コロナで変わる?弔い方法:飛耳長目(68)

 「葬儀の簡素化」(https://mainichi.jp/articles/20201118/k00/00m/040/167000c):数日前、実家の広島の菩提寺から、来年2月が母の三回忌との連絡きて、さっそく法要の予約と連絡に入った。もちろん時節柄直系だけでの、法要のみ(精進落としの会食ナシ)とした。これでも我らは旧態依然で、この御時世にかかわらず東京から広島に新幹線で移動するつもりだが、上記記事で話題になっているのは「オンライン葬儀」。お寺や葬儀会社がこの変化に対応できるかどうかで、浮沈の分かれ目になるかもの事態のようだ。ある住職は心配しているようで、私は微苦笑してしまった。「コロナを理由にした葬儀などの縮小化で、親戚付き合いのストレスや時間の束縛、出費の負担から楽になれると気づかせてしまう側面がある」と。

 「神はいるのか」(https://mainichi.jp/articles/20201118/k00/00m/030/150000c):こっちは流行初期に猛威を振るわれたイタリア北部のベルガモでのお話。そこでは「2週間で1世代が消えた」。この衝撃体験の意味することは小さくない。私も以前書いたが、人の生き死にの緊急事に効力あってこそ意味ある宗教のはずの、今回無力を暴露した現既成宗教はその存続の危機に立たされているはずなのだ(宗教というものの根源に疎い普通の人には大袈裟すぎると思われるだろうが)。韓国やアメリカで、非難されても集会をやっているのは、宗教としては正しい営みなのだが、問題はそれが崇めている治癒救済神であるはずの神が肝心の疫病に対して無力ということだ。

 元の職場に隣接している御聖堂に先日聖体訪問した。これじゃあねぇ。

 ズバリ言おう、「現既成宗教の神(々)はもう死んだ」と。庶民の心のよすがとなる新たな強力な治癒神、救済宗教は、どんな形で登場するのだろうか。

【追補】教祖の預言が外れると、暴走しがちなのが気になるところだ。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62977

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