原爆ドームの落書き

 映画の「原爆の子」なんかを見ている内に思い出した。その落書きってほかで見たことある、と。

 思いだしたのが岩波書店から出版されたパンフ『廣島:戦争と都市』岩波写真文庫72、1952/8/6 である。ということは、日本がアメリカのGHQの占領から脱したのが同年4月28日だったので、3ヶ月ちょっとあとの出版だった、ということになる。その58、59ページに件の落書きと、関連の写真が合計9枚載っている。その解説文が洒落ているので、引用したい(文中〇数字は写真番号)。

 「かつて廣島の一名所だった相生橋①と産業奨励館ドーム⑦の上空で、原爆が炸裂した。崩壊した相生橋⑥は完全に修繕されたが、ドーム⑤のほうはそのまま残っている。人間の悪を遺跡にする法はないと怒る人もいる。ただ撤去するにも保存するにも相当費用がいるので簡単な鉄條網だけでかこってある。内には浮浪者が居を構え、見物のアメリカ人③は崩れた壁に署名をしてくれる⑧。傍にはケロイドNo.1と評された人が、自分のケロイドの写真を売っている④。天皇も一度、ご会釈のため立ちよられたし②、記念日にはここで追悼が行われ、平和の鐘が鳴って鳩が放たれる⑨。その鳩が廃墟の内に巣をつくって、ヒクヒク鳴いている。」

 ここでは、③、④、⑧を転載しておく。

左③は、在りし日の産業奨励館と見比べている米国兵士とそれを見物している日本人;右④の右側の写真の主は吉川清氏。左に置かれているのは被爆した酒の徳利で、これも被爆瓦同様売り物だったのだろう
⑧原爆ドーム内の落書き:映画「原爆の子」でもこの箇所が出てきた

 ところで、今年の4/28が日本独立70周年だったのに、主要メディアがほとんど触れなかった件について、偶然以下を目にした。なかなか含蓄ある内容だった。

2022/5/9:山下英次「日本人が忘れてはならない4月28日、「悔恨の独立記念日」」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69987)

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