日経「私の履歴書」とノーベル賞:遅報(21)

 なぜか記憶にないが、ウェブで応募したのだろう、2,3日前から日経新聞がポストに配達されるようになった。昔はずっととっていたが、退職を機に朝日新聞とともにとるのをやめていた。ウェブでは毎日も含めてちょろちょろ読める契約をしているが。

 改めて紙の日経を読みはじめて、なんだか記事全体が軽いなという印象に捕らわれた。その印象は私の読む定番最終ページの「私の履歴書」に至って確信に変わった。今月の執筆者は「日本証券業協会会長」の鈴木茂晴氏。もちろん私に一切予備知識もない御仁だが、書いていることがひどすぎる。ぐぐってみると、なんと私と同年生まれだった。読後感的には、口先一丁での世渡りで出世してきた人なんだなあ、こういう人がバブル時代に跳梁跋扈していたんだなあ、という意味ではよくぞここまで暴露的にお書きくださった(取り澄ましたきれい事ばかり書く人が多い中で)、という感じで功罪半ばではあるが、私のように世渡りが下手な身からすると、こんな人が「会長」職を占めているようでは、日本の将来暗澹たるものと悲憤慷慨したくもなる。

 昔、大学事務してた女性が、大学卒業後に大手の証券会社に入社して、でもなぜかそこを辞めて不安定な大学の臨時職についていたので、私が「どうして?」と聞いたら、「だって悪いことしているのが見え見えなんですから」と言っていたのを思い出さざるをえなかった。よほどの僥倖に恵まれない凡人の場合、成功の裏には不正の芽が必ずあって、というわけなのであろう。

 こんな印象にとらわれていた折も折、またぞろ東京都知事の学歴詐称問題がウェブに流れ出していて、その連載を追っかけていたら、今度は村上春樹をあげつらった記事が飛び込んできた(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54648;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54327;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54151)。書き手がこれまで我がブログでも紹介したことのある伊東乾氏だったりするので単なる誹謗中傷とは思えない。村上にはどうも売らんかなの基本戦略があって、それが二枚舌の軽口に通底していて問題だ(ノーベル賞なんてとんでもない)、ということらしい。

 軽い読者に迎合した軽い作家、だから売れる、という循環理論が本当なら、私ももっと早くこの秘訣に接していたら今と違った人生があったかもしれない。真逆の道に迷い込んでしまった我が才覚のなさを呪いたくなる、というのはまあ冗談にしても、社会的地位を得た人が「全然勉強しなくて遊びまくった学生時代でした」と書くのは止めてくれ、と伊東氏が力説するのには両手で同意したくなるけれど、よくよく考えてみると、私の学生時代も大学の授業から学んだことはそうなくて(というより、学びとるだけの素地がこちらになかった、というのが正確か)、大学封鎖で授業がなかったのを幸いにして、鍛えられたのは専ら自主研やサークルでの読書会だったのは事実なので(身の丈にあった自分探しの場所がそこだった、ということだろう)、この点に関してはあまり大口は叩けないのである。だが、遊んだと書いてあって、遊んでいいんだとしか読み取れない読者など、どうせはなからろくな者ではないのでは、と思ったりもする。アメリカ映画の影響か、人生なにごともゲームだという言説も流布している昨今ではないか。マジメに遊べばいいだけのことのような気がしてならない。

【追記】今日になって、日経の販売店から電話がかかってきた。再度購入されませんかというわけであるが、もうリタイアしてるので、だけどウェブでは読んでますよとお引き取り願ったら、「ああやっぱり」みたいな、負け戦的な声の印象であっけなく引き下がられた。ウェブ時代となって紙の新聞は苦戦を余儀なくされている感じがもろ伝わってきた。弱り目に祟り目に遭遇したら、私だったらどう起死回生の策を講じるだろうか。

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