月: 2019年12月

2019年を終わるにあたり

 このブログ、本来的には古代ローマ時代の発掘とかに関する速報・遅報と、私のいささかの学的遺言を掲載する目的で始めた。遺言は別にして、情報ネタは掲載分をゆうに10倍するものがあり、それらはEvernoteに保存してはいる。どこかに書いたが、だがそれなりのコメントを付けてのアップは、故人、もとえ個人のキャパシティをはるかに越えている。

 たとえば、先史時代のドイツにすでに奴隷がいたとか、彼らすら予想外に他民族との交流があったとか、前ローマ時代のゲルマン軍の葬送儀礼や、フン族のヨーロッパ進出は平和的だったのではとか、ローマ軍の鉛弾の威力は絶大で蛮族を恐れさせていたとか、最古のチーズやワインの痕跡の発見とか、ここ10年の発掘での新発見とか新(珍)説はまあ枚挙にいとまないわけである。同好の士がおられたら、情報とコメントを寄せてほしい。それを転載する労はとれると思う。

 このところまたトイレ関係を集中的に集めだしているが、その中で以下の本の「おわりに」で印象的な言葉をみつけた。ジャック・シム(近藤奈香訳)『トイレは世界を救う』PHP新書、2019/11。

 副題が「一年後に人生が終わるとしたら、何をしていたいか?」で、そこで「お金を稼ぐ上で、あなたは時間を失っているのだ」、「時間はお金のように貯金して後で使うことはできない。したがって、時間は最高の価値と交換されるべきなのだ」と。私のような歳になると身に浸みるお言葉である。

 その上で彼は、最高の価値は、他者を助けることだ、と断言する。どこかで聞いたことのある”Be Men for Others, with Others”という理念と通じているなあ。とまれ、トイレを考える上でなかなかいい入門書となっている。

 中村哲医師の非業の死が報道された(1946/9/15〜2019/12/4)。深く哀悼の意を表明する。彼は私より1歳年上で、中学の時プロテスタントの洗礼を受けたキリスト教徒だったが、彼のような生き様をすることができる人は、キリスト教徒といえども多くない。否、稀である。彼は医師として1984年、38歳の時にパキスタンにわたり、のちアフガニスタンに移った。そのうち、病気の原因は飢餓にあるとの認識から用水路建設を一念発起、2010年にまず25キロの水路を完成し、10万の農民の生活基盤を確立した由。

 ユネスコやユニセフのプロパガンダも指摘しているように(http://www.unesco.org/new/fileadmin/MULTIMEDIA/HQ/SC/pdf/wwdr1_executive_summary_jp.pdf;https://www.unicef.or.jp/special/17sum/)、水への着目は当たり前といえば当たり前のことだが、それを身をもって実践してしまうというあたりが、彼が常人を越えていたわけである。

 そして、水資源の保全は、農業用水だけではなく、新鮮な飲料水の確保と汚染防止の手立ての必要もある。その対極に屎尿問題が位置する。

Filed under: ブログ

今年のクリスマス4景

① バンクシーが、ベツレヘムの分断の壁に新作を書いた。https://www.afpbb.com/articles/-/3260680?cx_part=logly

 今回の絵で私が一番好きなのは以下。

② キリスト生誕の飼い葉桶の聖遺物、1300年ぶりにベツレヘムに里帰り。サンタ・マリア・マッジョーレのそれとは別物か:https://www.afpbb.com/articles/-/3257531

③ バチカンで教皇ミサ、ガザ地区のキリスト教徒エルサレム訪問ならず:https://www.afpbb.com/articles/-/3261109?cx_part=logly

④ パリ、ノートルダム大聖堂では、ミサ行われず:https://www.afpbb.com/articles/-/3260677?cx_part=logly

Filed under: ブログ

これを検閲・削除するかぁ?:遅報(20)

 ウンコロジーの【追記】関係でググっていたら、ヒットした。もう2年前の記事である。教科書にも掲載され、我らの世界では有名な旧石器時代の女性裸像「ヴィレンドルフのヴィーナス」が、フェイスブックの検閲でひっかかって削除され、所蔵場所のオーストリア・ウィーン自然史博物館はそれに対して抗議する騒動となった。石灰岩製のたった11㎝の小像で、私もレプリカをもっている。これまでもフェイスブックの検閲はやりすぎだと色々批判されているようだが、セクハラ論義とおなじ論法で,一人でも不快感をもてば駄目だなんて基準だと、それだったら私のブログなんかもう論外でしょうね。ほとんど「閲覧注意」になっちゃうなあ。

https://www.afpbb.com/articles/-/3164594;https://www.huffingtonpost.jp/entry/facebook-porn-2018-0305_jp_5c5d6259e4b0974f75b20d02

 検閲官さん、現代のアフリカかなんかの女性を愚弄したポルノ像と誤認したのでしょうか。まさかねぇ。

Filed under: ブログ

落ち葉対策?ムクドリ対策?:飛耳長目(22)

 秋の風情は紅葉である。都会の中でも四季の移ろいを感じることができるのは貴重である。私など、さてあと何回、いな来年みることできるだろうか、とつい思ってしまう。

 勉強会で月1で我孫子市に行っているが、駅前の立木に網がかけられていて、それに大量の落ち葉が溜まってぶらさがっていて、私にとってなんとも非日常的な景観が眼前に現出している。

 これを見て、私はなるほど落ち葉公害を防ぐための手段かと感心して眺めていたのだが、うっかり写真を撮るのを忘れていた。それで「我孫子市 落ち葉対策」で検索してみたのだが、こういった画面は全然ヒットしなかった。ヒットしたのはせいぜい次の写真くらいだった。

 だからまあ落ち葉対策という面も確かにあるのだろうが、我孫子市の広報をあたってみると、むしろムクドリ対策の方が重要なようで(https://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/pet/mukudori/about.html)、そっちで検索したら冒頭の写真がヒットしたというわけ。ご近所にとってはムクドリの糞とか鳴き声がかなり深刻な状態なのだろうが、網張ったところで下の写真のような様子。鷹などの猛禽類を放って効果が出たという話もあるようなので、むしろそっちのほうが特効薬ではなかろうか。となるとあの網は実際には落ち葉対策として有効、ということになる。

 ムクドリ公害防止のため、しかしだからといって樹木の伐採なんかするのは避けてほしい。中国では落ち葉を楽しむ催しが行われているらしい。ただそれはムクドリ対策にはならないだろうが。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191204-03257339-clc_toho-cn.view-000

 昔は、我が家でもたき火したり、お風呂で燃やし、残った灰は肥料にしていたものだが、今はたき火は禁止され、燃料革命で風呂をごみや落ち葉で焚くこともない。大学など山のように落ち葉を入れた袋が積まれて、可燃ゴミとして出されている。自然循環のリズムからすると、何かが間違っているような気がしてならない。

【追記】夕空に群舞するムクドリで思い出したことがある。

 ローマに住んでいるとき、たまたまテルミニ駅で、かしましい鳴き声がこだまし、夕陽の大空をムクドリが群れをなして上記の写真のように複雑な紋様を描きながら乱舞していた。そのはるか上空を猛禽類と思しき大型の鳥が複数悠然と飛翔していたのを思い出す。

 これを目撃していたので、映画「グラディエーター」(アメリカ・2000年)で、コロッセオをかすめて飛び立つムクドリの映像を見たとき、おいおい、さてはリドリー・スコット監督、ローマでの実体験を入れ込んだな、と思ったものだ。

コロッセオの最上階右側のゴマ状がそれ

 以下のYouTube冒頭でも出てくる:https://www.youtube.com/watch?v=hh68qWQ9Gk8

Filed under: ブログ

新刊紹介『ウンコロジー入門』:トイレ噺(11)

 これも他をググっていたら偶然引っかかった:https://news.yahoo.co.jp/byline/iidaichishi/20191227-00156556/。井沢正名著、偕成社、2020/1、¥1650

 私はかねてよりトイレ問題に関心をもっていたので、この広告を見て即発注したところ、年末の繁忙期にもかかわらず、即翌日に届いた。すこぶる快腸、否、快調である。表紙から絵本なのかと思っていたら、前半白黒、中盤カラー図版を含めて、基本的には文字情報からなっていた。かつて納棺師ないし納棺夫という職業があることを映画「おくりびと」(2008年)で知ったが、今回本書で「糞土師」という言葉を学んだ。さりげなく現状に対する憤懣が表現されて、秀逸な命名である。

 私的に特に興味あった第2章「正しくたのしいノグソをしよう」をさっそく拝読。この章は表題とは裏腹の内容を含んで5節と1コラムからなっていて、最初の2節は「トイレに流したウンコのゆくえ」「ウンコの処理に必要なもの」で、要するに、水洗トイレになってどれほどの資源の無駄遣い、というか下水処理場での処理に不必要な電力・薬品類・重油が使われるようになったか、が述べられている。

 そして第4節で展開されている「災害時でもだいじょうぶ! ノグソの底力」は意表をついていてたいへん面白かった。最近多発している災害時に大問題となっているのが避難所でのトイレ問題である。そこで、私には意外な情報が色々あった。たとえば2016年の熊本地震での直接死は50名だったが、避難所住まいでの体調悪化で関連死した人は223名もいたこと、現在もっとも心配されている南海トラフ巨大地震が発生した場合、駿河湾の海岸沿いには全国の製紙工場の4割が集中しているので、紙の供給が大幅に減少する事態が予想されること、などなど。

 そして,著者の体験談:「東日本大震災ではわたしの住む町でも電気が5日間、水道は3週間も止まりました。周囲の人たちはトイレを流すために、側溝や沢から水を汲んで苦労していましたが、毎日葉っぱノグソのわたしは、普段通りにすごすことができたのです。」

 平和ボケのわが同胞は、美食のほうには蘊蓄を傾け大枚をはたいて一向に怪しまないのんきな日々を送っていらっしゃるが、その結果の生産物ウンコ問題にはいつまで目を閉じたままですませる気だろうか。

【追記】冒頭に示したウェブの最後の写真説明、大便の後始末の葉っぱとして「チガヤの穂はミンクのような肌触り」を読んで、思い出したことがある。昔読んだ本にイギリス(スコットランド?)ではそこらに生えている苔がビロード状の肌触りで尻拭きに使っていた、とあった。尻拭きについて、詳しくは同じ著者の『葉っぱのぐそをはじめよう』山と渓谷社、2017年にはカラー写真付きで詳しく紹介されていて、ありがたい。

 ただ、一点のみ気になることが。大便の件は詳しく論じられているが、もうひとつの小便に触れられていないような気が。その利用に関しては古代ローマの方がはるかに進んでいたということか(後から届いた『葉っぱのぐそをはじめよう』、pp.036-039,160、には簡単だがあった:しかも、苔の効用にまで触れてくれていたのには驚いた)。

 話は若干それるが、思い出しついでに。昔、児童学科や幼児教育学科に所属していたときの実験考古学での火起こしで行きついたのは、火きりぎねにウツギ(中空の空木)、火きりうすには桧(ひのき)、火口(ほくち)にはガマの穂が最適の道具だった。最初使っていた、あじさいの枝や杉板は消耗度が激しいのである。以下、参照:https://www.bepal.net/know-how/campfire/11639。但しここの説明で本当に肝腎なポイントがひとつ抜けている(これこそ企業秘密なのだが)。火きりうすに下図のように△の切れ目を入れ(そして、その頂点部分にひきりぎねを安定させるため○の窪みを浅く彫っ)ておくことである。私はこれを原始時代の女性器の性的三角形(駆け出し教師の私のバイブルのひとつ:木村重信『ヴィーナス以前』中公新書、1982、参照)と関連あると授業で説明してきた。天才的着想だと今でも自認してはばからないが、もっと想像力を駆使して言うと、ひょっとして大人の下卑た、ないしませた子供の、凸と凹の遊びの中からこの火起こしの技術が生まれたのではないか、と。

 またついでに書いておこう。原始美術史の大家木村先生たちには共通の欠落点がある。p.60の図27の女性裸像:タタール・パザルジックPazardzik(トラキア)出土と、マリア・ギンブタス(鶴岡真弓訳)『古ヨーロッパの神々』言叢社、1989(原著1974)、p.207の写真207-209、とを比較せよ。普通、女性裸像の写真は正面と側面が掲示されるが、裏面も見てみることで、実はこれらの「女性裸像」は、ある場合は男女性器を表現した「両性具有」であることがわかる、と私は確信している。これは本当に逆転の発想でヒョウタンからコマなのであるが。

【追記2】伊沢氏の別の本『くう・ねる・のぐそ:自然に「愛」のお返しを』ヤマケイ文庫、2014は、文庫本だから本文では白黒写真だったが、なんと末尾にカラー写真の綴じ込み付録があった(中古で入手したのだが未開封だった)。「危険度」表示も付してあり、立派な配慮と感じた。恐る恐る開封してみたがこのたびの『ウンコロジー入門』掲載レベルだった。

Filed under: ブログ

イエズス会の助修士ロサドさん

 出身高校の広島学院同窓会事務局から「ロサドさんの木工小屋」という表題で同報メールが届いた。読んでいて不覚にも涙ぐんでしまった。https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20191225-00156241/

 書き手のおおたとしまさ氏は広島学院の卒業生ではなく、東京の麻布高校らしい。私は1966年の卒業生なので,1967年に広島に赴任したロサドさんとは入れ違いだったが、彼以前にも一人助修士さんがいたことを覚えている。大柄なアメリカ人だった記憶がある。ちなみに、我々は司祭にならない修道士のことを、助修士と呼んでいた。英語では「ブラザーbrother」。聖職者修道士を助ける修道士、といったくらいの意味だった。司祭は「ファーザーfather」である。

 マスコミで色々物議をかもしているカトリック教会だが、こういう生き様を貫いている人たちもいることを忘れてほしくない。召出しを受けた彼ら、彼女たちの多くは地道に黙々と日々の役目を果たして生きているのである。彼らなりの葛藤がないとは思わないけれど。

Filed under: ブログ

新・旧国立競技場のトイレ話:トイレ噺(10)

 もうオリンピックも目前だが、かつての国立競技場には面白い便器があった。競技者の女性が素早く用をたせるように、立ちションできる便器である。実際に使用されたことはないと書いている書き込みがあるが、ホントだろうか。

この形式:本物はたしかTOTOのトイレ博物館(北九州市)に保管されている

 今回新装なった新国立競技場でもトイレに色々工夫が凝らされているようだ。詳しくは以下をご覧下さい。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191222-00010002-flash-peo&p=1

 しかし問題もあるようだ。男性では大が少ないし、一般のトイレはウォシュレットではないし、男女共用といってもあれはむしろ車いすなど身障者用だし、いつも指摘されている女性用での大行列もたぶん解消されそうもない、らしい。

 本当の男女共用と長蛇の列解消について、ちょっと考えてみたい(こっちの話題は遡ること2011年情報なので遅報となる。知らなんだ〜)。なんと、フランスでは女性の要望で、女性の立ちション用の便器をパリで設置予定だったらしいが、どうなっているのだろう。それとは別に、女性用の立ちション用専用グッズはすでに販売中で、我が国でもネット販売で購入可能とか(もともとは登山なんか用だったらしい)。これが普及すれば、男性専用のほうも女性に開放されて、女子トイレの長蛇の列も解消されるかも。それにトランスジェンダーの人たちも、公共トイレで問題視されなくなるかもという利点もある気がする。アマゾン・コムのカスタマーレビューでの実際の使用感は、多少の改良が必要なようだが、まずまずのようだ(問題はどうやら安い中国製にあるようだが)。https://wotopi.jp/archives/16018;https://www.afpbb.com/articles/-/3144070;https://ameblo.jp/kitanotake4/entry-12279267309.html

実際にアマゾンや楽天に掲載されていた
これはグッズ不用の、女性立ちション用便器改良型だそうで・・・。これこそ本当の男女共用?!

 実践例もアップされてる。https://www.a-kimama.com/outdoor/2016/12/61340/;https://matome.naver.jp/odai/2141266043562281601;https://www.excite.co.jp/news/article/Rocketnews24_827002/

 いやあ、すさまじいまでのトイレの進化でびっくり。しかしまだまだ先の話のような。でも、女性の立ちションは世界中どこでも20世紀初頭までは見慣れた風景だったようだ。日本でも20世紀半ばまでどうやら普通だったらしい。一説によると特に関西とか、田舎で。http://yamatos59.blog17.fc2.com/blog-entry-244.html?sp。さらにこんな方法もあるらしい。https://www.wikihow.jp/女性が立ち小便をする

 そういえば、衆人環視の中での、和服の前をはだけての授乳姿も普通だったなあ。

【追記】2021/1/15で続編を報告しました。やはりトランスジェンダーの人たちは重宝しているようだ。

Filed under: ブログ

韓国カトリックのある活動:遅報(19)

 2017/4/21「ベトナム・ピエタ」像、済州島に建設される。

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27186.html;http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27131.html

 かつて在ソウル日本大使館の敷地(そこには現在もう建物はなく更地となってしまったが)の前に、道を挟んで建てられた「慰安婦像」(製作者は「平和の少女像」と呼んでいる)が物議をかもしているが、他方で、どうやら韓国カトリック教会(とりわけ以下の修道会:フランシスコ小さな兄弟会;イエズス会の家もあるらしい:https://japanese.joins.com/JArticle/207953;http://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=6142)が中心になって、自国の軍人がベトナムで行った行為に対して贖罪の立像「ベトナム・ピエタ」像を、済州島の聖フランシスコ平和センターに設置している。その製作者は奇しくも「平和の少女像」の製作者である。

右後ろの記念碑はこの運動に尽力した神父さんらしい

 日本では、こちらのほうはとんと知られていない。影響の広がりの大小もあるのかもしれないが、どうもはなはだしく報道の偏りがあるようだが、それでいいのか。韓国の民間レベルでの動きが正確に伝えられていない、否、意識的に無視されてきたようにさえ思う。名古屋での展覧会でも両方を展示していたら、こんなにもめなかったような気がする。というか、意図的に火をつけようという動きを感じざるを得ない。

http://fightforjustice.info/?page_id=4114
Filed under: ブログ

平均余命:痴呆への一里塚(14)

 昨日の我孫子の読書会で世話人の隈部さんから平均余命についての情報をいただいた。詳しくは簡易生命表というのがあると書いてあった。それでその気になってググってみると、これは厚生労働省作成のものだった。どうやら最新が平成30年度版(作成は令和元年7/30)のようだ。https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life18/dl/life18-15.pdf

 細かい話は置いといて、私、男子72歳の平均余命は14.38と出ていた。まだ14年も生きないといけないのか、といささかげんなりする数字ではあるが、考えてみると、話半分としても、もしその期間を全うすることができれば、その間に十分一仕事なしえる時間ではある。もちろん、若い時のようにはいかないだろうが。

Filed under: ブログ

教皇、性的虐待で教会法改正:■世界キリスト教情報■第1509信

 この記事で、司祭の守秘義務が問題の隠蔽の誘因だったことを、私は初めて知った。

◎教皇、性的虐待の隠蔽防止へ守秘義務を廃止  
 【CJC】バチカン(ローマ教皇庁)は12月17日、カトリック教会内での小児性愛事件隠蔽(いんぺい)撲滅に向けフランシスコ教皇が進める取り組みの一環として、教会が司祭たちに対して定める守秘義務の対象から性的虐待などのケースを除外する方針を、公営バチカン・ニュースを通じ発表した。  
 教皇フランシスコは、教会関係者による未成年者への性的虐待などのケースに関し、「教皇レベルの機密」を廃止することを決定した。教皇は、教会関係者による未成年者への性的虐待等のケースで、調査や裁判への協力をより可能にするために「教皇機密」を廃止すると同時に、未成年者ポルノグラフィーをめぐる法令の一部の改正を行った。  
 これらの改正について、教皇フランシスコの自発教令「ヴォス・エスティス・ルクス・ムンディ」(2019年5月7日)の第1条で言及される犯罪(暴力・脅迫・権威の悪用下における性的行為、未成年者および弱い立場にある人々に対する性的虐待、ポルノグラフィー、司教や修道会長上による虐待加害者に対する告発義務への怠慢および隠ぺい)についての告発・裁判・判決に関し、「教皇機密(セグレート・ポンティフィーチィオ)」と呼ばれる、ハイレベルの機密の廃止を命ずる文書が、12月4日付で、教皇庁国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿によって署名された。  
 同時に、自発教令「サクラメントールム・サンクティタティス・トゥテーラ」(2001年発表、2010年改訂)中の、いくつかの項の改正が、国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿、教理省長官ルイス・ラダリア・フェレール枢機卿の署名によって行われた。  
 これで、「聖職者による、わいせつな目的での、あらゆる方法、あらゆる手段における、18歳未満の未成年のポルノ画像の入手・所有・頒布」が、教理省管轄の最も重大な犯罪として定められた。これまで同項には、「14歳以下の未成年」と記されていた。  
 また、今回の改正により、これら重大犯罪の「弁護士および検察官」の役を、今後、司祭のみでなく、信徒も担えるようになった。  
 今回の発表に関し、内外の一般メディアが速報、解説を加えている。  
 この規定は、外交や個人的問題、犯罪容疑など、教会の統治に関わる機密性の高い情報を保護するためのものだが、司祭や被害者が虐待を通報する妨げとなり、事件の刑事訴追を阻害しているとの批判がこれまであった。  
 子どもの頃に性的虐待の被害を受けた当事者で、教皇庁の児童保護委員会が適切な対応を取っていないとして同委員会を辞職したマリー・コリンズさんは、ツイッターに「素晴らしい知らせだ」と投稿、今回の措置は委員会の勧告に沿ったものだとした上で、「ついに本物の前向きな変化が起こった」と歓迎した。□

 加害者の神父がかつての犠牲者だったという事例:http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52266475.html

Filed under: ブログ