例の田中宇氏のブログが相変わらず刺激的だが、今回のはまさしく国際政治の現実を突いていて、否応なく納得せざるを得ない。
「世界は台湾を助けない」(https://tanakanews.com/211008taiwan.htm)
さて、その次は韓国と日本かな。
例の田中宇氏のブログが相変わらず刺激的だが、今回のはまさしく国際政治の現実を突いていて、否応なく納得せざるを得ない。
「世界は台湾を助けない」(https://tanakanews.com/211008taiwan.htm)
さて、その次は韓国と日本かな。
大谷翔平が大ブームである。私でさえ、明け方まで夜更かししていて、朝11時頃目が覚めるので、テレビでMLBをみるのがすっかり習慣化してしまった。「彼、試合に出ているのがとにかく楽しいんですよ」という解説者の声が印象的だった。
その延長でググっていて以下が眼にとまった。創造力の源泉はこれなのだ。いずれも有料記事であるが。
「流れ星の大出現、中学2年生が独自発見 専門家「涙が出るほど感動」」
https://digital.asahi.com/articles/ASPB27DZMP9VULBJ008.html?pn=12&unlock=1#continuehere
「カブトムシの常識、埼玉の小6が覆す 世界的雑誌に論文」
https://digital.asahi.com/articles/ASP5P5VLDP5MULBJ00G.html?iref=pc_rellink_01
「(大人も自由研究)子どもと一緒にカブトムシハント 夜か早朝、ドングリの木を狙え」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14579776.html?pn=3
現実問題としては、努力しなければ楽しむこともできないのだが、時間を忘れての努力とは楽しんでいる、ということなのだろう。だったら、最近の私も、研究を、人生を楽しんでいる、といっていいのかも知れない。現役時代にはそう考える余裕もなかったような気がするが。
いまさらで、しかも論がぶっ飛んでいて若干脱線気味だが、警察の忖度を十分なる庶民レベルから論じた以下が面白かった。「日本のマスコミは死んだ。忖度で大出世の中村格警察庁長官にベッタリのTV局」(https://www.mag2.com/p/news/513597/1)。
古代ローマ史で後211年以降では、奴隷と外国人以外はみな一応「ローマ市民」となったことになっている。まあ自由身分と認知されたわけであるが(それにより税収増加が企てられていたという説が主流だが)、それを聞いたり読んだ人は「みな法的に平等になった」と誤解してしまう。だけどそんなことは決してなかったのが現実で、支配身分の元老院身分や騎士身分はちゃんと機能していた、「上級市民」honestioresとして。
現代日本でもそれは厳然と存在していて、そういうことは他ならぬTVでの刑事物番組ではいつも出てくる話で(テロップでは「すべて創作」と断り書きさるのがお約束であるが)、私のようなぼんくらは「そんなこと実際にあるのかな、とりあえず自分には無関係」と思って慣れっこになっているのだが、今回の記事は、警察が意図していたかどうかは別にして(前例の積み重ねがあったからには違いないが)結果的にそうなっているメカニズムを指摘しているところは面白かった。
= 目 次 = ▼聞くことを学ぶ=2022年度の「世界広報の日」 ▼仏カトリック教会の児童虐待、司祭ら約3000人関与 ▼アフガニスタンに医療物資32トン到着 ▼欧州のサンマリノ、中絶合法化へ住民投票で賛成多数 ▼ギリシャ・クレタ島で強い地震、1人死亡
今日は2番目だろう、やっぱり。しかし、ここまでやられると、なにもカトリックに限ったことではないのかも、とつい思ってしまっている私がいる。
◎仏カトリック教会の児童虐待、司祭ら約3000人関与 【CJC】仏カトリック教会内での児童性的虐待問題を調査する独立委員会は10月3日、1950年以降に児童を虐待していた司祭や教会関係者が2900人から3200人に及ぶことをAFP通信に明らかにした。 独立調査委は2018年、国内外の教会を揺るがした児童性的虐待スキャンダルを受けて仏カトリック教会が設置した。法律家や医師、歴史学者、社会学者、神学者ら22人で構成されている。 2年半にわたり教会や裁判所、警察の記録の調査と目撃者への聞き取りを行った結果をまとめた報告書は、5日に発表される予定。 報告書の公開を前にAFP通信の取材に応じたジャンマルク・ソベ委員長は、この数字は「最も少なく見積もった」結果だと述べた。□
久々にArchaeological News Networkを覗いてみた。幾つか最新情報が目についたが、中でも以下が興味深かった。
「エガディ諸島の戦いで発見された2つのブロンズ製軍艦ラム」(
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/09/two-bronze-warship-rams-discovered-at.html)
この記事は第1次ポエニ戦争に決着をつけた「エガディ諸島の海戦」(前241年3月10日)での2021年夏の調査で、新たに青銅製の2つの衝角(ラム)その他が発見されたという報告である。今回の調査ではその他にも、戦闘時に弾丸として使用された鉛製のスリンガー弾数十発、青銅製のヘルメットや頬当て数個、ローマ時代やヘレニズム時代のギリシアのコインなどが発見されたらしい。すべてがあの海戦の遺物だとすると、噂に違わぬ大海戦だったわけだ。とはいうものの、あのブログに掲載されているのは海上に引き揚げられた衝角の写真だけだった。もっと詳しく知りたいものだ。

以上はこのプロジェクト16年目の成果で、それ以前には古代の衝角はなんと2つしか発見されていなかったものが、これで25個を数えるに至った由。なかなかの成果だが、だれかまとめて紹介してくれているのだろうか。

しかも今般、副産物的に、後4世紀前半のアンフォラ(現ポルトガルのルシタニア製とスペイン・バエティカ製)を輸送していた難破商船さえも発見した由。こっちも知りたいものである。
しかしこういう情報に接するたびに疑問に思うのだが、なぜ我が国の共和政ローマや海軍史やっている研究者(およびその周辺、院生など)がまともに紹介しようとしないのか、ということである。
そんなこんなで、もっと詳しい情報はないかとぐぐってみたら、2017年度の報告がアップされていた(https://www.realmofhistory.com/2017/10/31/battle-egadi-islands-punic-war-rams/)。ここではなぜかそれをうまくアップできなかったので、YouTubeを掲載しておこう(あれ、後からみたらアップされてたのは、なぜ? 今度は余分な二つ目の消し方がわからん;あ、なんとか消せたぞ:以上、アップ時の独り言でした)。
以下で、スペインの若手司教が女性官能小説家とできちゃって辞任したという件を詳報しているので、興味ある方はお読み下さい。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52317147.html
= 目 次 = ▼スイス、同性婚の合法化に多数が賛成 ▼バチカン訪問者、10月から「グリーンパス」必要に ▼教皇、アルメニア典礼キリキア新総大主教承認 ▼教皇が冗談「私の死を望む人々もいた?」 ▼仏修道士が5G基地局に放火、電波の健康被害訴え ▼ギルガメシュ叙事詩の粘土板、米からイラクに戻る ▼ソドムを滅ぼしたのは隕石? 国際研究チームの研究結果 本日は、二番目を紹介する。 ◎バチカン訪問者、10月から「グリーンパス」必要に 【CJC】バチカンを訪問する人は、10月から、新型コロナウイルスのワクチン接種済みか感染症回復を証明する「グリーンパス」、またはウイルス検査の陰性証明書が必要となる。 現在の公衆衛生危機に対応するために、バチカン市国においてあらゆる適切な予防・管理対策を講じるようにとの、教皇フランシスコの指示に従い、バチカン市国行政庁が制定した条例をバチカン市国委員会が、9月18日付で公布した。10月1日から施行される。 バチカン市国内、およびラテラノ条約が定める区域(バチカン市国外のバチカンに属する諸機関の建物、教皇直属バシリカ、ラテラノ宮殿、カステルガンドルフォ教皇離宮博物館など)に入るためには、新型コロナウイルスのワクチン接種済み、または同ウイルス感染症からの回復証明書「グリーンパス」かウイルス検査(PCR検査または抗原検査)の陰性証明書が必要となる。 この規定は、「バチカン市国の市国民、居住者、バチカン市国行政庁および教皇庁諸機関・関連施設で働くあらゆる立場の人々、すべてのビジター、サービスの利用者」に適用される。 唯一の例外として、ミサの参加者にはこの規定は適用されない。しかし、儀式に必要な時間内に限られ、ソーシャルディスタンスの適用、マスク着用、人流・密集に関する制限等、衛生上定められた規則を尊重することが求められる。 バチカン美術館では、すでに8月6日から入館のために「グリーンパス」の提示が義務付けられている。□
先にテヴェレ川の左岸を歩いたと書いたが、それはオスティア遺跡のちょうど裏側のことである。そこから遺跡まで帰る道すがら、妙なことに気付いた。寡聞のせいかこれまで触れた文献に出会っていないので(絶対あるはず)、にわかには信じられない、というか確信をもてないのだが。この件、ご存知よりの方からのアドバイスを求めています。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp
それをやはりGoogle Earthのストリートビューの画像で紹介しよう。現代のテヴェレ川の湾曲部の凹の地点にコンクリートを15m×10m の長方形に平打ちした感じの簡易船着き場がある。そこから下流にさらに175m 歩くと葦に遮られて道が途絶えてしまう。地図的にはその葦原を250m 突破するとヨットハーバーに出ることできるようにおもえるのだが、その時の私はそれを試みる体力が奪われていたので、オスティア遺跡に帰り着くべくUターンした(グーグル・アースで後からみると、船着き場に降りないでそのまま遺跡の北側にそって河口方向に向かう道もあるようだ。次回があれば試してみたいが、それにしたところでヨット・ハーバー目前で「Da qua nun se passa,toma indietro」とわざわざ表記されているので行き止まりとなっているのだろうし、藪を突破したところでヨット・ハーバーの柵があるだろう)。その船着き場から約1km 弱のところに例の石柱が立っているわけだが、まずは船着き場から140m 戻ると左側に2軒ほど民家があり(番犬がいてやたら吠える)、右側はオスティア遺跡事務所(コ字型のピンクの天井)の裏口といった趣の三叉路に出る。そこから川筋を遡上すると来た道になるが、今回の復路は三叉路の右であった。そこをものの20m も歩かないうちに,私は道路面の変化に気付いてしまったのだ。
それまで未舗装のはずの差し渡し4.4m 幅のその道の片一方、帰途の私にとっての左半分にどうやら平たい小石が敷き詰められていたのである。最初は断続的に、しばらくするとずっとそれが次の人家の手前まで続いている。その距離約300m。その写真が以下である。後日、動画も撮っていたはずだ。

残念ながら私は考古学者ではないので、この道の舗床がいわゆるローマ時代のものそのものかどうかは判定できない。みなさんおなじみの大きな玄武岩を敷きつめたアッピウス軍道などと比べれば石自体があまりに小型である。砕石を敷きつめたようにさえ見える。しかし私にはスペインでサンチャゴ巡礼した時、河原から拾い集めたような若干大きめな丸っこい玉砂利のこれは正真正銘のローマ軍道を目撃した経験があるので、違和感はない。ローマ街道はよく画一的規格で解説されがちであるが、石材も工法も地域的特色があるのが普通だった。今の場合、古代ローマ時代に平底船を綱で牽引していた奴隷や牛にとって一番いい舗床がどういうものだったかが重要だったはずである。
また、この石が敷きつめられているのが、現在の道幅の半分、せいぜい2m なのはなぜか、これも疑問である。もともと2m 幅だったのが、現代生活で不可欠な自動車の普及で道幅を拡張したのではないか、というのがど素人の私の思い付きなのだが、どうだろう。川端近くの三叉路付近には先に述べたように1、2軒の民家しかないが、オスティア遺跡の裏口として物品の運搬時に8トン・トラックにしたところで車幅は2m強なので、この道の使用も十分可能だからである。この件は、遺跡内を避けてその東西大通りdecumanus maximus の北側を遺跡入場口受付から事務棟、さらにはその奧の収蔵庫にむけて走っている舗装道路の道幅も4.4m とほぼ同じことも、それを傍証しているように思える)。
船着き場から人家まで約500m のこの道は、おそらくかつて大湾曲していたFiume Morto 沿いの道にほぼ相当していたのではという私の直感が正しければ、往時、奴隷や牛に曳かせてテヴェレ川を平底船が帝都ローマまで遡上していた運搬路があったことは確かで、しかし、その時のものと断言するのはさすがに勇気がいるが、大湾曲部分が洪水でFiume Mortoとなってしまった1557年まで、この道は河沿いの道路として機能していたのは確実といっていいように思うが、どうだろう。


前の書き込みの続き。Mauro Greco氏の叙述内に「2つの大きな石柱」があって未だ直立しているほうにラテン語碑文が刻まれていてと、写真も2葉添えられていた(下の写真)。ただどうやら二つとも同一石柱の写真で、しかもそれから刻字を読み取るのは無理なようだ。立っていないほうの石柱はどうなっているのだろう、といつものない物ねだりで気になるところではある。

最終的にみつけた場所をGoogle Earthで表示しておこう。大通りに面したOstia Antica 遺跡の正面玄関の真ん前に教皇ユリウス二世が枢機卿時代に創建した砦があり(下の写真①だと右下隅の三角形構造物)、そこの白丸を基点として黄色の線を辿って最初の三叉路(白丸)を左折して次の三叉路の交差点中央(白丸)にそれ(ら)があった。基点からの距離は340m ほど。

かのお屋敷(といってもそれほどの豪邸にはみえないが)は、オスティア遺跡だと以前このウェブで扱ったことのある「御者たちの浴場」Terme dei Cisiarii (II.2.I3) の北側真裏になる。今から20年も前そういえば、ミトラエウムを探しあぐねて格子越しにのぞき込んで、境界に設置された頑丈な金属製の柵に寄りすがって「ここにあるんだろう。入りたい」と嘆息したことを思い出してしまった。
これももう数年前のこと、思い立ってテヴェレ川のかつての川筋(Fiume Morto)の痕跡を求めてボルゴの東北地域の畑の中をさ迷ったことがある。遺跡の神様も哀れに思ってくださったのだろう、偶然、一面の畑の真ん中にぽつんと保存された遺跡にひとつだけ行きつくことができた(いずれ触れる予定)。平べったい農地の中の農道をひたすら歩くだけなのだが、そのときは体調思わしくなく、めまいに襲われたこともあり、涼しい午前中に出発しても炎天下なので昼過ぎには体力と同時に気力も奪われてしまう。しかしあきらめず帰り道は西に歩いて現在のテヴェレ川の左岸に至り、川筋沿いに道がある限り下ってみた。そこはちょうどオスティア遺跡の本当にま裏だったが、そっから先は葦の原になっていて、ワンゲルでは普通の昔とった杵柄とはいえ、その時の私にはもはや藪こぎする余力は残っていなかったし、単独行だったので河岸で事故った時が怖かったので、川辺でしばし休憩してからUターンした。川筋のすぐ南側はオスティア遺跡の敷地なのだが、ここも丈夫な柵で閉鎖されているので、目前に慣れ親しんだ遺跡を見ながら大回りせざるを得ないことを呪いながらだったが、その帰り道、何が幸いするかわからないもので、実は今問題の石柱が設置されている交差点で件の石柱にこれも偶然遭遇し、由来もなにも知らないまま念のために写真も撮った記憶がある。今はそれを探す手間を厭って手っ取り早くGoogle Earthのストリートビューを利用しての写真を掲載しておく。有難い時代となったものだ。

ストリートビューは撮影機器が通った道にしか進めないので、今の場合、左の道はAldobrandini家のお屋敷のファサードに導く並木のアプローチ道であり、私有地だから撮影されていない。それで石柱のそっち側や裏側の映像は確認できないのが残念だ。だが、石柱のそばに倒れた切り石が見つかったのは、なにはともあれ収穫だった。但し、重そうだし、ここでひっくり返したりして刻文をチェックしたりしていると(何もないかもだが:じゃあなんなのさ、この切り石)、車で通りすがる地元民のみなさんに怪しまれること請け合いだろう。

さて、その石柱に刻まれている銘文は以下の通りらしい:CIL XIV 4704 = AE 1922, 95(但し、未確認)。不完全だが現段階での試訳も付記しておく。
1 C(aius) Antistius C(ai) f(ilius) C(ai) n(epos) Vetus /
2 C(aius) Valerius L(uci) f(ilius) Flacc(us) Tanur(ianus) /
3 P(ublius) Vergilius M(arci) f(ilius) Pontian(us) /
4 P(ublius) Catienus P(ubli) f(ilius) Sabinus /
5 Ti(berius) Vergilius Ti(beri) f(ilius) Rufus /
6 curatores riparum et alvei /
7 Tiberis ex s(enatus) c(onsulto) terminaver(unt) /
8 r(ecto) r(igore) l(ongum) p(edes) //
9 Sine praeiudic(io) /
10 publico aut /
11 privatorum

1行目のAntistiusのみ祖父まで書いた若干くどい念入りな標記なのは、彼が執政官格の本監督官評議会の筆頭者だからで、後の4名は法務官格だったから、だろう。
6行目から7行目冒頭に出てくる「curatores riparum et alvei / Tiberis」は一般に知られている政務官職名だが、Greco氏が書いている「オスティア・アンティカの」di Ostia anticaが抜けているのが気になるし、その語が di Ostiaと、しかもアンティカと現代表記したイタリア語なのだ。奇妙だとようやく気付いたが、あれはGreco氏の勝手な付加だとすれば、帝都ローマのcuratores (pl.)がこれを建てたことになって、それはそれでリーゾナブルではある。
実は、8行目については別の読み方もあり、最後に欠字もあるようだ(あってほしい)。ちょっと調べてみたら、9-11行目は研究論文などでなぜか省略されている場合が多い。定型表現のようだが、異読もあり、いずれにせよこの銘文いずれきちんと検討・詳述できればと思っているので、ご意見いただければ嬉しい。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp
ところでこの探険、もうひとつの思わぬ副産物にこれも偶然出会った。それは続きで。
