ふるさと、とは:痴呆への一里塚(24)

 「なんだか、母と同じことしてるな」。それがふるさと、というものか。

 母を東京に引き取ってまだ元気だった時は、1,2ヶ月ごとに私が同道して帰省していた。帰りたがったからである。帰ると、いそいそと朝早くから草取りを始める。そして散歩に行ってくると言って、ものの15分くらいして帰ってくる。たぶん存じ寄りのご町内をぐるりと歩いてきたのだろう。これが日課だった。東京でも散歩したらと私が言い、でも出ようとしないので(曰く、こわいのだそうだ)、私の孫が来たときいっしょに公園なんかに連れて行ったりしていたが、決して自発的ではなかった。だいぶ弱ってからは介護支援で散歩に連れ出していただいていた。歩行補助車も購入したが、自分の思い通りにならないのが腹立たしいらしく、使わなかった。さすがに杖は使っていた。認知症が進み、新幹線でトイレの鍵を閉めなかったり、東京駅から練馬までタクシーで移動中にトイレを要求するようになって、もう無理と判断して帰省はやめた。施設に入所することになったきっかけも、トイレの「大」の問題だった。

 一昨日、コロナ騒ぎで約3ヶ月ぶりに帰省した。私が乗車した新幹線のぞみ43号の4号車の乗車率はおおむね5分の1以下、降るとき8号車あたりまで通路を移動してみたが、段々密集度が高まって、最後あたりは5分の3くらいになっていた。今の感覚だと密集感あっていやだなと思ってしまう。広島駅新幹線構内の土産物屋は未だ全店お休みで、えっという感じだったが(私が常連の立ち食いそば屋も。夕食を期待していたので残念 (T_T))、ローカル線の方に出たら番線通路の商店は開いていた。こっちのほうがまだ客が多いということか。そこから西広島駅まで通勤・通学列車に乗ったが、19時半すぎで、昇降口付近に立ってる客も多いが数十センチの空間は保てる感じ。西広島駅は工事中で驚いた。改札が北に移動していた。これでやっとエレベータできるだろうな。広電宮島線はがら空き。高須駅周辺は一部を除いてコンビニも飲み屋も開いていた。我が家についてビックリした。植えてあったルッコラがびっくりするほど茂っていて、すぐに玄関に入れないくらいだったからである。なぜか青い茎や葉っぱは見えず、花びらと白骨化した枝ばかり。ほんとうにルッコラなのかああ?

到着時、無理矢理突破してドアを開け、翌朝撮影

 昨日は一日曇天、まずは、玄関前のルッコラを裁断し、草むしりをする。雑草は思いの外茂ってなかったのはどうしたことか。いつも帰省のたびに茫々たる様なのだが。そのあと、二号線方面に向けマスクを着装せずにぶら下げ、買い物と昼食ついでに歩く。二号線に出る手前の大きなドラッグ・ショップが店じまいになっていて、驚く。いつも刺身定食食べてた大型の割烹は閉店してからかなりたつがまだそのままだ。その隣が不動産屋なんだけどなあ。国道沿いのイオンは開いているし、二号線の車も普通通りかな。という感じでちょっと歩いて贔屓のそば屋「そば吉」に向かう。ここは980円でおなかいっぱいになる日替わり定食がお勧め。と、途中いつも使っていたもみじ銀行のカードボックスが3月で閉鎖したとの表示。銀行もやっぱりそうかと経済活動の縮小を感じてしまう。「そば吉」は開いていた。店内はカウンター風のところがアクリル板で隣と区切ってあったり、新聞置くのを止めたり、持ち帰りを始めていたりで、それなりの対策を講じていた。客は3人(組)くらいで問題ない。

 今朝は白雲はみえるが快晴で風が心地よい。今度は庚午公園の方に向かう。そこにはドラッグ・衣料雑貨店やスーパーがあって、色々買い物ができる。近所で活きのいい魚はここしかない(電車で一駅先にアバンセがあって、高めだけどさらに活きがいい。午後にでも散歩ついでに行ってみるか)。

 私が庚午で生まれたのは確かだが、父の転勤で3歳のときに離れ、広島に舞い戻ったのは中三の時のこと。そして就職で32歳のとき岡山県津山市に出て10 年後に上京し,以来練馬区の住人である。だから指折り数えてみると、庚午に住んだのは通算で28年くらい、すでに30年住んでいる東京のほうが長くなっている勘定だ。しかし、体感的に、ふるさとはあくまで庚午なのである。

 そして今日も買い物に出て歩きながら「おかしなものだ」と思ったのは、買い物は口実で、ご近所の様子を見て回っている自分に気づいたからだ。あの店がなくなっている、とか、あのお屋敷が更地になっちゃった、とか、まあ無意識のうちにチェックしているのである。しかも、ともかく妙なもので歩き回るのが苦痛ではない。たぶん母もそんな調子だったのだろう。昔、私が帰省すると母はアバンセまで歩いて魚を買いに行ってくれていた。いつの間にかそれをするのが私になっていたが。「もうあそこまで行くのはきつい」と。

 あんなそんなで、東京だとなぜか散歩に出る気にならない私も広島だとかなり歩くことになる。これがなじみの土地の持つ魅力なのかもしれない。このまましばらくいたら体重も減るだろうが、いかんせん2日後には帰京の予定で、ま、元の木阿弥なのだが(ところでなぜ火曜に帰京かというと、夕方ラテン語があるからだが、テレワークなのでこっちでやればいいことに、あと気づいた。次回は試すことにしよう)。さて、明日は室内のお掃除しないと。これも妙なもので、ヒトが住まない我が家は3ヶ月閉め切っていてもほこりが積もっていない感じで、私は掃除もせずそのまま生活して、帰るとき掃除する。人間が住むから汚れるのだろう(最初ごろは、餓死したゴキブリ見つけては喜んでいたが、最近はもう見なくなった)。ただゴミの分別収集にはてこずっている。2週間が一サイクルなので、出せないゴミが溜まるのだ。コンビニ、スーパーの資源回収箱がありがたい。が、生ゴミは駄目なんですねえ。

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