勉強会の休会と感染症関係読書

 実は本気で心配しているわけではないが、私も読書会を2週間ほど休会にすることにした。別途4/8に東京港区で、そして5/13に川崎で講演会が入っているが、これらはさてどうなるのだろうか。川崎はテーマが決まっているが、ちょうど一ヶ月後の港区のは「お好きなテーマで」と言われていたので、これまでは従来取り上げてきたもので見繕おうと思っていたが、これほど感染症が話題になっているのだから、そっちにチャレンジしてみようか、などと思い立った。

 そこで、我が図書室にある本で面白そうなものを昨日漁り、とりあえず以下を借り出した(余談だが、この分野で必須の古典は、W.H.マクニール(佐々木昭夫訳)『疫病と世界史』新潮社、1985年[原著:Plagues and Peoples, 1976]で異論はなかろうが、なんと我が図書館には文庫本も所蔵されていなかったのには、びっくり)。ジェニファー・ライト(鈴木涼子訳)『世界史を変えた13の病』原書房、2018年(原著:Get Well Soon:History’s Worst Plagues and the Heroes Who Fought Them, 2017)。原題と邦訳題はだいぶイメージが違う感じ。それとこの女性、語り口がかなりざっくばらんで軽妙なのである(ナウいアメリカの流行語を多用しているので、私などにはそのウイットの大部分が理解不能である。これは読者によって評価が分かれるところだろう:こうなると翻訳ももっと砕けた超訳にしたほうがよかったのでは)。論旨は「はじめに」で以下のごとし。

J. WRIGHT:今年34歳らしい 。若い!  W.H.McNeil(1917-2016)

 「先進資本主義国の人々は、自分は老人ホームで90歳で死亡すると思っているようだ。 それにはもっともな理由がある。状況が変わらなければ、2000年に生まれた子どもたちの50%が100歳まで生きる。状況が変わらなければ。【著者は、変わるんだ、といいたいのでしょう】

 ・・・この幸運が尽きるかどうかはわからない:続くことを願っているが、過去に続いたことはない。この不愉快な事実を忘れてしまいたい。そうすれば心が落ち着くし、おそらくそれが人の性だ。だが過去の疫病を無視し、無知でいると、いつか必ず発生する疫病に対してますます脆弱になる。

 疫病が発生すると、驚くほどうまく対処する人がいる。そういう人々が周囲の死や破滅を最小限に抑えるのだ。彼らは心優しく勇敢で、人間の最良の本質を示してくれる。【著者が本書で一番言いたいのは、このことのようだ】

 その他の人々は迷信深く常軌を逸した行動を取って、死者の数を増やす。

 ・・・ 驚くほど愚かな知識人が何を言おうと、過去の人々やその関心事は、現在のそれと同様、必ずしも高尚なわけでも真面目なわけでもなく、軽薄でばかげている。・・・結核患者はアリゲーター猟師になるべきだと考えた人物を知ったあとで、過去の人がみな深い尊敬に値する真面目な人だと考えるのは不可能だ。」

 そして著者が最初に選んだのが、紀元後2世紀後半にローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病」である(それ以前、アテナイでの感染症とかもあるが)。筆者はそれこそがローマ帝国没落の真の原因だったと言い切るのである。これからこの疫病を少し、勉強してみたいと思う。

 ちなみに他のエピソードは、14世紀の腺ペスト、16世紀のダンシングマニア、16世紀の天然痘、梅毒と列挙したあと、19世紀以降に、結核、コレラ、ハンセン病、腸チフス、スペイン風邪、嗜眠性脳炎、ロボトミー、ポリオ、と目白押しだが、これは医療が進んで病名の特定が明らかになっただけのことで、それ以前も実は存在していたのが多いのではないか、と私は想像する。

 ところでライト女史は、テーマと離れたところで私的に面白い事をあちこちで書き散らしている。たとえばスタンフォード大学のWalter Scheidelの研究(2005年)を元に、160年頃に第七軍団クラウディアから除隊した2年分の除隊兵239名は、規定の25年間の兵役中、実際の戦闘活動に参加せずに終わったが、「その軍団は、25年ものあいだ戦闘に加わらなかったのだ。彼らは笑いものになったに違いない。しかし、いいことだ! 一度も戦わずにすんだのだから!」(p.12)。それをヒントに考えてみると、我が自衛隊は1950年編成の警察予備隊を含めて実に70年間、戦っていないのだ! これも素晴らしいことだ!

 また、疫病で兵士不足になったので、マルクス・アウレリウス帝は誰でも軍隊に入れた。その中にはもちろん戦い方を知っていた剣闘士もいたが、それが民衆から娯楽を奪い不評だったので、皇帝は代わりに死刑囚を提供したが、この中にキリスト教徒がいた[この連結は秀逸]、また、盗賊や解放奴隷、ゲルマン人も採用した。つまり、皇帝は「かつては強力だったローマ軍を、テレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011年から現在)の冥夜の守人[ナイツウォッチ]に変えてしまったのだ」が、「死んだ仲間の代わりに80代の元奴隷や馬泥棒が入ってきたら、それまで世界一栄えある軍隊で20年戦ってきた兵士は、ローマにおける軍隊の地位は劇的に変化したと感じたのかもしれない」(p.25)。こういう当事者的視点は少なくとも私にとってとても斬新で、教えられた。

 本書にはアマゾン・ジャパンのカスタマーレビューで翻訳ミスが指摘されている(すばらしい読者だ!)。私的にはp.101の梅毒発生年が読んでて一見しておかしいなと思っていたので、これはやっぱり誤植だったが、あとは勉強になった。

【追記】3/11発の田中宇氏情報によると、ドイツのメルケル首相は3月10日に独議会の非公開の委員会で「ドイツ国民の60-70%が新型コロナウイルスに感染するだろう」との予測を述べた由(http://tanakanews.com/200311virus.htm)。

 危機管理の基本的立場は、かくのごとく最初に最悪の事態を想定して行動を開始するのが常道なのだそうだが(具体的には、その後、「これは大丈夫」「それも大丈夫」と消去していき、しかるべく事態収拾していくわけ:たとえば、WHOは3/6に「夏になれば流行が終わる根拠はない」と発表して、従来型と誤認しないように注意を喚起している:https://mainichi.jp/premier/health/articles/20200310/med/00m/100/008000c?cx_fm=mailhealth&cx_ml=article)、島国根性が抜けない我が政府(それはすなわち日本国民のことでもある)には残念ながらその意味で危機管理思考そのものがない、といわざるを得ない。大丈夫大丈夫と希望的観測で出発するから、結果的に後手後手になって、「想定外でした」という言い訳に終始することになる。そしてそれを容認してしまう国民性。震災しかり、原発しかり、そして今回の感染症しかり・・・。こうしてオリンピックも中止になってしまうのだろうか。もうやめたほうがいいと個人的には思う。

 この点で、例の神戸大学の岩田教授が重要な指摘をしていた。感染症対策を官僚が指揮することの危うさ、それに反省検討会で「終わったことを蒸し返すな」という体質:https://toyokeizai.net/articles/-/335971?page=3

 ところで、なにしろ母数が少ないので正確なことは言えないが、我が国はさいわい現象的に感染者数を押さておりながら、マスメディアで首相の責任問題が声高に云々されるようになってきた。政局がうごめきだしたようだ(http://nml.mainichi.jp/p/0000066d75/2378/body/pc.html)。これはどうしたことか。実際には押さえていないという情報を掴んだ上でのことか。現段階で政局的に責任が問われることには、なにか奇妙な違和感を感じざるをえないが、これも彼のこれまでの懲りない言動と愚策のつけがまわってきたということだろうか。庶民、というよりもマスメディアの煽る責任追及は往々にして理不尽である。表には秘められている何かが裏にうごめいている作為が感じられてならない。と思っていたら、3/15になってオリンピック中止決定・5月公表説が浮上した(https://www.mag2.com/p/money/900767/2)。

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