月: 2022年9月

世界キリスト教情報第1651信:2022/9/12:エリザベス女王と歴代教皇

≪ 目 次 ≫
▽エリザベス英女王逝去=教皇、深い弔意を表す
▽「敵対」アルゼンチンも弔意=ブラジルは3日間の服喪─英女王死去
▽エリザベス女王国葬19日に、チャールズ国王即位を正式宣言
▽エリザベス2世英女王と歴代教皇との出会い=バチカン・ニュース
▽ウクライナが大きな戦果主張=米国務長官、電撃訪問で巨額支援表明

 今回は4番目を紹介。

◎エリザベス2世英女王と歴代教皇との出会い=バチカン・ニュース
【CJC】英国の君主として歴代最長70年間在位、96歳で亡くなったエリザベス2世女王は、長い生涯の中で、ピオ12世からフランシスコまで、5人のローマ教皇と会見してきた。バチカン・ニュースによって紹介する。

 エリザベス女王は、王女時代の1951年、バチカンを初めて訪問。この時の教皇はピオ12世だった。

 翌1952年年、父である国王ジョージ6世が亡くなり、王位を継承し、エリザベス2世として即位。1953年に戴冠式を行った。

 1961年、2度目のバチカン訪問をしたエリザベス女王は、教皇ヨハネ23世と会見した。この時、ヨハネ23世は女王の訪問を「英国と教皇庁の友好関係の喜ばしき表れ」と述べている。

 1980年、エリザベス女王は、3度目のバチカン訪問で教皇ヨハネ・パウロ2世と出会った。この際、ヨハネ・パウロ2世は、「1961年の訪問でヨハネ23世が言及した『女王の飾り気のない、しかし尊厳に満ちた姿と、背負う責任の重さ』は、およそ20年経った今も変わっていない」と話した。

 1982年、ヨハネ・パウロ2世は英国を司牧訪問、フォークランド諸島での緊張が高まる中でのことだった。この訪問で教皇は、この紛争を注視する世界の緊迫と苦悶、自身の深い憂慮と正しい平和的解決を祈る思いを伝えている。

 それから18年後の2000年、エリザベス女王は、4度目のバチカン訪問で、ヨハネ・パウロ2世との3回目の出会いを持った。この機会に教皇は世界におけるヨーロッパの役割や最貧国の債務帳消しなどについて話した。

 2010年、教皇ベネディクト16世は、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(1801~1890、2019年列聖 )の列福式のために英国を司牧訪問。この時、エディンバラで女王と会見している。

 2012年、ベネディクト16世は、エリザベス女王の即位60周年に寄せたメッセージで、女王の「義務への忠実さ、自由・正義・民主主義を支える努力」を、国民と全世界に対する「励みとなる模範」として記している。

 2014年、エリザベス女王はイタリアを訪れた折、バチカンに5度目(女王在位中としては4度目)の訪問を行い、教皇フランシスコに迎えられた。

 そして、今年2022年6月、教皇フランシスコはエリザベス女王の即位70周年に送った電報で、心からの祝意を述べると共に、女王と王室そしてイギリスの人々に一致と発展と平和を祈られている。□

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看取り犬・文福のこと

 以前(2020/8/7)紹介した看取り犬・文福がテレビに登場したので見た。興味ある人は再放送をご覧下さい。

NHK Eテレ『ETV特集』
「 “看取り犬(みとりいぬ)”とワンダフルライフ 」
9月10日(土) 23:00~24:00
9月15日(木) 24:00~25:00(再放送)

 母の最期を看取れなかった鬼息子の私であるが、あのときせめても寄り添ってくれる存在がいたらなあ、とつい考えてしまう。

 さて、私の最期は認知症とか老衰での死はいやだなと思うし、正直想像できないのだが、妻に言わせるとそういう都合のいいようにはならないよ、と。

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9/8エリザベス2世ご逝去と・・・

 葬儀は2週間後あたりとなりそうということで、9/27のどっかの穀倉着、もとえ国葬偽、またまたもとえ国葬儀、ちょぼくかすんじゃいそうですね。なんとも間の悪いことで。しかしこれも神の配剤のような気がしないでもない。

 いや、虹にしてもそうだが、最後に女王は日本に対しても粋な置き土産をしてくださったような気がする[後報によると国葬は10日後あたりとかで、ちょっと残念]。

 その上、これじゃあ。「安倍氏国葬に “首脳ら不在” のしっぺ返し…シラク元大統領の国葬には駐仏大使しか参列させなかった」(https://news.yahoo.co.jp/articles/58d09e5ad58d1566292847382786c7fde7c4f599)

 ローマ教皇の時も日本政府の対応はひどかったし。だからもともと弔問外交なんてやる気もないくせにね。

 ところで、当方本日血圧計ったら、最初に180なんか出てしまって。徹夜して寝ずに医者に行ったせいかな。なんどかやり直して、おかしなもんですが、二回目に160−82が出てたので、それをお医者さんに出しました。

 こちらもいつ斃れても不思議でないような。

【追記】エリザベス女王の国葬は9/19になった。どうやら、コードネーム「オペレーション・ロンドン・ブリッジ(ロンドン橋作戦)」通りの段取りのようだ:2022/9/9「エリザベス女王の葬儀はいつになる? 新国王チャールズの戴冠式が“1年後”になる可能性も」(https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-news/a41127679/queen-elizabeth-funeral-king-charles-coronation-details-date-220909-lift1/)

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コイン上のカエサル像をめぐって

 先日の読書会で最近発見されたカエサル像や復元像を提示したら、参加者の中から、イメージがえらく違うといった反応があった。何ごとによらず英雄は後世理想化されて描かれやすく、見る側でも集合無意識的に英雄は美男美女であってほしい心理がなぜかあって、相乗して美化されがちである。いわば歴史による整形手術の施工である。

左、2008年ローヌ川底より出土、生前制作されたものと想定されている(あまりの異像にもちろん反論あり(1));中、Leiden国立古代博物館所蔵品のカエサル像;右、Leiden博物館所蔵品から2018年に公開復元されたカエサル像(2)
  • (1) Lorenz E.Baumer, Forme, fonction, identité ? Une approche du <César d’Arles>, dir. per Vassiliki Gaggadis-Robi et Pascale Picard, La sculpture romaine en Occident*Nouveaux regards.Actes de Rencontres autour de la sculpture romaine, 2012, Arles, 2016, pp.75-81.
  • (2) 当然別の復元例もある。cf., Amelia Carolina Sparavigna, A possible reconstruction of the face of Julius Caesar using a marble head from Smyrna conserved by the Rijksmuseum van Oudheden in Leiden, 2019/3/18(https://www.researchgate.net/publication/331833760

 そんな中で、あの時期、コイン上の肖像はかなり自然主義的に実像を反映しているといわれていることを知った(後代になると、すでにアウグストゥスで明らかなように、おおむね若振りに表現するようになったが)。それでちょっと調べてみた。意外と奥行きあるみのり多い内容であった。

 古代ローマにおいても、ブロンズ像や大理石像、蝋人形、カメオ、宝石、凱旋門などに、生前の人物の姿を飾る肖像画の伝統は長く続いていたが、ことコインに関しては、前44年にユリウス・カエサルがデナリウス貨幣に描かれるまで、ローマのコインには生身の人間の肖像画はなかった、と通説的に言われてきた。

 実は、カエサルはそれまで自分の名前を打刻した多くの貨幣を発行していたが、たしかに自分の肖像を描いた貨幣はなかった。

このような貨幣は、軍団兵に給金を払うべく戦地で随時打刻されていた。さてその権限はどうなっていたのやら。

 彼の肖像が登場するのは、彼が暗殺される前44年3月15日の直前3ヶ月の発行分のみなのである。以下がその一例。問題はこれがカエサルの指示によるものか、貨幣造幣三人官の権力者への忖度なのか。いずれにせよ、このような従来のローマ的伝統の一線を越えた行動が、彼の暗殺への動機とされてきたのだが、案外、下っ端の陣笠連中の突出行為が親分カエサルの命を危うくしたのかもしれない。

いずれも、独裁官ないし終身独裁官DICT PERPETVOと刻印されている:このあたりが本人の実像に近かったのでは

 ところが、以上は共和政ローマの国家貨幣製作についてであって、確認される最古のカエサルの肖像画コインは、前47/6年に、小アシア半島のビテュニアの都市ニカイアで打刻されたものだった。ローマからの旧領土奪回めざしたファルナケス2世Pharnaces II(ポントス・ボスポロス王、在位:前63-47年)がゼラの戦いでカエサルに敗れた(この時、カエサルの有名な言葉「来た、見た、勝った」Veni, vidi, vici が発せられた)。その戦勝を記念しての発行。

表面刻印:NIKAIEΩN、カエサル像、裏面:EΠI ΓAIOY OYIBIOY ΠANΣA(=Gaius Vibius Pansa)、右手に花冠、左手に棕櫚を持ったニケー、下部刻銘ϛΛΣは日付236(=前47/6年)

 裏面打刻のGaius Vibius Pansa Caetronianus(前43年没)は、カエサル派で、前47年にBithynia et Pontus属州総督(??:彼の執政官就任は前43年で、当時は法務官格なので、カエサル下でのlegatus職をこう表現したのか)、翌年ローマに帰国した人物なので、パンサの手配での属州都市打刻貨幣かと。

 実はもうひとつ、このコインの1年後の前45年に同じく小アシアのMysiaのLampsacus打刻都市貨幣があることを知った。それが以下である。

表面:月桂冠のカエサル像、裏面:神官が牡牛の鋤でポメリウムを掘っている。銘文には都市二人官の名前などが打刻されている。
   ⇧ Lampsacus    Nicaiaの位置↗

 ところで皮肉なもので、則を超えた生存者肖像掲載はカエサル横死ののちは反カエサル派=ポンペイウス派にとっても当たり前のこととなって、盛んに活用され出すのだが(もちろん伏流水としてカエサル同様先行例はあった)、それは別の機会があれば触れたいと思う(というか、この時代は私の射程外なのでもうないかもしれない)。それまで以下の著作が参考になるだろう。比佐篤『貨幣が語るローマ帝国史:権力と図像の千年』中公新書、2018年。但し私がここで言及したカエサル関係についてはなぜか触れられていないのだが。

【補遺】上記註(1)の論文にカエサルの肖像を種々の角度から撮った写真があるので、参考までにアップしておく。それにより、通常の単独胸像でないことは明白かと。やはり何ごとも表ばかりでなく裏も、上からも下からも見ないといけませんね。

Fig.5は下から、Fig.6は上から撮ったもの

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世界キリスト教情報第1649信:2022/9/5:教皇発言にウクライナ反発

 これまでも時々あったことだが、今週月曜に送られてこなかったので、http://www.kohara.ac/news/2022/09/05.htmlでそれを見つけた。そこでは全文が転載されている。

・「妥協なく愛し抜いた、謙遜な牧者」=教皇ヨハネ・パウロ1世列福式

・ウクライナが教皇発言に反発、ロシア思想家の娘爆殺で

・ゴルバチョフ元ソ連大統領の「国葬」行わず プーチン氏は葬儀欠席

・ブラジルで先住民保護区への侵入や違法搾取、ボルソナーロ政権下で3倍増

 今日は二番目を紹介する。

◎ウクライナが教皇発言に反発、ロシア思想家の娘爆殺で

【CJC】カトリック教会の教皇フランシスコが、ロシアの右派思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘が車の爆発で死亡した事件に触れ、「戦争の犠牲となった罪のない人」と評した発言に、ウクライナ外務省は8月27日までに、失望を表明した。
 米メディアCNNによると、教皇の言葉は、加害者と被害者を不公平にも同等に扱っていると外務省は指摘、ロシア領内で起きたロシア人の死亡をウクライナでの軍事衝突に絡めて言及することは混乱を生じさせるとしている。ウクライナがこの死亡に関与していない、と外務省は主張しているという。
 教皇は8月24日、モスクワ市内で20日に起きた車爆発事件で殺害されたドゥーギン氏の娘のダリヤ氏は戦争で殺された「罪のない人間」の1人と形容。「車の座席の下の爆弾で宙に吹き飛ばされたこの可哀想な少女のことを考えている」とし、「罪のない人間が戦争の代価を支払った」とも述べていた。
 ロシア側は、事件をウクライナの治安機関の仕業と主張しているが、ウクライナは、一切の関与を否定している。

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最近の世相に思うこと

 確実に10年以内にこの世から去ってしまう私にとって、もうどうでもいいようなものであるが、なんだかなと思うことが幾つかある。さしずめ「夢は枯野をかけ廻る」といったところか。

〇 中台関係がかしがましくなっている。まだまだ先は見通せないが、米中がしのぎを削って互いを牽制し合っている様相である。「戦争の足音、「ピーク・チャイナ」の危険:緊迫する台湾情勢、強い中国より弱い中国の方が好戦的?」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71673?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top)

〇 広島一区選出の岸田文雄首相が、現下の三正面が緊張している極東情勢の中で、8/24に原発新増設を検討と方針転換を表明した。ウクライナ戦争で原発があやうい状況下にあるということを考えると、この判断には疑問を感じざるを得ない。これはウクライナ問題へ安直に頭を突っ込んでいったことと連動しての尻拭いにみえてしまう。それにしても先見の明のないことよ。「岸田氏の原発回帰は既定路線:参院選まで「余計なことしない」」(https://mainichi.jp/articles/20220904/k00/00m/010/090000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220905)

 今、宗教二世が問題となっているが、彼の場合は三世議員。家業が国会議員職となっている。開成を卒業し、育ちの良さは性格の弱さに通じる場合もある、ような気がする。旧統一教会関係での言動不一致も、ま、東京育ちの平和ボケのボンボンのなせる技か。

〇 今日のNHK BS「キャッチ!世界のトップニュース」での「人口急増続くアフリカ」がよかった。人口減少が著しい先進国と異なり、人口が増え続けているのがアフリカで、国連は今世紀半ば、世界の4人に1人、否今世紀末には2人に1人がアフリカ人となると予測している。それはアフリカでの農業化の促進(労働力の確保:ところで水不足の話はどこにいってしまったのだ? ここでもデータの一面性を感じざるを得ないが)と一夫多妻制という構造的問題、というわけであるが、労働人口の供給地がアフリカになるのは必須とするなら、そこにかねてより食い込んでいるのが中国という現実を重ねると、彼我のいずれに先見の明があるかは明白だ。

〇 宗教と政治

 旧統一教会問題でも明らかなように、巷で言われているような、日本人は決して無宗教なのではない。エリート連中はマルクス主義など近代思想を代替にして無神論・無宗教と称して、自覚せずに物神(拝金)崇拝に走っているし、庶民、それも貧民層は目前の生きづらさからの手っ取り早い救済を願って新宗教に押し寄せ、日本人口を上回る宗教信者数を誇っている実情をきちんと押さえるべきだ。常にそうだが、体制化した宗教に民衆救済はできない。なぜなら体制補完勢力に組込まれ、そんな存在を苦しんでいる衆生は信頼していないからだ。新宗教へと向かう衆生は既成教団に絶望した人びとなのである。新宗教の魅力は庶民の救済願望にとにかく具体的指針を与えることで答えていることで、それが霊感商法のようないかに理不尽な内容であれ、通り一遍の既成宗教の教義・説教では救われない民衆の不満はそちらに走る。その深い伏流水の現実を見つめない限り、いやいつの時代にあってもサイレント・マジョリティは体制がやることなど信頼していないのである。

 こんなことやっているから、人心は政治から離れ、たかだか30%台の支持層で政権が運営される、それでよしと居直る衆愚政治が促進される。これではならじと非民主主義的な独裁政への動きがいつしか頭をもたげ(トランプ現象で顕在化した)、いつか来た道をまたもや繰り返してしまうのが人間世代論の常なわけ。

【追記】面白い記事をみつけた。2022/9/7:内田誠「国葬、五輪、統一教会:汚染だらけで逃げ場ない岸田政権“ジリ貧”支持率」(https://www.mag2.com/p/news/550899)

 2019/91/38:大塚玲子「キリスト教「牧師家庭」で育った26歳女性の葛藤:総人口の1.5%という人々の知られざる生活」(https://toyokeizai.net/articles/-/310325)

 2020/9/13:大塚玲子「「親の宗教」に20年囚われた女性が語る壮絶過去:薬は不可、自宅には「幹部」が交代で同居」(https://toyokeizai.net/articles/-/373040)

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