その防御線を突破されたとき、帝都ローマの城壁以前の最後の守りはいうまでもなくテヴェレ川を渡河するミルウィウス橋ということになるが、そこに至るまでにテヴェル川はまたもや大きく東側に蛇行して、ローマ・オリンピックの時に陸上競技場などが設置された広大な平地を提供している。ここは現在Tor di Quito公園となっていて、古来幾度か戦場となった場所である。コンスタンティヌス軍とマクセンティウス軍が激突した主戦場がここだったと考える研究者もいるほどなのだが、私はむしろマクセンティウス軍壊滅の場所だったのではと考えている。その後のミルウィウス橋の戦闘とは、潰走するマクセンティウス軍を追撃するコンスタンティヌス軍の掃討戦にすぎない。とはいえ敵将マクセンティウスをそこで溺れ死にさせたという記念すべき戦場ではあった。
というのは、これは論文に書いていないのだが、コンスタンティヌスはプリマ・ポルタ攻防戦のあと、自軍の出血を避ける手立てとして、マクセンティウス軍がフラミニウス街道に幾重も仕掛けた防御線を迂回すべく、軽騎兵連隊を放って西側の間道を疾駆させ敵の背後をついて、一挙にこのTor di Quito地区に殺到させ、いち早くミルウィウス橋を渡河して対岸に達しせしめたのではと密かに思っているからだ(それをうかがわせる文書史料など一切ないが、マクセンティウス側の内通者の存在は別途指摘しておいた:たぶん彼らが詳細な間道情報をコンスタンティヌス側に漏らしたのでは:「裏切り者は誰だ!――コンスタンティヌス勝利のゲスな真実――」『地中海学会月報』389, 2016/4)。こんな突飛とも思われかねない仮説を本気で考えざるを得なかったのは、コンスタンティヌスのアーチ門の南面右のレリーフ右端で、合図のラッパを吹いているあの二人の兵士をどう解釈すべきか、に関わっての想定なのである。あれはどう見てもコンスタンティヌス側の進軍ラッパである。それが橋を潰走するマクセンティウス軍より先に渡河しているのだから、奇妙なわけなのである。
【追記2】外信ではすでにその団体が統一教会で、その分派で本家と争っているサンクチュアリ教会に犯人が加入していたことがある、と名指しで報道されている(https://www.theglobeandmail.com/world/article-tetsuya-yamagami-japan-prime-minister-shinzo-abe/;https://nfyukon.com/new-details-emerge-about-the-man-who-killed-former-japanese-prime-minister-shinzo-abe-killed/)。そこではサンクチュアリ教会について「The Pennsylvania-based World Peace and Unification Sanctuary Church — also known as the Rod of Iron Ministries — is notorious for its attachment to guns, with members taking part in religious ceremonies holding assault weapons」とさえ書かれていた。犯人が敵意を持っていた宗教団体が正確にはどちらであったのか、現段階では不分明ではあるにしても(犯人の標的が、ちょうど来日中のサンクチュアリ教会のトップ文享進であったとする見方もあるようだ)、国内と外信のこの情報の流れの違いは、今に始まったことではないが。私は安倍とこういった組織の関係はとおりいっぺんの集票団体的にとらえていて、祖父・父以来のそんなに強い紐帯があったことなど迂闊にも知らなかった。