月: 2020年1月

映画:「二人のローマ教皇」

 以下、私はまだみてませんが、もう終わりそうなので、衆知します。

 上智で会った人が「みたほうがいい」と激賞してました。  https://eiga.com/movie/91725/  

 上映館も上映時間も限られてます。https://eiga.com/movie/91725/theater/

 渋谷の「アップリンク渋谷」で、1/17-20は、毎日14:20から125分
                1/21-22は、12:45から125分  
 都内では他に吉祥寺の「アップリンク吉祥寺」で、1/23まで:時間帯は日によって様々)  千葉では、なんと柏の「キネマ旬報シアター」で、9:20から(1/18はなし; 23まで)

 今日(1/21)渋谷に行ってきました。映画館は同名の喫茶店に突入すると入場券発売するところがあり、シニア1100円でした。一日10本くらいの映画を一回づつ放映するやりかたみたいで、部屋は50人も入れない空間で、残り座席5席くらいでした(ウェブで予約しておいたほうがいいです)。イスも立派なものではありませんでしたが、「二人の・・・」の内容は、面白くもあり深刻な内容もありで、飽きませんでした。人間の苦悩とはだれをも悩まし、だがそれを前向きに引き受けていくことの雄々しさ(でも彼らは75歳をこえているわけ:私にはできない)を感じました。それに、バチカンとかローマとか、カステル・ガンドルフォやアルバーノ湖など、懐かしい風景が出てきて楽しませてもくれました。

 ただ、やはり問題は簡単ではないようで、キリスト教情報第1513で表沙汰になった不和説で、いよいよ本番突入か。

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私にとっての「三上」:トイレ噺(14)

 欧陽脩「帰田録」に「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃(すなは)ち馬上・枕上・厠上なり」の言あり。すなわち、文章を考えるのに最も都合がよいという三つの場面。馬に乗っているとき、寝床に入っているとき、便所に入っているとき、というわけである。

 私に「馬上」の体験はない。確かに体験的に「厠上」は物思いにふけるにはいい場所のように思う。ただし、私に具体的成果の記憶はないけど、今後に期待しておきたい。そして「枕上」はさしずめ湯川博士だが、しかし私の場合は確実に眠ってしまう。だが「枕」ならぬ「夢」の中なら、いささか体験がある。今はむかし、修論の最終段階で、夢の中でひらめいた着想があった。「これで修論はできた!」と狂喜したのはいいが、もちろん,起きたらすべて忘れてしまっていたのは言うまでもない。 

 私の体験ではむしろ、風呂の湯船につかっているときに、着想が湧くことがある[かつてあった]。だから一時期,風呂の中に防水のメモ用紙をぶら下げていたこともある。いわば「湯上」というわけだが、用意万端だとかえって思いつかないものだ。これも今はむかし、40年近く前のことだが、青山学院大学での日本西洋史学会の口頭発表の前日(というより当日の丑三つ時)のこと、古代史なので残存史料は限定されている。レジメにそれらを網羅して印刷済みだったが、最後の詰め、というか史料をつなぎ新知見を紡ぎ出すための論理のつながりがどうしても決まらず、しかし発表時間は迫るしで時間切れぎみで、平凡な発表になるがしかたがない、諦めて風呂に入ってせめてさっぱりして人前にでなけりゃ、と湯船につかったとき、突然ひらめいたのである。私は水浸しのまま風呂を飛び出して部屋のメモ用紙に駆け寄り、メモった、ことがあった。まるでアルキメデスだったが、「ヘウレーカ!(ηὕρηκα!)、ヘウレーカ!(わかった! わかったぞ!)」と叫びはしなかったが。おかげで自分的には満足のいく口頭発表をすることができた記憶がある。

 かくして今後への期待を含めて、「厠上」「湯上」、そして「夢上」が、私の場合の「三上」ということになる。
 しじょう、ゆじょう、むじょう

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考古学と神:遅報(22)

 ウィーン在住のジャーナリスト・長谷川良なる人物のブログ。2019/11/20「考古学者は「神」を発見できるか」:http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52261942.html

 以下の、この視点はたいへん面白かった。

 エジプトから60万人のイスラエル人を率いて神の約束の地、カナンを目指した指導者モーセの実存は今なお実証されていないことだ。60万人のイスラエル人がエジプトからカナンへ移動する場合、考古学的にも何らかの痕跡が残るものだが、これまで見つかっていないのだ。
 欧州で2015年秋、100万人以上の難民・移民が中東・北アフリカから彼らの“約束の地”欧州を目指して大移動したが、彼らの足跡は移動ルートのバルカンには残されている。移動途中、亡くなった難民・移民もいただろう。彼らの遺骨が埋葬された場合、何世紀後にその痕跡を辿れば、「西暦2015年ごろ、中東のシリアから大量の人々が欧州を目指して移動していた」という史実を解明するだろう。しかし、「出エジプト記」のイスラエルの大移動の痕跡は考古学者の努力にもかかわらず発見されていないのだ。

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 彼は「イエスの実の父はザカリアス」とも書いている。聖書学的にはきわものめくが、当時から知られていたイエス出生の秘密に関して、解釈的には面白い。http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52264551.html;http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/51755190.html

 この見解、10年前の以下が種本らしいが、統一教会では40年も前から部外秘で言われていた由。Mark Gibbs, Secrets of the Holy Family, CreateSpace Independent Publishing Platform, 2009. 著者はフリー・ジャーナリスト。残念ながら古書でなんと900ドル以上の高額、ないし我が国では新本は入手できない状況。また大学図書館も所蔵なし。日本ではまた、歯科医師の土屋仁なる人物も『クリスマス文書』文芸書房、1996、で書いているらしい。出版当時の定価2000円が、今では古書で6000円だが、まだ入手可能。内容的は専門家でないので問題が無きにしもあらず。

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日経「私の履歴書」とノーベル賞:遅報(21)

 なぜか記憶にないが、ウェブで応募したのだろう、2,3日前から日経新聞がポストに配達されるようになった。昔はずっととっていたが、退職を機に朝日新聞とともにとるのをやめていた。ウェブでは毎日も含めてちょろちょろ読める契約をしているが。

 改めて紙の日経を読みはじめて、なんだか記事全体が軽いなという印象に捕らわれた。その印象は私の読む定番最終ページの「私の履歴書」に至って確信に変わった。今月の執筆者は「日本証券業協会会長」の鈴木茂晴氏。もちろん私に一切予備知識もない御仁だが、書いていることがひどすぎる。ぐぐってみると、なんと私と同年生まれだった。読後感的には、口先一丁での世渡りで出世してきた人なんだなあ、こういう人がバブル時代に跳梁跋扈していたんだなあ、という意味ではよくぞここまで暴露的にお書きくださった(取り澄ましたきれい事ばかり書く人が多い中で)、という感じで功罪半ばではあるが、私のように世渡りが下手な身からすると、こんな人が「会長」職を占めているようでは、日本の将来暗澹たるものと悲憤慷慨したくもなる。

 昔、大学事務してた女性が、大学卒業後に大手の証券会社に入社して、でもなぜかそこを辞めて不安定な大学の臨時職についていたので、私が「どうして?」と聞いたら、「だって悪いことしているのが見え見えなんですから」と言っていたのを思い出さざるをえなかった。よほどの僥倖に恵まれない凡人の場合、成功の裏には不正の芽が必ずあって、というわけなのであろう。

 こんな印象にとらわれていた折も折、またぞろ東京都知事の学歴詐称問題がウェブに流れ出していて、その連載を追っかけていたら、今度は村上春樹をあげつらった記事が飛び込んできた(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54648;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54327;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54151)。書き手がこれまで我がブログでも紹介したことのある伊東乾氏だったりするので単なる誹謗中傷とは思えない。村上にはどうも売らんかなの基本戦略があって、それが二枚舌の軽口に通底していて問題だ(ノーベル賞なんてとんでもない)、ということらしい。

 軽い読者に迎合した軽い作家、だから売れる、という循環理論が本当なら、私ももっと早くこの秘訣に接していたら今と違った人生があったかもしれない。真逆の道に迷い込んでしまった我が才覚のなさを呪いたくなる、というのはまあ冗談にしても、社会的地位を得た人が「全然勉強しなくて遊びまくった学生時代でした」と書くのは止めてくれ、と伊東氏が力説するのには両手で同意したくなるけれど、よくよく考えてみると、私の学生時代も大学の授業から学んだことはそうなくて(というより、学びとるだけの素地がこちらになかった、というのが正確か)、大学封鎖で授業がなかったのを幸いにして、鍛えられたのは専ら自主研やサークルでの読書会だったのは事実なので(身の丈にあった自分探しの場所がそこだった、ということだろう)、この点に関してはあまり大口は叩けないのである。だが、遊んだと書いてあって、遊んでいいんだとしか読み取れない読者など、どうせはなからろくな者ではないのでは、と思ったりもする。アメリカ映画の影響か、人生なにごともゲームだという言説も流布している昨今ではないか。マジメに遊べばいいだけのことのような気がしてならない。

【追記】今日になって、日経の販売店から電話がかかってきた。再度購入されませんかというわけであるが、もうリタイアしてるので、だけどウェブでは読んでますよとお引き取り願ったら、「ああやっぱり」みたいな、負け戦的な声の印象であっけなく引き下がられた。ウェブ時代となって紙の新聞は苦戦を余儀なくされている感じがもろ伝わってきた。弱り目に祟り目に遭遇したら、私だったらどう起死回生の策を講じるだろうか。

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世界キリスト教情報第1512信より:マニラで黒いキリスト像に330万人殺到

 まあこれが、本源的な信仰というものだろう。身近に負を背負っている庶民信者は救われたいのです。
 【CJC】フィリピンのマニラ首都圏マニラ市で1月9日、触れれば病気が治ったり幸運が舞い込んだりすると信じられている黒いキリスト像を載せた山車がキリノ広場から市内を練り歩く毎年恒例のカトリック教会の最大行事の一つ「ブラックナザレ祭」が開催された。キリノ広場からの出発前、キアポ教会で同教会エルナンド・コロネル司祭司式による深夜ミサが行われ、このほど枢機卿に選任され、フィリピンを離れることになったルイス・アントニオ・タグレ・マニラ大司教が最後の祝福を行った。  
 信者たちは等身大のキリスト像を一目見ようと、夜明け前に集まった。像を載せた金属製の山車は綱で引かれ、午前4時から午後9時近くまで、市内の狭い街路7キロ分を練り歩いた。  
 山車に載せられ、市内を巡行する「ブラックナザレ」に信者約330万人(警察推計では100万人以上)が行列を作ったが、例年よりも早い約16時間半で巡行を終えキアポ教会に到着した。過去5年では最短時間を記録した。  
 山車が通るルートには大勢の信者が殺到し、キリスト像に少しでも触れようとする人、像をタオルでぬぐおうとする人、あるいはせめて山車につながったロープに触れたいという人たちが次々と山車によじ登ろうとした。  
 ただ信者たちは素足での参加が基本で、殺到する人々が将棋倒しを起こすこともあり負傷者が後を絶たない。  
 赤十字社によると、今年は祭りの中盤に差し掛かった時点ですでに約220人が切り傷やめまい、打撲、捻挫などで手当てを受けたという。この祭りでは毎年数百人がけがをし、数人の死者が出ることも少なくない。昨2019年の「ブラックナザレ祭」には100万人以上が詰め掛け、2人が死亡している。  
 マニラ市内では、混乱を避けるため役所や学校などは休みとなり、爆弾テロ対策で携帯電話の電波も停止されるなど厳戒体制が敷かれた。  
 「ブラックナザレ」は約400年前にメキシコからフィリピンに運んで来られた際、船上で火事に遭い黒く焦げてしまったという話が伝わっている。□

 フィリピンのカトリック信者には過激な信心業が多い。以下の十字架刑再現もそれ:https://jp.reuters.com/article/cross-idJPKCN1HA0FR

 以下は【閲覧注意!】:http://karapaia.com/archives/52078064.html

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ケルトの女神Epona:Ostia謎めぐり(3)

 場所は、III.xiv.1-15:Caseggiato di Annio 。「アンニウスの共同住宅」。アンニウス通りvia di Annioに沿った、西側から見た正面図では、左(北)から右(南)に、番地1,3,4,9,10,14(数字は、9を除いて出入口に付されている)が検討対象である。

↑ここ       

          1   3         4     9     10        14   
3Dレーザー測量による西正面図:九州大学堀賀貴教授よりの提供

 この箇所のスレートと文字モザイクの位置関係は以下のごとし。

京大で発表時のDeLaine女史配布レジメより

 但し、一番右側のスレートは、J.DeLaine女史の想定であって、原位置では下のように枠内にスレートはない。(J.Th. Bakker:https://www.ostia-antica.org/privrel/privrel.htmによると「Possibly from the facade of the Caseggiato dietro la Curia (I,IX,1)」)又、上図の文字モザイクとの対応関係を考えると、左端の「OMN[I]A」の下部にもうひとつスレート枠があっていいはずだが、現況ではその痕跡はない。

           ↑スレートはめ込み枠

 逆に、右端のスレートの上部にも銘文を印したTABULA ANSATAが予想されるが、上部の壁は崩壊しているので確かめようもない。ただ、判明している3つの銘文を連続で捉えるなら、「OMNIA FELICIA ANNI[I]」で、「アンニウスの(商売)すべて上首尾」と読めるので、右端スレートについてのDeLaine女史の想定が正しければ、「(女神)Eponaによって DE EPONA」に類する文言だっただろうということになる。

 さらに、区画14の南面右角の上部にニッチが確認される(DeLaine女史の位置づけは間違い)。ここにエポナ女神像が安置されていた可能性は高いが、店主のアンニウスの彫像だったかもしれない。

DeLaine女史想定位置↑             ↑現況のニッチの場所

 検討すべき論点は多い。スレートには以下が描かれている。現状左端が、両脇のドリウム[型式からスペイン産オリーブ油用と思われる:関連でこの集合住宅の北側に当然注目すべき]に挟まれた人物と右上に机に座った人物(どちらかがたぶんアンニウス)、中央は帆に風をはらんだ商船と舵をとっている人物、そして想定されている右端は、左右に馬を従え玉座に座り、右手で馬の口に手ずから餌を与え、左手に豊穣の杖らしきものをもった女神エポナが描かれている。このエポナ像は構図やアトリビュート的に他の一般的なエポナ像と比べて特異といっていいだろう(一般的なポエナ像は以下参照:http://www.epona.net;但し、Jovicic, Bogdanovic, New evidence of the cult of Epona in Viminacium.pdf掲載のFig.10の紅玉髄製貴石の構図は、女神像に限って極めて類似の印象)。

左スレート
中スレート:船体の前方にスレート制作年を表示する丸い押印が見られる
右端想定スレート:女神の頭部は失われている
左手に持っているのは鞭だろうか。今一不明
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映画:「バルト・キングダム」

 偶然見ることになった。英語では「Baltic Kingdom」2010年、イギリス=ラトビア映画。最初は「バトル」と読み違えていたので、混乱したが。ALLCINEMAによると以下のような解説。

 13世紀、バルト海沿岸に村レベルの小国でありながら、交易で財を成し、独自の神をあがめるゼムガレがあった。彼らは最強の戦闘民族と恐れられ、ローマ帝国、そしてバイキングすらも、その地に足を踏み入れなかった。
 彼らを快く思わないローマ教皇の子・マックスはゼムガレを征服しようとある陰謀を企てる。ゼムガレの王と王子を毒殺し、それをゼムガレの近隣国の仕業にしたのだ。
 若くしてゼムガレの後継者となったナメイは、ローマの陰謀と気づかぬ中、王の復讐に身を投じていくのだが・・・

 ローマ教皇が出てきてるので、13世紀であればローマ帝国はちょっとないよな、と。おそらく神聖ローマ帝国の誤訳だと思うが、それにしてもイタリアにいるローマ教皇が表に出てくるのは違和感がある。たぶんキリスト教国の宣教が現地民にとって卑怯極まりないものだったことを示したかったのだろうが。この一点で見る価値がある。以前紹介した「バイキング」もそうだが、ようやく被征服民側の主張が映像となる時代がやってきたようだ。どうやら再放送も予定されている。

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コンスタンティヌス大帝の著名コイン:SPES PVBLIC

 いつもウェブ・オークションを見ているClassical Numismatic Groupだが、この1/14-15にNew Yorkで第48回国際競売が、出品1453ロット、売買予定総額780万ドルで開催予定とのメールが届いた(https://www.cngcoins.com)。そのカタログをみていたら、とんでもない出物に出くわした。それが326/7年コンスタンティノポリス造幣所第一工房打刻の一品で、表面に若々しい皇帝(実際には当時54,5歳)の右向きの横顔と周縁に「CONSTAN TINVS AVG」、裏面に、先端に「キー・ロー」の意匠の竿頭をいただき、三つのメダイ(当時の3皇帝、正帝コンスタンティヌス1世、副帝クリスプス、副帝コンスタンティヌス2世の肖像、という説あり)が描かれた軍旗(ラバルムlabarum:私は軍団旗の類いではなく、皇帝旗と考えている)を装着した旗竿の石鎚が蛇を刺し貫いているデザインと、「SPES PVBLIC[A]」(国家的期待)が打刻されたものである(一行下のAは第一工房の刻印と読む)。

コンスタンティノポリス建設開始は324年、落成式は330年だった。

 そのコインとその周辺に関する詳細は生きていたらいずれ多少立ち入って触れる機会を持ちたいと思っているテーマであるが、とにかく、コンスタンティヌス研究者にとってはまさに垂涎の的の記念貨幣である。もちろん私もオークションに出品されたのを見たのは今回初見で、出品者側の評価額3000ドルとなっているが、この額で決着しそうもない気がする。日本のどこかに一つはあってほしい品なので、本当なら暮れのボーナスをはたいてでもチャレンジしたいところだが、年金生活者で競売に参加する余裕がないのが残念至極。

【追記】しょっぱな1800ドルをつけた人がいたが、その後どうなっているかと先ほどみたら、なんとまだ15日以上のオークション期間を残して「Lot Withdrawn」の表示がっ。こういう場合どうなっているのか詳らかでないが、博物館とかの大口が介入して即金で落としたのだろうか。まあそうされても仕方のない一品ではある。私人の死蔵よりはいいのは確かである。

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日本の司法制度?

 ゴーンの国外逃亡とレバノンの記者会見について、日本政府に忖度したマスコミの意図的曲解が垂れ流しになってきたが、ようやくまともなコメントが出てきたようだ。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58905?pd=all

 問題となっているのは、司法制度や裁判制度一般にあるのではなくて、逮捕後から起訴に至る取り調べが人権を無視した後進国レベルにあることだ。そのポイントをぼかしての法務大臣の反論を聞いていると、あれこれの問題で物議をかもしている中華人民共和国や大韓民国スポークスマンのそれと同レベルのように、ひたすらうさんくさく私には聞こえてしまう。

 この件は1年も前に舛添要一らが指摘していた。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55691?pd=all;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55692?pd=all

 日本の制度に改革の必要があることは確かなのに、それへの言及は皆無なのである。

 ついでに飛び込んできた別件、またまた蒸し返される都知事の学歴詐称問題。今回は6回連載とのこと。表に出ていないが、今年7月都知事選がらみであることは確かだろう。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58847?pd=all;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58851?pd=all;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58851?pd=all

 外国語に関わっている身からすると、都知事の旗幟が圧倒的に形勢不利であることは明らかである。

【追伸】1/20の毎日新聞のウェブに以下が出た。「この国はどこへ これだけは言いたい」弁護士・久保利英明さん:https://mainichi.jp/articles/20200120/dde/012/040/018000c


【追伸2】0年1月22日 :保釈中逃亡の許永中さん、6億円没収「惜しくなかった」:

202https://digital.asahi.com/articles/ASN1P433DN1NUPQJ00N.html?ref=mor_mail_topix3_6

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トイレ・ウンコ・シッコ本:トイレ噺(12)

 人生の主役ではないくせに、人々の意表をついて笑いを誘い、またのぞき見趣味を満足させるテーマだからであろうか、汗牛充棟でありながら玉石混交の書籍が溢れている、そんな印象を持つ中で、ここでは特徴あるものをまとめておこう。

(01) 山田稔『スカトロジア(糞尿譚)』講談社文庫、1977年:筆者(1930-)は元京都大学人文研教授(1994年退官)。専門がフランス文学のせいか、本書は古今東西の諸文献からの博覧強記の引用がなされていて、私の読書意欲を刺激してくれた。冒頭、水上勉『雁の寺』、太宰治『斜陽』、夏目漱石『こころ』、火野葦平『糞尿譚』、ゴンクール『日記』、で始まっているが、白眉はスイフト『ガリバー旅行記』やラブレー『ガルガンチュワ物語』あたりだろうか。

(02) 藤井康男『異説糞尿譚:古今東西、ちょっとくさい話』カッパ・ブックス、1986年:著者(1930-1996年)は、株式会社龍角散社長だったが(薬学部卒業後、理学博士号も取得)、ほとんど会社に寄りつかない多趣味な粋人だったらしい。本書においても、その面目躍如で、普通の人が書くのを避けている件にも果敢に切り込んでくださっている。ご自分の体験を惜しげもなく吐露されていて、多数の女性との交流から情報を得ているようで、あれれと思わされるし(とりわけ女性の立ちションと排尿時の音にやたらこだわってらっしゃる)、クラシック通だからだろう、モーツァルトのすさまじいスカトロジックな書簡の紹介には畏れいった次第(p.29-38)。ただ一点、別役実『道具づくし』大和書房、1984に騙されて「かわやだんご」「かわやどびん」をマジに取り上げているのはご愛敬か(p.186-188)。


 参考までに別役が掲載している「かわやだんご」の図を示しておこう。もっともらしい彼の註記によると挿画は『和漢三才図会』掲載とのこと。ちなみに「どびん」のほうは言及のみで挿絵はない。

p.201掲載

(03) 有田正光・石村多門『ウンコに学べ!』ちくま新書、2001年。有田(1950-)と石村(1957-)は東京電機大学理工学部所属の理系と文系の研究者のコラボ作品である。なので本書前半には数字がよく出てきていて、私には有難かった。そして、水洗になって大小便が水に流されてたちまち目の前から消え去ることに慣れてしまった私たちに、ウンコの行く末、下水処理の現実:資源の浪費を教えてくれていて、たいへん説得的である。そしてむしろかつての人糞を肥料として活用していた時のほうが合理的だった、とサスティナブルな視点で論じている。

(04) 安川実『ふうらい坊留学記:日本青年、アメリカ西部を荒らす』カッパ・ブックス、1960年。著者(1933-2010年)は「ミッキー安川」という芸名で20世紀後半から21世紀にかけて活躍したマルチタレント。1953年アメリカのテネシー大学留学生時のエピソード(アメリカ人学生がトイレでまず小を出してから大に移動するのを見て、日本人は同時に排泄できると賭けにもちこみ掛け金をせしめた)は、私もカルチャーで利用させていただいた。このエピソード、日経の「私の履歴書」でどなたか名前を失念したが、我がこととしてパクって書いていたのを読んだ記憶もある。今回ググっていて復刊されているのを知った(『ミッキー安川(の)ふうらい坊留学記:50年代アメリカ、破天荒な青春』サンケイ出版、1980年;中公文庫、1999年;復刊ドットコム、2010)。

左端が初版で、順に歴代再版表紙

(05) 斎藤たま文・なかのひろたか絵『おしりをふく話』福音館書店、1998年。これは児童向きの『月刊たくさんのふしぎ』の1998年9月号(第162号)である。なにがいいかというと、日本における大便の後始末の素材の変遷を絵入りで説明していることで、たとえば他の著作では「昔は稲藁の束で拭いていた」と文字で書くだけでおわっているものを、藁の折り方を図で示してくれていて具体的この上なく、私にとって大変役だった。そして、昔の庶民は身近に豊富にあった素材を工夫して使って、また自然に戻していたことをさり気なく伝えてもいるが(川の上流で尻拭きに使ったクソベラを、下流で薪として拾っていた、というのは笑えた)、はたして想定読者層の小学生に内容の真意が伝わっただろうか。

(06) 安岡章太郎編『滑稽糞尿譚:ウィタ・フンニョアリス』文春文庫、1995年(初版、講談社、1980年)

 この本のいいところは、色々な著作からトイレ話に関する部分を引用してくれていることである。吉行淳之介、北杜夫、入江相政から始まって21名の日本人文筆家、そのあとチョーサー、ラブレー、オイレンシュピーゲル、バルザック、風来山人(平賀源内)の抜粋が続く。

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