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「感染症に斃れた日本軍兵士」を見た

 今年はなぜか戦争関係のドキュメンタリーで力作が放映・再放映されて、たくさん見たような気がする(https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=30199)。

 2021/8/22 NHK BS1スペシャルで上記の副題「マラリア・知られざる日米の攻防」を見た。見終わったと思ったらまた同じ題名で、副題が「追跡・防疫給水部2万5千人」が連続して始まっていた。明日に向けての急ぎの仕事があったのだが、とうとう全部見た。マラリア、デング熱、破傷風への対策でも米軍に負けていた,という内容だった。風土病への備えなしに兵士を南方に送り、もちろん陸軍は防疫給水部で対応しようとし、人体実験で悪名高い731部隊開発の石井式濾水機なんかを投入はしていたが、そんなことで十分ではなく、当たり前のことだが送っても送っても兵力は疫病で4分の1に減じてしまう。それが皇軍兵士6割以上が餓死・戦病死するという惨状の原因だったわけだ。もちろん現場では問題の重要性が分かっていたが、本国ではだからといって効果的な対応をとらなかった、というくだりがあって、新型コロナでも同じような無策でうち過ごし、ナーナーのうちに終熄して、ああよかったで終わりたがっている現況をどうしても思い出してしまった。

 たとえば、前半のマラリアの特効薬キニーネであるが、当時それを世界的に独占的に生産していたインドネシアを日本軍が抑えてしまったので、米英軍などは困ったわけだが、大急ぎで新薬開発に向かって成功、他方、日本軍はといえば資源はあっても補給がうまくいかず兵士はばたばた罹患して斃れるというお粗末さ。後半での、破傷風にしても北里柴三郎が治療法をドイツ留学中に世界に先駆けて開発していた(1890年)にもかかわらず、だが保管などに問題があってそれが未解決のうち、やはり補給がネックとなった他方で、米軍はワクチン開発に成功して、大戦中の破傷風発生は12件のみだった由。(以下を見て驚いた。日本にゴム生産地を押さえられたアメリは、国民にゴムの供出を求めたと。あちらも同様だったのだ:「カラーでよみがえるアメリカ 1940年代」https://www.dailymotion.com/video/x6e0scl)

 これは「八木・宇田アンテナ」(1921年)開発の重要性を感知できなかった我が愛すべき祖国の体たらくに通じるものがある(「あろうことか、1941(昭和16)年には「重要な発明と認めがたい」という理由で商工省から特許期限の延長を却下されている」:https://emira-t.jp/eq/9642/)。

 こういった問題は言い古された話ではあるが、官僚的な縦割り構造の弊害で、一部の優れた研究者がいたところで、国家レベルの動きに連動しないヤマト民族の通弊の現れであり、あれから1世紀過ぎても状況はまったく変わっていないどころか、感染症対策は、保健所制度の縮小、ワクチン開発軽視等で、むしろ後退している現状があるわけである。なにしろ、新型コロナウイルス感染拡大からすでに1年半経過しているにもかかわらず、8月に入ると1日の新規感染者が過去最多を更新する日が全国で相次ぎ、状況は改善されるどころか悪化しているのだから。私は、保健所を増設せよといっているのではなく、危機的状況に柔軟に対応するシステムが構築できない民族性を問題としているのだが・・・。「こんな前例のない危機に国は無力ですから、国民の皆さんはどうか自力で対処してください」という論理、これは戦災被害者への責任放棄論法と瓜二つにみえてしまう。

佐賀県武雄市出身で、1944年 6月に46歳で臨時召集され、第49師団防疫給水部隊に所属しビルマ(現ミャンマー)戦線に派遣された故井手貞一さん(1995年、98歳で死去)の手記。彼は、現地では泥水をろ過し、第一線に届ける仕事を担った。翌45年8月に英国軍の捕虜になり、復員した。手記では戦況が悪化する中、補給も追いつかず、栄養失調やマラリアで倒れる人々を目の当たりにし、命からがら退却する姿を描いた。こうした状況をジャングルでは竹の皮に、捕虜になってからは缶詰のラベルの裏にメモした。

  公開された手記は、自身が「終戦三十三回忌」の77年にメモに基づいてまとめたもので、B4判15ページ。自由に恵まれ、戦争を知らない若い人が「戦争を繰り返すような間違いが無いように」読んでほしいと、残そうとした理由もつづった。早く本になるかデジタル化してほしい。

 「『歩けません。早く殺して下さい。そのピストルで射って下さい。敵に追いつかれると恥めにあいますから。どうぞお願いします』と男装の女性(従軍看護婦)は悲しい声で合掌するものもある。・・・何の罰(罪)もない味方の女性を殺生する勇気も胆力もなく・・・」(https://www.nishinippon.co.jp/image/245981/)

【後日記】2022/3/23:偶然読んだ以下の本で、遊軍の兵士が「殺してください」という同じ文言に出会った。こっちはガダルカナルとインパールの両作戦に参加して辛酸を舐めた体験記であるが。

 高崎伝『最悪の戦場に奇蹟はなかった:ガダルカナル、インパール戦記』光人社NF文庫、2007年(光人社、1974年)。若干書き手に問題ある感じがプンプン臭う。古参兵が生き残ったのには相当に裏があるように感じる(ある場合には、著者はそれを隠そうともしてない。そこから察するに、書かなかったことがかなりあるようだ)。要注意でよむべきであろう。

 

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半ミイラ化遺骸、ポンペイより出土

 2021/8/17公表:ポンペイ遺跡区画の東端の「サルノ門」Porta Sarno外の、ヴェスヴィオ周遊鉄道の先にあるネクロポリスを調査中の発掘隊が、「M.Venerius Secundio」の墓銘碑を有する中規模の石造墓の奥から、一体の遺骸を発見した。骨格分析から60歳以上の男性と判明したが、当時火葬が普通のところ、半ミイラ化した土葬遺骸の出土はめずらしい。ポンペイ埋没の数十年以前の埋葬。

このネクロポリスは遺跡区画東端のさらに東で、写真の撮影地点あたりの新発掘で出土した:現在未公開
、件の墳墓                  、墓標

 銘文は私の読み取りだと以下のごとし。「M VENERIVS COLONIAE / LIB SECVNDIO AEDITVVS / VENERIS AVGVSTALIS ET MIN / EORVM HIC SOLVS LVDOS GRAECOS / ET LATINOS QVADRIDVO DEDIT」:「M.Venerius Secundio、 植民都市(ポンペイ)の解放奴隷、(女神)ウェヌス(神殿)の、アウグストゥス(礼拝団)の番人、そして彼らの従者【min(ister) 】、彼は単独でギリシア語とラテン語の(演劇)諸競技を4日間にわたり提供した」。遺骸の頭部には毛髪と左耳の耳たぶも確認できた。

 被葬者は、死亡時には解放奴隷になっていたが、たぶん前歴がポンペイ市所属の公的奴隷だったのだろう。同時に女神ウェヌス(ポンペイの守り神であった)神殿と、アウスグトゥス礼拝団の番人を兼ねた従者として終生勤務していたと思われる。そしてまた、ギリシア語とラテン語の競技を4日間主催したことからも、そこそこの経済的上昇を果たすことに成功し、こうしてポンペイでギリシア語演劇が上演されていたことを実証した初めての証言者ともなった(ポンペイでは奴隷や売春婦がギリシア語を話していたという記事あるので、当たり前といえば当たり前なのだが)。またこの墓地の囲い内からは二人の火葬墓(遺灰壺)も出土し、その一つが「Novia Amabilis」と刻まれた人型墓柱columellaを持っているので、それはたぶん妻のものと思われている。

 霊廟奥の小墓室の遺体    頭部は枕の上に置かれている。耳たぶ↑

 他にも興味深い出土品があるがここでは触れない。とりあえず以下を参照されたい。http://pompeiisites.org/en/comunicati/the-tomb-of-marcus-venerius-secundio-discovered-at-porta-sarno-with-mummified-human-remains/

 私的に興味があるのは、2点。ポッツオリで活躍したリタイア銀行家で、書写板出土で著名なL. Caecilius Iucundusの邸宅(V.1.26)の、その書写板にもこのVeneriusは登場しているとのコメントがあるのだが、現在まだ未確認。第二は、墓碑銘中の「MIN / EORVM」にちょっと突飛な別解釈あって、旧約聖書の「ヨブ記」11.1, 20.1に登場する「ナアマ人ツォファル」(新共同訳表記)との関連を探って、我らのVeneriusをユダヤ教ないしキリスト教と関連する東方人種(ならば土葬も合点される)と見るわけである。また、後世のアウグスティヌスとヒエロニュムスでは,彼らをファリサイ派が異端視しているナザレ人と関連づけている由だが、さて。

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「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見た

 遅ればせながらさっき見た。「この世界の片隅に」(アニメ2016年)のほうは早々に見たのだが、庶民の普通の生活が破壊されていくのが身につまされてつらかったので、まあ二度とみる気にはならなかった。姪を失い、右手を失い、親を失い、そしておそらく妹も・・・。「(さらに)」(2019年)も、今回テレビで再々放送されるまで見る気力が起こらなかったのが本音だった。

 だから細かい筋は覚えていなかった。見ていて最後に戦災孤児を連れて帰るのが唯一の救いだったことを思いだしたくらいだ。拡長版で、一層女性の置かれていた状況が主軸となっていることだけはわかった。そして当たり前のことだが日々の暮らしはその後も否応なく続いてゆき、それを女たちは支え続け、敗戦後の9月中旬に3度目の枕崎台風に襲われることも、史実だけに納得させられる内容だった。

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カブール空港に見る日本の近未来

田中宇氏のブログを読もう。彼の持論はともかくとして、日本のマスコミが言わないことを掲載しているから。

http://tanakanews.com

私は我が国の近未来を見る思いである。

アメリカ傀儡軍である自衛隊の崩壊

真っ先に逃げ出す現地日本大使館員

いつに変わらぬ危機管理皆無の平和惚け日本

【追記】こういう意見もある(但し有料記事)。「東京五輪で感じた 日本の組織に特有のある「空気」」

https://mainichi.jp/articles/20210904/k00/00m/030/343000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20210905

「日本の組織では誰もが責任を負うことを避け、誰も決めたがらない。そうこうしているうちに、多くの人は現状維持に慣れ、前例踏襲が一種の普遍的な思考様式になってしまう。全力で反対する人がいないまま、気がつけば考え直すには時既に遅く、気乗りしないまま実行する結果になってしまう。」

 こういう事実も20年前にあったことを、今回私は初めて知った。「米空母を護衛、驚いた官房長官「日本の戦争でもないのに」今も残る溝」https://digital.asahi.com/articles/ASP944WHYP8SUTFK01N.html?ref=mor_mail_topix1

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女性専用トイレがなくなる?

https://mainichi.jp/articles/20210814/k00/00m/040/070000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20210816

 というのはちょっと大袈裟か。小規模事業所での設置基準を見直そうという動きに対して、だけどどうもうまく動いていないようだ。

 労働安全衛生法に基づく1972年制定の「事務所衛生基準規則」というのがあって、トイレは「男性用と女性用に区別する」と明記されているのだそうだ。50年も前のこの法律は、車椅子やオストメイト(人工肛門利用者)に対応したバリアフリーのトイレや、性別を区別しないトイレがカウントされず、要するに時代遅れになっていた。

 2018年から再検討を始め、今年3月に現行の内容を原則として残しつつ、「同時に就業する労働者が常時10人以内」の場合は、男女兼用の「独立個室型」トイレを一つ置けば済むことを特例として認める考えを示した。これは今はやりのマンションを事務所に使うような場合も想定していたようである。

 それに対して、予想外の、女性トイレをなくすなという反対が出てきているそうで。全部なくなるというわけではないのだが、やっぱり女性には共用は忌避観あるようで。

【追記】ググったら、2015年にすでにこんな情報が載っていた。筆者はトランスジェンダーの方らしい。「男女共用トイレの話 [性社会史研究(一般)]」(https://junko-mitsuhashi.blog.ss-blog.jp/2015-04-10-5)。ここでは証拠としてあげられている明治40年の新聞挿絵を転写しておくが、筆者の言では、「こういう状況が1950年代までは確実に続いていたし、その名残りが1970年代まであった」とのこと。歴史は回り、装いを新たにして、その状況に復帰するだけのこと、としている。

1907年(明治40)の「公設便所」の状況。左から男性、女性、男性。

 私の体験記:今をさる40年以上前、1978年に岡山県津山市の女子大・短大に就職したのだが、赴任直後の四月に中国縦貫道を観光バスに乗って姫路城へのバス旅行があった。そして城内の公衆便所に入ってみると中央通路の一方が上図のようなコンクリート製の古典的男子立ちショントイレで、他方が木造個室の女性用(および男子大用)が並んでいて、まあ当時はそれが普通だったにせよ、今回はいやしくも赴任直後の女子大の威厳あるべき新任教員であるのに、押し寄せ列をなしている教え子たちの嬌声を背後に立ちションさせられて閉口した記憶がある。ひょっとするとお互いさまだったかもだが。

 こんなブログもみっけ。「男女兼用トイレmp3-mp4」(https://www.sm3ha.ru/song/%E7%94%B7%E5%A5%B3%E5%85%BC%E7%94%A8%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC.html)。かつて紹介したことある(2020/8/23)スケスケトイレの「検証 スケスケの公衆トイレ 用を済まして確かめてやる」(https://www.youtube.com/watch?v=VoROw7wVdss)をみる目的で行ったので誤解なきよう。それにしても最後には驚かされた。たぶんやらせでしょうが。

 最近、こんな情報も。「「男女共用」ではなく「すべての性のトイレ」がアメリカで広がるわけ」(https://tripeditor.com/435064)。この立場からすると女性用トイレに反対する人たちにはトランスジェンダーの人たちへの配慮がない、ということになるが、いかが。

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世界キリスト教情報第1595信:2021/8/16

= 目 次 =

▼スイス、アフガン亡命者の強制送還を一時停止

▼米長老教会も対キューバ制裁緩和をバイデン大統領に呼び掛け

▼ケニア聖公会、2人目の女性主教選出

▼仏西部ヴァンデでマリア宣教会の管区長が殺害

▼養子と実子に指示し夫殺害?=ブラジル下院、起訴された著名議員の資格剥奪

▼韓日市民団体が両国政府に歴史問題清算への努力を要求

▼スペインのアステカ帝国征服は大失敗、とメキシコ大統領

 今回は日韓問題を紹介する。

◎韓日市民団体が両国政府に歴史問題清算への努力を要求
【CJC】韓国放送公社(KBS)の国際放送によると、韓国と日本の市民団体や宗教界が昨2020年発足した「和解と平和のプラットフォーム」は8月12日、ソウルの韓国キリスト教会館で記者会見を開き、韓国の独立76周年を迎え東アジアの平和を呼びかける両国の宗教界と市民団体の共同声明を発表した。

 共同声明は「日本の極右政治は、韓国や中国、北韓などの周辺国の安全を脅かし、日本の民主主義に対する重大な挑戦だ。日本政府は憲法第九条をはじめとする憲法改悪を中断すべきだ」と明らかにした。

 また、日本政府に対して、植民支配や旧日本軍の性奴隷問題を直視して被害者に謝罪することを求めるとともに、在日韓国人に対するヘイトスピーチを放置してならないと主張した。

 韓国政府に対しても「南北共同宣言を履行し、東アジアの平和のために努力すべきだ」と呼びかけた。さらに、「両国政府が歴史問題の清算のために努力し、共同で真相究明に臨むべきだ」としたうえで、「中国封鎖を目的とするアメリカのインド太平洋戦略に参加するのを中断すべきだ」と主張した。□
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今日みた反(非)戦ドキュメンタリー

 ①中国満州での残留孤児を引き取って育てた中国人里親たちはすでに全員死亡しているが、孤児たちは里親たちのことを今でも忘れていない。日中の架け橋になりたいと思っている元孤児もいる。https://www.youtube.com/watch?v=Ey1ouKnJR0k;https://www.youtube.com/watch?v=rbvcgJzpDwc

 中国残留孤児については、別の話(子供のいない夫婦が老後を見てもらうための手段)も聞いているが、そうでない人たちもいたわけだ。そういえば、昨晩は原爆孤児を引き取って韓国に連れて行ってくれた韓国人、そしてそこで育ててくれたオモニの話を再放送でまた見た。

 ②大戦直前、チェコのプラハからユダヤ人の子どもたちが、ボランティアのイギリス人銀行家ニコラス・ウィントンによってイギリスの里親たちに引き取られた。救出すべき5000人がまだ残っていたが、最後に列車に乗せられた250人は大戦勃発で一日遅れで出発することができず、混乱の中で一、二名以外全員死亡したらしい。もちろん他の残された子どもたちも。結局、669名の子どもたちだけがイギリスに逃れることができた。その功績でウィントンはサー称号ももらったらしい。

Sir Nicholas George Winton:1909-2015年 享年105歳

 以前、イギリスにせよフランスにせよ、ユダヤ人が大量に亡命してくるのを恐れて、ナチのユダヤ人絶滅政策をなかったことにして、動かなかったことを知った時、なんとまあと思ったことだ。しかし、今日みた中国人庶民やイギリス人市民といった個人は、国家の思惑を超えて結果的に人道支援に動いたのである。

 国家はいつもこうなのである。「国民の命と安全と守る」と火星人みたいな首相がぼそぼそ地球語をつぶやいたところで、それは空手形であることは、常識的な国民なら皆知っている。自宅療養なんて、ウソで固めた棄民の言い換えにすぎない。ちゃんとした日本語を使え、といいたい。野戦病院のほうがまだましのような気がする。

 同様の事情があったと思えるのが、バチカンのピオ十二世の挙動である。これも数日前のドキュメンタリーでやっていたが、スッキリしないまとめ方だったが、実際現実がすっきりしないからだと思う。対権力者との交渉ごとと、目の前の個別具体への対応はしばしば一致しないわけで、それは両面から眺めるしかないからだ。

 ③そうそう思いだした。「#(ハッシュタグ)あちこちのすずさん 2021 :教えてください あなたの戦争」というキャンペーン番組もあった。歴史の主体は庶民である、いやそんなきれい事ではなしに、庶民の早晩消え去る事実をなんとか残したいという観点からはこういう運動こそあるべき本筋だと思う。

 ④九州帝大医学専門部での米軍捕虜への生体解剖「相川事件」(1945年5-6月)、斬首事件「西部軍事件」「油山事件」(同年6-8月)(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/723177/;https://www.nishinippon.co.jp/item/n/671379/)に取材したドラマもあった。「終戦ドラマ:しかたなかったと言うてはいかんのです」(https://news.yahoo.co.jp/articles/1798e08b075162633bfb306b1074adda2dc51363)。 

 遠藤周作の小説『海と毒薬』(1957年)を思い出した。上官の命令を拒否する兵士は軍隊では二律背反で、昨晩「私は貝になりたい」(1958年製作)を見たし、今日はB・C級戦犯のドキュメンタリー、それに東京裁判もあった。フィリピン戦線でジャングルをさ迷った民間人たち、また沖縄の摩文仁の海岸線に追い込まれガマや切羽詰まった民間人の様々の生き死にもかいま見た。庶民の生き様は兵士よりもはるかに多様で、また悲惨だ。

 以下新たな研究も見つけた。丸山マサ美「アメリカ公文書館にみる九州大学生体解剖事件関係資料とその意義」『日本健康学会誌』86-5, 2020, pp.224-230(https://www.jstage.jst.go.jp/article/kenko/86/5/86_224/_pdf)。

 あれこれググっていると関連で米陸軍第7軍第45歩兵師団兵士による「ダッハウでの報復虐殺」(1945/4/29)なんてことがあったことを初めて知った(https://ja.wikipedia.org/wiki/ダッハウの虐殺)。これが映画などで流されているきれい事ではない現実なんだ、との思いが深い。これと米軍日系人部隊だった第442連隊戦闘団や第522野戦砲兵大隊はどんな関連をもっていたのか。知らないことが多すぎる。

【追記】20211120:こういったドキュメンタリーもあったことを記録として付記しておく。

 右田千代「特ダネの記憶:NHKスペシャル㊤「日本海軍400時間の証言」時代がその時を待っていた よみがえった音声テープ」2021/7/29(https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2021072800002.html?returl=https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2021072800002.html&code=101WRA)。

 ちなみに㊦は「全貌 二・二六事件」(https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2021082000004.html)。こっちの放送は見た記憶がある。

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被爆広島とイエズス会神父

 太平洋戦争で、敗色が濃くなった日本で、カトリック教会の男子修道会イエズス会も疎開を開始していて、たとえば広島市観音町あたりに神学校が移動していた、らしい(上長のラサール神父にはイエズス会日本管区の広島移動の構想もあってのことだったらしい)。それ以前すでに1938年に長束に修練院も建立されていて、指導司祭たちと神学生の修練の場となっていた。また中国5県を網羅する広島教区のうち、広島・山口・島根3県はイエズス会神父が担当派遣される教区(当時はたしか代牧区)となっていたので、司教座聖堂の幟町教会もイエズス会神父が数名配置されていた。合計16名の関係イエズス会士のうち、修練長のスペイン人アルペ神父、それに神学生だった朝鮮人2名以外はすべてドイツ人だった。それとは別に、三篠教会併設の修道院には、日本人2人のほか、フランス3人、イタリア2人、アイルランド1人の煉獄援助修道女会のシスターがいたが、被爆後、P.コップ神父とともに長束に移動。これら外国人はすでに2005年までに全員死没している。http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=94336

 先般、広島原爆忌にイエズス会神父、とりわけルーメル神父をめぐる話題を広島学院同窓会HPに送付した。

https://suiyukai.com/?p=2269

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/54465

そのとき掲載し忘れた動画をここに追加しておく。提供は中国新聞社である。2020年の大沢美智子さんのYouTubeを探してみてください。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?peacemovies=2020-13

 ひとつ思いだしたので、余談を。私が20世紀末にローマに一年間いたとき、当時のグレゴリアナ神学大学長だったヨセフ(本当はジョッゼッペ)・ピタウ神父の斡旋で縁あってナヴォーナ広場の西側3階に住んだ。広場に面した4階にドイツ系の老シスターが二人で住んでいたが、渡伊して直後の4月の復活祭の時一席が設けられ懇談する機会があった。産毛なのだろうが髭にみえるほど伸びて魔法使いのような老シスターに、英語で「日本の広島から来た」と自己紹介した私は、「ラザロ神父を知っているか」と問われた。瞬間誰のことかぜんぜん分からず、イエスの時代の死者から復活したラザロではあるまいし、と「ラザロ、ラザロ」と何度も反芻し、ややあってはっと気付いたのが、「ラサール神父」であった。場所が異なれば発音も異なる、なるほどな、と。

 彼は1948年に日本人に帰化して「愛宮真備」(えのみや・まきび)と称した。私も幟町教会で幾度か見かけたことがあるが、長身・痩躯・金髪の,回りから抜きん出た存在感で、隠修士的な近寄りがたい威厳が備わっていて(禅修行の導師だったし)、当時の多くの人々を引きつけた理由も理解できる、そんな存在であった。そして、とにもかくにも私にとってのイエズス会士とはドイツ人なのである。

Hugo Lassalle,S.J.(1898-1990年)
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帰省へのお墨付き:pcr検査結果

 秋の学会で口頭発表するために広島大学に入構しようとすると、東京などの蔓延地域からの者は、「マンボウ対策のため原則禁止となっており、入構するためには、健康な場合、6日の待機+pcr検査が必要で、それ以外ならば1 4日の待機後に可能。今だったらお盆がらみの帰省だと、無料でpcr検査できますよ」との情報が寄せられた(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20210730/01/)。

 それで、ものは試しと申し込んだら中二日で検査キットが送りつけられてきて、連休前の土曜日に本局に持ち込んで郵送した。郵送先の検査所は都内だったようだ。8/7に発送したがどうせ結果連絡は遅れるだろうと、たかをくくって新幹線予約も遅らせる手続きしていたのに、なんと8/10夜9時にメールで検査結果が送られてきた。出発予定日を8/11としていたので、間に合わせてくれたのだろう。検査日見たらなんと日曜に作業をやっていた。ご苦労様です。そして結果は「陰性」だった。

 秋にはまた改めて検査やり直ししないといけないだろうが、それにあんまし信頼もしていないけれど、これで大手を振って8月に帰省できる。新型コロナ・パスポートではないが、練馬区役所に行ってワクチン注射接種済証ももらっておこうか。

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敗戦忌近し

 年中行事のようにマスコミが戦争関係の情報をまた流している。年寄りの私などからすれば今さらのものも多いが、特に若い世代への伝承という観点からはいいことだと思う。とはいえ、若い人たちはまたまた平和教育かと見る以前に食傷気味で見ようとは思わないかもだが。

 一昨晩は「マルレ:“特攻艇”隊員たちの戦争」を見た。どうやら海軍が震洋を作ったので、陸軍でもなんかしなきゃならんだろう、といった例のごとくの低レベルなライバル意識で、1944年に急遽策定された一人用の攻撃艇で、装甲なしのベニア製、自動車用エンジン搭載というお粗末なものだった。投入要員は徴兵以前の志願者からなる特別幹部候補生たちで、転用時には一応の志願確認が行われた由。そもそも本土決戦に備えてのもので、外洋航行を想定していなかったので、制海権が失われていた時期に遠くフィリピン等への配備(3000隻予定)はすでに無謀で、輸送中の喪失1300隻、戦死者317名におよび、しかもたいした戦果を挙げる間もなく(米軍の記録だと、震洋ともども損害は4艦程度)、米軍の対応策の餌食となり、フィリピンや沖縄戦等で海に出撃することもできず、砲撃で破壊され、あげく兵隊は地上戦に巻き込まれ、餓死者多数を出した、らしい。そもそも震洋にしたところで、航空機が不足して余った航空要員転用として構想されたらしい。https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/QNZ7ZKM8K7/

左、マルレ(船尾に装着した爆雷を反転時に投下・生還を期していたが、すぐに特攻兵器化);右、震洋(爆弾は船首に装備した最初から特攻兵器)

 費用対効果、いな人命対効果など無視した暴挙といっていいだろうが、それが優等の成績で採用された参謀本部作戦課員のやったことなのだ。優秀とはなんなのだろう。きっと彼らにとって自らを上級特権市民の証しとして、他を見下して認識する以外のものではなかったのだろう。

 昨晩は、色々の再放送があった。スペインでの情報収集工作をみた(たしか1988年作成:アナウンサーの声が昔風で若干声高)。そこでも、中立国だったスペインからの貴重情報を在スペイン公使あたりが中心となり収集し、スパイを米国に放ってのことだった。莫大な資金を投入してのせっかくの情報を生かさないで無視した参謀本部の見識のなさ、しかもすべて自軍の暗号は米軍に解読され筒抜けという大失態だったのだ。再びいう、秀才とはなんなんだろうか。

 戦後補償の問題のドキュメンタリーもあった。近代戦が総力戦(前線も銃後も区別なし)となって、非戦闘員も被災者となった。同じ敗戦国のドイツやイタリアでは戦災被害者への補償がわずかでもなされているのだが、日本では戦時中には戦意高揚のためその制度があったにもかかわらず、占領軍GHQによって軍人恩給ともども一旦は廃止されたが、1951年の独立後間をおかず軍人恩給は復活された。だが、あれだけ総力戦を叫んで国民の犠牲を求めてきたくせに、戦災被害者は未だ放置されてきている、というなんとも無残な内容だった。「空襲被害者救済:国家としてのけじめが必要だ」(https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210708/pol/00m/010/002000c?cx_fm=mailpol&cx_ml=article&cx_mdate=20210815)。

 私に身近な原爆被災者たちは例外だったのだ。「第2次世界大戦は全国民が被害を被った戦争であり、米軍の空襲による被害は全国に及びましたが、広島、長崎の原爆被災者だけに「被爆者援護法」による、 特別に手厚い援護施策が実施されているのは、原爆特有の「放射線」があったからです」(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku09/15e.html)。ほぼ死に絶えたところで、黒い雨訴訟を上訴しない決断をする首相の魂胆みえたり、と思わざるを得ないだろう。

 米軍による残留放射能隠蔽もあった。NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」(8月9日):https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23959

【追記】震洋、マルレについて、こんな面白い解説企画をみつけた。https://www.youtube.com/watch?v=0lQomkAfckk&list=RDCMUCfrFp_0bl5LO-kOtlp45rMQ&index=18

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