なぜ幕末・維新?:飛耳長目(5)

 いつごろからか、なんでNHK大河ドラマで幕末・維新がよく採りあげられるのか、と疑問に思うようになった。最近だと、言うまでもなく2018年度の「最後うどん」、もとえ「西郷どん」だろう。なんだかなという思いがどこかにあったのだろう、全然みることないうちに終わってくれた。代わりといってはなんだが、朝ドラの「まんぷく」のほうは妻が必ず見て出勤していたので(私はなぜか福子役のデレ〜とした印象が感覚的に好きでないので、朝から見るのはちょっと勘弁なのだが:桃井Kも駄目です、はい)、かなりつきあわされて見せられた気がするのだが、この間ググってみたら主人公の百福氏は台湾人だったことを初めて知った。朝ドラの中ではそれ言ってたっけ。特高の拷問、GHQの逮捕のウラにはもっと複雑ななにかしらのワケがあったはずだ。すべてに寛容なわが妻は「だってどうせ、ドラマでしょ」の一言ですましてしまうが、それでいいのか。たぶん台湾関係者はこの表面的流れに不満なんじゃないかなと、引っかかるのである。

 で、幕末・維新の話に返るが、結局、現在の日本の体制を造り上げたという認識の反芻なのであろう。問題は、肝腎の「影」(暗黒面)の部分は伏せて、もっぱら光だけにスポットライトを当てての、成功物語として仕立てた国策・国民教育なんじゃないか、だから繰り返し演じられるわけじゃないかな、と。さすが国営放送、というわけだ。教科書叙述だって表面的ですましているし(ま、庶民大衆がこういった成功物語を好むという側面も無視できないが。忠臣蔵明治版か)。

 最近ひょんなことで拝読した講演録(磯浦康二「昭和初期は特異な時代だった:日本であって日本でなかった時代」神田雑学大学定例講座No.464 平成21年7月10日)に触発されて、2冊の本に興味を持った。そのひとつ、大学図書館で借りて読んだのが、金子仁洋『政官攻防史』文春新書027、H.11年、である。出版されて20年経っているが、新書だけに(ここ皮肉です)初版本なのに新刊書の新しさで、学生さんにまったく読まれていないこと歴然であるが、明治以降のどろどろの日本の政界・官界の癒着が歯切れよく書かれていた。明治の元勲たちの実像を改めて知って、「どいつもこいつも」といささか辟易ぎみである。

 もう一つは、『統帥綱領・統帥参考』(昭和3年・7年)。これがわが大学図書館にはない。司馬遼太郎『この国のかたち』が口を極めて痛罵しているのだそうだ。「日本の古本屋」には、肝腎の箇所を抹消している田中書店版(1983年)しか出物がなかったが、幸いアマゾンで忠実な復刻の偕行社版(1962年)を見つけることできたので、若干高価だったが勢いで購入することにした。いずれわが図書館に寄贈しようと思う。この本を検索していたら、ウェブで東大法学部出身の弁護士さんの解説に出会った。司馬は小説家なので、こういう専門家的な言説があるのはありがたい(司馬の転写ミスがさっそく指摘されている)。いずれ比較検討する機会を持ちたいものだ。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1000685083.html

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