バルバルスの前口上

 老い先短い老書生です。さて健康寿命的にはあと長くて2、3年と思ってきましたが、すでにどうも危うい感じで。先般体重計に乗ってみたのですが、実年齢より足腰年齢が5歳も上に出てしまいまして (^^ゞ。どうしても繰り言がおおくなりそうですが、その中で何ができるか、これが目下の課題です。

 古い時代、とくに古代ローマに関心があって、現代の世情の中に古代に通底するものをどうしても見てしまいます。考古学は考現学の延長線上にありますよね。あれこれ身辺雑務にも触れておりますので、お暇な折に気軽にお立ち寄りください。ご意見、ご感想も歓迎します。

 なお、楽しく学ぶべく他のウェブ情報から画像や図版などを集めて掲載してますので、意図せず知的財産権を侵害している場合があるかもしれません。それを見つけられ不愉快に感じられた当事者いらっしゃいましたら、以下にご連絡ください。即刻削除いたしますので。koji007@spa.nifty.com

 Some of the photos and plates in this blog may have been taken from the web. If anyone wishes to remove them, please contact me at koji007@spa.nifty. I will immediately correct the article.


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これも老化か、76歳

 今回の渡伊は、これまでにないことが幾つかあった。

 その第一が、忘れ物である。スーツケースに予め入れておいたはずの着替え類、特に下着がなぜか入っていなかった。下着は着た切り雀では困るので、なので、わざわざローマの、サンタ・マリア・マッジョーレ前のUpimまで買いにいったが、やっぱり日本でのような品揃えにはならないので、結果的に夜洗って乾かして朝着て出るという感じになった。ま、夏のイタリアはそれでも凌げるのである。

 第二に、旅行中にケータイ・パソコンのワードが期限切れになったので、ワードで記録できずにEvernoteで書くはめになった。また、ニコンのデジタルカメラで撮影した画像をなぜかケータイ・パソコンに移せなかった。だから時々ケータイで写真を撮ってブログに掲載するはめになった。

 第三に、テルミニで盗難に会ったが、この件は他で書いたように、余裕なくよろよろ歩いている様子から、カモのご老体と狙われたのだろうと想像している。

 第四に、日本で自宅に引き籠もりしていたせいもあるのだろうが、世の中のケータイ化についていけなくなっていた。あちらでは、コトラルなんかの郊外バスや商品の購入はケータイでの決済が紙の切符や現金と平行で使用されていたが、これは決済方法としてなんらかの紐付けが必要のはず。それが極東の旅行者にもさて可能なのであろうか。そして博物館でも場所によってはクレジット決済でなければ入れなくなっていた。

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朱夏の衣替え?

 2023/8/27の午後、空港からテルミニ駅について、荷物を持ってうろうろした挙げ句、2階の食堂で昼食をとったあと、地下鉄に向かう2箇所のエスカレータのどちらかで、私が背負っていたリュックの一番上に入れていたポーチが抜き取られた。このポーチ、実は今から20年前に北スペインを巡礼した時、同行者の一人が捨てたものをもらって以来使用してきた思い出あるものであったのだが、基本、日本出国後に不用なものをとりあえず入れていたのだ。

 帰国しての第一印象は、羽田空港を出てモノレールのプラットフォームに出た時に感じた身につきまとう湿気の存在。

 帰宅して最初にしたことは、体重計に乗ること。3月のときと同様4kg減量していた。多分今血液検査すると平常値になっているはず。だけど一か月もすると元の木阿弥になるのは分かっている。

 第二にしたことは、帰国しての諸連絡。なにはさておき、毎年9月が更新の「東京都シルバーパス」の盗難届けで電話したら、私が手回しよく更新していた新規を盗まれたせいだろう、10/1以降に届ければ一週間程度で再発行だそうだ。自宅に置いていた旧カードは9月いっぱいは通用するので、とりあえずはそれが使える。

 あと、盗難後のカード使用・不使用がどうも一定していないようで(世の中、銀行やクレジット会社名義のニセメールがあふれているし)、これは順次連絡してみないと判明しないだろう。

 そして第三にしたことは、ローマでの盗難で失った物品の補充。とりあえずは、メモ帳と財布と時計。いずれも自宅に替わりはあるのだが、実際使うのには問題あるものばかりなので、メモ帳以外は、昨日Amazonで注文したら翌日届いた。たぶんこれが人生最期の身につける財布と時計になるのだろうが、財布の方が時計の2倍したのにはちょっと驚いた。それにしても革製品の本場イタリアから帰国してイタリア製牛革の財布を買うなんてなんだか変だよね。あっちではなぜか買う気にならなかった。

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閃輝暗点

 私は、たぶん60代になったころから時々めまいに襲われるようになった。歩道をなにげに歩いていると、突如視野が固定された感じになって、徐々に車道のほうによろよろと足が勝手に動きだすという症状で、それがおかしいなと思うようになった最初だった。そのころはごく稀な発現だった。半年に1回くらいの頻度だったかも。それが段々と吐き気、頭痛なんかも連動しだしたのはここ5年といったところか。

 それからたとえば机に座ってパソコンいじっている時などに、目の調子がおかしくなって、ギザギザに光る線が見えたりする現象も現れ出している。この頻度はちょっと多かった。この現象を閃輝暗点というらしいことを今回初めて知った。

発生のメカニズム

セロトニンという物質には血管の拡張を防ぐ作用があります。何らかの理由で血中にこのセロトニンが多量に放出されると、脳の血管が収縮して血流量が低下します。これにより大脳皮質の機能低下を招き、閃輝暗点の症状が起きると考えられています。
その後、セロトニンが減少すると、血管が拡張しますが、これが血管周囲にある三叉神経を刺激し、頭痛がおこると考えられています。
閃輝暗点の発症の誘因としては、ストレスや寝不足の他に、血管を収縮させる作用のある喫煙、コーヒーやアルコールなどが挙げられます。

●治療

閃輝暗点そのものを治療する薬はなく、片頭痛の予防薬として塩酸ロメリジン、片頭痛時に頓服で服用するイミグランなどがあります。

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プーチンご乱心を憶測する

 昨夕、娘から電話があった。夕方に私の妻と会う約束があって、妻の出先に行ったのだが、おかしい、記憶がない、今日は何日かとなんども聞く、アルツハイマーになったのでは、と。

 妻が我が家に帰り着くまでに、「突然記憶がなくなる症状」をぐぐってみたら、お医者さんの診断が掲載されていた。どうやら「一過性全健忘」という症状らしい。突然、最近の記憶能力が失われる症状で、だが最長24時間もすれば自然に回復し、再発は1割程度、原因は不明だが、記憶を操る海馬への血流が何かの拍子に滞ってしまうからでは、と。逆行性だと過去の記憶すべてが失われるのだが、これはそれではなく先行性だそうで、ごく最近の記憶の蓄積ができないのだそうだ。ウェブ情報では、この症状、男性の4,50代に多いという情報と、まったく逆に、女性で60代に多いとする情報があり、また過度の飲酒や薬物投与,ストレスなどなどが引き金になっている由。

 帰宅した妻は、家を出てからの記憶がないので、ケータイを見てばかりいる。そして今日は何日と同じことをそれこそ2、3分毎に聞き続ける。さっきも17日と言ったよ、といってもすぐに忘れて同じことを聞くのだ。ただ逆行性でない証拠に、私が夫であることとか、名前とかは覚えている。だから迎えに来た娘一家をちゃんと認識できていたわけだ。昼前に家を出てからの記憶がすべて飛んでいて、娘たちに会った時までなにをしていたのか記憶にないのだそうで、それを聞いて、もし出先を出るときに娘たちに会わなかったら、迷い子になっていたかもしれない危うい状況だったのだ、と気づいた次第。

 一夜が過ぎて朝目覚めた時に、わざと「今日はなんにち」と聞いてみたら、ちゃんと「18日」と答えるではないか。本人はけろっとして職場に向かった。ウェブ情報通りで一安心だが、ただ、孫娘が心配して居残ってくれたのだが、彼女が泊まっていることは覚えていなかった。だから家を出て電車とバスに乗って以降の丸々6〜12時間くらいの記憶が欠落していたことになる。

 実は今から40年前に妻の妹の夫がそのような状況に遭遇して迷い子になって、帰ってこれなくなったことがあった。しかし翌日だっけに実家の方に電話がかかり、だけど無言なので(手帳にその番号が書いてあったので試しにかけてみたのだろう)、これはおかしいひょっとしてとお母さんが気づいてその場所を動かないでと言って、迎えにいって連れ戻ったのだが、私はそんなことがあるのか、とその時は納得できる状況ではなかったが、今だと十分理解できる。

 それで思うことがあった。先般のロシアでのワグネル反乱時における不可解な成り行きについて、どうやら不可思議なプーチン政権の判断停止状況があったわけだが(「プーチン氏「まひ状態」ワグネル反乱、対応できず」:https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/337609)、ひょっとしてその時プーチンをそのような症状が偶然襲っていたとしたら、どうだろう。一過性だから最大24時間で回復するので、何ごともなかったようにその後も執務できるわけだが、先行性記憶喪失による空白の12時間とか24時間に、それが淡々とした日常であれば「今日の彼はちょっとおかしかったなあ」で済むところ、偶然その時に一大変事が生じたら対応不能となるわけである。彼くらいのストレスだったら発症原因には十分なりえるだろう。

 歴史事象にそのような偶然を持ちこむのは、プロにあるまじき安直な態度とされるのが普通であるが(よく引き合いに出されるのは、ナポレオンが戦いに際して水虫を患っていたので負けた、といった例である)、事実は小説よりも奇なりで、そういう偶然がたまたま生じる可能性を排除すると、かえって真の原因を見失って迷路に入り込んでしまう場合もある、と私は思わざるをえないのである。

 今、某読書会でマキアヴェッリ『君主論』を読んでいるが、その中で、成功する君主はそれなりの力量と時機を得た運がついていると論じており、父アレクサンデル6世の後ろ盾を得て、一代の傑物だったチェーザレ・ボルジアは破竹の勢いであったが、父子ともども熱病で倒れ、父が没した後、彼がまだ病床にあったとき、不運にも教皇ユリウス2世に捕らえられ、没落ヘと追いやられた。こうして彼から運命の女神は飛び去ったわけであるが、彼が病床になければまったく違った歴史になったかもしれないわけである。

【後日談】翌日、出先で妻がどうだったか電話で問い聞きしたら、ごく平常でちゃんと発言して役目を果たしていた、その場には別の医師や看護師たちもいたのだが、誰ひとり異常を感じた者はいなかった由である。妻には未だその時の記憶がまったくない。妙なものである。

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コロナ接種第6回目

 8/26から3週間ほどイタリアに行くので、よくわからないまま第6回の接種をしたのが月曜日。それから2日経つが、とても眠たい。それも副反応か。今日の日中は風があって過ごしよかったが、夕方になって湿気が出てきたようだ。

 日本を出るときに問題はないが、帰るとき、出先の空港で航空会社によって自己規制なのだろうか、色々対応が違うようで、お役所が何言ってても信用できない。3月のときは、イタリア・エアラインだったが帰国時に搭乗手続きの時みな引っかかっていてえらく時間がかかる、なんだろうと思っていたら、要するに横文字で書かれた接種証明書を見せろと。それがなかなか言葉的に通じないわけで。

 なんでイタリア航空側がそれを気にするのか分からないまま、日本についたら、ケータイで黄門様風にVisitJaspanの登録見せておわり。なにやってんだか。

 イタリア航空といえば、日本出るときすんでのところで詐欺的行為に合いそうだった。搭乗手続きのとき窓側だったので通路側を要求したら、日本人の係員が場所によって値段違うがお金要りますと。安くて30ユーロだったので諦めて機上してみたら、ガラガラ状態。乗客は3分のⅠくらいだった。係員のこの対応は、やたら腹立たしいものだったが、どうせ経営者に言われてのことだろうが、機内乗務員も日本人はいないし、本格的食事は1回のみで、経費節減があきらかな感じだったなあ。

 今回はトルコ航空。さてどうだろうか。

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右手人指し指の異変:2023/7/12

 このところ、なんかの折に痛みを感じる。これが骨粗そう症でいずれポッキリなんてことにならねばいいが。いや、指に気をとられていて、立ちあがるときに手首に体重かけたりしてポッキリいくことありそうな。

 ここ数日、視力が落ちた気配もするしなあ。

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小イワシ不漁情報、ああ

 私の帰省の楽しみのひとつは「小イワシの刺身」なのだが、いつの間にか、禁漁の時期が設定されていて、今年も6/12に解禁となったのだが、中国新聞デジタル情報(7/12)によると小イワシの収穫量が例年をかなり下回っているという。「小イワシ不漁、広島の夏の味覚ピンチ 市場取扱量は過去10年で最少 卵や稚魚は例年の1割以下」https://www.baruforum.net/wp-admin/

 私は8月上旬に帰省する計画を立てているのだが、二割高だろうが三割高だろうがそれ抜きには夏はおわらないのだ。

 「市中央卸売市場が6月に扱った小イワシは43トン。これまで過去10年で最少だった2021年6月の64トンよりも約3割少ない。最多だった17年の100トンと比べると半分にも満たない。」

 2017年どころではなくて、多分それ以前に、東京で通販で小イワシの刺身が入手できていたのだが、それには三重県産とか富山産と書かれていた記憶がある(今はなくなっている:さっき調べたら、なんと大竹市のふるさと納税の商品になっているのを見つけた。さて、150gで11000円は高いかどうか,不漁だったらグラム数減るのだろうし:https://item.rakuten.co.jp/f342114-otake/26041467/)。確実に海の潮目が変わってきている。

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なんだか不気味なアクセスが・・・

 私のHPのほうのブログの統計をみていると、このところなぜか海外からのアクセスが記録されるようになっていて(実際はこれまでもアクセスあったけど、知らなかっただけだったわけ)、まあ日本人の留学生がいそうな国は納得できるけど、かつて2018-19年にかけて「米領サモア」からかなりアクセスあって、このあたりは、不気味。いつか国際弁護士からのメールくるかもと、ちょっと緊張。中国も気になるなあ。

 以下が本年中の、すなわち半年間の総計。

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「週刊朝日」休刊

 実は私には全然固執感はないのだが、2023年5月末日で「週刊朝日」が休刊となった、ことを知人からのメールで知った。休刊とはいえこれは事実上廃刊であろうが、101年の歴史に幕を下ろしたことになる。インターネット時代になって、週刊とか月刊はもとより、毎日発行されている新聞すら情報発信の速度に対応できなくなってきている現在である。

 私の人生にとってより身近だったのは、1959年発刊、1992/5/29に休刊した「朝日ジャーナル」のほうであったが。私はこれを大学入学間もなく、高校時代の同級生に「大学生になったらこれくらい読まんとな」と、丸めて持っていたそれを示されて、そんなもんかと思い、家で朝日新聞を購入していたので、母に願って定期購読し始めたのが1966年のいつごろだったろうか、最初は書いてあることがちんぷんかんぷんで、読者の投書欄くらいしか理解できなったが、徐々に読める記事が増えていき、さて、もう斬新な情報が載っていないなと思い出して講読をやめたのはいつごろだったのか。遅くとも就職して実家を離れた1978年までのことだったのか、それとも休刊までずっととっていたのか、今となっては記憶は曖昧だが、以降は週刊朝日を購入しだし、たぶん上京してからはそれもやめて、週刊新潮や週刊文春を時々買う用になったのではと思う。もはや人生で見るべきものはあらからみたというわけで、現在は床屋にいったとき、そこにあるのを見るくらいだったが、週刊大衆が遺産相続の件で特集していたのはえらく役にたった。

 こういう変化も時代の流れというか、私個人の考えの変化に即応していたのではないか、と思う。

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健康寿命

 先般、不確かな話をしていたら、それは違うといわれた。要するに私は健康寿命が切れるのはまだ先のことだと思い込んでいたのだが。家に帰ってぐぐってみると、言われたように、私はもう健康寿命をとっくの昔に終わっている、そんな年齢になっていたわけだ。まあ昨年から後期高齢者の仲間入りしていたので、当然といえば当然なのだが。

 それにしても平均寿命までもう5年を切っていたとは、我ながら迂闊だった。なにもかも昔のようにできないくなっているのは当たり前か。先般、薬もらいに行ったら、コルステロール押さえる薬をふやされてしまったが、こりゃ運動してないのにバリバリたべているのだからしかたない。なぜかトイレに座るたびに「快眠・快食・快便、これでよし」との思いが湧き上がる今日この頃。

 しかし私より、最近、妻が階段でねじったとかで足を痛めたらしいのだが、彼女の場合、健康寿命すぎて、どっと体に老化現象らしき不調が出てきているようで、ちょっとだけ心配している。

【追記】これ書いたあと、腰が突然痛くなった。下を向くとやたら痛いのである。普通の筋肉痛ではない。7月になって連日の蒸し暑さでおそらく冷房にあたってうたた寝したせいだろう(老化現象としてひたすら眠たいのである。気がついたらうたた寝してる)。月中仙を毎日、骨盤の上、背骨の両側に二枚貼って4,5日過ごしてなんとかなったが、最初は神経的な痛みがひどかった。もう何が起こっても不思議ではない。

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