「この国に、女優・木内みどりがいた」:遅報(59)

 昨夕、どうしたことかやたら飢餓感に襲われ、爆食し、即、寝た。妻の「12時になったよ、起きなくてイイの」という声で目が覚めたのが、午前0時すぎだった(起こしてくれと頼んでいたわけではないのに、なぜか)。隣の居間のテレビから「木内さんは収録が終わって広島で亡くなった」と言っているのが聞こえた。「四國五郎」という声も聞こえた。目覚めたのもなにかのご縁だったのだろう。

左。木内さん(1950-2019);右・四國さん(1924-2014)

 NHKのどうやら広島放送局制作「広島で出会った2人:木内みどりと四國五郎」の再放送らしかった。昨年11月に急死して、最近話題になっている人だったが、よもや突然死したのが我が広島だったとは知らなかった。享年69歳。そして、だが、それがきっかけで、私はさっきまで現在15回を数える「この国に、女優・木内みどりがいた」を読んでいた(https://mainichi.jp/articles/20200819/k00/00m/040/052000c)。いいと思ったことは即決して行動に移す、直情径行の、得がたい人だったようだ。彼女の生き様に安直にレッテルなんか貼ってほしくない。

 人間関係とは妙なもので、彼女の背を押した一人が、意外にもオイシックス・ラ・大地会長藤田和芳氏。彼のこと知ろうとググってみたら、これがなんと彼は私と同年代で、そのうえ私の元職場のご出身だったとは。オイシックスの存在は知っていたが、野菜送りつけられても余るばっかしとこれまで敬遠してきたが、これもまあ御縁と思い、お試しを試すことにした(後日談:美味しかったが、妻は警戒して「味が同じで飽きるんだよね」と。さてどうするか)。

 彼女が朗読のライフワークにした四國挿絵『絵本おこりじぞう』(金の星社、1979年)は、私も持っているけど、決して好きな絵ではなかったが、彼が背負ってきた人生の背景を今回初めて知った。弟の爆死、峠三吉との交流、「市民が描いた原爆の絵」プロジェクトにも参与していたとは。さっきググって見たら、シベリア抑留から持ち帰った記録をもとにした2017年復刻版『わが青春の記録』三人社、がなんと我が図書館にあることが分かった。とても高額な書籍なのでうれしい。一度見てみよう。

 あの番組が終わると、今度はNHK 岡山局作成「人々のために、人々とともに:岡山大原美術館」が始まって、それもみてしまった。大原孫三郎と児島虎次郎の話が軸だった。私には20歳前後の思い出ある場所なので、やっぱり表題は岡山ではなく倉敷にしてほしかった。こっちの朗読は美村里江。どっかで見たことある顔が現れ、だけどたしかカタカナの人だったので、あれ改名したんだ〜、と。

 

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