月: 2020年11月

本ブログの初心に帰りたい:痴呆への一里塚(40)

 このブログを始めたのは、自分のささやかな研究の落ち穂拾い、みたいなことからだったが、なんだか最近は誰でも書ける爺(じじい)放談」、もとえ時事放談が主となってきているような気がして、我ながらすっきりしない。

 実は、公開していない研究内容の「下書き保存」はそれなりに幾つもあるのだが、まあ他人様にお見せするだけの練度に至っていないというわけだ。しかし、いわばこの現象自体が、ひょっとすると私の気力の衰えの現れなんじゃないかと、ちょっと後ろ向きになる昨今ではある。

 そんなとき、20日ほど前来年の某学会大会発表の追加募集(但し、小シンポは古代・中世史のみ:やっぱりこの分野が低調か)がメールで舞い込んだ。自分なりにおもしろく、学界的にも意味あると思ってるテーマがないわけではないので(ずばり、あるのです!)、やっちゃおうかと一瞬思い(私の場合、自分を追い込むのがカンフル的な刺激になるし)、嫁さんにそう言ったら、彼女の分野でも、90歳の先生でまだおやりになる人がいてねえ、と迷惑そうに返されてしまった。

 理系とちがい、文系は歳取ってからこそという思いもあるのだが。幸い私には付き合ってくださる読書会参加者の人たちがいて、そこでの発表準備だけでも相当な時間を費やし、またそれは私には十分楽しい作業なのである。そこだけの発散でも十分なのだが、若手に元気がないのなら、彼らの進出を邪魔するわけでもなく、場を盛り上げるまではいかないにしても、学会大会の隙間ふさぎになるだけでもいいのじゃないか。これで萎えてしまったら、それこそ老化現象なのかもしれない、と思いつつ、追加締め切りは12月20日、まだそのメールは消さないでいる。

 リタイア時に私が設定した、健康寿命ならぬ、研究寿命は75歳。もうあと2年しか残されていない。発表者埋まりましたかと聞いてみようかしら。でも、よくよく考えたら、あの学会、わたしゃ2018年に口頭発表やってるんだよね。たしかあの時も追加募集だったと思うけど、出身研究室主催だったし、枯れ木も山の賑わいで。

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コロナで職場が変わる?なわけないやろ:飛耳長目(70)

 テレビで、ホームワークをもう止めた、初めからしなかった会社が全体の6割といっていた。他方で、ホームワークはいいですよ、淡路島や沖縄に移住して、自然の中でのびのび仕事続けてますよ、と盛んに喧伝してきたのもマスコミだったが、多くのサラリーマンにとって、寝に帰るだけの、子供の勉強部屋はあっても自分の仕事部屋がない現在の居住空間では、むしろ仕事ができないらしい。挙げ句、DVも増えているという情報すら流れているが、本当だろうか。

 片一方で未来はこうだと威勢のいい話題ばかりがしゃしゃり出るが、実際、その渦の中で翻弄される個々人はたいへんだ。生身の多くのサラリーマンにとって、慣れ親しんできた職場の環境がなんとか変化なしで逃げ切りたい、というのが本音のはずだが、さて経営側がいつまでそれを許してくれるか。そう甘くはない予感はする。すでに異種業務に配置転換させられている人たちも出てきている現実がある、ま、失業よりはましなのだろうが(https://my.mainichi.jp/articles/20201126/k00/00m/020/037000c)。

 あっさり言ってしまうと、対応して変化する職種・職場とそうでない職種・職場がある、ということだろうが、いずれにせよ主導権は経営者側にあるわけで、従業員は受け身である。政府もgo-toなんらを連発するよりも、弱者救済の手立てに工夫を凝らすべきなのに、なにやってんだか。西村なにがし大臣のうつろなぎょろ目はもう見たくない。

 それにしても、作家の真山仁氏が面白いことを言っている(https://mainichi.jp/articles/20201126/k00/00m/020/043000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20201126)。「本当の資本主義国家であれば、潰れそうな企業を国が救ってはいけない。・・・ポストコロナの日本で先端的な企業が生まれる土壌を作るため、国はコロナ禍で潰れそうな会社を安易に助けてはいけない。現在、政府や銀行は企業に緊急融資を続けているが、国が救う構図が変わらないと企業側の体質も変わらないだろう。コロナで多数の死者を出し深刻な被害を受けているアメリカ、ヨーロッパは、社会のあり方、システムが激変するかもしれない。」

 残念ながら、すべてにおいて甘えの構造の我が祖国はそうはならない、そうやって切ってはならない、そういうメンタリティの、アジア的風土の国なのだ、とつい思ってしまう私である。

 あ、なぜか中国は例外みたいだけど。だから覇権国になれるわけか。

【追記】2020/12/2に、図書館から貸借図書がとどきました、という連絡が来たので、久し振りに登学して、驚いた。午後過ぎの行きはそうでもなく、大学構内も以前と同様閑散としていたが、5時過ぎの地下鉄に乗ると、これがまあとんでもない三密状態だった。要するに、みなさん従来通り、否従来以上の危険を冒しつつご痛勤されているわけだ。これでは感染が拡がるだろうと容易に納得。

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世界キリスト教情報第1557信:2020/11/23

= 目 次 =
▼ロンドン教会での洗礼式を警察が中止
▼カトリック校は閉鎖せず=「NY市の規制は公立校対象」
▼米長老教会が年会をオンラインで
▼ニューオーリンズのカーニバルは恒例のパレード中止へ
▼ポンペオ米国務長官が現職初のヨルダン川西岸地区訪問
▼アゼルバイジャン支配下になる教会でアルメニア人が最後の祈り
▼公民権運動の指導者ウィリアム・ボビー・マクレーン牧師死去
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今日病院で:痴呆への一里塚(39)

 1週間ほど帰省するので、その間の薬を確保するため病院に行った。前回のとき血液と尿を取られたが、それまで2か月の散歩の成果が出ているかどうか、大いに期待するところがあったが、まあ体重が落ちていないので、どうかなと思っていたら案の定だった。

 家に帰って妻と話したのだが、こうなると体質と思わざるを得ないのではないか、ということ。前の職場には多くの白人の神父さんがいたが、定期健康診断での数字は我ら日本人と比べるととんでもなく高いが、それで彼らは平気の平左なのだ、という話を聞いたこともある。事実はいかに。

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大手メディアは組しやすし:飛耳長目(69)

 桜の会を最初に報道したのは赤旗だったとは。以下は毎日新聞記者の慚愧の念。形だけの反省で終わらないでほしいものだ。

「赤旗はなぜ桜を見る会をスクープできたのか 見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた」:https://mainichi.jp/articles/20201120/k00/00m/010/346000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20201121

 こんなのを見ると、やはり右顧左眄しなくてすむ批判勢力は必要だ。だが、赤旗が自分自身の足元の問題を掘り下げるとなると別問題だろうが。

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映画「初恋の来た道」:遅報(55)

 BSスターチャンネルで偶然、本当に久し振りに映画「初恋のきた道」我的父親母親(1999年、チャン・イーモウ監督、チャン・ツィイー主演)を見た、見てしまった。

 あれもこれも、すなわち、純朴な農村風景。水汲みの重労働、家族のための機織り、学校も村民総出で造り、独身教師の食事は村民の回り持ち、そして・・・、初々しい自由恋愛の初恋の成就と、表だって触れられることはない文化大革命の世情に翻弄されながら、人はいずれ老いて死んでゆく。いや建物すら朽ちてゆくのだ。そこに関わった人間の中に思い出として、暫時留まりはするが。

 あの、決して豊かでも清潔でもなかった時代の農村、昔の日本もそうだった。古き良き時代か。しかも、登場人物はみないい人ばかり、となると、まあ大人のメルヘン映画といわれてもしかたないだろう。さりながら私など不覚にも涙が出てしまうのはなぜ。

 そして今、かの強権国家、中華人民共和国のご登場である・・・。

 昔、別の意味で大感激した「黄色い大地」黄土地(1986年:チェン・カイコー監督、チャン・イーモウ撮影)や「景徳鎮」(1988年:シェ・チン監督、リウ・シャオチン主演)をまた見たくなった。ああいうさりげなく因習・体制批判を織り込み主張を持った映画作りはもう見ることできないのだろうか。そうは思いたくない。

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1981年のコロッセオ西側景観

 私は4年ほど前の論文集掲載論文(「記念建造物の読み方:コンスタンティヌス帝の二大建造物をめぐって」豊田編『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版、2016年、pp.72-92)で、現在のコロッセオ西側景観について言及した。本文中にも書いたが(p.88)、実はかの場所の一画にはハドリアヌス時代以降ずっと方形区画の台座が遺存していた。それは1936年にムッソリーニによって除去された。地下鉄工事開始はその翌年のことである。その方形区画が1983年、というから47年振りに復元され、現在我々が目にする景観となっている。その方形区画の上には皇帝ネロが作った巨像が姿を変えながら、少なくとも5、6世紀までは立っていたのである。そして、主を失った台座はなぜかそのまま14世紀間遺存され続けた。

地下鉄工事は地上の遺跡構造物を紙一重避けていたことがわかる
上記二葉はウェブから拝借

 実は私のささやかな悪戯心で、「あれぇ、あんなところに方形区画がぁ? 行ったことあるけどそんなものありませんでしたよ」との、昔観光したことある読者からの指摘を虎視眈々と待っていたのだが、残念ながら未だ全然反応ないので(ど、読者数が圧倒的に少数のせいでしょう、たぶん (^^ゞ )、知らなかったと思われるのがしゃくなので、今回しびれを切らして台座復元前後の写真を掲載しておく。最初の二葉が1981年のもの、最後の一葉は台座が復元された後の1998年のものである。引用典拠は以下:R.Rea, Studying the valley of the Colosseum (1970-2000):achievements and prospects, in JRA, 13, 2000, pp.93-103.

左隅の路上の円形は、メタ・スーダンスの場所を示している
南からサン・グレゴリオ通りを走ってきた自動車道はそのまま北進できたわけ。但し写真を見るといかにもローマらしく北から南への一通だったようだ
現在、南からの自動車道は凱旋(アーチ)門手前で東に逸れていて、ここ一帯は車両禁止で公園化している:中央右の樫の木(この時は4本かと:拙稿執筆時に一本切り倒されていたことが判明して、慌てて修正した)の立つ箇所が件の基壇

 古都といえども景観は次々に変わっていく。それというのも、ローマが旺盛に現在進行形で生き続けている街だからだ。

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コロナで変わる?弔い方法:飛耳長目(68)

 「葬儀の簡素化」(https://mainichi.jp/articles/20201118/k00/00m/040/167000c):数日前、実家の広島の菩提寺から、来年2月が母の三回忌との連絡きて、さっそく法要の予約と連絡に入った。もちろん時節柄直系だけでの、法要のみ(精進落としの会食ナシ)とした。これでも我らは旧態依然で、この御時世にかかわらず東京から広島に新幹線で移動するつもりだが、上記記事で話題になっているのは「オンライン葬儀」。お寺や葬儀会社がこの変化に対応できるかどうかで、浮沈の分かれ目になるかもの事態のようだ。ある住職は心配しているようで、私は微苦笑してしまった。「コロナを理由にした葬儀などの縮小化で、親戚付き合いのストレスや時間の束縛、出費の負担から楽になれると気づかせてしまう側面がある」と。

 「神はいるのか」(https://mainichi.jp/articles/20201118/k00/00m/030/150000c):こっちは流行初期に猛威を振るわれたイタリア北部のベルガモでのお話。そこでは「2週間で1世代が消えた」。この衝撃体験の意味することは小さくない。私も以前書いたが、人の生き死にの緊急事に効力あってこそ意味ある宗教のはずの、今回無力を暴露した現既成宗教はその存続の危機に立たされているはずなのだ(宗教というものの根源に疎い普通の人には大袈裟すぎると思われるだろうが)。韓国やアメリカで、非難されても集会をやっているのは、宗教としては正しい営みなのだが、問題はそれが崇めている治癒救済神であるはずの神が肝心の疫病に対して無力ということだ。

 元の職場に隣接している御聖堂に先日聖体訪問した。これじゃあねぇ。

 ズバリ言おう、「現既成宗教の神(々)はもう死んだ」と。庶民の心のよすがとなる新たな強力な治癒神、救済宗教は、どんな形で登場するのだろうか。

【追補】教祖の預言が外れると、暴走しがちなのが気になるところだ。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62977

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世界キリスト教情報第1556信:2020/11/16

= 目 次 =
▼当選確実にしたバイデン氏が教皇と電話協議
▼マカリック元枢機卿の性的虐待を歴代教皇が軽視=バチカン報告書
▼教皇「訪朝したい」と離任の韓国大使に
▼WCCアブオム議長ら、“深刻な危機”に教会の役割振り返る
▼ロシア正教会イラリオン府主教、信者を侮辱する風刺画を否定
▼スペインでまたも美術品「修復」失敗事件

今回は興味深い情報が多いが、最初の3つにしよう。

◎当選確実にしたバイデン氏が教皇と電話協議
 【CJC】米大統領選で当選を確実にした民主党のジョー・バイデン前副大統領は11月12日、教皇フランシスコと電話協議した。
 ケネディ大統領以来、カトリック教徒として米史上2人目の大統領となるバイデン氏は、教皇の祝福に謝意を示し、貧困や気候変動、移民・難民問題などの国際課題に「協力して取り組みたい」との考えを伝えた。
 バイデン氏は、選挙演説でも聖書の1節や教皇の言葉を引用することがあった。□
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◎マカリック元枢機卿の性的虐待を歴代教皇が軽視=バチカン報告書
 【CJC】教皇庁は11月10日、未成年者への性的虐待疑惑が持たれていたセオドア・マカリック元ワシントン大司教・元枢機卿に関するレポートを公表した。教皇フランシスコの委託のもと、国務省により作成された報告書は、完成まで2年を費やした。公設バチカン・ニュースが報じた。
 報告書は、歴代の教皇や教会幹部が虐待についての報告を軽視し、人事などで誤った判断を下してきた、との見解を示している。
 国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿は、報告書の作成は、過去のあやまちを
二度と繰り返さないための、真理の追究によって動かされたもの、と述べた。
 報告書からは、いくつかの動かしがたい点が浮かび上がる。まず、過去に犯された誤りについて。その過ちは、1人の犯罪責任者を、教会の位階において高い役務につけることを可能としてしまった。その誤りは、今後同様のことが繰り返されないようにと、すでに施行されている、新しい規則をもたらすことになった。
 次に指摘されるのは、2017年まで、マカリック師(当時)による未成年者への虐待をめぐり、具体的な証拠を備えた告発はなかった、という点。未成年者をめぐる、十分な証拠の揃った最初の告発は、3年前のものであり、それによって直ちに教会法上の措置がとられた。そして、教皇フランシスコの決定により、まず同師の枢機卿の位が取り上げられ、その後、聖職からも解かれる結果に至った。
 事件は、教会全体が学ぶべき痛ましい教訓を残すことになった。実際、2019年2月に開催された、「教会における未成年者の保護」のための司教会合後、教皇フランシスコによってとられたいくつかの対応の中には、未成年者への性的虐待のケースに関し、「教皇レベルの機密」を廃止するなどの処置が見られた。
 パロリン枢機卿は、今回のレポートをめぐる声明で、「これは真理の追究に動かされたもの」と述べている。そして「苦しみには、希望の眼差しが伴います。このようなことが二度と繰り返されないためには、より効果的な規則と共に、心からの回心が必要です。福音を告げる、信頼に足りる司牧者たちが必要です。これらは、『わたしを離れては、あなたがたは何もできない』というイエスの言葉に信頼しつつ、ただ聖霊の恵みによってのみ可能であることを、わたしたちはしっかり自覚しなくてはなりません」と話した。□
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◎教皇「訪朝したい」と離任の韓国大使に  
【CJC】韓国の聯合ニュースがローマ発で報じるところでは、教皇フランシスコが朝鮮半島の平和定着のために北朝鮮を訪問したい意向をあらためて示していたことが11月11日(現地時間)、分かった。在バチカン韓国大使館によると、教皇は先月23日、任期を終えて帰国する李百萬(イ・ベンマン)大使と 面会した際にこうした考えを示した。  
 教皇は、2018年10月にバチカンを訪問した文在寅(ムン・ジェイン) 韓国大統領を通じて北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働 党委員長)からの訪朝要請を伝えられると、「公式の招きがあれば行くことがで きる」と事実上受け入れる考えを明らかにしている。これについて李氏が今も有 効かと尋ねたところ、教皇は「今も同じ考えだ」と答えたという。  
 李大使は「教皇は地上最後の冷戦地帯である朝鮮半島の平和が世界平和と直結していることを誰よりもよく知っている。教皇の積極的な訪朝意思の裏には平和に対する願いが込められているとみるべきだ」と述べた。  
 一方、バチカンのピエトロ・パロリン国務長官は23日に李氏と面会した際、「教皇が北朝鮮を訪問するには最低限の条件がそろう必要がある」と慎重な姿勢を見せながらも、訪朝の可能性は否定しなかった。□
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社会運動家の性暴力:飛耳長目(67)

 人間の恥部に目を塞いではならない。毎日新聞のデジタル版「女性を踏み台にするデモはいらない:社会運動内での性暴力に抗議相次ぐ」(http://nml.mainichi.jp/p/0000066d75/3623/body/pc.html)に触発されて、ツイッター「すべての馬鹿げた革命に抗して」(https://twitter.com/agstsexism_jp)に行ってみた。運動家たちがセクハラしていたというある意味衝撃的な暴露記事だったので、それなりに覚悟(期待?)してたが、思いのほか地味な造りだった。

 それによると、セクハラは9割体験しているが、暴力沙汰は6割で、さてこれは一般社会常識からみて多い方なのかどうか、データを持ち合わせていない私にはわからない。

 大義名分が本能の前に無残に敗北している現実は、連合赤軍の例を出すまでもなく、どこの世界でもある。キリスト教会にだってある。声を上げる勇気には敬意を払いつつも、でも本能レベルの問題なので、なくなりっこないんだよね、と思ってしまう私がいる。

 私が学生時代、全共闘(我が大学ではその内実は中核派だったが)に占拠された大学本部の壁新聞に、女性運動家によるものと察せられる「私たちは御三どんをするために闘争に参加しているのではない」といった趣旨が貼り出されていたことを記憶している。今となっては写真に撮っておけば良かったと悔やまれるが、やっぱりそうか、と思ったことである。

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