月: 2021年5月

快便と姿勢の角度研究:トイレ噺(28)

 先般、テレビのCMかなんかで、現在の洋式便座姿勢での排便は筋肉の理に適っていない、というのをやっていた。私は自宅が昔の和式便器時代は(ま、三〇代までだったかな)ときどき出血に悩まされていたし、度を過ぎた飲酒や急激な運動のあとなどしばしば脱稿、もとえ脱肛で苦しんだ経験があり、便器が洋式便座になり、さらにウォシュレットになってからはそういうこともまったくなくなり、日々至極快適に過ごすことができるようになって大助かりである。

 しかし最近たまたま便通が固く排便で大いにいきんでいる自分に気付くことあって、これでは血圧とかやたら高めになって脳の細い血管なんか切れないだろうか、とちょっと心配になるほどのいきみ方だったので(それはどうやら杞憂ではないような:https://karadacheck.com/column/1choukatsu200525/)、あのCMが気になったということだろう。

 それによると、肛門括約筋とか骨盤低筋群が便座だと90度で肛門を締める角度となり、便通をよくするには35度の鋭角にしたほうがいい、すなわち角度的には昔の和式のほうが理に適っている、ということらしい。しかし足腰がだいぶ弱っている今となっては、和式でのしゃがみ込みに帰るよりも、現在の便座だと足を高くすればいい、とのアドバイスが書かれていた。これは簡単にできるので今度確かめてみようと思う。

 介護的には寝たきりの人の排便はたいへんだが(場合によっては指で掻き出すのだそうだ)、その仕方もコツがあるらしく、色々工夫がアップされている。しかしこっちのほうはできるだけしないで、さっさと逝きたいのものだ。

 いずれもググってみるとかなりの情報がすでにアップされている。ある意味いい時代となった。

【続報】さっそく試して見た。予想外のことだったが、その姿勢ではお尻と便座の形が合わないので、不安定というか居心地の悪さを感じた。お尻が妙に落ち込む感じなのだ。便座の改良なしの現段階では、あるブログで書かれていたようにむしろロダンの「考える人」のような前屈みの姿勢をとったほうがいいように思う。

【その後】実際に上半身前かがみで何度もやってみたが、顕著な効果は・・・なかった感じ (^^ゞ しかも勢いよくやると便器の後ろに便がかかってしまったり・・・。理論と実際はかくもちがうか、とつくづく思う。

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【閲覧注意(^^)】そうだ「娼年倶楽部」でどうだっ!:Ostia謎めぐり(8)

 以前チャンネル回していて、後半だけみた「娼年」(2018年)ではそうも考えなかったが、今朝深夜に番組表の503チャンネルで「ザ・娼年倶楽部」が眼にとまった。このチャンネルは契約していないので映像を見たわけでないが、題名でひらめいた。

 Ostiaの「トリナクリアの浴場」Terme della Trinacria(III.xvi.7)も、聖所あり、地下水くみ上げ構造あり、一見パン窯風構造ありと、なかなか興味深い浴場なのであるが、とりあえず私が関心を持っているモザイクが二つある。ちなみにトリナクリアとは三角形のことで、その形状から三つの岬を持つシケリア(シチリア)の別称となっている。

、「トリナクリアの浴場」平面図;、シチリア州旗中心部分。蛇のメドゥーサでなく麦の穂になっているのがミソ

 その一つが、上記平面図での番号7の南壁際のベンチ前に埋め込まれたラテン語の白黒モザイクである。最後の一字の空間が手狭で「M」が無理矢理小さく書かれているのもご愛敬だが、頭の「S」の前に空間があるのだから、最初にちゃんと按配すればいいものを、と思わずにはおれない。手抜きの奴隷仕事だからか、今のイタリアにも連綿と通じるやっ付け仕事の民族性なのか、こんな仕事ぶりは他にも墓石碑文や顕彰碑文でもよく見かけるので、決して例外ではない(よもや、図案的なアクセント、ってことはないよね)。

部屋(7)の南から(5)方向を見る:右下の影部分に銘文モザイクの一部が見える
「STATIO CVNNVLINGIORVM」と読み取れる

 さて「statio」とは普通には宿駅のことだが、ここでは同じオスティア遺跡内にある「協同組合広場」Piazzale delle Corporazioni (II.VII.4)のそれとの連想で「事務所」とでもするしかない、そして「cunnulingiorum」はなんとも難物で、このラテン語、男性属格複数形なので、ご存知のように女性器をなめ回す男どものこととなるが、どう邦訳すれば品格あふれる私の論考にふさわしいかとなると、これまで思案投げ首だったのだ。ご多分に漏れず表看板だけにせよ、ここにはご婦人方に奉仕する若くてハンサムな男性奴隷たちがいて、お客様のお好みのままですよ、というわけ。世に「ボーイズ・クラブ」なるものが存在していることも今回初めて知ったほどの世情に疎い私であるが、続編「逝年」(せいねん,と読ませるので「少年」から「青年」への語呂合わせか)では文字的イメージでなんだか夢がないし(青年を通り過ぎて私世代みたいな)、このブログを読んだ後輩が「娼年」ではなく「娼夫」ではないかという意見も寄せてくれたが、看板的にはやはり若いほうがいいはずなので、やっぱり「娼年」でいこう!、というわけ。読者の皆さんでもっといいネーミングありましたら、教えて下さい。

 なおもうひとつは、部屋番号「8:tepidarium」に辛うじて残っているアスリート・モザイクであるが、それについてはいずれまた。

上記は一昔前の写真のもので、現在の保存状況はもっと悪い

 以下は参考事例としてのPompeiiの「郊外浴場」Terme Suburbane(VII.16.a)平面図(だいたいが地階[=日本での一階]だが、Dから階段登って上階となる)、とその脱衣所apodyterium (7)、そしてそのフレスコ画部分図。ここは最近は通常見学ができたりできなかったりの感じだが(私は最初見学許可を得て入った:その後、修学旅行風のイタリア人男女高校生一団がどやどや入って来てギャアギャア騒いでいた場面に遭遇したことがあって、さすがイタリア、18禁はないのだと)、その一階(日本での二階)には、娼館が付属していて専用トイレ(14:女神Fortunaの絵もある)もあって、こっちは許可を得ないと見学できない。私はトイレだけ一度見学したことがあるのだが、監視員が融通効かない中年女性だったせいか(すみません)、娼館のほうは見せてくれなかった(いや申請書には見学先を「トイレ」としか書いてなかったので、当たり前なんだけど。現場に行ったらそっちもちょっと見えて、しまったと・・・(^^ゞ)。

、平面図;、(7) 脱衣所全景:正面と右側に件のフレスコ画。件の画材はもっぱら右壁に残っている。当時は木製の棚があり、壁には釘跡も発見されている由
、主が女・奉仕者が男(III);、主が男・奉仕者が女(II)
これは、髪の形から一説では女性同士と考えられている(IIII)

 古代の著述家たちががどう書き残しておろうが、現代の研究者が上品ぶってなんと言い繕おうが、古代ローマ時代において、たぶん能動者も受動者も、娼館といわず自宅においても、相手が奴隷であろうが妻であろうが夫であろうが、何憚ることなくこの快楽と痴態に身を委ねていた、と私は想像する。ちなみに、オスティア銘文では奉仕者が男性形なので、享受側を女性と一応みなしたが、実際にはもちろん享受者が男性の場合もあるだろうし、奉仕者が女性の場合だってあったはず、と私はにらんでいる。

【閑話休題】参加者の大部分が私より年上で、女性のほうが多いある読書会で、なんかのついでに「私はホスト・クラブなんかに行ったことないので、行かれたことのある女性のご意見など承れれば」とつい口走ったことある。すぐさま女性陣から「ホスト通いするのは、男相手の水商売している女性がその屈辱感を逆に晴らすため鬱憤晴らしで行くところです!」と、きつく反論されたことがあった。ま、70歳過ぎてもこんなことも私は知らない野暮天でして、すみません。またまた普通の社会人に教えられました。

【追記】我が家に孫娘が来たら滞在する彼女専用の部屋に置いてあったトイレ関係を入れていた段ボールがあふれかえって壊れたので別のに入れ替えをしたら、下の方から2冊欧文著作が発掘された。Luciana Jacobelli, Le pitture erotiche delle Terme Suburbane di Pompei, L’Erma, 1995;Garrett G.Fagan, Bathing in Public in the Roman World, The University of Michigan Press, 1999, paperback 2002. こんな感じで研究書がどこかにかなり埋もれているはずなので、時々掃除するのはいいことだ。実はもとの所属大学に寄贈した雑誌のJRA,15が未だ行方不明。さて生きてる内に探し出せることやら。

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宗教と政治の密なる関係:飛耳長目(82)

 以下のウェブ記事が面白かった。「神社本庁「全面敗訴」で始まる政変。カネと票を失った日本会議を自民党は切り捨てるか?=原彰宏」(https://www.mag2.com/p/money/1048829?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000115_sat&utm_campaign=mag_9999_0515&trflg=1)。

 私の関心は神社本庁にあるわけではないが、それが政権政党と構造的にどうからんでいるのかという視点において、私の研究対象の古代ローマ帝国とキリスト教とも通底しており、ヒントなり強力な傍証を提供していると思うからである。

 端的に表現すると、「権力と金は、集まるところに集まる」「政治屋にとって利用価値がなくなれば宗教団体も捨て去られる」「政治はお金と票には逆らえない」というあたりである。上記ブログにおいて主題とされていなかったが、自民党の集票機関としての創価学会=公明党の退潮にもちょっとだけ触れられているのは実に意味深である。

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世界キリスト教情報第1581信:2021/5/10

= 目 次 =
▼エルサレムでパレスチナ人とイスラエル当局が連日衝突
▼聖職者に愛国義務 強まる宗教「中国化」
▼シャルル・ド・フーコー神父ら7人が「聖人」に
▼信徒参加の教皇一般謁見、5月12日より再開
▼カトリック教会放火の罪で男を起訴 米カリフォルニア州

 今回はアルジェリアがらみで3番目を紹介。列聖運動は長期にわたるので、市井の信者・聖職者よりも、組織・資金力のある修道会関係者がどうしても多くなる。

左、晩年のフーコー神父;右、彼の庵(アルジェリア南部のTamanrasset)からの風景
◎シャルル・ド・フーコー神父ら7人が「聖人」に
【CJC】バチカン・ニュース(日本語版)によると、教皇フランシスコは5月3日、「列聖の件」をめぐり枢機卿会議を開き、シャルル・ド・フーコー神父ら、7人の福者の列聖を決定した。
 この会議により、司祭、探検家、トゥアレグ族の言語および文化研究者として
サハラ砂漠で観想生活を生き、58歳で盗賊団に殺害されたシャルル・ド・フーコー神父ら、7人の福者の列聖が決定した。列聖の日・場所については、「パンデミック」の状況を考慮し、追って発表される。
 この日、列聖が決まった福者たちは以下のとおり。
・シャルル・ド・フーコー(司祭 フランス1858~アルジェリア1916)
・ラザロ(デヴァサハヤム・ピライ 信徒、殉教者 インド1712~1752)
・セザール・ドゥ・ビュス(キリスト教教理司祭会創立者 司祭、フランス1544~1607)
・ルイジ・マリア・パラッツォーロ(貧しき者の修道女会創立者 司祭、イタリア1827~1886)
・ジュスティーノ・マリア・ルッソリッロ(司祭、神の召命会・神の召命修道女会創立者 イタリア1891~1955)
・イエスのマリア・フランチェスカ(アンナ・マリア・ルバット 修道女、ロアーノのカプチン律修第三会創立者 イタリア1844~1904)
・マリア・ドメニカ・マントヴァーニ(修道女、聖家族の小さき姉妹会共同創立者 イタリア1862~1934)□

※《参考》シャルル・ド・フーコー神父(シャルル・ウジェーヌ・ド・フーコー・ド・ポンブリアン)
 1858年9月15日、ストラスブール生まれ、1916年12月1日死去。
探検家、地理学者として知られる。信仰を失い、無規律な生活を過ごしたが、軍人になり、モロッコ探検を機に、神の現存に心を揺り動かされ28歳で回心、サハラ砂漠で遊牧民トゥアレグ族の友であろうと努め、奴隷制度と闘い、言葉と文化を学び、トゥアレグの叙事詩を収集し、タマハク語の辞書を編集した。1888年に著書『モロッコのルネサンス』を発表した。1890年に厳律シトー会に入会、1916年12月1日、サハラの奥地で暗殺された。2001年4月24日に教皇ヨハネ・パウロ2世によって尊者に、2005年11月13日に、教皇
ベネディクト16世によって列福された。

 フーコー神父の伝記や霊的手記が多数出版されている。邦訳書に次のようなものがある(現在、在庫なく絶版のものも含む)。
・『シャルル・ド・フコーの霊的遍歴』(ジャン=フランソワ・シックス著、倉田清訳)エンデルレ書店 1976年
・『シャルルとイエズス』(シャルル・プチ著、大久保昭男著)エンデルレ書店 1981年
・『人人のあいだに・人人のなかに──イエスのシャルルに続く者たち』(
ルネ・ヴォワイオーム著、澤田和夫訳)ドン・ボスコ社 1996年
・『シャルル・ド・フーコー』(ジャン=フランソワ・シックス著、倉田清
訳)聖母文庫・聖母の騎士社 1998年
・『霊のあふれの手記』(シャルル・ド・フーコー著、澤田和夫訳)サンパウロ社 2000年2月
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コンスタンティヌスの青銅巨像の人差し指再発見!

 2021年4月29日にローマ・カピトリーニ博物館は、以下の発表を行った。その博物館のマルクス・アウレリウス騎馬像本体が保存されているエクセドラに展示されているコンスタンティヌス大帝の青銅巨像諸部分(頭部、左手、右足首、球体グローブglobus;なおこの巨像、以前は息子コンスタンティウス二世とされていた。30年前に私が最初に訪問したときの表示もそうなっていて、別所での展示だった)の、左手人差し指の第2関節からの末端断片が、フランス・ルーヴル博物館所蔵品から再発見され、まず3Dの模型を作成して確認され、このたび本体が5年間カピトリーニ博物館にお里帰り展示され、実に500年振りの邂逅となった、と。https://www.facebook.com/MuseiCapitolini/videos/462373691692375

上図が左人差し指断片、下図左が従来の展示(右足首は写ってない)、下図右が修復後の姿

 この青銅像はもともと高さ8−9mあったとされ(一説では12mとも:実際に立像であったか座像であったかは不明)、ルーヴル所蔵の長さ38cmの断片を3Dで複製したものが、その左手の人差し指にピタリと符合したわけ。この青銅像自体の由来や、人差し指のルーヴル所蔵の由来には興味深い文書記録もあって、機会があれば触れてみたいが(残存左手に、球体グローブが握られていた)、今は今回の発端となったのが、2018年のルーヴルでの展示会カタログでの、博士課程の院生Aurelia Azemの研究報告(これまで足の指と認識されていたが、手の指の可能性を指摘)が機縁となったということだけ言及しておきたい(https://www.researchgate.net/publication/341281663)。

2005年以前の修復時に一時的に旧態に戻した時の写真:globus上に女神Victoria像があったはずで、中央左側の2つの穴がその痕跡か。本来は上部のはずだが現況で針状付属物があるのでずらして撮影したのだろう

 イタリアにありがちなロマン溢れる解説を排して、冷静かつ慎重な見解によると、残存物が元来一体の青銅像を構成していたかどうかはこれまでも疑問視されてきたのだが、いずれにせよこの巨像、色々と後世の修復も受けているので、オリジナルがどうであったのかは、形状の比較や青銅の成分比較など緻密な研究が必要となり、そう簡単ではない。その点では今後の研究に期待せざるをないが、下から見上げられることを予想して作成されている由で(ま、これもひとつの仮説かも)、というからにはそういう角度からの映像も示した上での説明を求めたい気がする。

 プッリャ州中部のBarlettaのドゥオーモ外壁に設置されている青銅製巨像(こっちについては冷静に4世紀のどの皇帝かは不明、とされている:12世紀だっけにコンスタンティノポリスからのヴェネツィア船が難破しての取得品らしい)は5.11mでこの偉容なので、今回のコンスタンティヌスの青銅製巨像はその二倍近くあり(基壇の高さも8−9mあったと想定)、さらに迫力あったと思われる。ま、それにしたところでコロッセオに隣接して設置されていたネロ帝巨像の三分の二にも及ばないのであるが。

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連休も終わり・・・

 この連休は,当然のことながら私は自宅に引きこもっていた。そしてThe Young Popeを別にして、2つのテレビドラマを知った。

 その一つがイギリスの「ヴェラ:信念の女警部」(2011〜)で、もう一つがイタリアの「パラディーゾ:恋する百貨店」。見たと言ってもいつものようにちょい見で、全貌を極めたなどというわけではない。

 特に「ヴェラ」はまあ犯罪の推理物だが、証言者が毎度偽証し、それに毎度女警部その他が振り回され、あるときは最後の最後でどんでん返しがあって、飽きさせない。人間、殺人事件で犯人でもないのに偽証する、というのと、情報が増える中で捜査対象を修正していくというのが、私的にはたいへんリアリティがあって、人間理解という視点からも学ぶことが多かった。

 ドラマの舞台がさてどこか、と問いたくなる殺伐とした陰鬱な荒野の風景がこれでもかこれでもかと鳥瞰的視野で展開していく。たぶんイングランド北西部のように思わされるのだが、海も出てきて私には相変わらずどこ?なのである。

 「パラディーゾ」のほうは、いかにもイタリア的な話題の連続で(南北格差・差別、家族主義などなど;但し同性愛などはまだ出てこない)、さらにあれだけ洒落た感じの女性たちはローマとかの中部や南部じゃ絶対ない、北部だと見当つけてみていたわけで(上空からのミラノのガレリアも見えたようだし)、あとから紹介記事(https://www.lala.tv/paradise/)を読んで、1950年代のミラノには納得したものの、主人公テレーザ(そしてその役のジュジー・ブシェミ自身も)がシチリア出身というのには、虚を突かれ、しかし素顔に近い写真をみて、あ、化粧であれだけ変わるんだと(文字通り化けるわけ)。そういえば、ドラマの中で父や叔父さんだっけが「なんて化粧してるんだ」という場面もあったような。

 こっちはまだ見逃しで途中から見ることできる。

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世界キリスト教情報第1580信:2021/5/3

= 目 次 =
▼カトリック教会、コロナ終息願う「祈りの月間」=各地からライブ配信
▼韓国の新規コロナ感染者が4日ぶり700人超
▼東京五輪のパビリオン取りやめ=スイス政府発表
▼ワクチン接種完了すれば屋外でマスク不要=米CDCが新指針
▼教皇が「準備整えば訪問」と訪朝の意思再表明
▼「40ユーロ以上の贈り物もらうな」=教皇が自発教令で指示
▼プーチン大統領、救世主ハリストス大聖堂で復活大祭に参加
▼韓国カトリック枢機卿が時代反映した家族概念の拡大に懸念
▼聖書博物館に建設許可=ブラジル高等裁長官が地裁の判断却下
▼ミケランジェロのダビデ像を3Dプリンターで実物大複製

 今回は、最後の件。
◎ミケランジェロのダビデ像を3Dプリンターで実物大複製
【CJC】ミケランジェロの彫刻「ダビデ像」が3Dプリンターで複製された、とAFP通信が4月28日、ローマ発で報じた。大理石の粉で仕上げられた複製はオリジナルと同じ大きさだが、重量は10分の1となったという。
 ルネサンス期の傑作であるダビデ像は、フィレンツェのアカデミア美術館に、置かれている。3Dプリンターによる複製は、10月に開催されるドバイ国際博
覧会で展示の予定。
 制作を担当したのは、スウェーデンの多国籍企業「ヘキサゴン」グループのイタリア技術者チーム。作業はフィレンツェの工房で行われたという。フィレンツェ大学が作業を監修し、仕上げには修復の専門家らが携わった。
 レプリカの材料はアクリル樹脂で総重量は台座と本体で550キロ。修復の専門家たちが担当した仕上げの工程では、大理石の粉が使われた。□
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目が・・・,トイレが・・・:痴呆への一里塚(48)

 このところ、視力の調節がかなり変調で、たんびに眼鏡をとって裸眼でみるしかなくなっている。もう三か月くらいサプリメント「えんきん」を一日3粒飲んでいるが、まったく改善しない。回復せずこのままなのだろうか。正直視力が失われるのは四肢を失うよりきつい。

 近頃は明け方目が覚めて、トイレに行ってから二度寝していることに気付いた。それと起きがけの口内の違和感は唾液の分泌量が減っているからだろうし、鼻づまりは花粉症のせいだろう。外出するときは小トイレに気をつけないといけないのが常態となっているので、そろそろのこぎり椰子か南国なんたらかと思いつつ、まだそれには手を出していない。

 といった感じの、相変わらず引きこもり状態で、何もしていないのに体重は86kgと1kg増でなぜか留まっている。一ヶ月に一回薬(痛風・高脂血症・高血圧;別途眼科で緑内障)をもらいに行く医者には、運動不足を解消しないのなら、せめてアルコールやめなさいと説教され・・・。そんなに飲んでいないのに。

 テレビもこれみよがしに老人用サプルメントの宣伝のオンパレードで、鬱陶しい。たとえ成分が入っていても吸収されずほとんど尿で出てしまうわけで。

 こんな調子では変異ウイルスにやられたら一発だろうな、とこれまでになく新コロナを身近に感じ出している今日この頃、我が家に持ち込み吾を感染させるのは孫か妻か。ま、寝たきりとか痴呆になって生きるよりはいいかも、と。でも、not yetと思うのは未練?

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読まれている我がブログ上位リスト

 退職して一段落したころの2017年後半に始めたこのブログは、まあ私の研究の落ち穂拾いのつもりだった。そのうち、自らの老化の記録とか、世に知らしめたいニュースなども書くようになり、以来もうすぐ4年となる。

 先日、ブログをアップしているサイト統計情報でたまたまこれまでのアクセス数が開示されているのに気づいたので、上位十四位までを転載。

 ローマ史関係よりも、他が読まれていてあれれ状態(ホームページ関係の2つは、この人何者?というアクセスなんだろうか)。特に宮内君はコンスタントで、再放送があるととたんに増加して、2021/2/8にはなんと1573に達し、このところ一日の総数がせいぜい40〜50なのでさすがに驚いた。

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