失明は、やっぱりいやだ、なあ

 昔から思っていたことだが、失明はいやだ。目が見えなくなるのは誰でもいやだろうが、私の場合、研究の術の大半が奪われるわけで。

 そんな私に、以下のメールが送られてきた。「数日で失明へと至る「急性緑内障」どう防ぐ? 頭痛と誤解されがちなその怖さ」。

 私はすでに左目を白内障で手術していて、そのプロセスで緑内障が発見されて、今に至るまでその治療も受けてきている。そして右目も白内障が見つかったのは昨年だったっけ、という感じだし、実際、突然目が固まってめまいがし、吐き気にも襲われるという体験も幾度もしてきているので(年に数回だったのが、最近多くなっている感じがする)、他人事ではない。私に一番近い病気のような気がしている。

 最近はパソコン見ていてめまいに襲われることが珍しくなくなってきた。

 もう無理はできない、ということか。だいたい無理しないと研究なんかできゃしないのだが。

 この記事を読みに行ったら、別の記事も眼にとまった。早川智・日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授偉人たちの診察室フォロー:ルネサンスの梟雄、織田信長とチェーザレ・ボルジアの精神病理」

2023年6月9日(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230605/med/00m/100/008000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhealth&utm_content=20230610)

 今度、我孫子の読書会でマキアヴェッリを扱うので、尚更なのであるが、実は私の思い違いで『君主論』と『ローマ史論』を私が取り違えて安請け合いしたので、読書会で『君主論』を読むことになったのである。耄碌のゆえであるが、まあいいかと。リウィウスに依拠して『ローマ史論』書いていた最中に中断して『君主論』書いたわけだから、マンザラ無関係であろうはずはない、と考えたからだ。それに『ローマ史論』はやたら長く、ちくま学芸文庫で本文だけで650ページある。『君主論』は200ページ程度だ(が、凝り性の河島英昭訳だと注釈が150ページある)。

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