なんだか一週間遅れのようだが。
目次
▽教皇、カナダ先住民が受けた苦しみに赦し乞う訪問=総集報道
◎教皇、カナダ先住民が受けた苦しみに赦し乞う訪問=総集報道
◎教皇、カナダからの帰国便機内で記者団と対話
◎兵士の葬儀中、ウクライナ人司祭にロシア人司祭が「十字架」で殴りかかる
◎ヨルダン国王、イスラエル首相とパレスチナ国創設の見込みについて意見交換
今回は最初の記事をアップしてみる。ちょっと長文だが。
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◎教皇、カナダ先住民が受けた苦しみに赦し乞う訪問=総集報道
【CJC】バチカン・ニュース(日本語版)によると、教皇フランシスコは 、カナダ到着翌日の7月25日、エドモントンから70キロ南方のマスクワシ スを訪れ、今回訪問の主目的である先住民の人々との出会いを開始した。
マスクワシスのエルミネスキン地区には、カナダの過去の同化政策下で先住 民児童対象の寄宿学校の中でも最大のものの一つ、『エルミネスキン・レジデ ンシャル・スクール』があった。『真理と和解のための国立センター』によれ ば、ここでは多くの子どもたちが、過密状態と病気を原因に亡くなったという 。
エルミネスキン地区の先住民の墓地に車椅子で向かわれた教皇は、立ち並ぶ 木の十字架の墓標の間で、沈黙のうちに祈りを捧げられた。
そして、教皇は『聖母の七つの御悲しみ』教会で、各地の寄宿学校で亡くな った子どもたちの名が記された長い横断幕に接吻し、祈られた。
教皇は途中、先住民、ファースト・ネイション、メティス、イヌイットの代 表者らに迎えられつつ、寄宿学校の子どもたちを思い起こすためのテント形の モニュメントの前で車椅子を止め、ここでも頭を垂れて祈られた。
次いで、教皇はベア・パーク・パウワウ・グラウンドで、カナダ全土から訪 れた先住民の使節とお会いになった。会場には、サイモン総督とトルドー首相 の姿も見られた。
教皇は先住民の人々への言葉で、「今日、わたしは、古い記憶と共にいまだ 開いた傷を持ったこの地にやって来ました。この『悔悛の巡礼』の最初の一歩 として、今皆さんの間にいるのは、赦しを乞い、わたしの深い悲しみを伝える ためです」と話した。
ここで教皇は、多くのキリスト教徒たちが様々な形で、先住民の人々を抑圧 した権力者たちの植民地主義的なメンタリティーを支持したこと、中でもカト リック教会や修道会のメンバーが、無関心をも含めた態度をもって、当時の政 府による文化の破壊と、寄宿学校制度を頂点とする強制的な同化政策に協力し たことに対し、赦しを願った。
たとえキリスト教的慈愛や子どもたちに対する模範的な献身が少なからずあ ったとしても、寄宿学校政策がもたらしたものは総合的に大変悲惨なものであ り、キリスト教信仰から見て、それはイエス・キリストの福音とは相容れない 破滅的な過ちだった、と教皇は話した。
謝罪は終着点ではなく、出発点に過ぎない、と述べた教皇は、赦しを乞い、 その被害を補おうとしても、それが決して十分ではないことは理解している、 と語った。
その一方で、未来を見つめる時、このような状況を繰り返さないだけでなく 、完全になくすことを可能とする文化を築くために、尽力することは決して無 駄ではない、とも話された。
こうした中、教皇は過去の真実の解明と、寄宿学校の元生徒らが受けたトラ ウマを克服するためのプロセスの必要を示した。
また、カナダのキリスト教信者と社会が、先住民の人々のアイデンティティ ーと経験を受け入れ尊重することにおいて成長し、皆で共に歩みながら、それ を知り認める道を見出して欲しいと望まれた。
そして、この数日間の巡礼ですべての場所を訪れることはできないが、この 悔悛の巡礼で述べた言葉は、先住民のすべての人・共同体に向けられ、心から 彼らを抱擁するものである、と教皇は話された。
「いやしと和解のためには、わたしたちの力だけでは足りません。神の恵み が必要です」と述べた教皇は、「神こそがわたしたちの手を取り、わたしたち を共に歩ませてくださいます」と強調された。
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教皇フランシスコは、訪問2日目の7月25日午後、エドモントンの教会で 先住民や小教区の信者らとの集いを持たれた。 会場となった『ファーストピープルズの聖心教会』は、1913年に建設さ れた、エドモントン市内で最も古い教会の一つ。この小教区は、1991年、 カナダのファースト・ネイション、メティス、イヌイットのための教会となっ た。
教皇は人々のへの挨拶で、この教会にファースト・ネイション、メティス、 イヌイットの人々と共に、先住民ではない地域の人々や、出身も様々な移民た ちが共に集う様子を喜ばれ、開かれた受容性ある皆の家、これこそ神の家族、 教会のあるべき姿である、と話された。
使徒聖パウロは、イエスは二つのものを一つのもの、一つの民に造りあげる と言うが、それは何を通してだろうか、それは「十字架を通して」である。イ エスはわたしたちを十字架上で、いのちの木の上で和解させられる、と説かれ た。
また、聖パウロはイエスは十字架を通してわたしたちを一つの体として和解 させると説明するが、その体とはなんであろうか、それは教会のことである、 と指摘。
教会は和解のための生きた体であるべきにも関わらず、まさにその教会が関 係した場所で人々が消しがたい苦しみを体験したことに、怒りと恥を覚える、 と教皇は表明した。
人が神に近づくことを可能にするより、人に神を押し付ける方が簡単に思わ れるが、それは決してうまくいかない、と教皇は述べ、なぜなら、神は強制や 抑圧はせず、常に人を愛し、解放し、自由にされるからである、と話した。
教皇は、神ご自身が望まれるようにイエスが自由と慈愛のうちに告げられ、 わたしたちが出会う苦しむ人々を、解決すべき件ではなく、愛するべき兄弟姉 妹として認めることができるように、そして、キリストの体である教会が、和 解のための生きた体となるようにと祈られた。
この後、教皇は参加者らと交流され、北米の先住民で初めて列聖された聖カ テリ・テカクウィタ(1656~1680)の像を祝別された。
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教皇フランシスコは7月26日午前、エドモントンで、ミサを行った。会場 となった市内のコモンウェルス・スタジアムには、およそ5万人の信者が詰め かけた。
教会の暦は、この日、おとめマリアの両親、イエスの祖父母、聖ヨアキムと 聖アンナを祝った。
教皇は説教で、ヨアキムとアンナの家で、幼きイエスは祖父母と触れ合い、 その寄り添いや優しさ、賢明さを体験したと語り、それぞれが祖父母たちとの 絆を改めて見直すよう招かれた。
「わたしたちは守るべき歴史の子である。わたしたちは孤立した存在ではな い。誰一人、世界と切り離されて生まれる人はいない。わたしたちが生まれた 時に受け取ったルーツと愛、わたしたちが育った家庭は、ただ一つしかない歴 史の一部である。それはわたしたちが受けた恵み、守るようにと召された恵み である」と教皇は話した。
また、教皇は、「わたしたちがここにいるのは、両親のおかげであると同時 に、祖父母のおかげでもある。祖父母たちはわたしたちが生まれたことの喜び を伝えてくれ、多くの場合、何も見返りを求めず、わたしたちを心から愛して くれる」、「祖父母から教わった善と優しさと知恵は、人類の堅固なルーツで ある。祖父母の家でわたしたちは福音の香りを吸い込み、家庭的な信仰の力を 味わった」と語った。
さらに、教皇は、わたしたちは「歴史を守る子ら」となるだけでなく、「歴 史の作り手」となっていく必要をも指摘した。
祖父母や先人たちが伝えた情熱や希望を生き生きと保ち、正義と兄弟愛、連 帯に満ちた世界への彼らの夢を受け継ぎ、先人たちの根に支えられて、花を咲 かせ、実をつけ、歴史の中に新しい種を蒔くのは、今やわたしたちの役割であ る、と教皇は信者たちに呼びかけた。
◇
教皇は、エドモントンから西方72キロにあるラック・サンタンヌへの巡礼 に参加、同地でみことばの祭儀を行われた。
ラック・サンタンヌは、アルバータ州の中北部の湖で、19世紀よりカトリ ック信者たちの巡礼先となった。
水深の浅いこの湖は、代々の先住民たちからいやしの場所として知られ、「 神の湖」「霊の湖」と呼ばれていた。1842年、アルバータに初めて定住し た宣教師、ジャン・バティスト・ティボー神父が、この湖をラック・サンタン ヌ(「聖アンナ湖)の意)と名付けた。
1844年、最初の教会が築かれ、1852年、オブレート会の宣教師たち が活動を開始。1889年7月、同会によって最初の巡礼が企画され、400 人あまりが参加した。
以来、毎年7月26日、おとめマリアの母でイエスの祖母、聖アンナの祝日 の週に巡礼が行われるようになり、やがて北米で最も重要な巡礼の一つとなっ た。
青空が広がったこの日、湖にほど近い小教区(教会)から、教皇は数人の先 住民たちに伴われ、湖畔に車椅子で向かった。湖への道が続く緑地公園には、 多くの巡礼者たちが集い、教皇を歓迎した。
水際に到着した教皇は、しばし祈りの時を持った後、大きなガラスの鉢に入 った湖の水を祝別。そして、巡礼者たちに向け灌水棒で散水を行われた。
続いて、教皇は緑地帯に設けられた集会所で、巡礼者らと共にみことばの祭 儀を行われた。 この中で、教皇は、すべての人が、魂とからだの医者であるイエスのいやし を必要としている、と述べた。
そして、教皇は、特に「先住民の兄弟姉妹が受けた暴力のトラウマ」と、「 植民地主義の恐ろしい結果」、「多くの家族の消し難い苦しみ」からのいやし を神に祈り求めた。
これらの傷のいやしには、わたしたちの具体的な努力が必要だが、それだけ では足りない、と話す教皇は、主の助けを願い、イエスの母聖マリアと、祖母 聖アンナの取次ぎを熱心に祈られた。
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7月27日午前、空路エドモントンを発った教皇は、同日午後ケベック・シ ティ国際空港に到着、地元の代表らに迎えられた。
同市の「要塞シタデル」にある総督公邸にメアリー・サイモン総督を表敬訪 問した教皇は、公邸の中庭で行われた歓迎式に臨んだ。
この後、教皇は公邸内でサイモン総督と会談。続いて、ジャスティン・トル ドー首相とも会談を行った。 この表敬訪問で、公邸の芳名帳に記帳された教皇は、「海から海へと続くこ の地、カナダの巡礼者として、この偉大な国が、未来の構築において常に模範 となり、特に先住民たちのルーツを守り、価値づけながら、すべての人々の受 容的な家となるよう神に祈ります」と記された。
次いで、教皇は、カナダの各界要人、先住民代表、駐在外交団との会見を行 われた。
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教皇は7月28日午前、ケベック・シティーから30キロの近郊、サンタン ヌ・ド・ボープレの巡礼聖堂でミサを行われた。
ケベック州の保護者、聖アンナの名を冠したサンタンヌ・ド・ボープレは、 北米で最も古い巡礼地として知られ、カナダの国定聖地となっている。165 8年に、最初の教会が、人々の信心を集めていた木製の聖アンナ像を安置する ために建設された。
その際、脊椎側弯症のために松葉杖の補助なしでは歩行できなかった一人の 信者がこの建設に加わったところ、礎石を据えた段階でいやされ、杖なしで歩 けるようになった。その後、何度か再建され、1923年に建設された今日見 る大聖堂に至っている。
ミサの説教で教皇は、ルカ福音書の「エマオの旅人」のエピソードを観想。 エマオへの道のりで、イエスに出会った弟子たちの歩みを、一人ひとりの歩み 、また教会の歩みと重ねられた。
教皇は、この福音のエピソードは、悪の暴力や恥や罪の意識にぼうぜんとし 、わたしたちの人生が罪や失敗によって干上がり、何もかも失ったと思われる 時こそ、まさにその落胆と苦しみの中に、主が近づき、共に歩いてくださるこ とを教えている、と語った。
一方で、教皇は、失望の中で襲われる「逃げたいという誘惑」に打ち勝つこ との大切さをも強調した。
エマオに向かう弟子たちにも、エルサレムで見たイエスの受難から遠く離れ 、「静かな場所」を求めたいという気持ちがあっただろう、と述べつつ、人生 の失敗において、立ち向かわずに逃げ出すことは最悪であり、その敵の誘惑は 、わたしたちの霊的歩みや、教会の歩みを脅かすもの、と注意を促した。
教皇は「わたしたちの道、力、慰めである主イエス」に、エマオの弟子たち のように「一緒にお泊りください」と願い、「人生の苦しみの闇が朝の輝きに 変わり」、「新しいいのちの希望が開けるよう」、「共に歩いてください」と 主に祈ろう、と呼びかけた。
教皇は、28日午後、ケベック大司教区の司教座聖堂、ノートルダム・ド・ ケベック大聖堂で、カナダのカトリック教会関係者たちと夕べの祈りを行った 。
同大聖堂には、カナダの司教、司祭、助祭、修道者、神学生、そして司牧活 動にたずさわる信者たちが集まった。 説教で、「わたしたちはキリストのしるしである」と述べた教皇は、「使徒 ペトロは、羊たちの世話をし、導き、あなたがたが自分たちのことで頭がいっ ぱいである間に、羊たちが道に迷わないように留意しなさい、とわたしたちに 呼びかけている」と話した。
教皇は司牧者らに、信者たちの世話に献身と優しさをもって取り組むよう願 うと同時に、それを義務や役所の仕事のように行うのではなく、牧者の心をも って情熱的に行うようにと励ました。
「信仰の喜びを今日の人々に与えるために、福音を告げなくてはならない」 と述べた教皇は、そのために努力すべき一つの挑戦を示された。
教皇は、その一つとして、霊的砂漠である今日に、司牧的創造性をもって「 イエスを知らせる」道を探求するよう望まれた。
また、福音を告げるには、「信頼性ある証し」が必要、と指摘。教皇は、未 成年虐待をはじめ、カナダの教会が犯した悪を見つめ、同国の教会関係者と共 にすべての被害者に赦しを乞われた。
カナダの教会の先住民の人々とのいやしと和解の歩みを思いながら、教皇は 、キリスト教共同体が二度と文化的な優越思想に巻き込まれることがないよう に、と説かれた。
最後に、教皇は教会内の「兄弟愛」の大切さに触れ、兄弟愛を育ててこそ、 キリスト教共同体は、兄弟姉妹として互いにいたわり合い、一緒に共通善のた めに働く場として、人間性の学び舎となることができるだろう、と話された。
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教皇のカナダ訪問は7月29日、実質的な最終日を迎えた。教皇は、カナダ 訪問の最後の目的地イカルイトに向かう前、ケベック・シティの大司教館に様 々な地方から集った先住民の代表たちに「友人・兄弟・巡礼者として」挨拶し た。
この席で、教皇は、「わたしはカナダに友人としてやって来きました。それ は皆さんと出会い、耳を傾け、この国の先住民の人々の生き方を学び、尊重す るためです。わたしは兄弟としてやって来ました。それは地元のカトリック教 会のメンバーたちがもたらした、良い実と悪い実を見出すためです。わたしは 悔悛の精神のうちにやって来ました。それは少なからぬカトリック信者が抑圧 的で不当な政策に協力したことで、皆さんに与えた苦しみに対して、心に抱え る悲しみを伝えるためです」と話した。
さらに、教皇は、「わたしは巡礼者としてやって来ました。それは、体力的 な限界はあっても、皆さんと共に、皆さんのために、さらなる一歩を進めるた めです。そして、真理を追求し、いやしと和解のプロセスを推進するため、兄 弟愛と調和のもとに共存を望む、先住民とそうでない人々の未来の世代のため に希望の種をまき続けるためです」と述べた。
教皇は、「まもなくこの中身の濃い巡礼を終えるにあたり、ある意味で自分 自身も皆さんの家族の一員のように感じ、それを光栄に思っています」と語り 、特に「世代も様々な多くの先住民の家族と共に聖アンナの祝日をすごしたこ とは、わたしの心に忘れがたい思い出として残るでしょう」と振り返った。
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教皇は7月29日早朝、ケベックでカナダにおけるイエズス会会員たちと会 見した。
「チビルタ・カットリカ」誌の編集長、イエズス会員アントニオ・スパダー ロ神父によれば、ケベック大司教区の大司教館で行われたこの出会いには、教 皇庁総合人間開発庁長官マイケル・チェルニー枢機卿を含め、15人のイエズ ス会会員が参加した。
約1時間にわたる非常に自由で率直な対話を通し、教皇はカトリック教会の 一般的テーマ、また今回の訪問の目的など、カナダの教会をめぐる様々なテー マについて、話されたという。
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教皇は7月29日、最後の訪問先、ヌナブト準州のイカルイトに向かわれた 。ヌナブトはカナダ最北部にあるイヌイットの自治準州で、イカルイトを準州 都とする。
ケベックから空路でイカルイトに到着した教皇は、教会関係者や地域の代表 者らに迎えられた。
教皇は市内の小学校で、カナダのかつての先住民同化政策下で運営されてい たカトリック系の寄宿学校の元生徒たちと会われた。
この出会いは私的な性格を持つものとして非公開で1時間近くにわたり行わ れた。
続いて、教皇は小学校の校庭で若者や高齢者たちとの集いを持たれた。この 集いでは民族衣装をまとった家族が、伝統の歌と舞踊を紹介した。
教皇はこの席で、寄宿学校の元生徒たちが勇気をもって、想像もつかないほ どの大きな苦しみを分かち合ってくれたことに、深い感謝を述べられた。
そして、「鳥たちがさえずる春に、突然冬が降りてきた」という、寄宿学校 に調和ある家族生活を引き裂かれた先住民のお年寄りの言葉を胸に、教皇は少 なからぬカトリック信者が同化政策に関わり先住民に与えた苦しみに対し、改 めて赦しを乞われた。
教皇はいやしと和解の歩みを共に歩む意志を表明しつつ、創造主なる神の助 けをもって、起きたことに対する真実を明らかにし、この過去の闇を超えるこ とができるようにと祈った。
こうした中、イヌイットの人々が長い冬の夜に灯す石ランプを、夜の闇に負 けない人生の素晴らしいシンボルとして示された教皇は、誰も決して消すこと のできないいのちの光をこれからも証し続けてほしいと願われた。
カナダでの公式行事を終了された教皇は、送別式の行われるイカルイト空港 へと向かった。
◇
教皇は、カナダ司牧訪問を終え、7月29日午後、最北部ヌナブト準州のイ カルイト空港での送別式を経て、ローマへの帰路についた。 同空港で教皇は、各地での公式行事に付き添ったメアリー・サイモン総督を はじめ、地元の人々の見送りを受けられた。
そして、特別機でカナダを後にされた教皇は7月30日午前8時過ぎ、ロー マに到着した。
ローマ到着後、教皇は市内の聖マリア大聖堂に立ち寄り、聖母子画「サルス ・ポプリ・ロマーニ」(「ローマ人の救い」の意味)の礼拝堂で、カナダ訪問 の終了にあたり、感謝の祈りを捧げた。□
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