身体能力低下:痴呆への一里塚(3)

  今朝、NHKの「朝イチ」で緊急事の対応をやっていて、やってみないと分からないことばかりで(防火壁の蹴破り方、等々)、勉強になった。たぶん知らなければ、いざというとき、せっかくの救命設備が全然役立たないことだらけだった。

 さて、いつごろからだったろうか、一,二年まえくらいか。これまでなんなくできていたことが、できなくなった。たとえば、実に日常的なささいなことなのだが、包装紙にちゃんと切れ目が入っていても、両手の指の力では破れなくなった(素人診断だが、原因はわかっている:長年の痛風投薬の後遺症かと)。

 実は、80台後半あたりの母が、そうだった。「こんなこと、なぜできないの」と不思議に思ってやってあげていたのだが、自分がそうなってみると(しかも、母よりえらく早い年齢だ)、指に全然力が入らないのである。しょうがないから、はさみで切れ目を入れてから破っている。

 で、今日の「朝イチ」だが、航空機が着水して救命胴衣を座席下からとりだして、ビニール・カバーを破らないといけないのだが、たぶん私にはそれすらできなくなっている、という現実である。

 これを見ていた妻が、「だから私は小さなはさみをいつも持っている」と。機内にナイフは持ち込めないから、化粧・裁縫道具として持ち込めばいいか。セラミック製だと完璧か。

 でも、もういいや、と思わないでもない。今さらじたばたしたところでなにほどのことあらんや、だ。正月の初仕事として、3日夜に妻のエレクトーンを大型ゴミで出したが、気をつけたつもりでそう無理な体勢とったとは思わなかったのだが、3階から地下1階まで妻と2人で、片方の端を台車に載っけて(工夫したつもり)、そっちを私が後ろ向きになって引っ張って、廊下とエレベーターで移動させたら、私だけ二日後くらいから一種のぎっくり腰状態が出てこのところ続いている(まだ直りそうもない)。そのうえ昨日など、地下鉄で優先席が空いたので座ったのはいいのだが、下車しようとして、座席から立ち上がれないのには畏れ入った。どういう具合か分からないが、身体全体のシステムが連動して機能不全という感じで、足が悪いわけではないのに、足に力が入らないのである。幸い端に座っていたので腕を回して横棒をてこにしてなんとか立ち上がったが、よそ目には老人が棒立ちで立とうとしている、と見えたに違いない(実際、見た目通りそうなのだが)。そのうえおまけに、そのとき読書会のため若干重た目の書籍や辞書を入れたリュックを担いでたせいだろう、今朝は体の節々が強ばった感じで前かがみでとぼとぼ、よろよろと歩いているざまで、これではまるで老いぼれのご老体である。あ、もう老いぼれだった。

【後日談】上記二日後には、立てない症状はほぼ元に戻りました。おかしなものです。なにげに立てるというのは精妙なシステムなのだと実感。ただし、朝起きて「いたた」と言いながらベッドから転げ落ちながら起きるのは従前通りですが。慢性筋肉痛。

 

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