私のような文系は数字に弱いという負い目があるので、数字に騙されやすい。それを平易に説明してくれている記述があったので、紹介する。ま、早い話が半分は自著の宣伝ではあるが。
「統計調査に踊らされる人は「疑い方」を知らない」:
https://toyokeizai.net/articles/-/347724
私がまだ教員駆け出しの頃、最初に就職したのは大学の一般教養要員だったが、大学のほうに児童学科ができるまでは担任業務や授業時間数など短大の幼児教育学科のほうの職務が多かった。そこで畑違いの「領域社会」をやらされて、目を白黒させていたのだが、おかげで歴史学とはまったく異領域の研究者と親しく接する機会もあった。そこでもっとも勉強になったのは、「社会調査」の手法を学べたことだ。学生たちが卒業研究でアンケートをとって結論を導く。なので、私もその世界に関わらざるをえなかったのだが、見よう見まねでアンケートにおける一定母数の必要性、有意差検定抜きに判断してはならない、といった表ワザだけでなく、希望する結論を導こうとするなら項目の問いかけに工夫をすればいいのだ、とか、無記名アンケートを装っての記入者特定方法という禁じ手の裏ワザまで学ぶことができたのであ〜る。
この体験によって、数字とは自説に相手を同意させるための方便以上のものではない、ことも分かったし、あろうことかそっちの専門の先生からは「あなたのような資料の母数が少ない西洋古代史の場合は、統計は無意味で、数字よりも熟練した研究者のカンの方が正鵠を射ているものですよ」という、有難い言質もいただけたりもして、早くそうなりたいものだと思ったものだが、さて最晩年を迎えて果たしてその域に達しているのかどうか、大変心許ないことである。
かくして、本日の教訓:「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」。おお、どこかの総理大臣に捧げたい一句である。被支配層の我々が心すべき格言。
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