海がきれいすぎてっておかしくない?:飛耳長目(85)

 今日の毎日新聞デジタル版に「きれいすぎて・・・海産物の栄養が不足:海の豊かさ各地で模索」(有料記事)が掲載された。

 窒素やリンが流れ込んで赤潮が云々されていた時代とは、これまたえらい違いで、私はいささかビックリしたが、下水処理の行き過ぎで栄養塩が少なくなりすぎた、という判断には若干違和感が。対処療法みたいな。

 よく、川の上流の森林資源が海の豊かさに繫がっているという話を聞いてきた身からすると、上流の森林資源の枯渇化が原因の一因にあるような気がしてならない。それはサケ・マスなんかの遡上産卵にも影響してくるだろうし。

 私の専門領域の地中海世界は、観光ガイドレベルのエーゲ文明やギリシア文明の「白壁と透明で豊穣な海、魅惑の地中海料理」といった宣伝イメージと違って、実は魚影が薄い海なのである。ただ古代には小型のクジラも遊泳していて捕獲していたらしいので、「現在は」というべきなのであろう。

 その原因としてこれまで言われていたのは、大陸棚がなくて一挙に深海に落ち込むせいでのプランクトン不足、という地質構造的な説明だった(たしか、F.ブローデル『地中海』だったと思う)。私はそれで納得させられてきたのだが、今回の記事読んでもしやと思いついた。もちろん素人考えに過ぎないが、古代社会における森林資源の枯渇化が根本原因だったのじゃないか、と。さてどうでしょう。

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