神父の自殺は孤独だからか:遅報(57)

 フランスでは、過去4年間に七人の神父が自殺したらしい、あくまで公式発表の数字なので、その背後にはもっといるだろう(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52292060.html)。カトリックはもちろん自殺を禁じている。いわんやその教えを率先躬行すべき神父が自殺するなど言語道断、のはず。

 上記ブログでは彼らの自殺の原因のひとつに、孤独が挙げられていて、そこから話題は以下のように飛んでいく。いわく「キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議(正確には、地方教会会議、のはず)の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る」。なんのことはない、教会聖職者自身が、独身とは正式に結婚していなければ、内縁であればいいのだ、という「ごはん論法」を賢く実践してきていたのだ。そしてそれは現在も実は健在なのだ(誤解なきよう付言しておく、もちろん皆が皆というわけでは決してない)。もちろん表沙汰になれば聖職停止になるわけだが、そのレベルになった事例は私の周辺でも時々起こってきた。

 この類いについて学問的に言及していて、私が大昔に読んで大いに感激し、そうだよな本当はさもありなん、と腑に落ちたのは、ル・ロワ・ラデュリ(井上幸治他訳)『モンタイユー:ピレネーの村1294-1324』上下、刀水書房、1990-1年(原著1975年)、だ。

 こんな記事も見つけてしまった。「神父たちの愛人が「独身制廃止」要求」2014/5/22(https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/36edd7119fc963f1d5c35efdf8de43a1);「バチカンが防戦する「不都合な事実」」2020/11/22(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52291248.html)。

 じゃあ結婚できれば問題解決か、というとそんなことはもちろんまったくないわけで。

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