負ける、ということ:飛耳長目(79)

 毎月送られてくる『UP』の末尾に、山口晃氏の「すゞしろ日記」という4行漫画?がある。なんで「すゞしろ」なのかは定かではないが、私は東京に来て、練馬に住んで、大根の別名がそれだということを初めて知ったので、作者は練馬区在住なのかもしれない。今回(582, 2021年4月号, p.54)、こりゃかなりの卓見だなと思ったのでまんま転載したいが、単行本もお出しになっているので、やっぱりそれは問題かもなので、大写しでの画像抜きで(雰囲気が分かる程度で)、文字だけ転写させていただく。「」内は漫画中の言葉。

 負けるが勝ち 「もーしゃ−けごだーせんしたっ」 絵を描くのはそんな感じだ 「全部勝っちゃだめ」 筆に負ける 絵の具に負ける 紙に負ける 「イテテ・・」 負けると云うのは あちらに沿うと云うことである 「いやー負けますわ」 せいぜい 我が物顔に 振る舞ってもらうのだ 筆なんぞ、負けてやらねばどうにもならない 余計な力を抜くと筆が語り出す 「ふー」 コントロールすると云うより機嫌をとり続ける。するとーー 「あ、よれてます?」「あ、手首かえしすぎですか」 筆の運動性が現れ出る 「でてない・・」 筆に限らず、子供が描画具に負ける負けっぷりは、実に見事だ 「好い線だな」 握力も弱いし 相対的に画具がおおきいせいだろうか 「妙なる覚束なさ」 ふと中西(夏之)先生の長い筆を思い出す 絵の具も大変だ 古い時代の油絵の具などはーー グズグズで ボディが無かったらしく、薄塗りを重ねるしかない。岩絵具は比重が違うと混ざらぬ故、色面対比の妙が工夫される。一色面のうちにも墨で下書きしておけば、細かな描写と鮮やかさが共存する 「さっ」 紙に負けるは割愛 そうして道具や画材の下働きみた様な事をしている時が最もーー 「ヘイ、ただいま」 それらの持つ力を使い得ている時であり、絵に開かれている時だ。画材が改良されたり 個人の習熟度が上がったりして自由度が増す程に、道具・画材に負けるのが 難しくなる。負けぬと云うのは 予期せぬことが起こらなくなる事であり、未知へ向かっていない恐れがある。事が多いわ・・・ 自分に居付いてしまっているのだ。それで、思った通りに絵が描けようものならーー これは相当危い。制作する前に思い描いたものが制作の後に出来てしまったと云う事が意味するのはーーーー その制作で何も体験しなかった と云う事だ。未知へ踏み出して、自分が変わってしまうのが 制作だ 絵が技法・技材を用うるのは、それらに沿う事が、自分への居付きを取り去って、未知へ向かう事とベクトルが揃うからだろう。 制作の時はその向きを間違わぬ事だ。右前方にある、少し怖い所にある ・・・☆ あれ ☆ あんだ? また来号・・・

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