全拙稿の誤植訂正:痴呆への一里塚(11)

 誤植が、とりわけ最近多くなった気がしていたが、この作業をしているとなんだかそうともいえないような(^^ゞ。いずれにせよ困ったものだ。お気づきの方からのご指摘を歓迎する。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

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1988年「エウセビオス『教会史』叙述の信憑性に関する一考察(一)」『上智史學』第33号

  p.70 左から7行目:三〇三年〜 ーー> 三一三年〜

  p.71左から2行目:折あるごとに ーー> ことあるごとに

  p.72 5行目:αὐ τόθι ーー> αὐτόθι

  p.73 8行目:ついでに、 ーー> さらに、

  p.76左から8行目:師 ーー> 教師

  p.78左から7行目:τῆ ーー> τῇ

  p.79 2-3行目:a ἱρετικῶν ーー> aἱ-ρετικῶν

  p.79左から6行目:ὅ ーー> ὃ

  p.79左から5行目:διδασκαλεîου ーー> διδασκαλεῖου

  p.79左から1行目:この師に ーー> この教師に

  p.85 5行目:司祭 ーー> 司教・司祭

  p.93 7行目:マキシムス ーー> マクシモス

  p.94左から4行目:まずは、 ーー> だがまずは、

  p.99 上段註(7)6行目:大正一四年 ーー> 一九二五年

    下段註(9)12行目:I ーー> Ⅱ

    下段註(10)3行目:永山 ーー> 久山

  p.101上段註(23)3行目:(HE,VI.ii.14: ーー> (史料F:

  p.102下段註(32)2行目:フィリポス ーー> フィリッポス

      註(35)2行目:司祭 ーー> 司教

         3、4行目:アキラス ーー> アキッラス

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1992年「「ディオクレティアヌスのキリスト教迫害」勃発原因をめぐって(一)」『上智史學』第37号

  p.238 5行目:古き人の法 ーー> 古き法

      9行目:おそらくは ーー> おそらくは最初

  p.240 4行目:旧習派 ーー> 旧守派

  p.242 8行目:本告示 ーー> 迫害告示

         彼ら ーー> 司直

     9-10行目:(と彼らは主張する)。 ーー> 、と彼らは主張する。

  p.242 6行目:影 ーー> 闇

  p.244左から1行目、p.245 2行目:「古き人の法」 ーー> 「古き法」

  p.245 2行目:同じ語 ーー> 類似の語

  p.245左から3行目:古き ーー> かの古き

  p.249図表のⅡ.8:Oratio,xxv. ーー> Oratio,xxv.2.

  p.250図表: IX ーー> XI

  p.252上段4,5行目;p.253上段註(7):口答発表 ーー> 口頭発表

  p.253下段(8)4行目:(現イズミット) ーー> (現トルコのイズミット)

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1994年『キリスト教の興隆とローマ帝国』

  113 左から2行目:vgl,.ーー> vgl.,

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1996年「「ディオクレティアヌスのキリスト教迫害」勃発原因をめぐって(三)」『上智史學』第41号

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2001年「殉教者と北アフリカ」『上智史學』第46号

  p.45 8行目:排出 ーー> 輩出

     左から1行目:Hardumetum ーー> Hadrumetum

  p.49 左から、7,9行目:ハッピィー ーー> ハッピー

  p.61下段左から6行目:xii.。 ーー> xii。

  p.62 註(26) 4行目:Apuleuis ーー> Apuleius

  p.62上段左から2行目:文責 ーー> 分析

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2002年「古代末期ユダヤ教図像考」『上智史學』47号

  p.92 図版1の一番下:Samaritan synagogueの印が間違い

  p.93 4行目:二七一)、ーー> 二七一)。

  p.94 5行目:Yodan ーー> Yudan

  p.99 7行目:マレブ ーー> マムレ

  p.100 左から4行目:だからである」 ーー> だから」

  p.105 左から9行目:右上隅 ーー> 左上隅

        3行目:身近かな ーー> 身近な

  p.106 左から3行目:初穂 ーー> 初物

  p.108 4行目:〜二六 ーー> 〜二五

  p.109左から4行目:『ユダヤ古代史』 ーー> 『ユダヤ古代誌』

  p.112 3行目、左から7行目:雄牛 ーー> 牡牛

  p.113 3行目:海の砂 ーー> 海辺の砂

  p.113左から3行目:ヤーヴェ ーー> ヤハウェ

  p.115 6行目:(読みは変更されている) ーー> 削除

  p.115 7行目:以下を ーー> 以下に

  p.118上段1行目、左から3行目:Zeev ーー> Ze’ev

  p.118上段註(9)の1行目:John C. ーー> John D.

  p.118下段4行目:ディオニュシオス ーー> ディオニュソス

  p.119下段註(20)1行目:Zeev ーー> Ze’ev

          6行目、註(22)末尾:Fig. ーー> fig.

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2003年(2012年第2版)「文書史料の落とし穴」『歴史家の工房』

  p.191左から7行目:ゼベダイのヤコブ ーー> ゼベダイの子ヤコブ

  p.194左から3行目、p.195 2行目:物 ーー> もの

  p.204左から7行目:そう ーー> 艘

  p.205 8行目と14行目:資料 ーー> 史料

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2005年「紀元後3世紀初頭のM.Aurelius Prosenesの石棺を見、銘文を読む」『歴史家のパレット』

  p.36 13行目:マクリアヌス ・・・Macrianus ーー> マクリヌス・・・Macrinus

  p.37下から4行目:都市 ーー> 首都

  p.38下から8行目:マクリアヌス  ーー> マクリヌス

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2006年「4世紀初頭、キリスト教迫害推進を希求した常民たち」『西洋史論叢』新輯35号

  p.173 9行目:10.1.2 ーー> 9.1.2

  p.179 下から5行目:符号 ーー> 符合

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2007年「初期キリスト教考古学とイエズス会」『ソフィア』219号、第55-3

  p.98左から5行目:教皇庁立教会 ーー> 教皇庁立キリスト教

  p.105左から3行目:アッポロンジ ーー> アッポローニ

           ヨジ ーー> ホシ

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2008年『神は細部に宿り給う』

  p.134 図3キャプチャ:パラティヌス丘 ーー> パラティーノ丘

  p.136 註1) の文献に付加:浅香正「ローマ都市の起源と王政」角田文衞・上田正昭監修『古代王権の誕生 IV ヨーロッパ編』角川書店、2003年、pp.121-144.

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2011年『バチカン サン・ピエトロ大聖堂下のネクロポリス』

  ii 10行目:”「マタイ ーー> ”(「マタイ

  vii 下から15行目:Basilia ーー> Basilica

  p.6 左欄1行目:(在位58 ーー> (在位54

  p.26 左欄下から5行目:ジョバンノーニ ーー> ジョヴァンノーニ

  p.29 右欄5行目:ノベナ ーー> ノヴェナ

  p.37 12行目:マイデナス ーー> マイナデス

  p.69 左欄下から15行目:asecco ーー> a secco

  p.73 原典レベルで、図版関係の番号が3箇所欠如

  p.114 図206中で:使徒の記念碑 ーー> 使徒の記念物

  p.132 図243のキャプチャ末尾「ロクルス」の後に以下を付加:[で、本来は壁に塗り込められていた]

     左欄6行目:され病んでいた ーー> されていた

     右欄の7行目:置かれた。 ーー> 置かれた[図243参照]。

  p.133 右欄8行目:「ENI」の後に[図242]を付加

  「付録:用語解説」1頁13行目末尾に付加:図74,92。

           2頁14行目:安置所 ーー> 礼拝堂

           4頁下から2行目:何段 ーー> 幾段

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2013年「歴史研究は刷り込みとの闘い」『歴史家の窓辺』

  p.214 9行目:註(6) ーー> 註(7)

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2016年『モノとヒトの新史料学』

  p.74 下段5行目:サン・ゴレゴリオ通り ーー> サン・グレゴリオ通り

  p.75 下段3行目:保坂氏 ーー> 保坂高殿氏

  p.77 上段図版キャプチャ:「右手1」と「右手2」の表示が逆

  p.81 上段12行目:おくもの ーー> おくのも

  p.83 下段5行目:(ここ ーー> 削除

  p.87 下段左から8行目:四四三/四四三 ーー> 四四三/四八四

  p.89 上段左から9行目:二〇〇六年 ーー> 2006年

  p.92 上段4行目:もの ーー> のも

  p.92 下段4行目:一四頁) ーー> 一四頁)。

  p.132 下段図8:ギリシア半島の テッサロエカ ーー> テッサロニカ

  p.133 下段12行目:伺える。 ーー> 窺える。

  p.141 下段11行目:割合はが ーー> 割合が

  p.172 上段4行目:後述するが。 ーー> 後述するが、

  p.205 下段左から6行目:一端 ーー> 一旦

  p.233 上段図2;同下段6行目;p.241 上段左から2行目:ターレス ーー> タレス

  p.255 左から5行目:砂岩 ーー> 石灰岩

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2018年『軍事史学』54-2

  p.8 上段3行目:二一一年 ーー> 二一二年

  p.8 下段左から2行目:ライン ーー> ドナウ

  p.9 下段【付録】:クラウディス ーー> クラウディウス

           アウレリアヌ ーー> アウレリアヌス

  p.104 図3上部欄外:Marborghetto ーー> Malborghetto

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2019年「人間アウグスティヌスを『告白』から探る」『歴史家の調弦』

  p.221 図1:出典末尾 Bari,2001. ーー> Bari,2001.

  p.229 左から2行目:多用しつつ ーー> 多用し

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