死の訪れかた:痴呆への一里塚(27)

 最近、薬を飲んだかどうかでしばし記憶をたどることが多くなっている。考えても思い出さない場合は、服用したことにしている。そんなおり、偶然読んだブログで以下を知って、古書で早速注文した。山田風太郎『人間臨終図鑑』徳間文庫、全4巻、2011年(初版、徳間書店、1986-7年)。

山田風太郎(1922–2001年)

 これは行年別に古今東西900人(といっても、ほとんどが日本人だが)の死に様を簡明に綴ったものである。もうすぐ73歳になる私は、72歳で死亡した人たちから読み出した。孔子から始まっており、後藤新平、徳川夢声、柳宗悦、佐藤春夫など、名のある人たちも含まれてもいる(そもそも著名人ばかり採りあげられているのではあるが)。それにしても物書きの人たちの多作・秀作と比べて、自らの精進のほどが恥ずかしい。柄にもなくまだまだ死ねないなと思うが、見果てぬ夢だ。ちなみに作者の風太郎氏は79歳で死亡。彼は手塚治虫並に早熟で多才なうえに大変な多作家だった。彼の死から20年(初版から35年)、そろそろ続編を書く人がでてきていいはずなのだが。

 私が72歳の中でも気に入ったのは、映画監督・内田吐夢だ。波瀾万丈、高等小学校中退という経歴の持ち主、家庭崩壊者で、時流に乗ろうとして裏目ばかりで、偏屈きわまりない人生を歩んだところがいかにも岡山県人にありがちで(代表作のひとつが「宮本武蔵・五部作」)、1970年の死の直前に「あと十年は生きたい。こんなに頭の中に作りたいものがたくさんあるのに」と嘆きつつ死んだことや、「小田原の部屋に残されていた貯金通帳の残高は、三万円であった」という件にも親近感を覚えたからである。これで気になってパラパラ読んでいて目に付いた中に、1953年に66歳で死亡の折口信夫の財産は山荘と書籍以外は30万円で、風太郎氏は「清貧というべきであろう」としていて気に入った(私はもっと清貧だ、あ、男色の趣味はない)。逆に、1959年に80歳死亡の永井荷風の遺産は2300万円超もあり、この年の大卒・公務員初任給は約一万円の時代だった。カツ丼だったらあとどのくらい食べれたのやら。このように遺産に注目して数字を記載してくれると面白いのだが、公開される方が稀なのでむつかしいのだろう。

内田吐夢(1898-1970年)

 新装版の第三巻の解説を書いている三浦しおんの言葉が身に浸みる:眠るように老衰死しても、生と死は等しく苦しみと滑稽さに満ちており、しかし、悪人だから苦しんで死ぬわけでも、善人だからぽっくり死ねるわけでもないという理不尽も厳然とある。三つめにして最大の「傾向」は、これだろう。「死はだれのもとにも平等に訪れるが、訪れ方はときとして激しく理不尽である」(p.441)。

 「うらを見せ、おもてを見せて、散るもみぢ」(良寛、73歳)。私も大小便垂れ流しで死んでゆくのだろう。やだなあ。でも私には私を慕う40歳も若い美貌の貞心尼は現れていない。良寛の事績は彼女のお陰で後世に残ることができた、のだそうだ。

 残余寿命あと2576日(2027年8月9日死亡想定)

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