月: 2021年2月

森問題と仏教の女人差別:飛耳長目(74)

 身内の世間さまのみならず自称先進国をもお騒がせしている森問題だが、今読んでいる若桑女史の『クアトロ・ラガッツィ』の中にちょうどその問題の淵源に該当すると私が思う箇所が出てきた。彼女は、あの時代にキリスト教が驚異的に教勢拡大できた原因のひとつを、仏教における女性差別に求めている。

 そもそも鎮護仏教の教理には明確に「五障三従」の教えがあって、女性はそのままでは救われない、ただ男性に変身すれば成仏できるとされ、これが「変成男子」である、と(これと同様な思想が初代キリスト教、とりわけグノーシス派にもあったことにご注目のこと:地中海世界へのインド思想の流入なのか、それとも類似発想なのか)。それが鎌倉時代に新仏教が女人成仏思想を創出したのだが、それはよしとしても、たとえば親鸞は、まず女性にその罪業深きを教え、次に念仏を唱えれば女性でも成仏できる、という段取りなので、仏教の輪廻思想と絡んで、女性は前世以来の自分の業(ごう)の深さを徹底的にすり込まれた上で、救済を求めて「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と一心不乱に念じて、変成男子になり、成仏を願うことになるわけである。女史は平雅行の説を引用しつつ鋭くこう喝破している。「仏教の本質が鎌倉仏教で急に女性の平等に変わったわけではなく、またそれ以前にまったくそれがなかったわけでもない。多かれ少なかれ、女は穢れたものだという考えはその前にもあとにもあり、しかも、そのひどく穢いものを救うのもだいじという考えも同時にあった。言ってしまえば、女性を救おうという宗派も、まずは非常に罪深いものだということを認めさせた上で、そんな罪深い女でも救ってあげようというたいへんありがたい教えであって、女性が罪深いものだというたてまえを壊したものではない」(p.140)。もちろん最後の「ありがたい教え」という表現は女史の皮肉であるが。

岡山県西大寺観音院所蔵「熊野観心十界曼荼羅」:自分の母が自分を育てるために多くの罪を犯し餓鬼道に堕ちてしまったのを見て涙を流す高僧(https://www.saidaiji.jp/about/precinct-guide/kanjin-jikkai-mandara/)

 余談だが、昨日が三回忌の、一昨年93歳で死んだ大正14年生まれの私の母は、認知症が進んで最後に介護施設に入れられたことが大変ショックだったとみえ、「わたしゃ、業が深いせいでこんなことになって」と口走っていた(自分の行く末を考えて、まだ至極元気だった時期には自分で施設見学もしていたくせに、だ)。女の「業」は、それほど庶民の熟年女性には未だ深く根付いている想いのように思う。若い女性にとってはそういった宗教思想の偏見よりも社会的構造的な差別の方がより身近だとは思うが、それが意識下に沈潜した場合、「変成男子」化を求める方向に向かわないとは限らない気がする。

 で、今年で83歳になられる森元総理だが、別に弁護するつもりはないが、私が想像するに、たぶん念仏宗の盛んな石川県にあって生育されたのであれば、きっと「五障三従」が聞くともなく身に染みついてしまっているのかもしれない。ただここで私は偉そうに、今般の問題に仏教界はどう反応するのであろうかなどと言いたいのではない。

 公人であった彼が公の席で個人的体験でいらついたことがあったのだろうか、あらぬことをつい口走ってしまい、それが一般論レベルに拡大されて集中砲火を浴びているが、当人にとって理不尽感は否めないだろう。こんなことは居酒屋では掃いて捨てるほど聞くことできるはずだし(私はもう10年近くも行っていないので、最近変わっているカモだが)、マスク警察よろしく口先でたとえきれい事を述べたとしても(それを軽薄にもマスコミはマイクを差し出してチョイスして、電波に垂れ流す)、我ら自身の脳根幹にしっかり居座っている根源発想はそれほどに抜きがたいものなのだ、という認識を、我がこととして改めて確認してしまっただけのことである。

 ついでに付加しておこう。若桑女史によると、「日本は神国である」とはキリシタン弾圧の枕詞で秀吉や家康も言っていた。

 そしていわずもがな、女性差別はキリスト教とて一皮むけば同じではないか。教祖イエスは信者が唱えるべき主祷文で「天にまします我らが父よ」と神が男性性であることを明言しているのだから、それをいまさら神を「父でもあり母でもある」と言いつくろったところで許されるはずもないでしょう、と自称キリスト教的先進国にもの申したい気がする。トランプ問題で分かったことはアメリカのメディアがごく一部の意見の反映であって、普段は沈黙している名もなき庶民(それが全人口の少なくとも半分を占めているのだ!)の本音はそれとは別に強固に維持されているということではなかったかっ。そのことをもう忘れ果てて「アメリカのメディアでは」と鬼の首を取ったように言いつのっているご都合主義にはあきれてしまう。マスコミはえてして事実の報道と言うよりも、世論誘導という面もあるわけだ。自称先進国でさえ、法的に女性進出を定めていての操作の上での30%維持であって、実投票の成果ではないのだ、ということを知らないのだろうか。

 いや、欧米だけではない。どっかの国の先般の総理大臣の決め方にどれほどの透明性があったというのかっ。それについては健忘症のマスコミ知識人のぴーちくぱーちくにはあきれるばかりだ。

 こんな意見もある:http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52300475.html

【追記】ようやく肝心のデータが出始めた:「女性理事わずか16.6% 森氏発言があぶり出す社会のいびつさ」(https://mainichi.jp/articles/20210211/k00/00m/040/081000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210213)。数字に基づいて論じられるべきなので、こういう情報は大歓迎だ。森発言の当事者となったラグビー部門は女性委員5名で20%強を占めている。最高はテコンドーの36.4%。もっと多くていいはずの水泳や体操部門が遅れをとっているのは、伝統種目のせいか。でもサーフィンは0%。

 こういう論議の仕方、私は好きである。円より子「森喜朗さん、よくぞ言った 男の本音に非難続々で「男的世界」は変えられるか:男も女もしばるジェンダーバイアスから自由になる時代に」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021020500005.html?page=1)

 しっかし、橋本女史の選出にどれほどの透明性があるというのか。これって結局汚れ仕事を女性に押しつけただけのことじゃあないのか。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64136

【続報】体験談は説得力がある。https://mainichi.jp/articles/20210301/k00/00m/040/084000c;https://mainichi.jp/articles/20210301/k00/00m/040/274000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210302

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溶けてゆく記憶:痴呆への一里塚(43)

 もともと暗記力はよくないという自覚はあったが、このところひどくなっているなと思い出している。そろそろ身辺整理をと思い立って母からの遺産関係をまとめておいたはいいが、それをどこにしまったかすぐには思い出せなくなったのだ。以前だったらそれくらいちゃんとおぼえていることできたのに。いわゆる「失せ物探し」で私にとっては膨大な時間と体力が必要になってきている。本だってそうだ。自宅の書架にあるはずのものがない。たいした書架ではないのに。大学に寄附したのかとオパック見てもない。また書架をみるが見つからない。古書店に処分した中に入っていたのかどうか、記憶はもうない。

 一件書類をひとまとめにして、没後にすぐわかるようにしておかなきゃと一念発起しだして半年経つが、それがこれではね〜。先行き不安。

 そういえば、視力が一段と薄くなってきて、煩瑣に眼鏡をとらないと見えなくなってもいる。これも不安材料には違いないが、こういう老化はしょうがないやと受け入れやすい自分がいる。

 なにか言うと、妻は二言目には「なんたらノートに書いといて」という。けれど、死亡後のどさくさでそんなノート、果たして探し当てたり、出てくるものだろうか。母の場合だって、「遺影はこれにして」といわれた写真があったが、それがどこに置かれているのか、未だ見つかっていない。結局、まだ元気だった頃、施設で誕生日に撮って頂いた普段着の写真を使った。私が記憶していた遺志もあったが、私の一存で変えた場合もあった。それなりの葬儀を期待していたようだが、こじんまりとした家族葬ですました(東京でお骨にし、広島で葬儀した)。生前、香典に関して「これまでのを回収しなさい」と言っていたが(半分は本音だったと思う)、私はご辞退させて頂いた。

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科学者・野口英世の毀誉褒貶:飛耳長目(74)

 BS 4Kで「フランケンシュタインの誘惑(3)科学者野口英世」をたまたま途中から見た。朗読が吉川晃司であることは声質からすぐわかった(MAGI見た後だったし)。私も子供の頃の偉人伝で読んだ覚えのある野口英世(1876-1928)を研究者として見直そうという内容であったが、上昇意欲が激しくそれで顰蹙をかっていたということはなんとなく聞いていた覚えがあったが、彼の研究のほとんどは誤りであったという件については、初めて知った。

 あとからウィキペディアで彼の項目を読んだら、これはもう色々の意味で突拍子もない御仁であった。完璧な人間なんていないと断じている私ではあるが・・・。研究者としては、理化学研究所研究員だった小保方某女史の論文偽造騒ぎから6年経ったが、まるでその先駆者であったかのようで、今風にたとえていうと「細菌」学者だった彼が「ウイルス」と格闘してお門違いを重ねていく、そんな印象を私は持った。これで万一ノーベル賞を受賞していたら今頃はと、空恐ろしくなってしまう。

 人間的には「人たらし」に長け、借金を重ねて女郎屋での「放蕩」三昧で浪費する繰り返しで(当然性病にも冒されていた)、性格破綻者以外の何者でもない。偉人伝の彼とは似ても似つかぬ実像だ。

 こんな人間をよくもまあ国家的な偉人を飾る切手や紙幣の顔に使ったものだ。知っててやったのなら、私には、以前書いたイタリア・リラのかつての最高紙幣に採用の、殺人犯でお尋ね者のカラヴァッジオ並の快挙・壮挙に見えてしまうのだが、はたして使用者側の国民の皆さんはどこまでご存知なのやら。

 とまあ、理系の研究業績では時が来ればいずれ黒白がはっきりするわけだが、文系はそうはいかないけれど、彼の、自分に都合のいいデータだけ採用して、他者からの批判を検討しない姿勢を踏襲することだけは避けるべきである。しかしこのけじめを遵守することすら、新分野開拓に挑戦するアグレッシブな(功名心に富んだ、情報発信に積極的な)研究者にとってなかなか難しい。彼らのようなメンタリティの持ち主がいないと、研究は先に進まないのも事実だし。実はデータ改竄や盗作は科学史の偉人とされて教科書にも載っているガリレイもニュートンも、ダーウィンもやっていたことであるらしい。

 理系での不正論文問題が火を噴いている現状の中で(「これまでに約2000本の不正論文を見つけました」:https://www.editage.jp/insights/i-found-about-2000-problematic-papers-says-dr-elisabeth-bik;https://www.saaaj.jp/public/books/books2015_03_1.pdf)、その中で文系の論文捏造は珍しいとされているが(「日本が世界トップの論文不正大国になってしまった理由」:https://diamond.jp/articles/-/213446)、私の分野のように研究の主戦場が欧米にある場合、実は根源的に横を縦にしてのコピペ・盗用問題が内在していることを見逃してはならない。オリジナル研究には時間と費用がかかるが、そんな研究をしていては就職もできず消えていかざるをえない現実の中で、無駄と分かっていても駆け出しの若手は研究論文を乱作せざるを得ない、それで手っ取り早く欧文を読んでもっともらしく自説を装う、という構造的問題が存在する。ま、理系と違い世間的な影響はほとんどないのが不幸中の幸いか。

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続・木内みどりさん

 以前(2020/12/9)アップした後続情報である。「この国に、女優・木内みどりがいた<23>アウシュビッツ、そして福島のアーチ」(https://mainichi.jp/articles/20210204/k00/00m/040/081000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210207)。普通は撤去するほうに大賛成するはずのところ、なるほど強制収容所と同列に考えて遺すべきとは。なかなかの見識で、並の人ではない。アメリカの南軍関係や黒人奴隷でも同様の問題が存在する。

チェコ北部のテレジーン強制収容所

 ところでこの標語「Arbeit macht Frei」は、しばしば誤解されているようだが、アウシュビッツのみに掲げられていたわけではない。以下参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/働けば自由になる

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宇宙トイレ:トイレ噺(23)

 最新のNational Geographic日本語版で宇宙トイレの話がコラム的に載っていた(2021年2月号「無重力でも快適な宇宙トイレ」)。それによると、水分は回収されて再利用される(なんと98%もだそうだ)。ゆえにキャッチフレーズは「今日のコーヒーは明日のコーヒー」。

 それで気になってぐぐってみると色々みつかった。ここでは以下のみ引用しよう。「新しい宇宙トイレ、国際宇宙ステーションに向けて出発:開発費は約24億円、女性宇宙飛行士の利用にも対応」(https://www.timeout.jp/tokyo/ja/ニュース/新しい宇宙トイレ-国際宇宙ステーションに向けて出発-100520)。写真もそこから。

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天正遣欧少年使節とガラス玉:遅報(67)

 昨日、偶然見たテレビで天正遣欧少年使節の一人千々石ミゲルの墓発掘をやっていたので、ウィキペディアでググってみたら、彼の墓と思しき場所から、ロザリオ(材質ガラス玉)と「欧州産と見られるアルカリガラス板の破片」が出てきたそうです。これを根拠にこれまで転び伴天連とされてきた彼の名誉回復も諮られているようですが、さてどうでしょう。だって出土場所は正確には2番目の妻の墓穴のほうからのようですし。ロザリオにしては琥珀色玉の粒が小さ過ぎるので、私は山勘ですが、単なる南蛮土産の装身具ではと思ってます。

典拠:https://migel-project.jp/

 それを、イタリア在住でガラス研究の私の教え子にメールしたら、逆に、日 本スペイン外交関係樹立150周年記念ドラマ「天正遣欧少年使節 MAGI」(2018)を教えてくれました。これはうれしいことにAmazon Prime Videoでみることできますが (https://www.magi-boys.com)、全部で19話もあるようです(一話40分弱が多い)。私は契約していたので即無料でみることできました。なお、第1話はどなたも試聴できるようです。  

 まだ見ていらっしゃらなければ、意表をついてかなり面白い内容なのでお勧めしたいと思います。 私は第1話からぶっ続けで見終わりましたが、イエズス会のあられもない内紛や露骨な人種差別、日本人やモザンビーク出身の弥助ら黒人奴隷問題、少年たちの心の葛藤を、赤裸々に、いささか誇張気味ではありますが、正面から扱っていて、スコセッシ監督「サイレンス:沈黙」(原作は遠藤周作『沈黙』)なんかより数段いい出来で、思いのほか骨太で奥行きが深く重厚な作りでした。ただし、戦国時代なので冒頭で相当に残酷な場面も出てきて、時代背景的に伏線として必要なんだろうし、さもありなんとは思いつつも・・・。なぜか吉川晃司が信長、緖方直人が秀吉で、それぞれいい味を出していますが、実際の使節派遣の主役は大村純忠ら九州大名たちだったはずなのに、彼らは全然登場してきません。といったわけでまあ史実に基づいたフィクションといっていいですが、むしろその虚構設定で当時の風を我々ももろ感じられるわけです。

 私的には、ポルトガル人のイエズス会士コエリョ(日本準管区の初代の長:1581-1590)の行動に関心をもっています。彼は日本での軍事行動を前のめりで構想していましたが、このドラマではちょっと登場しただけでした。イエズス会としては、秀吉との相性で人をえていなかったというべきか(後述の若桑女史はオルガンティーノであったならと慨嘆している:p.247)。他方でわが日本は、下手をすると268年も前倒しでイスパニアの「黒船来寇」に見舞われていたかも知れなかったわけです。まだ全国統一以前の分裂時代の戦国時代でしたので、植民地化されやすかったから、やばかったことでしょうね。

 このドラマで、宣教師たちが英語で話しているのはちょっと違和感ありました。日本語字幕付きなのでたどたどしい日本語も理解しやすかったのも確かですが、それくらいならスペイン語(コスメ・デ・トルレス)、イタリア語(ヴァリニ ャーノ)、ポルトガル語(カブラル)とかでやってほしかった。現実問題としては、宣教師役の俳優さんたちが英語圏出身者だったからかな。というか、国際同時放映らしいので実際には吹き替えもありなんだろうと思うのですが。

 ひょっとしてこの原作は、若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ:天正少年使節と世界帝国』集英社、2003年、なのかもしれませんが(読み進めていくうちに微妙な味付けが違っている箇所に出会ったので、スペイン系かもしれない)、このとんでもないド迫力女史が(彼女は一流の研究者であると同時に、文字通り女傑でした (^^ゞ)、千葉大学学長に直訴して大学初のサバティカル休暇をもぎ取って、1995年にローマに滞在したとき、ちょうど私もサバティカルで、バチカンがらみで彼女と思わぬ遭遇をしたことを思い出してしまいます。彼女は信長の屏風発見を目論みあれこれ調査・画策してましたが、目的を達成できませんでした。バチカン宮殿の見学路になっている例の「地図の間」に飾られていたというこの屏風はたぶん乾燥の地中海性気候でとっくの昔におしゃかになってしまっているのでしょう(ポルトガルにあった屏風の下張り[野坂昭如『四畳半襖の下張』ではない、悪しからず]から400年前の貴重な文書が発見された件は、以下参照:伊藤玄二郎「『エヴォラ屏風下張り文書』修復記」『星槎大学紀要・共生科学研究』15, 2019, pp.60-73)。残念ですが。

 とまれ彼女がアルメイダからかの著を書き始めているのは慧眼というしかない。実は私もこのユダヤ系ポルトガル人の生き様に別の観点から注目していて、彼を深掘りすることで時代の風に息を吹き込むことできるとにらんでいる。いつかコエリョともども論じることできればと思っている。

1935-2007年:享年71歳

【追記】日本人奴隷の件を論じた増補新版が最近出たようなので紹介。からゆきさんどころではなくて、ポルトガルやメキシコでも足跡がたどれるのだとは、スペイン史の専門家、関哲行氏のお話でかなり以前にお聞きした情報でした。

 届いたので「増補新版 あとがき」を読んだところ。どうやらこの本はポルトガル人研究者ソウザの著書を元に妻の岡女史が手を入れたものらしい。上記あとがきによると、その時省略した部分を3年後に加えての今般の出版なのだが、世情がようやくそれを受け入れる状況になったので、前回割愛したイエズス会関係の部分を含めた由。一種の忖度をも予想させ、魑魅魍魎うごめく学界の闇をなんとなく推察させる筆致である。とまれ、普通に研究の対象になってきたことはいいことである。

【追記2:若桑女史について】彼女は、上記著作中で、自分はキリスト教徒ではないが、中学のときに聖書を学ぶ学校にいて、と幾度も書いていて、信者でなかったにしてはカトリックに対して見事なまでに偏見なくニュートラルな叙述に徹していたので(彼女は一貫して「教皇」と表記している。だったら「免罪符」は「贖宥状」としてほしかったが)、さてどこのミッションなのか、その中学のことを知りたいと思っていたが、それが書いてあるのを最近になってみつけた(https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28398.html)。玉川学園中等部だった。なぜ中学とのみしているのかも分かった。彼女は高等部には一学期だけ所属し、二学期からは都立駒場高校に編入したからである。それには書いてなかったが、ウィキペディアには葬儀場所は世田谷カトリック教会、喪主は長男、とあった。さて、どういう「つて」があったのだろうか。

 ところで若桑『クアトロ・ラガッツィ』で、古代ローマ関係で奇妙な箇所を見つけた。私の手元のものは2004年4月25日発行の第3刷である。

p.103「カトリック教会すなわちローマ教会は古代ローマの皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を国教と定めた三四五年以降、」:こんなこと書いているようでは上智の入試は落第ですよ、みどりさん。第一に、コンスタンティヌスは山川教科書的にもキリスト教を「公認」しただけである。第二に彼は三三七年に死亡している。息子の一人コンスタンティヌス二世にしても弟コンスタンス一世により三四〇年に殺害されている。これ以上跡づける必要はないだろうが、三世の在位は四〇七〜四一一年である。p.336でも、コンスタンティヌスが「国教」にしたと、同様の誤りを書いている。

p.132「キリスト教信者が伝道後数十年にして人口の三〇パーセントをこえる三十万に達したということは、」:この計算では、当時の日本の人口はたった100万人となってしまう。通説の人口1500万人とすれば、2%(以下参照、大橋幸泰「16-19世紀日本におけるキリシタンの受容・禁制・潜伏」『国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇』2016年、pp.123-134)。だから女史的には「3パーセント」の誤植か。

 なお、p.339下段に「教皇の秘密の愛人たち(男性形複数名詞)」と意味深に書いている。これは要するに男色のことであるから、ことさらの説明抜きでそう書くくらいなら、宣教師が日本にきて驚いたのが公然とした「男色」だったと最初の方で書いているのはちょっとどうかなと。現在ローマ・カトリック教会を揺るがしている聖職者による児童性的虐待問題は、万事用意周到な彼女の念頭にはなぜかまだ浮かんでいなかったようである。

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ウイルスとの共存:世間的常識の危うさ

 大昔定期購読していたせいか、National Geographic2021年2月号の宣伝がメールで送られてきた。

本当はもう一つの特集「新天地を目指す女性たち」も興味深い

 特集のひとつが「ウイルス:その謎だらけの世界」で、その副題そのものがその内容を表している:「多くの命を奪うウイルスがある一方、命を育み守っ てくれるウイルスも存在する」。  

 メールで送られてきた紹介文(特集の冒頭)を添付しておきたいところだが、ここでは遠慮しておく。ウイルスなしには現在の人類も存在していなかったとい う視点は、私にはひじょうに新鮮だった。 こういう逆転的視点が大好きである。

【追記】本号にはコラムとして「進化する宇宙のトイレ」と、米国で南部連合を讃えるモニュメント撤去の動きにも触れられている。こういう動きを知らなければ真のアメリカを把握できないであろう。

 今日もこんな情報が飛び込んできた。こっちはウェブ記事なのですぐに読めます。「新型コロナで日本の死者はなぜ減ったのか:感染対策の効果はコロナの被害より大きかった」(https://miu.ismedia.jp/r/c.do?1qa1_kmC_2zR_sds)。

 私見では,厚労省が人口動態統計の推計公表をなぜやめているのか、が不明だが、犠牲者が少ないのはとりあえず朗報である。実は私もこの冬、インフルの予防接種もしていないのに、めずらしく風邪を引いていない。それらしくなったらすぐにルル飲んだりしているし、外出時にマスクもしているせいだろうか。今後の検証を待ちたい。

 上記と同じウェブに以下の記事が。「京都芸術大学ヌード「わいせつ」判決のトンデモ度」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63963?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top)。つい読んでしまった。皆さんはどうお考えになるだろうか。私は人間には根源的に抜きがたく「性欲・食(排泄)欲・名誉欲・金銭欲」といった欲望があって、これらは人類たるもの永遠に内在し続けるという視点から、所属大学でそんな画像を多用して授業を教養課程から行っていた。その片りんはこのブログを読んでいただければわかるはずだ。上記記事を書いた伊東乾氏からすると、だいぶあぶない綱渡りをしていたことになるのであろうが、学生のだいたいの授業感想は「これこそ大学の授業」といった肯定的なものだった。実に、理解力に富んだ学生たちであ〜る。いや、お上手といえばお上手なのだ。不快なら受講をやめればいいだけのこと、中にはそんな学生もいたかもだが、沈黙して去った学生の情報はこっちにはつかめないわけで。そもそも日本とは異文化世界の古代ヨーロッパ文化史を学ぼうとするのに、自称日本的基準を適用してどうするの、だったら日本史やりなさい(実は我が国でも、一歩踏み込むとご同様だったりするのだが。私もそうだったが二十歳風情は知らないことが多い)、歴史学が現実から目を塞いでどうする、と私はいいたいのだが。

 二十五年勤続して、例外的に最終段階で「セクハラ」という表現とった女子学生がただ一人いた。彼女は、あろうことか別に勧誘したわけでもないのに、私のプレゼミ・ゼミに参加し、卒論段階でも私が勧めたわけでもないのに自分から古代ギリシア・ローマの性生活なんてあぶない題目を選び(繰り返す、私から勧めたことは断じてない:あっちからすると媚びを売ってるつもりだったのだろう)、挙げ句2年生段階から自分の発表担当となると必ず無断欠席、卒論用の英語文獻もろくに読めなかったので提出できず、2年段階からの単位が不足でもう留年しかないねという段階で、たぶんボーイフレンドの入れ知恵だろうが(一緒に面接に来たことあったので知っている)、学内セクハラ委員会に電話して私をほのめかし、だが正規の申告直前で引っ込めたらしい(それを私はだいぶ後になって知った)。そう脅せば恐れて単位出すはずだとの思惑だったのだろうが、おっとどっこいこっちはそんなこと全然知らないし(セクハラ委員会は当事者の教員には何も知らせない:これはこれで問題だと私は今でも思っている)、よろず波風立ててでも受けて立つ覚悟でやっている無謀きわまりない存在なので、女親が時の学科長に文字通り泣き込んで、女の涙に弱い学科長が、私から彼女を引き取りうやむやにして卒業させてしまった。とにかく私の部屋から出たら件のお友達と笑顔で話しているのを目撃しているので、親子揃って演技ということも私にはバレバレなのだが。私はこんな理不尽とはとことん戦うつもりだったし、私のゼミ生たちにとっても、彼女は担当のゼミ報告はきまって無断欠席するしと、悪評紛々の存在だったのだ。これを思い出すと今でも胸くそが悪くなる(おっと、伊東氏の興奮が乗り移ったようだ(^^ゞ)。学生の中にはこんな輩もいて、卒業間際に「先生の単位だけです、チャンスをください」とあちこち廻っている者がいる。賢い教師であればあるほどこの煩わしさからさっさと逃げちゃうわけ。

 森元首相の言動が問題となっているが、私の体験では、ごく普通の日本人はよろず忖度なしで突っ走ることはめったにない。いいのか悪いのは別にして、そっと消えてゆくということは言えるように思う。もちろん例外は存在する。否、突っ走るメンタリティーのほうが男女いずれにせよ例外的存在か。特に我が国においては(テレビコマーシャルのテロップ「但し本人の個人的感想です」と入れておくのが無難だろうね)。

 あと、世情に抗してこれだけは入っておきたい。男女差は明確にある。だから男女なのだ(これはグレーゾーンの人たちを排除するという意味ではなく、範疇論的な意味ででだ)。脳とホルモンの問題だから、どうしようもない。最も身近な具体例は、私と妻との衝突で日常的に体験しているので、私にとっては事実なのだ。これを疑う人は以下をご一読いただきたい。アラン・ビーズ、バーバラ・ビーズ(藤井留美訳)『話を聞かない男、地図が読めない女』主婦の友社、2002年。13年後に新装版が出たようだ。宣伝文句に「異性の友だち、恋人、結婚相手・・・、大切な人と些細なケンカが絶えない方は、これ1冊で解決!」とあるが、私にとってこれも古代、もとえ誇大宣伝であった。

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世界キリスト教情報第1567信:2021/2/1;複雑な生命倫理問題

= 目 次 =
▼バイデン大統領、中絶支援団体への助成禁止を撤廃
▼ポーランドで人工妊娠中絶禁止法施行以来抗議デモ続く
▼教皇が3月イラク訪問時にシーア派最高権威と会談へ
▼韓国キリスト教団体「インターナショナル・ミッション」の学校でコロナ集団感染
▼韓国の新規コロナ感染者497人、宗教施設での拡大続く
▼韓国が社会的距離規制延長、新型コロナ感染の新たな波警戒
▼ポルトガル議会が安楽死容認法案可決、カトリック教会が強く反発
▼古代エジプトの遺物約5000点が米博物館から返還される

 今回は2つたまさかよく似た内容の記事が。生命倫理に関するほうを紹介しておこう。禁止すれば地下に潜ってむしろ危険になるだけだし、承認すれば濫用する者が必ず出てくるし。一般論ではなくて個別事例をきちんと検証しないとなあ、と思う。いずれにせよ際限のないモグラ叩き。

◎バイデン大統領、中絶支援団体への助成禁止を撤廃
【CJC】ジョー・バイデン米新大統領は1月28日、人工妊娠中絶について米国外で助言や医療機関の紹介を行う国際的な非営利団体(NPO)に米政府が資金援助することを禁じた「メキシコシティー政策」を撤回する文書に署名した。中絶は米国の世論を二分する問題で、大統領就任からわずか数日で政治的な反発が広がる恐れもある、とAFP通信が報じている。
 バイデン大統領が署名したのは、毎年恒例の妊娠中絶反対デモ「マーチフォーライフ」が行われる前日。文書には「米国と世界の女性と少女の性と生殖に関する健康と権利を支援するのが、わが政権の政策だ」と記されている。
 バイデン氏はまた、ドナルド・トランプ前政権下で施行された女性に妊娠中絶を勧める米国内の家族計画クリニックへの政府の助成禁止についても、見直しを命じた。
 バイデン氏の支持基盤である民主党の支持者らの多くは、中絶の権利を支持している。ただ、バイデン氏は敬虔(けいけん)なカトリック教徒で、カトリック
教会は中絶に断固反対の立場。バイデン氏はこれまで中絶問題には慎重な姿勢を取り、中絶という言葉にもめったに言及してこなかった、とAFP通信。□
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◎ポーランドで人工妊娠中絶禁止法施行以来抗議デモ続く
【CJC】英メディアBBCが、ポーランドで、ほぼ全ての人工妊娠中絶を禁止する法律が1月27日施行されたことを報じている。今後は強姦や近親相姦による妊娠や、母体に危険がある場合のみ中絶が認められる。
 欧州でもポーランドは、カトリック教会の影響が強く、昨2020年10月、胎児に障害があった場合の人工妊娠中絶を違憲とする判決を憲法裁判所が下して以来、反対の声が強まり、1月27日の施行以来、抗議デモが首都ワルシャワなど同国全土で続いている。□
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◎ポルトガル議会が安楽死容認法案可決、カトリック教会が強く反発  
【CJC】パリ発時事によると、ポルトガル議会は1月29日、医師の薬物投与による「積極的安楽死」を認める法案を賛成136、反対78、棄権4で可決した。マルセロ・レベロデソウザ大統領の承認を経て成立するが、大きな影響力を持つカトリック教会が強く反発しており、大統領の判断に注目が集まっている。  現地紙プブリコ(電子版)は、安楽死を目的とした外国人の流入を阻止するため、18歳以上の精神的に健全なポルトガル国籍保有者と合法的居住者に対象を限定する、と報じた。病気から回復する見込みがなく、極度の苦しみを抱え、複数回にわたり安楽死を要望していることが要件という。 
 ポルトガルのカトリック司教会議は法案可決後、声明を発表し、「悲しみと憤慨を表明する。新型コロナウイルスの感染拡大が人命の貴重な価値について与えた教訓を否定している」と非難した。□
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音姫さまをめぐって:トイレ噺(22)

 以前(2019/10/14)イタリアがらみでちょっとだけ触れた朝日新聞の郷富佐子さん、その後どうされているのかと思い立ってぐぐってみたら、2020年段階で日本にかえって3年目となっていらっしゃった。で、彼女が書いた記事をひとつ紹介しておきたい。これって無料で読めますよね。

「のっけからトイレの話で恐縮ですが……」(2018/6/13)(https://globe.asahi.com/article/11553212)。ここでは文化比較論の前半は省略して、後半だけ念のため転載してみます。

日本のトイレは世界の関心事 

4月17日のイギリス英国メディアのガーディアン(ウェブ版)に、こんな見出しのニュースが載っていた。

「中国の『トイレ革命』を日本が支援へ」

見出しに続き、太字で「ハイテクトイレの国が、習近平(シーチンピン)国家主席が目指す中国全土のトイレ改善に技術的支援を申し出た」とあった。

中国の「トイレ革命」を伝えるガーディアンのウェブサイト

もともとは昨年12月、自民党の二階俊博幹事長が北京にある中国共産党の中央党学校を訪問した際、日中間の協力強化を表明したのが発端だったらしい。協力分野に、トイレの衛生と質の向上を含めたという。

調べてみると、習主席はこの分野にかなり熱心なようだ。2014年12月に初めて「トイレ革命」に言及しており、「揺るぎなく推進せよ」と指示を出している。中国に駐在する朝日新聞の特派員も昨年、「習近平が旗を振る『トイレ革命』」というデジタル向けの記事を書いた。

上海市内のTOTOのショールーム=2017年1月、冨名腰隆撮影

 確かに、洗浄機付きのトイレは日本が誇れる優れた発明品だと思う。日本で暮らした外国人が、帰国するときに「アレを持って帰りたい」と言うのを何度も聞いたことがある。実際、少しずつではあるが、海外のホテルなどでも広まってきていると感じる。

一方で、同じハイテクトイレでも「音消し機能」の方には違和感を覚える外国人は多い。確かに、これまで100近い国や地域を旅してきたが、日本以外で普及している国はひとつもなかった。

トイレの「音」をめぐる比較文化論

最近、羽田空港の荷物受け取りエリアで女子トイレに入ったとき、こんなことがあった。

早朝着の便だったせいか、女子トイレで先客はオーストラリア人の母娘だけだった。すごく元気な女の子は4、5歳くらいか。お母さんが「ママも一緒に入ろうか」と申し出たが、自信満々で「ノー。一人でできるから」と断った。

ところが個室へ入り、ドアを閉じたとたん、「ザザザザザー」という、あの音が。

「ママ!この音、何? 変な音がする」と叫ぶ女の子。焦ったお母さんは、ドアを叩いて「早く出てきなさい!」と命じた。

これは緊急事態だと感じ、思わず助け舟を出した。

「これは排泄音を消す音ですよ。日本の女子トイレには、だいたい付いている機能なのです」

お母さんは「そうなんですか。でも、ずいぶん大きな音ですね」と驚きつつ、ややほっとした様子をみせた。

なんとか用をすませて個室から出てきた女の子は、心配で待っていた私のところに来て、真剣な表情で質問をぶつけた。

「あれは、おしっことかうんちの音を消すためのものなの? 聞こえたらいけないの?」

お、そうきたかと思った。

「個人的には、いけなくないと思う。自動じゃなくて自分でボタンを押すタイプなら、私は押さない。でも日本では、おしっこの音を『恥ずかしい(embarrassing)』と思う人が多いのよ」と答えた。女の子は、「恥ずかしい……」とおうむ返しに言い、じっと考えているようだった。

 日本通のイタリアの友人は、「あのマスキング音の方が、『本物』よりずっとヘンな音ではないか。オープンな電車内で化粧するのは平気なのに、超プライベートな空間のトイレの個室内で出す排泄音が恥ずかしいなんて、日本人は不可解だ」という。どうだろう。

逆に知人の日本人女性はオーストラリア旅行中、音消しに困って排泄中にも水を流してごまかしたそうだ。この機能はもともと、排泄音を消すために何度も水を流すのを避けようと、節水目的で1980年代に発明されたとも聞く。

でも、乾燥大陸で慢性的な水不足に悩むオーストラリアでは、「あんたが出す音なんかどうでもいいから、貴重な水を無駄にしないでくれ」と怒られそうである。

私は入ったことがないが(当然だ)、聞くところによると、日本でも男子トイレだと音消し機能が付いていないことが多いようだ。ならば、これは日本の女子トイレ特有の機能なのだろう。

「恥ずかしさ」の基準は、国によってかなり違う。このあたりをトイレ的観点から、比較ジェンダー論としてまじめに研究してみたいような気もする。

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 はい、男子トイレに音姫さまはいらっしゃいません。どころか、男女共用の私の自宅には乾燥ボタンもついてますが、わが以前の職場の男性トイレにはそれもついてません(ばかりか、水量や温度の調節機能もない)。とはいえ、私は乾燥ボタン使ったことがない。依然としてトイレットペーパーで水気をぬぐっている守旧派である。紙資源のこと考えたら乾燥させたほうがいいいのだろうが、早飯早糞がモットーのワンゲル気質のせいだろう。そういえば、洗った手を乾かす機械(現在はなぜか使用禁止になっているが)も使ったことがないなあ。

 とまれ、他にも彼女は、安全なはずの日本でのチカン問題、五輪と政治問題、などに相対的視野から触れ、固定観念増幅の記事になっていないかという視点から論じていて、私にはとても示唆的なのだが、それが時に自ら身を置いているマスコミ批判にも直結しているところがすごいと思う。ところで気になったのは、彼女の記事が2019年2月20日で途切れていることだ。時期的に年度末なので、ひょっとしたら退職されたのか・・・。私は彼女の隠れファンなので、第二の人生でのご活躍を心よりお祈りしております。

【追伸】2021/2/17:広島駅で男子トイレに入った。そこには「ビデ」も「音」も、調節類もあった。

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