コロナ騒ぎの私的副産物:痴呆への一里塚(18)

 うちのかみさんは、シンプルな生活が信条で、よって断捨離大好き人間である。最初驚いてしまったが、彼女は読んだ本(ほとんどが推理小説の文庫本)をゴミ箱にポイ捨てする人なのである。「なんてことするの」と、かつてそれを拾い上げるのが活字依存者の私だったが、最近では孫がブックオフに持ち出して小遣い稼ぎにしているらしい。そして私は、職業柄(と言っておこう)、やたら本だとかコピー印刷だとかを抱え込んで原資蓄積に励むので、たいへん評判が悪い。

 物を新規に買うなら今ある物を捨てよ、というのが彼女の基本姿勢なので、なかなか新規購入は許してもらえない。一騒ぎおこるのである。そんな折、今回のコロナ騒ぎで冷凍食品備蓄の必要性を強調して、小型冷凍庫を購入させていただいた(二回り小さいワインクーラーを捨てる代償は払った)。その中に備蓄してあるのは、もっぱら私用の冷凍パスタやピザなどであるが、たぶん彼女は覗いてもいないはず。

 先般、コロナ騒ぎでガラ空きの新幹線に乗って日帰り往復して、義弟の今は亡き奥さんの山口県の実家に行って、お寺で墓仕舞いをしてきた。そのあと家仕舞い、仏壇仕舞いの下見に、奥さんのお母さんが最後に住んで10年近く無人となっていた家に行き、鍵を開けてビックリした。テレビで見た遺品整理業者におなじみの、ゴミ屋敷だったのである。足の踏み場もない乱暴狼藉ここに極まれりと、ひたすら驚いている私を尻目に、妻は「体力のない老人が住むと最後はこうなるのよ、だから私は」とこれ見よがしに私におっしゃるのである。そういえばあのお母さんは足が悪くて買い物に行くにも不自由していたらしい。80代での一人住まい。使わない物をゴミ捨て場に持って行くのもおっくうだったのだろう。いつか捨てよう、いつか。歳を取るとそういうものらしい。しかし人間はそのいつかが来る前に死ぬ。その後には他人の目にはゴミの山が残るわけだ。なぜか仏壇の前だけが空いていた。その生き様がなんだか切ない。

左が居間、右が仏間

 もうすぐ73歳の私である。あともう少し、もう少しだけ、と欲をかいているせいで、本を退職時にだいぶ捨てたつもりでもあれから4年。性懲りもなくまた増えているのは体重だけではない(この4年間に捨てた本が必要になったことも一、二度でない現実もある)。体力のあるうちに、と思いながらも、すでにちょっとしたことで息も切れる体たらくなのだが ・・・ 断捨離はなかなか難しい。今もパソコン回りは感染症関係の論文コピーがじゃんじゃん溜まる一方で散乱している。こうして写真撮ってみると、恥ずかしながら、すでにゴミ屋敷状況ですねえ、他人さまにとっては。

東日本大地震以来、節電のためリビングの一画を仕事場にして、これも評判が悪い:ふうむ、こうしてみるとなるほどすでにゴミ屋敷 (^^ゞ

 さっき、どこも所蔵していない疫病関係の伊語書籍を注文しようとして、本体17$弱なのに郵送料が27$強かかる〜と叫んだら、かみさん一言「買わなきゃいい」。ごもっとも。それで冷静になって、ふと思いついて仏語検索してみたら、こっちは我が図書館にあった。しかもこっちのほうが原典だった。あんがと,奥さん。

 ということで、我が奥さまの最大の断捨離対象は、私なのである。

Filed under: ブログ

No comment yet, add your voice below!


Add a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website

CAPTCHA