20年振りになるだろうか、武蔵関のイエズス会神学院というか、ロヨラハウスに行ってきた。昔は神学部図書館を利用するため練馬からよく行っていたんだけど。道順を忘れ、地下鉄とJRと西武新宿線で乗り越し二回とかあれこれドジを踏みつつ、ようやく到着。駅から歩いていくうちに、ああそうだった、西武池袋線で西に向かい、そっからバスで関町に行けばいいのだった、それに東京都無料パス持っているし、とやっと思いだした。
とはいえ、帰りもバス通りを一筋手前で北上して、どうもおかしいと女性に道を確かめて、ようやく停留所を探し当てるというお粗末な始末。
ようやく大泉駅から西武池袋線に乗って、準急の車窓から見るとはなしに流れゆく外の風景を眺めていて、気付いたことがあった。
空が広いなあ、と。夕陽がたなびく時刻だったせいか、電車が高架を走っていたからか、そう、まだまだこの武蔵野には高層住宅がほとんどないので、空が広く感じたのである。さすがに石神井公園駅とか練馬駅に近付くと線路沿いにビルが林立して目線が遮られてしまうわけだが、どうも首都圏とその西郊外の境界線が練馬駅かもと、やっとこさ気付いたわけ。
上京した頃に、神学院通いの便を考えたこともあったなあ、ひばりヶ丘まで足伸ばして行って見たこともあったけど、道の舗装もひどく、なんとなく不便な感じして練馬に居付いてしまったんだ、ということも思い出した。
自然あふれる環境と生活しやすさの両立はなかなかむつかしい問題である。妻が車を捨てたこともあって特にそう思うのかもである。