歴史上の出来事って、そこら中で勘違いがまかり通っているのは事実である。凡夫はいつまでも刷り込まれたイメージに固執しがちで、新事実に触れても結局は旧説に舞い戻る思考回路は常に強固・健在なのだ。そして研究者とて世の凡夫なので、例外とは言えない。私のような老害の場合はもっとひどい。なにかの誤報も入り込んでしまっているのだから。
本日偶然眼にとまったのが以下。「憤然と議場をにらむ原敬:写真が語る「平民宰相」の理想と苦渋」(https://digital.asahi.com/articles/ASPC562BQPBXDIFI00B.html?pn=22&unlock=1#continuehere)。
一般には原敬は山川の教科書で学んだ最初の「平民宰相」であり、私的には日本で初めてのカトリックの洗礼受けた宰相ということになるが(青年期世に出るための処世術としてではあれ)、それはさておき、原の老獪さが現在の国会議事堂に明確に表されている(今回の記事の第3回ではまだそれが匂わされているだけだが:第4回を期待したいが、さていつになることやら)、という視点は斬新だった。
原について何が勘違いなのかについては、詳しくはデジタル新聞をお読みいただきたいが(但し有料)、この場合でも、本当の「最初」ではなく、従来の失敗例を勘案して集大成したからこその疑似「最初」なのである。それがいかにも最初として世に喧伝され、結果広く受け入れられちゃうわけで、全く間違いでないにしても不正確には違いない。
私の研究分野でもコンスタンティヌス大帝がまさにそれで、細かい実証や分析とかに血道をあげているはずの専門研究者でさえ、本来の「最初」と疑似「最初」の区別もつかない者は欧米研究者においてこれまでほとんどだし(いわんや、その輸入に勤しんでいる我が国の皆様も)、現在もそうだし、これからもそうなのである。
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