日本の将来なんか、もはや私には無関係ですが:飛耳長目(78)

 このところ、軍事的側面からの中国問題があれこれ目についている。ここでちょっと踏ん張って思い出してみると、数年前から「もう中国は経済破綻だ」といった経済終末論が目白押しだったが、そういった観測は結果的にことごとくはずれてしまっている。まあそのような情報はもっぱらインターネットの個人商店的な評論家たちが自分たちのブログを売らんかなと、耳目を引く刺激的な言動で危機的状況を煽っていたわけであるが、そして始末に悪いのは、彼らは自論の一過性を重々知りつつ目前の危機を煽っていることである。とはいえそんなつまみ食いだらけの中で将来を見据えた見解もないわけではない。しかしいずれも現状分析というよりは未来学に類するからはずれの確率は高いのだが。ま、8割引きで読むのがいいだろう。

「大手新聞の終焉:サラリーマン記者の書く記事が中身ゼロな3つの理由」(https://www.mag2.com/p/news/491084?utm_content=uzou_2001&utm_source=uzou)

「軍事衝突は不可避か。米中が「第二次太平洋戦争」準備開始の可能性」(https://www.mag2.com/p/news/490918)

「ヒトラーのソ連攻撃に匹敵する愚行。インドを本気で怒らせた中国」(https://www.mag2.com/p/news/490886)

 予想される危機にはそれなりの対応策が必ずとられるから、予測は必ず外れてしまうという側面もあるし、その対応をしたところで新たな問題が生じてきて、というように現状は常にモグラ叩き状況なのである。要するに、問題は単純ではなく、またどこまで一時的に適切な対応が続けられるか、ということなのであり、その矛盾のツケが一定以上に膨らんだとき、「リセット」が謀られることになる。すなわち、体制一新をもくろんでの内乱や対外戦争である。身近なところで例を挙げるなら、明治維新しかり太平洋戦争しかり、である。

 私的にはそれを古代ローマ帝国にどう応用して考えてみるか、ということになるが、これは改めて論じる機会を持ちたいテーマである。否それこそ私的には率先して追求すべき課題のはず。とりあえず他山の石として若干陳腐ではあるが、以下をメモっておこう。玉木俊明「中世「最先端地域」イタリア、経済成長が遅れた理由」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64679)。まああからさまに言うと、ローマ帝国はあくまで間接統治の「帝国」であって、我ら(特に特殊日本的な状況に洗脳されている我ら)が陥りがちな現在的な統一統治「国家」ではなかった、という原点に立ち帰って考える必要があるということだ。改めていうのも陳腐なのだが、山川的な教科書叙述の短絡記述から我々は解放されなければならない。同時にその未来像は現在の中国のような最先端の人民把握に向かうのが歴史の趨勢なのかという大問題を提起するはずである。

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