月: 2020年12月

消えゆく庶(賤)民史:からゆきさん

 「「1日で49人の相手を…」過酷な労働、波乱の人生赤裸々に:「からゆきさん」肉声テープ発見」(https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/337000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20201229)

 昔、山崎朋子作『サンダカン八番娼館』(1972年)を読み、のちに映画(1974年)も見た。いや、順番はこの逆だったかもしれない。いずれにせよ、今回のテープと内容は驚くほど似ているように思う。

 しかし今回の記事の中で、近世社会では娼妓(しょうぎ)奉公をしていた女性も奉公を終えれば結婚をし家に入るという経路が確保されていたが、むしろ、明治以降の近代化に伴って廃娼運動などをきっかけに娼婦への差別、蔑視が強まった、という所見は不意打ちだった。キリスト教的な正義感による救済事業の持つ負の面が出ていたわけである。

 私は「からゆきさん」で念頭に浮かぶのは、彼女たちの出身地が天草・島原なんかに多かったので、どうしても中に隠れキリシタンの子女がいたんじゃないか、と思ってしまうのだが。

Filed under: ブログ

ポンペイで新発掘の居酒屋と落書き

https://gigazine.net/news/20201228-pompeii-fast-food-stall/;http://pompeiisites.org/en/comunicati/the-ancient-snack-bar-of-regio-v-resurfaces-in-its-entirety-with-scenes-of-still-life-food-residues-animal-bones-and-victims-of-the-eruption/

今回は、なぜか日本の報道も早かった。

 色があざやかで、往時の様子を窺わせている。場所は、このところ新発掘が連続している第5区のどこかであろう。

【追記1】ようやく私の定番チェック先のウェブに載った。https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/12/street-food-shop-emerges-in-pompeii.html

【追記2】このタウンターの犬の箇所に落書きがあるとの情報で、さっそくチェック。上部の黒い枠の部分でみっけ。

https://www.youtube.com/watch?v=xgd4FVyKUdI&feature=emb_rel_end

NICIA CINAEDE CACATOR」:「ニキアスよ、ホモ野郎よ、ウンコ垂れ!」といったあたりか。

 ところで妙なことに気付いてしまった。このカウンター下の絵は、左から吊り下げられた二羽の鳥とニワトリと犬であるが、最初の二つはまあ食材でもあろうが、右端の犬はちゃんとつながれているのでよもや食用ではなく、飼い犬だと思うが、そうだとしたらなぜここに描かれているのか、ちょっと気になりだしたのだ。

Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1562信:2020/12/28;イタリアのクリスマス

= 目 次 =
▼コロナの雲に覆われて世界各地のクリスマス
▼教皇、使徒的勧告『愛のよろこび』の考察深める特別年布告
▼中絶胎児の細胞使用問題でバチカンがコロナワクチン使用容認
▼中国本土の新規感染21人、4日連続確認の北京市は規制強化
▼香港高裁、蘋果日報(リンゴ日報)創業者の保釈を許可
▼ブラジル・リオ市長を汚職容疑で逮捕、再選目指す大統領に打撃
▼沖縄本島中部の教会でクラスター=クリスマスへ県が注意を喚起

今回は、イタリアのクリスマス情報を紹介しよう。

 24日からイタリア全土で都市封鎖が始まった。
 カトリック教会は、国内の信者に対し、近所の教会でクリスマスのミサに参加するよう呼びかけた。ローマにある教会のパウエル・プルスツィンスキ司祭は「クリスマスを家族で祝うことを忘れないで欲しいが、今年は新型コロナに苦しむ世界中の人を思い、みんなで祈りたい」と話した。
 例年なら多くの信者や観光客が詰めかける、バチカンのサンピエトロ大聖堂前広場に立てられたクリスマスツリーとキリスト生誕の場面の模型「プレゼピオ」にも人影はまばら。
 教皇フランシスコが執り行うクリスマスイブのミサも、例年数千人の信者が参列するが、ことしは新型コロナウイルスの感染予防のため、大聖堂に入る聖職者は最小限に絞られ、参列者はおよそ100人と大幅に制限された。参列した人はマスクを着用し、互いに距離をとっていた。教皇は「試練の暗いトンネルから抜け出せないと不安になっていないか」と問い掛けた上で、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が続く状況を念頭に「神は勇気を持とうと言っている」と呼び掛け、共に乗り越えたいとの考えを示した。
 イタリアでは午後10時から夜間の外出が禁止されているため、ミサ開始も2時間早めて午後7時半からになった。
 主の降誕の祭日25日正午から、教皇はローマと世界に向けたメッセージと祝福、「ウルビ・エト・オルビ」(ローマと全世界へ)で「私は全ての人、国家や企業、国際機関の指導者に呼び掛ける。競争ではなく協力を促すよう、全ての人のための解決策を見つけるように」と述べた。そして全ての人にワクチンを、特に、地球の全ての地域の最も弱く最も助けを必要としている人々にワクチンが行き渡るように、と教皇は願った。
 この祝福は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、バチカン宮殿の「祝福の間」で行われ、インターネットなどで配信された。(CJC)□
Filed under: ブログ

紙と石:事実はどちらに

 「『石に刻まれた江戸時代』(関根達人著):危機の歴史に学ぶ」(https://mainichi.jp/articles/20200622/dde/014/040/013000c)

 今日、「戦後75年に学ぶ戦訓」(飛耳長目(72)掲載)を読んだとき、その一ヶ月前のこの記事が目にとまった。

 私も東日本大震災で先人たちが残してきた「津波碑」「災害碑」の存在を初めて知ったくちである。標記の記事は、江戸時代に災害を報告している藩文書(紙)では被害を軽く報告しており、事実はむしろ村落共同体で建立した「供養塔」(石)に刻まれているほうにあったのでは、というのが趣旨である。お役人の報告書の軽さと、身近な肉親を失った庶民の血を吐くような思いが、素材の「紙」と「石」に象徴されているようで、胸を打つ。村落共同体は、次の瞬間には隠匿・抹殺もされやすい「紙」などはなから信じておらず、手間がかかる「石」という素材に永遠の遺言を刻み込んでいたわけである。

 ただ、ここでもお上のやることを信じてはいけない。「石」は同時に支配者のプロパガンダの道具にもなるからだ。

 古代ローマ史研究において、私はこれまで二大史料群として当然のようにこの「紙」(文書史料)と「石」(碑文史料)を使ってきたが、庶民の「石」に寄せてきていた思いの深さに今まで気づくことはなかった。改めて考えてみると、古代メディア素材としては、前提条件として文字が読め、その格納場所を探知できるノウ・ハウが必要な「紙」よりも、公の場所で否応なしに視覚的に目に入る「石」や「青銅」製の立像や、その台座の「石」に刻まれた銘文のほうが優れた媒体であったわけである。もちろん、支配者側も当然それを見抜いておりおおいに利用していたわけだが、遅ればせながらこのことに今回気づくことができて、本当によかったと思う。

Filed under: ブログ

日本渡航方法と感染症:飛耳長目(73)

「日本人の祖先 漂着したのか、航海してきたのか:長年の論争、終止符?」(https://mainichi.jp/articles/20201221/k00/00m/040/040000c)

 昔から注目していた実験考古学の調査報告である。

 今回の観測用ブイ138個の動きをもとに、偶然の漂流説は葬り去られ(それが可能なのは、かろうじて荒天で黒潮が乱れたときのみ=荒天のときはそもそも船を出さない)、意図的移住説(その際、人口維持のために最低男女10人の渡航が必要)の可能性のほうが高まった。

 その上、以下の情報を加味すると人の流れをいつも歓迎しているわけにもいかない。「感染症と考古学:人口激減の謎に迫る」(https://my.mainichi.jp/articles/20201109/dde/014/040/004000c)

 その記事の中に、考古学界としてコロナへの動きが鈍かったので、それへの刺激で特集を組んだとの言及があった。古代ローマ史においても状況はまったく一緒で、まあ西欧学界が反応してからのことなんだろうなと思いたいところであるが(皮肉である、念のため)、私の知る限りでの反応は、むしろ大学におけるリモート授業の実践報告ばかりである。若手が一生懸命やっているのは、まあ無意味だとはいわないが、そこで遅れをとっているベテラン勢が自らの専門性に固着して何かをいうべきなのに、どうも関心の希薄さが感じられて仕方がない。

Filed under: ブログ

殉教者再々考

 私の研究の出発点は、キリスト教迫害史だった。駆け出しの最初の20代の時はともかく、研究に年期が入ってくると、「殉教者になる人たちのメンタリティー」「殉教伝記者のメンタリティー」が気になりだした。どういう連中が殉教するのか、そしてその記録を残した殉教伝記録者たちはいかなる選択基準で叙述しているのか、といったことである。端的にいえば、「〇〇と××の受難記」のなかに、表題に挙げられた以外の殉教者・告白者が、多くの場合無名で登場していて、そういう彼らは殉教者だったりするのに、とりあえず記録者の主要叙述対象にはなっていない。これをどう考えるべきか。こういったことを含めて原点回帰で研究の最終仕上げでいずれ触れたいと思っているが、ここでは冒頭の件に限っての現段階での私の結論を述べれば、さあ殺せと自爆テロ的な意気込みで(もちろん、皆が皆そうであるというわけではないが)官憲に出頭する確信犯的な「自発的殉教者」以外の場合、「逃げ遅れた愚直な信者」がたまたま探索に引っかかってしまった、という印象が強い。かわいそうなくらい要領が悪いのだ。

 研究者にもご多分に漏れず立場とか忖度とか色々ある。そこで、研究者の手垢がついていない原史料レベルを細かく読み解いていくと(もちろん、原史料といえどもそれを書いた記者・編纂者の傾向性の検証は必要)、司教・司祭・助祭といった高位聖職者は、危険を察知すると敵前逃亡的に、真っ先に避難・逃亡・潜伏し、あるいは背教する。そして嵐が収まると、否、収まりそうだと見当つけると、ちょっと弁解を述べて現職復帰する(そのまま棄教する御仁も多かったはずとはいえ)。こういった要領のよさで生きてゆくへたれ連中の名前は、該時代において侮蔑すべき存在なので、当然記録として残存しない(あっても例外的だ)から残らない、誰かが義憤を感じて書き残していても抹殺される、ときにどっかの国と同じで、制度教会ぐるみで。その挙げ句の残存伝承作品が「受難記」なのだ。

 いや、受難記には殉教した司教や司祭も登場していると反論されるかもしれない。そう、彼らはごく少数の実に貴重な存在だったからこそ、記録に残されたのだ。もちろん一般信徒とて同じだ。殉教者は信者のごく一部に過ぎない。それでも色んな意味で著名人だからこそ名が残ったわけだ。3世紀中盤以降の大量棄教に直面し、彼らの存在を免罪符にし、否、かの殉教者たちを称揚することが自らの弱さへの言い訳となるという計算あってのことだ。そしておそらく官憲側からすると、彼らは見せしめのために検挙・処刑された。逆に言うと、それで沈黙してしまうはずの広範な層が存在していて、そのもくろみ通りの結果となるのもいつもの通り。

 ここまでお読みいただいた皆様の中で既視感にとらわれる人がいるかもしれない。殉教者問題はまるで、モリカケ問題・サクラ問題、そして最近の「ガースー」総理現象とそっくりだなあ、と。本来、粛々と法規を守るべき立場の者が、権力におもねって真っ当な対応をしないのが、残念ながら世間の、いや日本の現状なのである(決して今だけのことでもない)。当事者にとっていいわけの材料はいくらでもある。学術会議問題だって、権力側がもう一歩強く出た場合、さてどうなるか、これは「みもの」だと私は思っている。

 だからこのままでいいのだ、と私は言いたいのではない。要領の輩が跡形もなく四散逃走したあと、居残ってしまった不器用で愚直な存在が引っ立てられていくわけだ。キリスト教的にいうとそれが殉教者の大方の姿である。彼らは転ぶという選択肢すら頭に浮かびはしないほど愚直なのである。彼らへの処断は権力側からすれば単なる見せしめに過ぎないが、彼らをこそ我らは注目しなければならない。だから赤木俊夫氏の自(恥)死を黙視してはならないのだ(https://www.tokyo-np.co.jp/article/61894)。

【追記】2021/1/21深夜にスターチャンネルの「見逃し」で以下の映画を見た。テレンス・マリック監督「名もなき生涯」”A Hidden Life“(2019年:アメリカ・ドイツ)。第2次大戦中に、ナチス・ドイツに併合されたオーストリアを舞台に、良心的兵役拒否の立場から、度重なる従軍命令とナチスの軍門に降った教会の指示に従わず、ひたすらに自分の信念と妻や娘への愛に生き、36歳で処刑された実在の農夫フランツ・イェーガーシュテッターの生涯を描く。

Franz Jägerstätter(1907-1943:享年36歳)

 大自然の中でひっそり生きてきた山村の一介の農夫が「無実の人を殺せない」という一点で徴兵の忌避を表明する。そのため彼、彼の家族は周囲から孤立していく。彼はフランシスコ第三会に入り、地元教会の聖具係でもあった。だが、村の司祭も司教も助けてくれない。信念を貫こうとすることで皆が不幸になっていく。五度目の召集令状が来て、苦悩は頂点に達する。1943/3/1に出頭して宣誓拒否し逮捕勾留。同年8/9(おお、私の誕生日だ)にギロチンで処刑死。その中で家族は村八分の目に会い、彼の死後もそれは続く。ウィキペディア情報によると、彼には生い立ちに問題があったようで、若い頃は荒れていたが、妻との出会いで変わったらしい。

 世間的にまったく忘れ去られていた彼は、1964年以降になって研究者たちに見いだされ、2007年にベネディクト16世教皇により列福。しかし、これではたして遺された家族が受けてきた悲しみは癒されたのであろうか。彼も幸福だったのだろうか。「私に力を」「神はなにもなされない」。

 こういった視点で「受難記」は読まれれなければならない、と思う。

Filed under: ブログ

袴田さんはカトリック:遅報(61)

 またまた袴田氏の件がニュースになっているので、ちょっとググったら、あれれの事実が。彼は信者になっていたのだ。ああ、だからなのか、とようやく納得。死刑囚で思い出すのは、映画「復讐するは我にあり」の主人公は幼児洗礼だった。

「袴田元被告のローマ教皇ミサ参列はなぜ実現したのか」(https://mainichi.jp/articles/20191214/k00/00m/040/203000c)

 ついでに、「3日間追っかけて見つけたローマ教皇の「心」」(https://mainichi.jp/articles/20191129/k00/00m/030/058000c)

Filed under: ブログ

失われたアスリート・モザイク:Ostia謎めぐり(4)

 オスティア・アンティカ遺跡にはとても優れたHPがある。それが「OSTIA:Harbour City of Ancient Rome」(https://www.ostia-antica.org/)である。私など目的の箇所をチェックしようとすると、まず「Topographical Dictionary of Osita」をクリックして、さらに該当地区をクリック、出てきた画面でもっぱら「Plans」の方をクリックして目的の場所にアクセスするのが常だった。どうやら私は画像のほうを好むらしい。

 ところが、その「Plans」に表示されていない遺跡について、だが実際には解説や写真が掲載されていることは、著名なSinagoga(IV.xvii.1)を扱ったときの体験で知っていた。実際には、https://www.ostia-antica.org/regio4/17/17-1.htm が存在しているのである。今回運動競技関係を調べていて、やはり地図では示されていない場所(上記と同じくIVに)にとんでもないモザイクがあるらしいことを、論文(Zahra Newby, Greek Athletics as Roman Spectacle:The Mosaics from Ostia and Rome, Papers of the British School at Rome, 70, 2002, p.195, FIG.8)掲載のピンぼけの白黒写真で知った。え〜なにこれ、とビックリ仰天、市街地からSinagoga へと行くVia Severiana 沿いの北側は中途半端に発掘されていて、それがどうやら浴場らしいことは実地に目撃していたので知っていたが、そこにこんなモザイクあったなんて知らないよ〜、と疑心暗鬼でググってみたら、いとも簡単にSinagogaと同様、上記HPに記載されてることも判明した。それが、「Terme di Musiciolus」(IV.xv.2: https://www.ostia-antica.org/regio4/15/15-2.htm)である。結局それは「Plans」ではなくその上の「Text menu」を子細に眺めればあったのだ。どうやら「Plans」の原図が古いままで、その後の新発掘を反映していなかったようなのだ! 

上図の左下、ちょうど縮尺の右先がシナゴーグ:ここ付近は多くの遺跡地図から省略されている

 そこで問題の写真が以下である。平面図では街道沿いに2つの特徴的な半円形のcaldariumの浴槽が見えるが、その西側のほうの「7」に件のモザイクが埋め込まれていた。「いた」と表現したのは、解説とキャプションによると、なんと「stolen」という文字があるではないか・・・。なんと発掘直後に盗まれたらしい。オスティア遺跡を文字通り数限りなく経巡ってきた私がこれまで全然気付かなかったのも無理はない・・・(ま、貴重なモザイクは往々にしてシートや破砕レンガ風のガラで隠されてはおりますが)。しかもこの建物は壁面構成から、2世紀、3世紀初頭、4世紀初頭の特徴が見て取れる複合構造体で、浴場になったのは3世紀初頭と見なされている。下部右の写真からも、その後4世紀初頭の壁Opus vittatum がモザイクの上を覆っている様子がみてとれるので、ここのモザイク床の製作は3世紀初頭なのであろうか。それでなくともオスティアのモザイクは白黒が普通で、多色は珍しい。本来は別荘地化した4世紀以降と言いたいところなのだが。

 写真の周囲がどうなっているのか、このモザイクの全貌を知りたいところだが、HP掲載の写真のほとんどすべては、Floriani Squarciapino女史の 1987年の論文掲載のものらしいので、現在コピー発注中。たぶん年を越さないとこないだろう。HPの解説によると、浴場名となったのは一番上に残存している男性「MVSICIOLVS」に依る。彼一人だけ衣を着て左手に棒をもっていることから、トレーナーないし審判と想定されたからのようだ。あと4名の肖像と名前(といってもニックネームだが)が残っているが(「FAVSTVS」「(V)RSVS」「LVXSVRIV[S] 」「PASCEN[TI]VS」)、いずれも裸であることから競技者たちである。ちなみに、この選手たち、アレクサンデルやヘリックスのような著名人ではなくて、他では名前が知られていないそうだ(Newby, p.195 は、拳闘士などでよく見ることある名前、としているが)。この画像では、競技の種類を判定する材料もみあたらない。Cf., Eds. par M.Cébellillac-Gervasoni, M.Letizia Caldelli, F. Zevi, Epigrafia Latina Ostia:Cento Iscrizioni in Contesto, Roma, 2006( 2010), pp.291-92, no.87:Mosaico con nomi d’atleti.

Filed under: ブログ

情報過剰への対応策:飛耳長目(72)

 情報操作は世の常であるが、その網をかいくぐって事実に到達するのは、凡人はおろか、自称専門家たちにとっても至難の技だ。広く情報をあさって、自己判断するしかない。流言飛語なんか、昔の話では決してないどころではない現状がある。

 うまく立ち回っているつもりで、ボロボロの結果になってしまった例など、最近の菅政権の体たらくを見れば歴然だろう。本当はどうなんだろう、と思うことがらみでの意外な情報をちょっとつまみ食い。

「笑ってはいられない「ガースー内閣」支持率どん底の深刻な裏事情」:https://www.mag2.com/p/news/479407

「尖閣で中国を挑発した日本船の正体。裏で糸を引く自民極右議員の実名」:
https://i.mag2.jp/r?aid=a5fe075da7daa9
「ヒートアップする「トランプ恩赦」問題」:https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21680

「“合法的”に進む外資土地買収は想像以上」: https://miu.ismedia.jp/r/c.do?1oI9_kmC_2x0_sds

「田中宇:不正選挙を覆せずもがくトランプ」:http://tanakanews.com/201221trump.htm

「「二人羽織」「お答えを差し控える」「思い出づくり内閣」 菅首相を襲う“ブーメラン発言”」:https://mainichi.jp/articles/20201219/k00/00m/010/004000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20201220

「菅総理は牟田口か。コロナ下の東京五輪は「令和のインパール作戦」だ」:https://www.mag2.com/p/news/477427?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_9999_1208&trflg=1

「「五族協和」に命を懸けた小澤俊夫・征爾・幹雄兄弟の父」:https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=3606&referer=push_mm_rcm2

「順風満帆といかぬ?バイデン船出、閣僚人事難航、次男の疑惑」:https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21621?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20201216

「戦後75年に学ぶ戦訓:自己革新できているか」(https://my.mainichi.jp/articles/20200720/dde/014/040/008000c)

 3番目の中で、アメリカの民主主義の化けの皮が今般剥がれたというのは、心情的にもろ手を挙げて賛意を表したい。そして実は私にも思いあたるのが、4番目の話題。父が購入した広島市某所の山林、いずれ宅地になるという触れ込みだったが、まあ騙されたわけ。以来40年塩漬けだったのに、先日大阪の業者から前触れもなく購入希望の封書が。その口上がなんとも不可解なので、どうもおかしいと私は疑っている。今般の帰省でちょっと調べてみるつもりなのだ。

 最後のものは7月の戦争話題月間のものだが、いつに変わらぬ我が愛すべき祖国のマイナス面の指摘である。教訓から何も学ばずに、失敗を繰りかえし、反省はしない、責任者を処罰しないでかえって出世させる。その体質を今またそのまま保全しているのでは、という視点は私にとって示唆的である。12/24クリスマス前夜に、形だけの反省をして見せた前総理大臣の戯言をテレビで拝見し、ここに追加する気になった。

 前総理に問いたい。最近の日本人の道徳観に危機感を抱き、公教育において倫理・社会・公民といった教科を強化・推進なさってこられたわけだが、ご自分の生き様がそのよき教材になるとでもお思いなのであろうか。恥を知れ、といいたい。議員辞職してけじめをおつけになったら、見直して差し上げよう。ただし間近に予想される総選挙で返り咲きをお考えのようなので、いうだけ徒労ではあるが。

Filed under: ブログ

世界キリスト教情報第1561信:2020/12/21:中国の地下教会

= 目 次 =
▼教皇、日曜正午の祈り「幼子イエスの優しさに心をゆだねよう」
▼教皇が新任の駐バチカン大使に朝鮮半島平和への願い示す
▼韓国の新規コロナ感染者が16日過去最多1078人に
▼豪シドニーで新型コロナ感染拡大、制限厳格化へ
▼「自殺ほう助禁止は人権侵害」とオーストリア憲法裁判所
▼巡礼客なくベツレヘムのクリスマスは閑散として
▼共産党監視下に中国で急増するキリスト教徒

 今回は最後のニュースを転載する。

◎共産党監視下に中国で急増するキリスト教徒
【CJC】クリスマス直前の12月19日、メディア『フォーブス・ジャパン』が、「意外にも中国で、クリスチャンが急増しているのをご存知だろうか」という記事を掲載した。
 なぜ、いま中国でキリスト教徒が増えているのだろうか。プロテスタントの信者である筆者(廣田壽子氏)が、中国滞在中の9年間、上海の教会に出席していた体験をふまえて、中国の教会の実情についてレポートしている。
 中国の総人口14億人のうち、キリスト教徒が約5%を占めている。中国でキリスト教会が公然と活動するには、中国共産党政府が認めた団体に所属し、政府当局に登録しなければならない。政府は教会に対して、教会は、外国の影響力を排除し、中国人によって教会運営することを要求している。
 政府の研究機関「中国社会科学院」が発表した宗教白書によると、2010年の中国のキリスト教会の数は5万5000カ所、信者は約3000万人。その内訳はプロテスタント信者が2300万人強、カトリックが600万人、その他ロシア東方正教会の信者などが100万人と発表していた。
 しかし非公認の教会を含めると、総人口のうち約10%に近い1億3000万人に上るという見方を、米国の福音派メディア「クリスチャニティ・トゥデイ」がしている。米国の無党派シンクタンク「ピュー・リサーチ・センター」は6700万人(全人口の5%)だと発表している。
 非公認とは、無届けで運営を行っている教会のことで、カトリック系教会は「地下教会」、プロテスタント系は「家庭教会」と呼ばれている。最近、これら非公認教会の数が増加している。共産党政府は、許可を得ないで活動する宗教を「邪教」とみなし、引き締めを強めている。□
Filed under: ブログ