月: 2021年6月

地球温暖化を疑う:飛耳長目(89)

 お騒がせジャーナリストの田中宇氏が、今度は新コロナ②関連付けて地球温暖化の人為説を政治力学的観点から「大ウソだ」と主張している。関心のある向きは、以下をご一読ください。私は、今回の彼の主張は思考を耕すいい論点を提供していると考えている。

http://tanakanews.com/210630climate.htm

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カナダ先住民児童の集団埋葬発見:世界キリスト教情報第1588信:2021/6/29

= 目 次 =
▼教皇、ルーテル世界連盟代表者らを迎え会見
▼同性愛嫌悪を処罰する法案は「信仰の自由を抑制」とバチカン
▼カナダ中部でも先住民寄宿学校跡地で無名の墓数百基発見

予定より1日遅れてのアップだった。私ぐらいの歳になると、ひょっとしてと先回りして考えてしまう。・・・今日は最期のを紹介しておく。

◎カナダ中部でも先住民寄宿学校跡地で無名の墓数百基発見
【CJC】モントリオール発AFP=時事通信は、カナダ中部サスカチワン州マリーバルにあった先住民の子ども向けカトリック寄宿学校の跡地付近で、数百基の名前のない墓が発見された、との地元メディア6月23日報道を伝えた。
 これより先、先住民同化政策の一環として建てられた西部ブリティッシュコロンビア州の寄宿学校跡地から、当時の生徒とみられる215人の子どもの遺骨が見つかっていた。遺骨発見を受け、複数の寄宿学校跡地の発掘調査が行われ、マリーバルでの作業も5月末に始まった。
 カナダでは1990年代まで、先住民の子供約15万人が強制的に全国139カ所の寄宿学校に集められ、家族や独自の言語、文化からの隔絶を強いられた。□
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首都ローマの集合住宅跡:遅報(78)

 古代の都市ローマでアウレリアヌスの城壁で囲まれている領域は、ほぼ直径8km程度で、要するに二時間程度、東西とか南北を縦断して歩けばフォローすることができる環状、もとえ勘定となる。そんな中で、しかし2000年を経て古代ローマの庶民生活を彷彿させる遺構はすでに現代首都ローマではそう残ってはいないのだが、カンピドリオ丘の西麓に、当時庶民も居住していたはずの賃貸住宅、すなわち「アラ・コエリの集合住宅」Insula dell’ara Coeli がひっそりと保存されている。これは、1929年から1933年にかけてムッソリーニが国威発揚のため大規模な都市再開発で、カンピドリオ丘の西側斜面にあったルネサンス様式の建物を解体した時に、古い教会の下から再発見されたものだ(他には、Casa Cristiana、taberna delle Tre Pile、Caseggiato dei Molini、Balneumなど)。ただ、ヴィットリオ・エマニエル二世記念堂とサンタ・マリア・アラ・コエリ教会へのあの急な階段の設置時に、この集合住宅の一部が破壊されてしまったのは、残念と言うよりほかないだろう。

 現在の地面の9m下から、4階までが残っているが、元来は少なくとも5階はあって、約300〜380名の住民を収容していたとされている。ほぼ垂直な斜面を利用して建てられているので、3階まではそんなに奥行のない構造だったようだ。4階は若干平地が広がり、そこにあたかも奴隷部屋を彷彿させる11の独房風の部屋が確認され、カンピドリオという場所柄興味深い、というか、以前書き込んだ「ダウントン・アビー」との類似が見てとれる。

、横断面図;写真は、北から写したもの

 まあカンピドリオという特等の立地を考えれば、高級マンション(コンドミニウム)というべき存在だったからこそ残り得たともいえる。その意味で、典型的庶民のインスラはやはりむしろオスティアで確認されるべきかと思われるかもしれないが、しかし、オスティアは帝都ローマの外港という特殊事情もあって、いわば皇帝直轄領的扱いを受けていたと考えると、本当の庶民のうらぶれた集合住宅はもはや跡形もなく消え去ってしまったとするのが至当であると思わざるを得ない。

、エウルのローマ文明博物館の模型;、地階と中二階までが現在の地面の下になる

 この建物は紀元2世紀建設とされていて(上から下までレンガ構造)、現在許可なく内部の見学をすることはできないが、幸いにも、2014年6月にレザー・スキャンが完了していて、それがウェブにアップされたのは2015年2月だった。それが以下で、上手に編集されているので、臨場感をもって一見の価値がある。https://vimeo.com/109825918;他にも、この箇所の時代の経過を分かりやすくアニメ化したものや、見学用の説明などもある。https://www.youtube.com/watch?v=qRt5Swtih_E;https://www.latinacittaaperta.info/2021/05/14/archeotour-linsula-dellaracoeli-mini-video-conferenza-2/

うらぶれた集合住宅想像図:上階の実際はもっとひどかっただろう

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映画「ガンジー」をみながら:飛耳長目(88)

 今、久々にNHK BSプレミアムで「ガンジー」(1982年、イギリス・インド製作)を見ている。これみてたら、少なくともイギリスに人権問題を偉そうに後進国に(あ、失礼、発展途上国でした)云々する資格はない、と思わされた。この点、アメリカも日本もご同様だろう。

 こういった感想は昔みたときは持たなかった。これもご時世というものでしょうか。

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Pompeiiの3邸宅新公開:遅報(77)

 新コロナ騒ぎを一段落させて、観光解禁を目前に、客寄せのためどこも精を出している。

 2020/2/19公表:https://news.artnet.com/art-world/pompeii-recycled-1848195

 EUが2014年に開始し1億5千万ユーロを投入してきた「大ポンペイ・プロジェクト」“Grande Progetto Pompei”が完了し(イタリア政府は引き続き五千万ユーロを投入して継続予定とのこと)、それに合わせて、これまで長らく未公開だった3つのフレスコ画で著名な邸宅が公開されていた。「果樹園の家」 Casa del Frutteto(I.9.5-7)、「恋人たちの家」Casa degli Amanti(I.10.11)、そして、「商船エウローパの家」Casa della Nave Europa(I.15.3)である。私的には落書きとトイレに興味がある。

 「恋人たちの家」(I.10.11)は1933年に発掘されたが、1980年の地震で危なくて立ち入れなくなっていた。実に40年振りの公開である(https://www.youtube.com/watch?v=0C5zKGm3NOA;https://www.youtube.com/watch?v=EuiimfV22B0&list=TLPQMjIwNjIwMjE5U9KCHBpljA&index=2)。

、「恋人たちの家」のPeristyle:私はこの上階をみてみたいのだが、無理だろうな;、地階平面図(14の奥にトイレ)

 ペリスタイル10に面した部屋13の外壁の落書き:アヒルの上部に”Amantes ut apes vitam melitam exigunt”「恋人たちは、蜜蜂の如く、甘露な人生を過ごす」(CIL,IV.8408a);すぐ下に第二筆bで”Velle”「そうだといいけど」;アヒルの下に、c”Amantes amantes cureges”と第三筆あり。最後の語がよくわからないが、「(ああ)恋人たちよ!恋人たちよ!(あなたは)注意めされよ」といった意味だろうか。

 「商船エウローパの家」(I.15.3)は、1951年に発掘され、平面図でペリスタイルに面した2の外壁に件の落書きが現状保存されている。トイレは9の兼台所にある。

 件の落書きは大きい上に不鮮明なのでここでは描画を示しておく。船名は、右の描画の大きな船の船首側の底の小さな柄付碑銘板tabulae ansataeの中に「EVROPA」と書かれている。中央の柄付碑銘板の中は空白。

 裏庭は菜園や果樹園として多目的で使用されていた。

 「果樹園の家」(I.9.5-7)は1913年と1951年に部分的に発掘され、とりわけ部屋番号11の華麗豪華なフレスコ画で著名である。落書きは、12のペリスタイルに面した10と11の出入口の間の柱に方形の黒曜石が鏡代わりにはめ込まれた周囲の石膏に書かれていて、4つが解読されている(CIL,IV.10004-7)。下にそのうちの10005を若干猥褻な挿絵ともども掲載する。トイレは15に設置されている。

平面図は上部が東
”FORTVNATA”:挿絵は頭髪で女性に見えないけど、かなあ
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少年合唱団に少女受け入れ:世界キリスト教情報第1587信:2021/6/21

= 目 次 =
▼教皇、「労働界の片隅にいる人々に対応を」とILO総会にメッセージ
▼教皇「ミャンマーに人道支援の保証を」
▼ドイツの名門少年合唱団が1000年以上の歴史で初めて女性団員受け入れ
▼ニューヨーク州知事ワクチン接種忌避者に受けるよう家庭や教会で呼び掛け

 今回は3番目を紹介する。これって児童の性的虐待で話題となった合唱団ですよね(https://www.bbc.com/japanese/40651975)。しかもそこで長年指導していたのが、前教皇の実兄なので、もちろん否応なく憶測を呼んでいるわけ。少女を入れたらもっと問題が複雑になるような気がしないでもないが。

◎ドイツの名門少年合唱団が1000年以上の歴史で初めて女性団員受け入れ
【CJC】ベルリン発AFP=時事通信によると、1000年以上の歴史を持ち、世界的に知られるドイツ南部レーゲンスブルクの少年合唱団レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊が、来年以降、初めて女性団員を受け入れる方針であることが明らかになった。大聖堂付属学校が6月15日発表した。
 聖歌隊は975年創立。現在まで存続する合唱団としては世界で最も古いものの一つで、ドイツ語の名称は「大聖堂のスズメたち」の意味を持つ。聖歌隊が所属するカトリック系付属学校は特に音楽に重点を置くカリキュラムで知られ、これまで少年と若年男性だけしか入学が許されなかった。
 初めてとなる女性団員は2022~23年の学年度から受け入れを開始。女性だけでつくる合唱団を創設する見通しだが、名称は未定という。□
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ポンペイ構内博物館新装開店:遅報(76)

 2021/1/27発信(https://www.afpbb.com/articles/-/3328580?pno=0&pid=23014190)によると、「古事物収蔵館」Antiquarium の内容を一新しての再開となったようだ。場所は、ポンペイ・スカーヴィ駅からの遺跡入り口のマリーナ門の右上テラス。たしかトンネルの途中に入口があったので、見落とさないで見学すべし。ま、遺跡に入る前に見るか、歩き回って疲労困憊の挙げ句に見るか、それぞれの体力と許容時間との相談になるだろうが。

上記写真の右上の建物がその地上階で、地下もある

 A.Maiuriによるとそれは1861年に創設されていたが、20世紀末に私が訪れだしたころはずっと閉鎖されていて(世界大戦の爆撃とか、地震とかでの破壊なんかもあったらしい)、研究者見学さえ許されなかったようで、「まだ見せてもらってないが、なんとか見学したいものだ、いずれコネ作って見せてもらうつもりだ」と当時古代学協会で発掘日誌解読に従事していた故・岩井経男氏(当時、弘前大学教授)が話していたのを聞いた覚えがある。それが21世紀の10年代のある夏の訪問時にトンネルを登っていて、あれっ、この入口はなんなんだと。2016年のことだったのだろうか(http://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R8/8%2001%2004.htm)。その時はなんだかミュージアム・グッズ売り場に毛の生えたような狭苦しい展示で、あまり感激しなかった記憶がある。それが充実して一新されたらしい。ならば行かねばなるまいて。

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教皇、韓国聖職者登用:世界キリスト教情報第1586信:2021/6/14

= 目 次 =
▼教皇、聖職者省長官に韓国・大田教区のユ・フンシク司教任命
▼韓国の新規コロナ感染者556人=現行の防疫レベル3週間延長
▼ホーチミン市内の新型コロナ集団感染、6月11日午前までに572人の感染者確認
▼米カリフォルニア州カトリック校の元校長・修道女が10年間も授業料など着服
▼ベルリン中心部で3宗教結ぶ「一つの家」起工式

 今日は最初のを。ま、信者数が少ないのでしょうがないことだが、カトリック教会的には、日本は韓国や中国に段々水を開けられつつある。

◎教皇、聖職者省長官に韓国・大田教区のユ・フンシク司教任命
【CJC】バチカン・ニュースは、教皇フランシスコが6月11日、教皇庁聖職者省の新長官に韓国・大田教区の兪興植(ユ・フンシク)司教(69)を任命したと報じた。
 教皇は、同省の現長官ベニアミノ・ステラ枢機卿の定年を理由とする引退願を受理、新長官の着任まで任務に留まるよう命じた。
 福音宣教省長官ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(フィリピン出身)に続
く、兪興植司教の聖職者省長官への任命は、教皇のアジア地域に対する関心を証しするもの。□
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新幹線運転手の便意対策:トイレ噺(30)

https://mainichi.jp/articles/20210613/k00/00m/040/079000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210614

 考えてみると、どんなに節制したところで所詮運転手も人の子、たまには体調不良で漏らしたくもなるだろう。そのため列車を緊急停止したくないとなると、運転室に簡易便器を持ち込んでおくしかない、ような気がする。

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イギリス出土の拘束具付き骸骨をめぐって

 2021/6/4研究雑誌Britannia情報:

https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/06/unique-burial-thought-to-be-rare-direct.html;an-unusual-roman-fettered-burial-from-great-casterton-rutland.pdf

 イギリスのラトランドRutland州グレート・キャスタートンGreat Castertonで、2015年に民家の改築工事中に骸骨が発見され、放射性炭素年代測定の結果、遺骨は男性で、後226年から427年と判明したが、この遺体の両足首には鉄製の足かせが付けられていたので、俄然研究者の注目を浴び、MOLA(Museum of London Archaeology)の詳細な調査が行われてきた。

イギリスとフランスでの奴隷用足枷出土地点と、グレート・キャスタートン
発掘地点と、発掘状況(頭部はない)
件の遺骨と足枷

 この男性は遺骨に残されていた痕跡から生前苛酷な労働に従事していたこと、またほんの60m先にローマ時代の墓地があったにもかかわらず、その外のしかも溝に斜めに埋葬されていた。

 古代ローマ時代の鉄製の足枷は数多く発掘されていて、当時の奴隷の拘束具だったと考えられているが、遺骨に装着されての出土はイギリスでは今回のものが初めてではとはMOLAの研究者の見立て。

はレントゲン写真で鍵の部分が詳細に見えてる感じで興味深い
たぶんこのような鍵構造だったのだろう:A pair of slave shackles linked by a padlock bar, on display in Norwich Castle Museum (image: Murdilka)

 とはいうものの、イタリアと違いさすがイギリスの研究者、なかなか慎重で、こういった拘束具付きでの埋葬は、奴隷に限らず死者を侮蔑したり、死後の霊魂を縛る目的でのものもあるので、一概に奴隷とは考えられないとの見解も示している(が、結論的には奴隷だったとにおわしているが)。それにDNA鑑定で、意外と遠隔地からの訪問者も確認された。北アフリカや中近東出身者である。

 この情報に接して思い出すのは、京都の古代学協会によるポンペイのいわゆる「カプア門」付近の発掘調査の最終段階の2002年に、北側城壁から約20m外側で、火砕流で流されてきた男性遺骨二体が、地表下7mから発見され(第一報の新聞報道では一人は少女とされていた)、男性は身長170cmで(もう一体は150cm)、彼の足首にやはり鉄製の足枷が付けられていたので、おそらくウェスウィオス山の裾野の農業ウィッラで労働・拘束されていた農業奴隷だったのだろうと結論された事例である(https://www.kodaigaku.org/study/study.html)。この発見はそれまで獣骨やゴミ出土ばかりだったので、「最後の最後に人骨が」と古代学協会の皆さん大変喜んでいたのを懐かしく思い出す。それにしても、もう20年も昔になるのか・・・

【補足】2020/6/12の報道によると、フランスのサントSaintesの円形闘技場は18000人収容できる現在フランスに残る最大のものであるが、その西250mの建築現場から後1-2世紀の墓地が発掘された。

サントと、円形闘技場の位置
サント円形闘技場の現況と想像図

 そして、約300の墓地の中から鎖で繫がれたままの大人四人、子供一人の骸骨が出土した。大人の三人は足首を鉄の鎖で縛られ、四人目は首に首輪も、子供は手首に鎖が付けられ、溝の中に互い違いに埋葬されていた。それで彼らは奴隷身分で、この墓地は、おそらく闘技場で処刑された人々の墓地だったのかもと想定されている。

、拡大頭部の首輪;、同じ人物の足枷にも注目

 だが、2005年にはイギリスのヨークで、大腿骨に野獣に噛まれた跡のあるのがDriffield Terraceで出土していた由で、それは野獣刑で犠牲になった者と想定されているし、同時に両足首に足枷嵌められた遺骸も出土しているようで(しかも頭部が切断されているのがここの特色とか)、そうなるとグレート・キャスタートンのものが最初という言説は成り立たないような気がするがどうだろう(https://www.theguardian.com/science/2010/jun/07/york-gladiator-graveyard;https://static1.squarespace.com/static/5c62d8bb809d8e27588adcc0/t/5d0779edfb33ed00011bbe70/1560771061518/Driffield-Terrace.pdf)。

、ヨーク西南の墓地地帯の地図、川向こうの北東隅に軍団駐屯地;、野獣の咬み跡
件の遺骸と、両足首の足枷

 しかもである。ブリテン島には、Isca Augusta(Caerleon)、Deva(Chester)、そしてEboracum(York)にローマ軍団が常駐していた歴史があり(Viroconium(Wroxeter)にも一時:今は補助軍には触れない)、上記2箇所には当然のように円形闘技場遺跡が確認されるにもかかわらず(ブリタンニア全体では都合15)、ヨークだけは未だその場所が不明とされ、現地ではその発見が話題となっていて、古代ローマ史ハンターたちの格好の調査対象となっている由。現在のヨーク大学構内の地下駐車場の下ではとか、セント・メアリーズ修道院構内地下じゃなかろうかとか・・・。

、軍団駐留地;、円形闘技場遺跡

 と、まあこのようにこの分野の研究はそれなりのエビデンス(えー、わざと使ってます)の蓄積あるので、研究対象になり得るとは、若いの誰かやらんかいという、老爺のお節介です。

 ただ、コンスタンティヌス大帝がご当地軍団によって皇帝歓呼されたと想定されているのは現在のミンスター教会で、そこはかつての軍団駐屯地だったから納得できても、円形闘技場の候補地に想定されているセント・メアリーズ修道院もヨーク大学もその区画、ということは、今般の遺骸出土地とはウーズ川を挟んで1.5km離れていることになり、この距離はちょっとありすぎのような気がしてならない。むしろ、墓地に近い川の南側に想定すべきではと愚考したくなるのである。

、中央から右側がDriffield Terrace
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