月: 2021年9月

世界キリスト教情報第1599信:2021/9/13

 なぜかこれまで送られてこない状況が数回続いたのだが(以下から転載していた:http://www.kohara.ac/news/)、なぜか本日3週間分がまとめて送られて来た。

= 目 次 =
▼教皇、環境保護を訴える共同メッセージ
▼教皇、ハンガリーとスロバキアに霊的巡礼へ
▼教皇、ハンガリーの首都ブダペストを訪問
▼教皇、ハンガリーを後に、スロバキア到着
▼教皇、武漢新司教に崔司祭指名
▼セルビア正教会の新府主教就任で大規模デモ=モンテネグロ
▼パラリンピック参加のアフガニスタン2選手は6日出国

 今回は中国問題を紹介する。

◎教皇、武漢新司教に崔司祭指名
【CJC】教皇フランシスコは、中国における教会指導者任命に関する暫定協定に基づき、湖北省武漢の新司教にフランチェスコ・崔慶?司祭(フランシスコ会=57)を任命した。宗教専門RNS通信などが報じた。

 バチカンのマッテオ・ブルーニ報道官は、9月8日、バチカンの記者団に対し、「中国の司教任命に関する暫定協定の枠組みの中で任命され、叙任された6人目の中国人司教」と述べた。

 同報道官によると、教皇は6月23日に同司祭を選出しており、司教叙階は9月1日付け。□
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アフガンで何が、なぜ起きたか

  上記について、毎日新聞で、2021/9/6の夕刊がかなり刺激的な記事を掲載していた(但し、有料):「アフガン政権崩壊 田中浩一郎・慶大教授と読み解く 米のおごりが招いた」(https://mainichi.jp/articles/20210906/dde/012/030/010000c?cx_fm=maildigital&cx_ml=article&cx_mdate=20210912)。

 ここでは、いつものように米国政府の世論操作を鵜吞みにしてしまった、調査報道抜きの我が国マスメディアが全然触れようとしない、米国政府の失策に関連しての田中教授の見解に言及しておきたい。「イラクと同様、アフガンでも米軍は傍若無人に振る舞った。現地の人々が強く反発し、政治家も苦り切っていることを米国は理解せず、理解しようともしなかった。これは個人的資質というより、米国の世界観に流れているある種のおごりの問題と言える」。教授の見解では今後のタリバンの政治方向は旧態への復帰以外にない、という。20年間のお仕着せの民主主義と女性解放のつけは現地のアフガン人がこれから自らの血で支払っていくわけである。

 私はそれを読んで、既視感にとらわれてしまった。ずぶずぶ中国大陸に足を取られていった日本軍とその政府の体たらく、である。その敗戦の分析はアメリカと比較しての後進性という視点からこれまでなされてきたが、そうしてみると、戦後のアメリカの世界警察のお役目は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イ・イ戦争、アフガン戦争と失敗の連続だったように思えてきて、要するに自分に都合のいい情報分析という落とし穴に、かつての日本と結局は同じ道を歩んでいたのでは、と。とまあこう考えると、理知的で分析的なアメリカ軍というイメージもかなり鍍金が剥がれて、陰陽でいうと、アメリカにも相当陰があった、という事実はそれとしてきちんと認識すべきであろう。

【追記1】こんな後追い記事がようやく出だしているが、遅きに失している。あれもこれもアメリカ寄りの情報依存のせいであろう。「アフガン撤退が炙り出した「米国は正義の味方」時代の完全なる終焉」(https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html)。

 今日も今日とて、「映像の世紀プレミアム」で第6集「アジア 自由への戦い」を見て、声高に民主主義を説教なさっている米英の欺瞞を再認識させられた。再度言っておこう。民主主義を踏みにじってきた歴史で原資蓄積してきたヨーロッパ先進国の「あんたに言われたくない」。

【追記2】朝日新聞がたった一人脱出し、パキスタンで取材を継続している安井浩美さんの連続記事を掲載し出したようだ(但し、有料:「ジャーナリストの安井浩美さん(前編) 【連載】特集「アフガニスタンを思う」(全8回)のうち最初の2回予定らしい:https://digital.asahi.com/articles/ASP9D1FCDP97UHBI01J.html?ref=mor_mail_topix1)。ここでは有料部分から以下のみ引用しておく。

 「でも今回、強い違和感を覚えたのは、世の中にウソが増えたっていうことやね。世論誘導のためにネット上にデマを流すようになった。SNSを駆使して反タリバン勢力を追い詰めていくプロパガンダの戦争が始まっている。そういうことへの不信も募っている」

 日本の政府もマスメディアも、そのウソを真に受けてきたわけである。やはり現地情報は蔑ろにできない。

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フォロ・ロマーノの「黄金の里程標」って何なのさ?

 エウトロピウスのラテン語訳を見直していたら、いまさらながらであるが、翻訳仲間からの指摘で妙なことに気がついた。ローマ皇帝たちの治世年月日の表記が基数と序数のごった混ぜが普通に登場することである(詳細は後日予定)。その流れで気になったのは、I.4.1 に2つ初出の「里程標」miliariumである(全10巻中に他に、I.5.2, 8.3, 15.2, 17.1, 19.2, 20.3, II.5, 8.1, 12.1, III.14.1, VI.6.3, 13, VII.15.1, VIII.8.4, IX.2.3)。ちなみにこっちの場合はいずれも序数(第〇〇番目)で表記されているのが特徴なのだが・・・。

 アッピウス軍道の第一里程標は、フォロ・ロマーノの基点から1480mのはずのところ、現在、3世紀後半創建のアウレリアヌス城壁に組込まれているPorta Appia(現サン・セバスティアーノ門)を出てすぐの所に設置されていたと想定されているが(但し、現在そこの民家の壁に塡め込まれる形で設置されているのはレプリカで、現物はミケランジェロによってカンピドリオ丘の再整備時に移設されている:ちゃんとレプリカ円柱の右隣の柄付碑銘板tabula ansata にイタリア語で由来が書かれているのを見逃すことなかれ)、ちょっと気になったのでフォルムからの直線距離をGoogleで確認してみたら、2960mもあった。逆に現在アウレリアヌス城壁付近から1ローマ・マイルの距離を遡ってみるとカラカッラ浴場を通り過ぎて大競技場手前止まり、という結果になった。

、白丸から白丸への黄線がアッピウス軍道の1ローマ・マイルに相当;、第一里程標のレプリカ;、カンピドリオの坂から正面向かって右にある本物
 同様に,北に伸びるフラミニウス軍道はほとんど直線なのでもっと分かりやすいはずだ。ミルウィウス橋は第三里程標とされているが、この橋から直線で4440m遡ってみると、ヴェネツィア広場手前付近で尽きてしまう。要するに、いずれもフォロ・ロマーノには行きつけなかった。あれれ、これは一体どうしたことか。
 この数字をみて、フォロ・ロマーノには「黄金の里程標」Miliarium Aureum なる里程標基準点があって(これは俗称で、「帝都里程標(基準点)」Miliarium Urbis が正式名称だった由)、ロストラ(演説台)の左側に位置しているという私のこれまでの常識が揺らいでしまったのだ(なお、対照的にロストラの右側には「帝都ローマ基準点」Umbilicus Urbis Romae があった:これも里程標基準点とよく誤解されているのでご注意ください)。

 いったいどういうことなんだと、逆走しての到達点、ヴェネツィア広場と大競技場手前をしばし眺めているうちに ・・・ おおひょっとしたら、と思いついたのがRomaのpomerium、具体的には前6〜4世紀初頭にかけて建築されたセルウィウス王のそれじゃないかと。で、それを地図で重ねてみると、あ〜ら不思議、まさしく合致しちゃったのであった。
「13」がPorta Fontinalis、「6」がPorta Capena
 フラミニウス軍道だとPorta Fontinalis、アッピウス軍道だとPorta Capenaからに相当するわけだ(但し、両門とも今は姿形もなく消えてしまった)。要するに里程標表示は、フォロの基点からではなくて、セルウィウス城壁・城門から先の距離だったわけで、日本語ウィキペディア掲載の「黄金の里程標」の説明の最後にそういう説もあると付け足しで述べられているが、そのほうが断然正しかったわけである。なお、あとからググって存在を知ったが、以下参照。3年前にすでに正確な情報をアップしていて、書き手のTatsuoさんの慧眼には敬服:http://roman-ruins.com/milestone/

 これは私にとって恥かきのとんだ落とし穴だったわけだが、じゃあフォロで見つかったという黄金の里程標って一体なんだったんだ?と。余計な知識があってそのせいで安直に考えて間違っていたわけで。諸説あるものの、どうやらそれは、前20年にアウグストゥスが軍道監理官curator viarumになったことを記念して創建されたもののようで(Dio, LIV.8.4)、大理石を金メッキされた青銅で被い、各々の軍道が始まる城門から重要都市に至る里程が記されたものだったようで、少なくともそこが軍道の基点になっていたわけではなかった、という事情が判明(ここでは一応「基準点」と表記しておくが)。
 いずれにせよ、私のように文字情報に踊らされて分かった気になるのではなく、やっぱり具体的に実地に数字化して確認してみるものである、こらお前、これでプロといえるか、と今さらの如く反省した次第。

 以下参照:https://penelope.uchicago.edu/~grout/encyclopaedia_romana/romanforum/milliariumaureum.html;https://it.wikipedia.org/wiki/Miliario_aureo
、フォロ・ロマーノ西端のロストラを挟んでの両基準点の位置;、帝都ローマ基準点跡、本来円錐形だったらしい。背景はセプティミウス・セウェルスのアーチ門(下の左の写真でそのアーチ門左にもっともらしく円錐形の先端が描かれている)
、里程標基準点の復元想像図(里程標の形式を取っていた);、その残存遺物

【付記1】今読んでいるユウェナリス『サトゥラェ』III.10に「水の滴るカペーナ(の門)の古いアーチのところで」との文言をみつけた。ユウェナリスは後60-120年の人なので、当時すでに古色蒼然としていても不思議ではない。

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世界キリスト教情報第1598信:2021/9/6

  • 教皇「辞任考えたことがない」とスペイン・ラジオへ
  • 教皇「アフガニスタンのために祈りと断食を」
  • 教皇、プラチド・コルテーゼ神父など3人を尊者に
  • 教皇「わたしたちの共通の家のために、皆で祈り、働こう」
  • シリアのクルド人がジュネーブに「代表部」
  • キューバ=デモで逮捕の牧師に罰金、身柄釈放

 詳しくはこちらから読めます。http://www.kohara.ac/news/

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「デジタルハンター」を見た

 この世に「オープンソース・インベスティゲーション」なる単語があることを、この番組(NHK BS1スペシャル 9/5 22:00-22:55)を見て初めて知った。これは2020年5月の再々放送(?)で、公開情報、特にネット情報での動画から巨悪が隠したがっている事実factを暴く動きである(https://bunshun.jp/articles/-/45943)。

 我が国でも個人情報を暴露して喜んでいる輩が多くいるようなので、そんな阿呆なことやっていないで、どうせやるなら、巨悪に対して果敢に挑戦する人間が出てもいいようなものだが、根が小者の民族性なのであろう、オランダにオフィスを置く調査集団べリングキャットのようなスケールの大きな動きが見えないのが、残念ながら我が愛すべき大和民族の抜きがたい本性なのである。なにしろ命がけの暴露なのだから、メディア関係者であれば率先して頑張るべきなのに。辞任を表明したどっかの首相の背に向けてここぞとばかり罵詈雑言を浴びせてる番記者たちの不様さはなんだ! これまではその音声が消されてたとでもいうのだろうか。

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古代ローマ時代、男女のやや異なる食生活判明

https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/08/new-research-shows-men-and-women-of.html

 といっても、ポンペイ近郊のヘルクラネウムでの事例だが。その遺跡では、人々が火砕流からの避難場所を求めていた海岸と平行に走る9つの隣接したフォルニチfornici(石造りの地下室)から、合計で340個体が発掘されている。今回そのうち17遺体のタンパク質の構成要素であるアミノ酸を分析した結果、これまで考えられていたよりもはるかに詳細に、同時代に生きた人々の食生活を復元することができた。

ただし、現場で公開されている遺骨はすべてレプリカ

 男性は女性に比べて食事中のタンパク質の約50%を魚介類から摂取していること、また、男性は女性に比べて穀類から摂取するタンパク質の割合がわずかに高く、女性は動物性食品や地元産の果物や野菜から摂取する割合が高かった。すなわち、男性は、漁業や海洋活動に直接従事する可能性が高く、一般的に社会の中でより特権的な地位を占めていた。また、早い時期に奴隷から解放され、新鮮な魚のような高価な商品をより多く手に入れることができたからだろう、とは研究者の言。

 研究チームは、この新しいアプローチを用いて、古代の食生活をより正確に定量化し、最近の栄養記録と比較し、ヘルクラネウムの食生活では、動物性食品が主流となっている現代の地中海沿岸の平均的な食生活と比較して、魚介類の貢献度が高かったことを示唆している。一方、穀類の摂取量は古代と現代でほぼ同じ割合でした。詳しくは以下参照。

https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abg5791

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神話の破壊は必要だが,忖度研究者があまりにも多すぎる

 帰京したら届いていた郵便物の中に『図書』9月号があった。それをペラペラ眺めていて、その巻頭言と無教会主義関係が気になった。

 いかにも岩波文化人的な立脚点だなと思ったのだが、研究者が今さらだが、自分の研究対象に対して疑問を持ちだしているかのごとき書きっぷりなのである。それは彼らが理想化してきた研究対象への幻滅を意味するのだが、「最近のアメリカがおかしくなっている」という視点から論じられているようで、これには私は、心底おかしい、それでも研究者なのか、いや現実をきちんと把握していないエセ研究者らしい言だなと。「そんなレベル? 身びいきもいい加減にしてほしい」というのが私の率直な感想である。アメリカは昔も今も金科玉条のごとく叫んでいる民主主義のリーダーとは言いがたい現実をのし歩いてきた存在だったはずだ。中共が「あんたに言われたくない」と言うのもよく分かる。いや、誤解ないように書いておくが、私は中共が理想的とまったく思ってもいない。しょせん、目くそ鼻くその類いなのだ。

 無教会主義を理想化してきた連中だって、一皮めくれば皇室崇敬から解き放たれていたわけではなかっただけのことで、そんなことちょっと考えれば当たり前のことなのだが、それをまあ初めて明らかになったという筆致で述べているレベルは、ちょっと前に触れた漱石神話化と同じ穴のむじなに思えてしまう私である。

 こう考えてしまう私の方がおかしいのだろうか。

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世界キリスト教情報第1597信:2021/8/30

英女王がCOP26出席へ、教皇の参加も

ハイチ地震1週間、死者2200人超える 

政情不安も影落とすパラリンピック=アフガニスタン代表2選手出場へ

イスラエル軍に拘束されていたパレスチナ人キリスト者保釈

ジェシー・ジャクソン牧師とジャクリーン夫人がコロナで入院

米ハーバード大学主任チャプレンに無神論者就任

聖アンデレ金生誕200年、教皇「英雄的な信仰の証し人」

2800年前の地震の痕跡をエルサレムで発見

 今回は考古学情報を。

◎2800年前の地震の痕跡をエルサレムで発見

 【CJC】エルサレム発共同通信によると、イスラエルの考古学チームが8月29日までに、エルサレム市内で約2800年前に発生したとみられる地震の痕跡を発見したと発表した。
 エルサレムでこの時代の地震の跡が見つかるのは初めて。旧約聖書でも地震について触れられており、記述を裏付ける発見として注目を集めている。
 チームの考古学者、ジョー・ウジエル氏は「考古学的発見と聖書の記述が結びつくことで、新たな歴史像を描ける。他にも地震の痕跡を見つけたい」と話した。
 見つかったのは崩壊した石造りの建物や無数の土器の破片を含む破壊の痕跡を示す地層で、土器の特徴などから時代を特定した。

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