英国映画「生きる Living」(2023年公開)をみた

 これが黒澤明の「生きる」(1952年公開)のリメイク版だということは知っていたが、全然雰囲気が違っていることにやたら感動した。2023年日本公開である。

 初っぱなの鉄道駅での列車待ちの場面から、空間の奥行やテンポがまったく違っていて、なるほど端正で紳士的でいかにもイギリスなのである(ある意味、英国における古き良き時代を意図的に描いたものだったのかもしれない)。この点、原作の日本のほうはなんとなく敗戦直後のアジア的混沌を感じさせているような気がする。

 しかし、作品の本質部分はちゃんと継承されていて、あとから脚本がカズオ・イシグロなのだということを知ってさもありなんと納得した。https://ikiru-living-movie.jp/

 私も齢76歳を越えていつお迎えが来ても不思議ではないので(認知症だけにはなりたくないので、リタイア後の健康診断は拒否しているので、余命宣告は不意打ちで来るだろうし)、去り際の美学として誰かのために何かしたいという欲はまだ残っているとしても、せいぜいわずかな自分の存在証明を残すことしかできないだろう。映画の幕切れのように、たとえそれがすぐさま忘れ去られるものであっても。

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2024年初笑いシルバー川柳

 偶然みつけたけど、久々に顎が痛くなるほど笑ってしまった。

 妻が一番笑ったのは、ここにはない以下だった。

「デイサービス『お迎えです』はやめてくれ」

 私が笑ったのは以下。

「耳遠くオレオレ詐欺も困り果て」「さびしくて振り込め犯と長電話」

 これまでのを集めたものは、以下。

https://user.yurokyo.or.jp/senryu/pdf/405-1

 

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疲れが・・・

 昨日、正月以来二週間した、はじめて外出した。1ヶ月に一度の読書会だったのだが、まあ事前にちょっとだけコンを詰めて四時間寝ての外出だった。夕方帰ってきて夕食に久々に赤ワインをちょっと飲んで、あれこれやって寝たのだが、翌日おきたら腰回りに筋肉痛が。背中にリュックを背負い、片手にバッグをぶら下げたのがてきめんこたえたわけだ。

 それよりも体全体に疲労感が残っていて、これが始末に困る。頭が白紙状態ではっきりしないので、仕事がはかどらないからだ。やっぱり一両日はこんな調子なのだろう、これがご老体の現実だ。だから散歩とかして疲れたくなくなるので、ますますパソコンの前に座るばかりになって・・・。この悪循環。

・・・ 夕方になって、チョコラータを作って舐めたせいか、または体調が軌道に乗ってきたせいか、20時頃からだいぶ楽になった感じがする。それまで眠たいばかりだったのだから、この変化にはちょっと驚く。この調子で頑張りたいものだ。

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めまい

 このところ、コンを詰めるパソコン作業をしていたせいか、突然めまいに襲われて、安静を保つ必要性が出てきた。 

 そうなってようやく、そういえばつい最近眼鏡を新しいものに替えたなということに気づいたのであ〜る。めまいはおそらくそれと連動しているわけだ。

 となると、これまでだと古い眼鏡にしたら疲労感が減じるよねと思って、新しい眼鏡のケースに収めていた古い眼鏡を見たらツルがやたら曲がっていた。すっかり忘れていたが、どうやらベッドで我が体重の下敷きになってしまい、ついでに片一方のレンズもはずれていたので新しいのに替えたことを思いだした。

 で、古いのを取り出してあれこれねじってまたもや使用しているのだが、やっぱりこっちの方が眼へのあたりがソフトである。これで収まれば有り難い。

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我慢ができなくなってきている身がつらい

 テレビのCMでよく宣伝を見るのだが、一日8回以上にトイレに行くのは頻尿であると言われているが、最近私はその回数を超えている印象がある。

 そして、今日など台所で食器を洗っているうちに、水を扱っていたせいでもあるまいが、尿意がわいてきて、もうすぐ洗いが終わるのでそれまでがまんと、おわってからトイレに行く途中でちびってもれちゃったのであ〜る。

 もう尿意を感じたらすぐに行くしかない身となってしまっているわけで、老残というしかない。しかしまだ尿漏れ用のパンツを履く気にはならない。

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私は日々義弟を思い出している

 私の妻の弟は2019年の11月に病死した。まだ63歳くらいだったので現在では早死にであろう。

 その後始末を色々したのだが、台所にコーヒーのペーパーフィルターがあったので、ありがたく持ち帰った。そして毎日のようにそれを使ってコーヒーを淹れるたびに、彼のことを思いだしていた。それが習い性になって、使い切って自分で購入したペーパーフィルターになっても、やっぱり「彼からもらったことがあったよな」と義弟のことを思いだしている。たぶんこの調子で一生毎回思い出すのだろう。

 こうして、肉親の妻以上の「えにしのえん」となってしまったようだ。

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このところの老化振り

 ある日の大学への外出時。まずは最近風邪気味なので、予備のマスクを持参(よく忘れる)、用事関係の書類をかばんに入れたか(これもよく忘れる)。財布・定期・携帯は持ったか(これは忘れない)。洗濯機・乾燥機は始動中でもいつでも放置。

 家を出るとき、居間の床暖房と電気ストーブと照明、風呂の電気ストーブ、ガスの運転切、の確認。もちろん玄関ドアの施錠確認。帰りにはクリーニング取りに行かなきゃ。

 そして歩いて5分、地下鉄ホームで電気ストーブが心配になって、念のため帰宅。ちゃんと切っていた。ま、火事になるよりはまし。時には消したはずの照明がつけっぱなしだったり。

 そして帰宅時、スーパーとコンビニで買い物して、クリーニングに寄るのは失念。これで何度目か。それ目的で行った時は木曜の定休日だったりする。まあこれは実害ないからいいようなものだが。

 この間など、一生懸命エレベーターで3階を押したのだが、扉は閉じないし全然動かない。エレベーター壊れたのかと思ったが、ふと気づくと私は3階にいたのである。…(^^ゞ う〜ん、これってかなりやばいのでは。

 帰省して、実家から帰るとき、なぜか西広島駅あたりで電源やガス栓とか施錠が気になることが多い。念入れてチェックしたのに。

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息をひきとる

 このところテレビでアタリが多い。2023/11/20のNHK BSプレミアム「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」は身につまされたこともありなかなかよかった。死ぬときに「息をひきとる」と言うわけだが、これは、老衰で死ぬとき多くの場合最期が迫ると呼吸としては意味をなさない下顎呼吸になって、最後に息を「吸って死ぬ」という現象と一致していて、赤ちゃんがおぎゃあと息を「吐いて生まれ」ることと合わせて、「吐いて生まれ、吸って死ぬ」という出来すぎの格言?になっているのを、初めて知った。

 そして、下顎呼吸で酸素不足になると大脳から快楽物質エンドルフィンが放出されて、かつての臨死体験を立証するように、穏やかな最期を迎えることができるというわけであ〜る。

 昔、創価学会のことを調べていたときに、確か2代目会長の死に顔が鬼の形相だったのだが、死相に生前の生き様が現れ、穏やかだと成仏した証拠とみられていたので、口外秘にしたという件があった。意図的創作とも思えるが、これとは若干異なるが、今般ググっていたら「ネガティブな臨死体験」という項目があって、その割合はわずかだが、地獄的とも言える世界に向かい、自らが発した非常にネガティブな感情を味わう、という例もあり、それは死因として自殺の場合だとしていたのは、キリスト教的世界観に基づいた、ちょっと眉唾に思えるのだが、どうだろう。

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最近の体調

 2023/11/23に書いているが、最近また体調が下り坂になっていると自覚している。

 特に感じるのは、目の遠近調整ができなくなって、もはや手元の文字を読むときは眼鏡をとらないと判別できない、という状況である。これはワープロ使っているとき、ディスプレイに向かっては眼鏡が必要で、だけど手元の本を見るときは頭の上に眼鏡をずらす、という一手間が必要、ということで、そうしないとタイプミスが多発することになっちゃうわけである。

 テレビのコマーシャルでは、目薬一筋のロート目薬発売のロートV5が盛んに宣伝していてサクラのおばちゃんなど効能を大袈裟に言っているが、少なくとも私には全然効果がない。もうやめようと思っている。

 あと、一時快調だった内臓関係が今一で、まず胃が不調になり、そして便通がスッキリできないという感じである。これは風邪気味なのが連動しているのかもしれない。月曜に我孫子にいって喋ったら喉が痛くなり、まあそれ以前の急に寒くなったことも影響しているのかもだ。

 その上、一時そうでもなかったのだが、近所のセブンイレブンに行くだけでまた心臓がぱくぱくになって、まあこれは空気が冷たくなったせいもあるのだろう。月曜など間に合わないぞと自宅から西武豊島園駅に急ぎ、池袋で急いだのだが、途中で心臓発作が起きたら大変、という状況ではあった。いつか起こりそうな予感がする。

 その他、これは困ったなと思っているのだが、当方に自覚がないのに周りの人から「財布からお金が落ちましたよ」と言われて、小銭を拾って渡されることが2回あった。こりゃ文字通り認知症直行といいう感じでおもしろくない現象である。

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空気の軽さ、重さについて

 在伊50年になるN氏と話す機会があった。

 その時、この夏はサルノ川の河口目指して歩きましたと話したら「よくそんなに自動車道を歩かれますね」といわれたので、私が「どういうものか、イタリアだと息切れなんかしなくて不思議とすたすた歩けるんですよね。日本だとちょっと近所のセブンイレブンに行くだけでも心臓がパクパクしちゃうんですが」と話したら、「同じようなことを言われる人がかなりいらっしゃいますよ」と。

 どうやら日本の空気は重たいらしい。素人考えだが、たぶん空気中の湿気がその原因なのであろう。こんなことに気づくことができたのも老齢で渡伊経験をしているからで、若さに任せて活動している年代には察知しがたい、ありがたい新知見である。

 うろ覚えだが、ゲーテの『イタリア紀行』を読んだときに、アルプスを越えてイタリアに入った時の高揚感が書かれていたのが印象的だったが、これまで私は闇の国から光の国へと太陽光の変化ばかりに気をとられてきたのだが、案外に空気の軽さによって加算されたものだったのかもしれない。

 年取ったら(私はもう十分後期高齢者だが)、なるほどイタリアで暮らした方が楽かもしれないと思いつつ、年配になって多くの滞在者が帰国せざるをえないのは医療の都合である。なかなかうまくいかないわけだ。

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