「ダウントン・アビー」で学んだこと

 遅ればせながら5/23に掲載したことある「ダウントン・アビー」であるが、魅せられてこのところ昼から午後にかけて時間があれば、ま、いつも時間はあるので見ている(シリーズ4,5をやっていた)。

 そこで学んだことがある。時代錯誤といわれるだろうが、イギリス貴族の館で働く使用人たちって、古代ローマ時代の隷属民を彷彿させる立ち振る舞いなのである。もちろん転職の自由とか結婚の自由はあるのでかつての奴隷身分とはいえないが、一九二〇年ごろも厳然とした身分的に越えられない階級差が色々あったことが、赤裸々に示されている。

 私が中学で英語を学び始めたころ、当時はイギリス英語だったので、日本との違いで、日本語で「一階」が英語だと「ground floor」で、二階が「first floor」となると教えられた。それらしく訳すと「地階」と「一階」である。その理由を先生が教えてくれたかどうか、その記憶はない。そして「ダウントン・アビー」で、「上に行く」とか「下に行く」という言葉が多発されていて、「下」とは使用人たちの仕事場を専ら意味しており、ご主人様一家は上階を居住空間として使っているわけである(これはイタリアでも同様といっていい、いやそっちこそが本家というべきだろう)。

 で、具体的に、Downton Abbeyのロケ場所のイングランドに実在するHighclere Castleの構造がどうなっているのかを知ろうとかなりググったが、明確な平面図は地階のみしか見つけえなかった(それはほとんどご主人様一家が昼間利用する部屋で、彼らが目覚める前に使用人たちは早起きして暖炉に火を入れたりして、彼らの姿や労働が目につかないようにしていたのが印象的)。写真で見る限り基本構造として地上3階建て(塔部分で一部4、5階建て)なのだが、すべての平面図は公表されていないような。

では、右側が正面玄関;では、下側中央が正面玄関

 ドラマでの放送内容から、使用人たちの作業場、特に厨房は「地下」で、そのくせ彼らの寝室はどうやら最上階にあり、主人たち貴族一家は、昼間は「地階」(日本での一階)で過ごし、寝室は「一階」(日本での二階)のようだということがわかったごろに、以下の分解図を見つけたのだが、それでもそこに描かれていないように見える「二階」(日本での三階)には、おそらく使用人たちの寝室(そこを下図では「Servants’ Corridor」と表現している)以外になにがあったのか、私には分からないままなのである。ないし、下図での塔の描き方からすると、ご主人たちの寝室は日本での三階にあって、使用人の寝室は屋上にあったのであろうか、そうすると二階はどうなっているのか・・・、いずれにせよどうも合点がいかないままである(ご存知よりの方からご教示願いたい:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp)。

正面玄関は、右側

 とまれ、古代ローマの富裕層が住んだ邸宅domus型において、「地階」は主として奴隷からなる使用人たちの作業場、客間、それ関係のご主人様一家の昼間の居場所からなっていて、「上階」(日本での二階)は専らご主人様一家の寝室が占めていたと確信している私には、たいへん興味深い居住空間の棲み分けではあった。

 ↑来客空間   ↑ここに上階部分     ↑ 家人たちの昼間の居場所 

 ところで奴隷がどこに寝ていたのか、実はこれがまったく明確ではない、というか作業場は確認されていても彼ら用の寝室などといった洒落た個室は確認されていない。おそらく夜間使用されない廊下とかの空間にゴザなど敷いてごろ寝していたと思われる。ご主人様付き奴隷なんかは、ご主人様の寝室の隅の壁の凹みで寝ていた、という話を九大の堀先生から聞いた記憶がある。

 こういうのって、江戸時代から昭和にかけての大店の丁稚などの使用人たちが昼間の売り場の板の間なんかで雑魚寝していたのと同様だったかもなのである(映画なんかでの描き方とは違って:私のこういう雑学は、実体験者の語り部・赤松啓介大先生からのものである。ま、彼の『夜這いの民俗学、夜這いの性愛論』【1994年初版】ちくま学芸文庫、2004年、の彼の辛辣な、世情庶民の生き様にうとく何も知らない学者先生批判も併せて、熟読・玩味をお勧めする)。

赤松啓介(1909-2000年:91歳)
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