老いを感じる帰省

 昨日まで1週間帰省していた。最初は妻のほうの墓参りと妹の見舞いのつもりだったが、施設でインフルエンザと新コロナが流行して面会禁止となったので、見舞いはなくなった。妻は中一日のとんぼ返り。

 2/22、ついでと言ってはなんだが、南区の税理士Mさんに2人分の確定申告の書類を持参、ついでにご近所の中華料理屋A亭に寄って昔ながらのチジミ麺のラーメンを食べようと思ったが、満員だったのでMさんの車でご近所の「ち○ら」にいく。ここのラーメンの麺はチジミではないが、広島駅新幹線待合室の奥の「広島ラーメン」と同じ味のように思えた。その後、電車で中区に向かう。

 妻の母系のY家が建てた八丁堀の○○寺でご住職に会えたのを幸い墓じまいをご相談、合葬は1人15万で埋葬者はお爺さんとお婆さん2人なので30万(50万で打ち止め)、義弟の未納管理費9万、石屋関係が30〜40万とかで、まあ100万。これを妻の妹と折半する。墓仕舞いは五月の木曜で妻とんぼ返りする段取りとなった。

 そのあと女学院前から広電で終点まで行き、我が家の菩提寺を訪れる。左横の花屋で3つ供花、寺では線香三つ購入。まずは我が家、そこからタクシーで寺町の妻の実家の報○坊へ。やっぱり寺前の花屋は閉まっていた。妻の家と親戚の向○家にはなぜか立派な供花が枯れていた。その後電車で古江まで電車に乗り買い物をして帰宅。

 翌23日、昼前に妻を送るべく広島駅に。西広島駅の北側はまだ工事を継続中。広島駅でいつものように、網代にいくが、どうしたものか握りの生きがよくなく落胆。もう行かないかも。妻を送って我が実家に帰宅。

 2/24午後にKに会うため己斐に行く。西広島駅に北口があったのを初めて知る。K邸は豪邸だった。そこで広島教区史がらみの情報交換をし、夕方西広島駅前の「ち○ら」でニシンうどん。その後帰宅。

 2/25、26と自宅でのんびりし(というか、疲れが)、27日に帰京するが、事前の予定通り我が大学図書館に寄る。夜のラテン語輪読会はE氏体調不良で休会。

 さて、こっからが本論。2/27、帰京の準備に入る。もっとも気を付けたのはやはり火事の件で、漏電に注意するべく冷蔵庫関係の電源以外は(といっても実際には一階の台所全体のようだが)ブレイカーを落としたのだが、折からの寒風で、ずっと大丈夫だろうかと気をもんだ帰り道だった。こういう心配性から解放されるためには、売却すればいいのだが・・・。

 そしてまた、今回の帰省以前からどうも胃の調子がおかしい。なんだかつかえた感じがする。普通に胃の不消化感で、まあこれが大事に至れば胃がんかなと。いわずもがなだが、年一年と老いが進んできている実感が。それもあって実家前の花壇の雑草取りも今回かなり手抜きとなった。それというのもちょっと作業しても息切れしてしまうという現実が。

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