月: 2020年1月

爪が伸び〜る:痴呆への一里塚(16)

 リタイアして、毎日が休日状態になって、なんだか午後二時くらいになると猛烈に眠たくなったりするようになった。このまま死ねたら極楽だなと思っていたら、同じようなことを考える人がいるとみえて、最近以下の文章に出会った。

   「薫風常に吹き来る窓べの寝床に横になって、長い昼の眠りを眠る。ここ二年ほどの間、同窓同期の者の臨終、骨上げに何回となく立ち会った。いづれ順番がまはつて来るのだが、快いこの午睡がそのまま永の眠りにつながつて、仮寝のシテはいつか後ジテに姿を変へと、さういふ具合に終れたらどんなに安気なことかと思ふ。」阿川弘之:安岡章太郎編『滑稽糞尿譚』文春文庫、p.98.

 最近「おや」と思ったのは、あれもう指の爪が伸びてきてひっかかるようになった、ちょっと前に切ったはずなのに、と。 時間感覚がたしかに昔とは違ってきていて、一日があっという間に過ぎるようになったことを、爪の成長で認識するという次第。

 あぁ、そういえば、新年ももう一ヶ月たってしまった。私の残された想定生存時間、あと392週と4日間。

【別件ですが】足の爪が鬼の爪のように厚くなったのはいつごろのことか。気がついたのは2年くらい前のことだったか。今では普通の爪切りでは役立たず、いわゆる若干大型の「ニッパー型」を使っている。母の晩年も施設で切ってもらうようになっていたことを思い出す。

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世界キリスト教情報第1514信:2020/1/27から二題

◎閉ざされたアーミッシュ社会で隠されてきた「性的虐待」  
【CJC】米国版『コスモポリタン』誌と非営利の調査報道機関『タイプ・インベスティゲーションズ』との1年にわたる共同調査で、米国やカナダの一部で自給自足の生活を送るドイツ系移民のキリスト教の1派『アーミッシュ』内で行われて来た近親相姦やレイプなど性的虐待事例が明らかになった。  
 『アーミッシュ』は、その宗教的理念に基づき、米国へ移民してきた当時のままの生活様式を送っている。  
 『コスモポリタン』誌の執筆者は、およそ30人のアーミッシュと警察などの法執行機関の関係者、判事、弁護士、ソーシャルワーカー、学者たちにインタビューし、話を聞いてきた。それらを通じて、アーミッシュのコミュニティにおける性的虐待が、世代を超えて保たれてきた公然の秘密ということが分かった。  
 被害者たちから聞いたのは、不適切な接触、性器を露出されること、レイプなどの話だ。加害者はすべて、被害者自身の家族であり、隣人であり、教会の指導者たちだった。  
 アーミッシュの暮らしに関する研究で知られる、ペンシルベニア州エリザベスタウン大学の再洗礼派・敬虔派ヤング研究センターによると、北米に34万2000人ほどいるとされるアーミッシュは、ペンシルベニア、オハイオ、インディアナ、ケンタッキー、ニューヨーク、ミシガン、ウィスコンシンなど7州の地方部に暮らしている。  
 出生率が高く、コミュニティを離れる人がほとんどいないことから、アーミッシュはアメリカ国内で最も急速に拡大している宗教グループの一つになっている。コミュニティは中央集権的ではなく、教会の“教区”単位で20~40世帯で構成され生活している。そして、筆者が被害者たちから聞いたようなことは、そのいずれにおいても起こっていた。  
 筆者のまとめたところでは、過去20年の間、7州にあるアーミッシュのコミュニティで、子どもが被害者となった性的暴行事件は報告されているだけで52件。しかもこの数字は氷山の一角にすぎないのだ。□
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◎1300年昔の日本に同胞が、とイラン・メディア注目  
【CJC】国営イラン通信(IRNA=英語版)が1月14日、1300年昔の日本に同胞がいたことに注目して、「紀元765年には早くもイランと日本の結びつきを示す発見が」というニュースを流したので紹介する。発見されたのは木簡で1966年、平城宮跡東南隅の発掘で出土した、と日本では報じられている。  
 日本の複数の研究者が、8世紀の昔に少なくとも1人のペルシャ人が奈良に住んでいた証拠を発見した、と語った。  
 日本のNHKテレビによると、古代の木片の一部を赤外線を使用して、研究者は、少なくとも1人のペルシャ人が日本にいたこと、そのペルシャ人は多分、宮廷の教師だった、と判読したという。  
 その木片は、約50年前に奈良の平城京宮殿で出土した。しかし当時は木片の文書を復元する技術が存在しなかった。  
 木片の文書は、聖武帝治下の736年、1人のペルシャ人がシナから日本に来たことを示している。彼を接見した後、帝は彼に位を与えた。  
 研究者は、木片から読み取れる「はしの・きうみち」がそのペルシャ人の日本名と信じている。  
 2017年1月以来、木片は公開されている。奈良は8世紀には日本の文化的首都だった。  
 奈良時代にペルシャ人が住んでいたことを暗示する木片の写真も掲載されている。□

 前者は、まあアーミッシュに限らずどこにでもあることで、と言っておこう。キリスト教信仰なんて、本能レベルを抑えきれず、その程度が実態なのである。ところで、一昨日テレビ東京のドラマ「ハラスメントゲーム」を見たが、私なんか完全にアウト。それにしても冗談も言えず、ぎすぎすと生きづらい世界になったなあ、とつい思ってしまうだめな私がいる。

【追記】https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200117-00010005-cosmopoli-life;https://www.vice.com/jp/article/4w7gqj/the-ghost-rpaes-of-bolivia-text

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 後者は、旧聞に属するが、2016/10/6に報道されていた。「8世紀の日本にペルシャ人の役人か、木簡発見」:https://kaigainoomaera.com/blog-entry-6064.html

 こういう情報に接すると、つい松本清張『ペルセポリスから飛鳥へ』などを思い出してしまう。

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ヤーヴェ神の結婚・離婚報道?:遅報(23)

 1967年に、Raphael Pataiは、古代イスラエル人たちがヤーヴェ神とアシュラ女神Asherahの両方を礼拝していたと言及した最初の歴史家だった。その仮説は、Francesca Stavrakopoulou女史の調査によって新たな光があたることとなった。彼女は、シナイ砂漠のKuntillet Ajrud遺跡で1975/76年の発掘時に見つけられた前8世紀の大甕pithos上に興味深い銘文(むしろオストラコン)を見つけた。大甕は2つあったようで、問題のそれはAのほうで、それが以下である。

右図で、より巨大に描かれ男根ぶら下げているのがヤーヴェ神、右上で横向いているのがアシュラ女神とされる:真ん中の男(ここでは男根なし)は不明
こっちの第三の男には男根がある

 私はヘブライ語を読めないが、研究者によると落書きの上に「サマリアのヤーヴェと[彼の]アシュラ」,即ちヤーヴェ神の妻としてアシュラが並記されていると。  “Berakhti etkhem l’YHVH Shomron ul’Asherato” (“I have blessed you by Yahweh of Samaria and [his] Asherah”

 旧約聖書の「列王記 上」16.29-33には、当代のイスラエル王アハブ(第7代:前869-850在位)が、「シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。アハブはまたアシュラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った」、さらに同、18.19にエリヤがアハブに「今イスラエルのすべての人々を、イゼベルの食卓に着く四百五十人のバアルの預言者、四百人のアシュラの預言者と共に、カルメル山に集め」るよう言っている。要するにこの時期、神殿内にアシュラ像があった、おそらくヤーヴェと対の夫婦神としてだったと思われる。

 こうして、ヤーヴェ神は、かつて女神アシュラと結婚していたが、バビロン捕囚でかの地に単身赴任させられ、遠距離で夫婦関係は疎遠になり、その間ずっと別居状態で、帰国後復縁もできず離婚となってしまった、ということなのだろう。

【追記】以下のような、文字と絵とは無関係とする慎重論も、当然ある。http://www.messagetoeagle.com/ancient-yahweh-and-his-asherah-inscriptions-at-kuntillet-ajrud-remain-an-unsolved-biblical-mystery/

 いずれにせよ、人類創成以来、女神ーー>夫婦神ーー>男性神、といった神々の進化論の系譜からすると、ユダヤ教とて、女神時代、夫婦神時代があって一向に不思議ではないだろう。

 古い翻訳だが、ゼミでも輪読した以下を思い出してしまう。J.G.フレーザー『旧約聖書のフォークロア』太陽社、1977年(原著1923年)。さらに、永橋卓介(『イスラエル宗教の異教的背景』(基督教教程叢書 第13編)、日獨書院株式会社、1935年;『ヤハウェ信仰以前』国文社、1969年、など)も忘れがたく忘れたくない先駆者。彼は、フレーザー『金枝篇』の翻訳者でもある。いずれもまだ古書で入手可。

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緖方貞子氏

 1/18のETV特集「すべての人々に尊厳を:緖方貞子が遺したもの」の再放送を見た。前例に従って難民を見殺しにするのか。怒りを力に替え、最も弱い立場の人々を救おうと、「人道支援」の枠組みを変え、現場に乗り込む度胸があった女性。1990年代に10年に亘って国連難民高等弁務官、その後10年ジャイカ理事長として活動。「内向きになってはいけない」。キャスターの国谷裕子さんを久々にみたのも収穫だった。

https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2020-01-18&ch=31&eid=14633&f=20

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太陽と火山と遺跡や古墳:飛耳長目(25)

古墳と火山と太陽 ~第441回望星講座から~

2020年1月15日:北條芳隆(東海大学文学部歴史学科考古学専攻教授)

 弥生時代や古墳時代には、火山や太陽の運行を意識して、遺跡や古墳が一直線上に造営されたものが存在する、と論じていて興味深い。

:https://mainichi.jp/articles/20200110/hrc/00m/070/002000d

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世界キリスト教情報第1513信:2020/1/20:前教皇反対表明か

◎前教皇が既婚男性の司祭任命に反対表明、バチカンに衝撃  
【CJC】カトリック教会の前教皇ベネディクト16世が、既婚男性を司祭に任命する案に反対していることが1月12日、分かった。AFP通信などによると、新著「わたしたちの心の底から」(仮訳)の中で、フランシスコ教皇に向けて司祭独身制の継続を強く訴えており、バチカン(ローマ教皇庁)の専門家らはその内容に衝撃を受けている。  
 フランシスコ教皇は現在、司祭のなり手が不足し、ミサがほとんど行われていないアマゾンなどの遠隔地域で、既婚男性が司祭となることを認めるよう求めた司教会議(シノドス)の提言を検討中。結論は今後数週間のうちに発表されると見られている。  
 これに対し、2013年に約600年ぶりに教皇を生前退位したベネディクト16世は「もはや黙ってはいられない!」と新著に記していた。  
 新著は、ギニア出身の保守派の急先鋒ロバート・サラ枢機卿との共著で、仏日刊紙フィガロが12日に抜粋を独占公開した。  
 その中で2人は、「司祭独身制の価値をおとしめようとする悪い嘆願や、芝居がかった悪魔のような虚言、流行の過ち」に教会そのものが「揺さぶられる」ことがないよう訴え、「聖別された独身制が絶え間なく疑問視される状態」に司祭たちが「混乱している」と警告している。  
 ベネディクト16世は、「婚姻関係は男性の完全性に関係している。そして、神に仕える際にも、人は神から与えられた全てをささげることが求められる。この二つの使命を同時に実現することは不可能に思う」と述べている。  
 しかし、バチカンの専門家たちは、退位した前教皇がデリケートな問題に介入することに驚きを表明。「名誉教皇(ベネディクト16世)が(世間から)身を隠し、服従するという自らの約束を守らないならば、(バチカン内での)共存は難しい」と指摘している。□ ――――――――

◎前教皇が「既婚司祭」反対本の共著から名前外すよう要請  
【CJC】カトリック教会の前教皇ベネディクト16世が、既婚の男性でも司祭になれようにする見直しに反対意見を表明する本「わたしたちの心の底から」(仮訳)を発表したと伝えられて議論を呼ぶ中、前教皇は同書の共著者から名前を外すよう出版社に要請した。現教皇フランシスコへの異例の批判として広がる波紋を抑えるためと見られる。  
 『カトリック・ワールド・ニュース』はベネディクト16世が1月14日、秘書を通じて本の共著から名前を外すほか、まえがきやあとがきの署名も掲載しないよう出版社に要請したと伝えている。□

 前教皇は、保守派に利用されているだけだ、との見解も。http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/cat_50020859.html

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桜を見る会の忖度報道

 今日の毎日新聞のウェブ記事に以下が掲載されていた。

 「桜を見る会」に首相や与党などの推薦で招待された人たちの名簿を、内閣官房と内閣府が会の直後に廃棄したとされる問題で、名簿の保存期間を「1年未満」とした両官庁の対応に官僚からも疑問の声が上がっている。 ▽他省庁官僚からも「あり得ない」 疑問相次ぐ内閣府の「桜を見る会」名簿 廃棄の謎 https://l.mainichi.jp/vFeqmdV

 私からすると官僚システム的に至極まっとうな理解と思われるのだが、こういう見解がなぜテレビのニュースにさっさと出てこないのか、不思議でならない。公正な報道とは何か。今に始まったことではないけれど、現場の記者の取材記事が新聞社の紙面にはそのまますぐには載らないということなのだろう。時期をずらしての掲載や、ウェブ記事は記者のガス抜き、会社としては免罪符なのだろうか。

 史料として後世に残るのは紙面情報だけなのだろうか、それともウェブ情報も残るのだろうか、知りたくなった。また、記事の出し方・時期まで目配りする必要があることに今回気付いてしまった。

【追記】元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏によると、すべての根源は、森友問題での事後処理の駄目さにある、といっていたのが印象的。その通りだと思う。https://mainichi.jp/articles/20200121/k00/00m/010/085000c?cx_cp=nml&cx_plc=bnr&cx_cls=newsmail-cp_article

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同性愛者を好んで採用した英国王室:飛耳鳥目(24)

 今、見るともなく見ているBS1「世界のドキュメンタリー」の「執事の見たイギリス王室」で、エリザベス女王の母のエリザベス皇太后のエピソードで、彼女が多くの同性愛者をイギリス王室に使用人として雇用していた、という話が出てきて、初めて知ったのでちょっとビックリ(理由は娘たちのことを考えて、との由。2019/10/23:https://ameblo.jp/kyonroudge-kk/entry-12538405020.html)。ま、中国での宦官に類似した現象なのであろう。むしろ忠誠心や細やかさで、取り澄ました宮廷儀礼の執行にはマッチョな男性よりも適していたのであろう。

 試しにウィキペディアを見てみると「1970年代に保守党の首相が、同性愛者を雇用しないようにエリザベスに勧告したときには、彼らがいなくなったら「セルフサービスしろとでも言うのかしら」と撥ねつけている」なる文があった。なので、その筋ではよく知られていることだったようだ。しかし英国王室の自称研究者たちはこういうこと知ってても書かないのだろう、たぶん。こっちも忖度の世界。

 番組では、同性愛者にとって王室は安全な職場だった、ともコメントしていた。給料は安かったらしいが。ま、何でもありのイギリスらしい話ではある。

【追伸】こんな情報もすでにあった:記事日付:2018/06/20。https://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/7.html

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「衰退途上国」なる言葉:飛耳長目(23)

 こういう言葉があるのを初めて知った。現在の日本を言い得て妙だ。私は経済音痴なのだが、古代ローマの衰退を考える意味でも追体験的なヒントになるかもである。https://www.mag2.com/p/news/435058

 そこでは、日経が1997年に2020年を予想していたのだが、状況は予想以上に悪化している、要するに何の手立ても功を奏していない、このままだともっと悲惨な状況になる、と論じている。過去30年間改善できなかったという事実の重たさを認識するとき、もう先が見えている、というわけだ。以下、引用する。

     最大の問題は、先進国時代の「贅沢な安全基準」「大き過ぎるインフラ」「要求の高い市民や消費者」といったものを抱えているために、ただでさえ過大となっている社会維持のコストが重くのしかかっているという問題です。

     これは、昨年秋の台風15、19、21号でイヤというほど思い知らされた問題です。とにかく、全体が大きく沈みつつある中で、部分的に過去の先進国時代の制度やインフラが残っていて、これが悪い作用を起こしている、その一方で過去の成功体験の延長上でしか発想できない…これが「衰退途上国の特徴であると言わざるを得ません。

 それにどう対応すべきか、筆者はまず「現状把握」が必要、として5つの問題を指摘しているが、私などいずれもいまさら間に合わないだろうと思わざるをえないのが、悲しい現実である。国民のメンタリティーすら問題視される場合もある。ローマ帝国の衰退でも同様のことが指摘されていたのであるが。

 しかし、逆転発想もありだと思う。(西)ローマ帝国が滅亡しても、どっこい帝国の故郷イタリア半島の人々は生き続けてきた、という当たり前のことを忘れてはならない。えてして対象を限定して論じ勝ちな研究者の視野には当該時代しか見えていないことが多いのである。現在に至るその後のイタリアの歴史を見れば明らかであるが、イタリア人は浮沈の波動を経験しながらも、彼らの経済力や資源、メンタリティがどうあれ、現在も生き続けている。国の滅亡は住民・民族の滅亡を意味していなかった。このことにこそ注目すべきだと私は思う。

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