それと、今古代オリンピック関係の本を読んでて、それで改めて分かったことがある。古代ギリシアにおいてすら(古代ローマは言うまでもなく)、オリンピックは当時も金と八百長と賄賂まみれであったということ。この点でただ今現在のIOCだって全然負けてはいない現実があるのは周知の事実。有名な「参加することに意味がある」との言説すら、アメリカの聖公会の主教が当時欧州で差別された合衆国の選手たちを励まして言ったことで、それをクーベルタンが換骨奪胎して再言したのであって、崇高な理念とはもともと無縁だった由(トニー・ペロテット(矢羽野薫訳)『驚異の古代オリンピック』河出書房新社、2004年:改訳版『古代オリンピック:全裸の祭典』河江文庫、2020)。翻訳者が後書きで喝破しているが、この書の原題は「The Naked Olympics:The True Story of the Ancient Games, 2004, p.227-228) 」で「オリンピックを丸裸にする」なので、容赦がない:付言しておく、この著者には、2003年に邦訳が出た『ローマ人が歩いた地中海:「人類史上初のツアー旅行」体験記』光文社;原著2001年、がある。
我ながら思いがけない展開になったきた。だから面白くて止められない。ただし、この墓銘碑情報、大昔どこかで目にしていたような気がしている。なにせ必読文献には、19世紀末のW.M.Ramsay,The Cities and Bishoprics of Phrygia, Oxford, UP, 1895 (この本、我が書棚を見てもみつからないし、我が図書館にもないのはおかしい。ひょっとして数年前に消火スプリンクラー装置の誤動作で9階が濡れたとき処分されたのか。私が寄贈した美術関係が見るも哀れな状況となっていて、これにはまったくもってやりきれない思いだ)や、20世紀初頭のW.M.Calder ら記憶に残るおなじみの研究者が名を連ねているからだ。今、関係文献を急いで収集している。昔も集めたはずだが、それを探すよりも今やググって入手した方が早いからので(すみません、コピー類の保管は乱雑なんです)。しかし肝心の墓碑銘の写真が見つからない。それもそのはず、どうやら1922年に宗教対立の中でイスラム教徒に破壊されたらしい。幸い2通の読み取りは残っていてということなのだ(Calder,Bulletin of the John Rylands Library, 13-2, 1929,p.257)。「はやぶさ2」ではないが、オスティアが奇縁で40年振りに私の念頭に舞い戻ってきたわけである。
そんな中で、見つけたのが以下の写真。別々に掲載されていたのを合成してみた。E.H.Buckler, W.M.Calder & C.W.M.Cox, Asia Minor, 1924.III: Monuments from Central Phrygia, JRS, 16, 1926, 204(p.80-82), PL.XII,204b, c. これについてはいずれゆっくりと(死んでからかぁ(^^ゞ)。
なお、エウテュケスつながりで、こんな写真もヒットした。元写真は、W.M.Caldar, Early-Christian Epitaphs from Phrygia, Anatolian Studies, 5, 1955, p.33-35, No.2(=B.W.Longenecket, The Cross before Constantine:The Early Life of a Christian Symbol, Minneapolis, 2015, p.115)。出土場所はGediz近くのCeltikcide(現在、といっても65年も前だがKutahiaの倉庫に保管、と)。なるほど、隠れキリシタンのマリア観音よろしく、さりげなく(といっていいのだろうか (^^ゞ)右手のひらに十字が(これはパンの切れ目を示している)、左手下にはブドウの房が見えているので、パンとワイン、聖餐式を示しているわけだ。我らのエウテュケスよりは1世紀半も先輩である。