行かず、戦争を美化するんです。」(https://mainichi.jp/articles/20141024/mog/00m/040/003000c;https://bunshun.jp/articles/-/38922)

 こんなのもあった。「アメリカ人捕虜を殺してその肉をたべた….”凶気の宴会”が行われた「父島事件」とは:なぜ日本兵は”人肉食”を求めたのか」(https://bunshun.jp/articles/-/39584);「昼食後に姿を消した3人の日本人捕虜…シベリア収容所の”人肉事件”はこうして始まった:シベリア抑留「夢魔のような記憶」」(https://bunshun.jp/articles/-/39621?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink)。

 はたして日本人は民度が高いのであろうか。国民が戦勝に浮かれてしまい(日露戦争講和時に似た状況あったなあ)、それが軍部を否応なく先に進めさせてしまった、という話もある。軍部も輪をかけて民度が低かった、というべきだろう。そして今もそのようだ。

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世界キリスト教情報第1542信:2020/8/10

= 目 次 =
▼教皇「軍拡に費やす財源を、人々の発展と環境保全のために」
▼教皇、日曜「正午の祈り」でも広島・長崎に言及
▼30年間続いた南北教会の光復節共同祈祷文、今年は実現しない?
▼韓国のコロナ新規感染者28人に、ソウル・南大門市場で集団感染
▼ベイルート爆発で各国が緊急支援、キリスト教各派も乗り出す
▼『サマリタン・パース』がベイルートに援助物資を緊急空輸
▼ロシア正教会で有名な「悪魔祓い師」が新型コロナ合併症で死亡
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