これは以前にも書いた記憶があるのだが(後日偶然判明した、2019/3/20)、
共著の研究書などでは複数の執筆者が寄稿している。私は、奥付やその前のスペースに書かれている「執筆者一覧」をみて、なんでや 〜と思うことがある。それは女性研究者の生年が書かれていないケースに遭遇したときのことだ。そして時に男性研究者のそれも記載されていない場合すらある。
この現象は、否応なしに「女性に歳を聞くものではない」と世間で当然のことのように言われていることが、出版社の編集者に影響を与え出しているかのように思われる。私のあいまいな記憶では、加賀まりこなんかが「女優に歳を聞くものではない」と叱りつけるように言っていたのが、いつのまにか「女性に」に置き換わったように思う。一般女性も女優並みに扱え、というわけである。
私が「執筆者一覧」で女性のみならず男性の年齢を確かめようとするのは、「この論文の執筆者はこの年齢でこの論文を書いているのだ」ということを確認したいがためである。それが抜けていると、論文の評価も若輩ならこの程度でもしかたないか、とか、若いのにたいしたものだ、とか、研究歴が長い割に核心ついてないよね、とか、私は判断するわけであるが、その基準が持てなくなるので、どう評価していいのか、迷ってしまうわけである。
といいつつ、すでに後期高齢者の75歳になってしまった私からみると、みなおしなべて年下になっているわけだから、多くの場合、ちょっと大袈裟に言えば、偉そうに「まだまだ未熟じゃのお、人生体験が足らん」という感じなのであるが(たまに脱帽する玉稿に出会うときがあるにしても)。
時節柄なんでこんなあぶないこと改めて書いたかというと、『図書』(岩波書店)の最新号(2022年12月号)に近藤ようこ「ゆうやけ七色」という漫画のNo.3「シニア割」が見開き2ページで掲載されていて(pp.40-41)、美術館で割引きになる65歳かどうかと聞かれた体験で、10歳も老けて見られたのか、と落ち込んだ挙げ句、以下のコマ割りが登場していたからだ。
近藤さんの主張に私は大賛成だ。だけど岩波書店だってやってんだよね、非掲載を。世間の風潮を忖度するのではなく、かつての編集者にはあった毅然とした判断力が必要とされている、ように思うのは私だけではないはずだ。
No comment yet, add your voice below!