横田さんの無念死:飛耳長目(45)

 私は、小学校3年から5年にかけて新潟市松波町に住んで関屋小学校に通っていた。日本海の浜辺がすぐ近くで、我が官舎のすぐ裏は県立新潟高校のグラウンドだった。で、小学校が引けると、ともだちと、あるいは一人で連日私は砂山をいくつも越えて浜辺に遊びに行って、日が暮れるまで遊びほうけていた。浜には当時警察の射撃場なんかもあって、網をくぐって侵入し薬莢をさがす大冒険もしていた。浜に自生していたグミをたらふく食べて衣服を染めてしまい怒られたこともあった。波打ち際で佐渡島を遠望しながら、左にいけば柏崎で、右は信濃川河口だよね、というわけで何度も河口のほうには歩いて行った記憶もある(さすが柏崎のほうは途中で引っ返したが)。河口手前でコンクリの測候所が海中に没して波に洗われていた荒涼たる光景も印象に残っている(https://moekire2.exblog.jp/12813485/:当時新潟市は天然ガス採掘で地盤沈下し、信濃川の洪水を防ぐため分水されたせいで浜は河口方向でひどく浸食されていた)。あとになって、横田めぐみさんが新潟市で拉致されたことを知り、とても他人事とは思えなかったのは、そんな経験からだ。私だったかもしれないのである。彼女が通っていたのが寄居中学校で、学校間は直線でたった1.5kmにすぎない(彼女は広島市から新潟に転勤してきたのだそうだが、これも奇縁か:ついでにいうと、日銀広島支所長のかつての官舎は我が家の斜め向かいにあった。豪邸だった)。

 そのお父さん滋さんが亡くなられ、またそんなことを思い返していた時に、以下のブログが飛び込んできた。高野孟「安倍首相の出世に拉致問題を利用された、横田めぐみさん父の無念」(https://www.mag2.com/p/news/454014?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_9999_0609&trflg=1)。私は題目にいささか刺激的すぎる印象をもったのだが、読んでいくうち、拉致被害者の蓮池薫氏の実兄透氏が『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』講談社、2015年、というもっと過激な本を書いて、そのため家族会により「退会」させられたことを初めて知った(本当は「除名」というべきところ、なんだか姑息な表現だ)。

 昨今の安倍君の言動をみていると、どうしても高野氏に肩入れしたくなるが、真実は奈辺にあるのだろうか。滋氏たちと透氏はむしろ問題解決の両輪となり、別方向から互いに現実の壁と解決の道をさぐるための苦渋の選択をしたのではと思いをめぐらさざるを得ない。いずれにせよ、滋氏が無念の死を遂げられたのに変わりはない。

【追伸】https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200617/pol/00m/010/003000c?cx_fm=mailpol&cx_ml=article&cx_mdate=20200621

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