いかに統計が信頼できないとしても、中国での新規感染者数は、2/20以降1000人未満、3/7以降から100人未満、3/10は19人に留まっている。新規死者数も3/3からは40人未満、3/10は17人で、実際はたとえ100倍としても、押さえ込みはそれなりに効果を上げているようだ。それにひきかえ、中国以外では感染者の増加が著しく、死者数は最近では中国を凌駕し累計で700人を越えた、特にイタリアでは未だ急上昇中で、となると欧州連合もこれから増加するはずだ(イラン・韓国は減少)。日本は30人/日の感染者数で高止まりで、まだまだ退潮とはいえない。これからは、相変わらずお祭り騒ぎの予備選なんかやっているアメリカがどうなるか、注目に値する。
こんななか、高等教育を受けてきたはずの日本国民であるが、マスク買いだめ、トイレットペーパー買いだめに走り出して、おやおやという状況だ。マスクは生産拠点が中国だったから、中国が日本への持ち出しを制限しているのだから(一説では8割を確保している由)どうしようもないが、トイレットペーパーの店頭での品不足の原因は例の流通システム不全によるもので、となるとこれもすぐに解決しようもないから、品不足は今しばらくは続かざるをえないだろう(我が家の備蓄ではさてあと1か月もつだろうか。あやうい:孫もよく来て泊まるし)。こういうときに私は教育の無力(というかそれ以上に、無能、無意味さ)を感じてしまうことになる。誰も建て前ばかりの学校教育から学ぼうとせず、目先の危機感で走り出すのである。しかしいざとなったらお上は何もしてくれないわけだから、庶民としては念のため自衛に走っておかないと、一挙に戦後の生活レベルに落ち込むのだから、仕方がない。賢い人間であれば念のため走り出しておけ(こういう教育を学校でもやるべきなのだ)、というわけだ。まあこれが庶民・愚民の生活の知恵で、あほらしい風説風評(噂)や流言蜚語(デマ)にすら容易に動かざるをえない構造的メカニズムなのだ。
世の知識人たちは上から目線で「昔と違って今はチャットやSNSがあるので、デマが蔓延しやすい」と言うだろうが、それはあたらない。昔から庶民にはそれなりの情報伝達メディアがあって、あなどれないのである(イヌイットの例:https://seacamera.exblog.jp/15505077/;江戸時代の例:https://sp.hazardlab.jp/think/news/detail/1/6/1603.html)。古代日本においてすら、これはお上の話だが、駅制で一日最大160Km、平均80Kmだった。庶民はもっぱら口コミで、かなりの早さで情報は走っている。2011年の東日本大震災でも、68.0%が家族や地元住民による口コミ、インターネットが42.9%であった(年齢や性別で大きな差はなかった)由。
これからは、個人商店や中小企業の倒産とかが続々出てきそうな雲行きで、経営者、それに連鎖的に労働者の皆さんもたいへんだろうなと同情するしかない。サプライチェーンの海外化の問題点など当初から言われてきたことであるが、価格戦争の中ではそうせざるを得なかったというのが現実なわけで、公的な救済策の発動に期待するしかない。
こうなると、「ピンチはチャンス」と明るい未来を指向したくなる。個人的生活レベルでいうと、「もの不足」を逆手にとって、生きていく最低必需品とそうでないものを峻別して断捨離するいい機会にしたいものだ。
厳しい状況に置かれているイタリアでは、外出できないので、コンドミニオの窓から励ましの言葉を書いた旗を垂らしたり、ベランダに出て歌ったり楽器を演奏する「バルコニー・コンサート」が広まっているよし(https://www.facebook.com/watch/?v=229674858433554)。いかにもイタリアらしい庶民の知恵だ。頑張れ,イタリア! ・・・でもレインボーって ひょっとしたら・・・、だったよね(^^ゞ ま、いいか。
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